午後八時(3)
「俺の名前はジャック。ジャック・ピアースだ」
女神の説明の最中、散々喚き散らしていた金髪の少年、ジャックは、周囲の人間を威嚇するかのように顎を上げて自己紹介を始めた。
女神によって言葉による障害が取り除かれ、ご親切に提案までされたので、集められた人間による作戦会議が始まった。警戒心は解いていないことがわかるぐらいの距離を作って円になり、年長者から順に自己紹介が行われている。俺と早希を含めて13人。彼で11人目、あとは俺と早希だけだ。今までにわかったことは、国籍も人種も年齢もバラバラだということ。共通点は、昨日、突然声が聞こえて最寄りの公園に集められたことのみだ。
「アメリカ人、18歳、高校生だ。昨日、わけのわからんテレパシーを感じて、暇だったから近くの公園に来た。以上だ」
仏頂面のまま言い終えると、腕を組んでそっぽを向いてしまう。第一印象に違わず、人付き合いが得意、とはお世辞にも言えなさそうだ。
「ありがとう、ジャック。アメリカは実に夢のあるところだよね、僕もまた行きたいよ」
会議を回しているのは、イギリス人のジョン・スミスだ。長く明るい茶髪を後ろで縛っているイケメンで、リーダーを買って出る甲斐性がある、28歳の青年だ。
「さあ、最後は君たちだ、田中一郎くん?」
大丈夫かい、と目で尋ねてくるジョンに一度頷き、自分を落ち着けるように息を吐く。腕にしがみつく早希を奮い立たせる為にも、堂々とした立ち居振る舞いを心がける。
「こいつ、幼馴染なんですけど、ちょっと混乱しているので俺がいっぺんにやっちゃいます。こいつは寺田早希です。俺も早希も15歳、日本人です。皆さんと同じように、声を聞いて最寄りの公園に行きました」
「君たちも、同じ部屋にいたのかい?」
優しげな口調で話しかけてきたのは、チャールズ・アンダーソン。52歳の禿げ上がった頭がチャームポイントのおじさんだ。彼は、隣に控える奥さん、クレアさんとリビングで団欒している時に声が聞こえたらしい。
「いえ、違う部屋にいました。早希の近くに俺の母と妹がいたんですが、二人には聞こえなかったようです」
「そうなのか。あ、すまないね。続けてくれ」チャールズはジョンに向かって手を上げる。
「気にしないでくれ、チャールズ。疑問はみんなで解決していこう。その為には、共有することが必要だからね」
爽やかな笑顔で返すが、チャールズの方は少し無愛想と言ってもいいほどリアクションが薄い。
「さて、彼女の話は嘘ではないようだが」ジョンはちらりとこちらに背を向ける女神を盗み見る。
「私たちの間で嘘がない限り、ね」
彼女は、シャロン・マグダウェルというアイルランド人だ。リーダーの後に自己紹介したからか、すでに副リーダーのようなポジションに収まっており、綺麗な栗色の髪もお揃いのように見えて、もはやお似合いのカップルにしか見えない。ただ、ジョンは温厚な雰囲気があるが、彼女は理知的でクールな雰囲気を醸し出している。
「我々で嘘を言うメリットは感じられないよ」
「ええ、そうね。彼女の話、信じざるを得なくなってきたわ」
「しかし、信じるとは言っても、ねえ」
「世界を救え、か。さて、どう動けばいいのかしら」
リーダーと副リーダーが話し合っている間、俺の腕にしがみつく早希は、俺を隔てて反対側にいる女性を警戒していた。俺も気づかれないように様子を窺ってはいるが、当の本人は涼しい顔をしている。
集められた人間で話そうか、と皆が近づき始めた時、早希が悲鳴をあげてしがみついてきた。早希の悲鳴に驚きながらも、「どうした?」と声をかけると、背後にあった闇に何かを感じた。慌てて暗闇に目を向けると、そこには人の影がぼんやりと浮かんでいた。
「ごめんなさい、驚かせたようね」
