95.兄妹は戦い、兄は決心する
最近は寒いけれど、風邪をひいたりはしていませんか。
鼻水が出て、のどが痛いのは風邪でしょうか。
とりあえず、薬を飲んでおきます。
「で、おにい。そろそろ結論を教えて」
朝食の間の沈黙はハルのそんな言葉で崩された。
ダンジョンに再び潜るかの話をしてから数日。なんとも情けないことに俺はまだ、結論が出せていなかった。
いや、分かっている。俺が最初に考えていた方法が、ダンジョンに潜るという行動が最もいい行動だと。少なくとも俺には、それ以上の行動は浮かばない。
ハルの気持ちも分かっている。ハルの言葉の裏の意味も。
それを口に出すことは簡単だろう。それでも、ちっぽけなプライドと不安。様々な言い訳が次々と頭に浮かび、言葉にできない。
だからだんまり。数日も。
ハルもそれが分かっていて、俺が話すのを待って。おそらく今日が、今がその期限。
「ハル、少し模擬戦をしないか」
俺は少し残っていた朝食を飲み込み、問いかける。
ハルは少し驚いたような表情をすると、視線を下げる。
「また、引き延ばす気?」
ハルの表情は窺えない。しかし今、それを気にする必要はないのだろう。
「戦って、それで俺の考えを決定する。いいか」
数秒の沈黙。そして。
「わかった。30分後。で、いいよね」
「問題ない」
俺は金庫から装備を取り出し、ゆっくりと着ていく。片手が無いため、着るのに時間がかかる。刀の鞘と鍔を糸で括り固定し。腰に差す。
左手があった場所に垂れる袖を結び、戦闘の邪魔にならないように固定した。
外に出て、鞘付きの刀を取り出す。
久しぶりに構えること。左手が無く体の重心が違うこと。鞘が付いていることで重さが違うことが違和感として襲ってくる。
大丈夫。違和感があるならば完全に弱ってはいない。あとは感覚を取り戻し、違和感を消すだけ。
30分でどこまでできるだろうか。
体の線を意識しながら、縦横無尽に走り、刀を振るう。目の前に敵を想像し、刀を振るう。仮想敵は自分自身。左手があった時の、最も強かった時の俺。
片手だと力が足りないから、鍔迫り合いはしない。
動きに緩急をつけ、一瞬で敵の懐に踏み込み、一撃を与え下がる。ずれた重心を利用し体を動かすことで、動きを読めないようにする。
そうしているうちに30分が