暗闇からぬるりと現れたのは、東洋系の美女だった。黒の度合いが強いグレーのの長袖に、黒いスキニーを履いていて、暗闇に溶け込んでいる。その上、髪も濡れ羽色のため、妖しく光る青い瞳が目立つ。その双眸はとても神秘的ではあったが、その時は不気味でしかなかった。
「驚いた。全然気がつかなったよ」
そばにいた金髪の青年、ロック・マンガンも目を丸くして驚いている。
「私も話に加わってもいいかしら」
誰にともなく控えめに声を出す彼女に、「もちろんさ」とジョンがすぐに声を上げた。
動揺の波紋は未だに残っていたが、彼女を含めて13人であり、女神も言及はしなかったため、彼女も自己紹介に加わった。リ・シェンメイと名乗る彼女は中国人だった。青い瞳に自ら触れることはなく、不自然さは拭われなかった。
「お話し合いは終わりましたか?」
結局、リーターたちの話し合いは結論を見ないまま、女神の話を進めてもらうことになった。
「こちらとしても説明不足なことは否めません。ですが、事は急を要するのです。今は兎に角次のステップに進んでいただきます」
「ちょっと待って」
不機嫌そうな声を出したのは、ロシア人のアンナ・アリモアだ。ジャックと同じくらいコミュニケーションを取ろうとせず、自己紹介も名前と年齢を早口で言っただけだった。その彼女が口を挟んだことに少し驚く。
「何か?」話を遮られても気を悪くした様子もなく、女神がアンナを見る。
「私、明日は大事な用事があるの。悪いけど、こんな茶番に付き合っていられるほど暇じゃないのよ」
女神が再び口を開く前に、ジョンが口を挟む。
「おいおい、アンナ。このままじゃ世界が終わってしまうんだ。その用事は世界が終わるより大事なのかい?」
「そうね。優先順位を考えて、アンナ。それに、公園に行ったのはあなたの意志なんでしょう?」
シャロンも畳み掛けるが、少し非難がましい口調だ。あまり良くない。アンナは動じる事なく、その二人をギロリと睨む。
「お言葉だけど、世界なんて知ったこっちゃないのよ。私にとっては一生に一度なの。簡単に言わないで。あと、公園に行ったのはルーティンだから。丁度、その時間は公園で散歩するのが日課なのよ」
「おいおい、じゃあ、巻き込まれたっていうのか?」ジョンは落胆の様子を隠そうとしない。
「説明が足りなかったのは悪かったと思っているわ。でもね、ここに来たのは本当にたまたまなの。あなたたちほど好奇心旺盛じゃなくてね」
ジョンは額に手を当てて頭を振る。その様子を見てから、アンナは女神を向く。
「というわけで、申し訳ないけど、世界を救うとか、そういう話なら私はパスよ。元の場所に帰して」
「わかりました」
女神は一切迷うことなく肯く。アンナはおやっと細い目を少し丸くしてから、毒を吐く。
「あら、案外物分りがいいのね。もっと気難しいのかと思った」
「ええ。とても残念ではありますが、意志を持たないものを巻き込めるほど、事態に余裕があるわけではないのです」
表情も声色も穏やかだが、言葉に少し険があり、アンナの眉もピクリと動く。
「それともう一つ。確認しなければならないことがあります」
アンナは小さく顎を横に振り、無言で先を促す。
「記憶を消させて頂きます」
予想できたのは俺だけではないだろう。アンナの口は軽くはなさそうだが、口が滑る可能性はある。神様がいる、など知れたら大変だ。アンナも大方予想通り、といったように頷く。
「まあ、こんな妙ちくりんなこと覚えていてもしょうがないわ。こちらとしても願ったり叶ったりよ。綺麗さっぱり消してちょうだい」
女神はアンナから視線を外し、全員に聞こえるよう、少し声を張る。
「この際ですし、他の方にもここで降りるチャンスを差し上げましょう」
途端に空気が粟立つ。誰も許されるとは思っていなかったようだ。しかし、みんなの期待を裏切るように、女神がもう一回り大きな声を出した。
「ただし、昨日、今日、すべての記憶を消させて頂きます」
その言葉に頓狂な声をあげたのは、余裕を見せていたアンナだった。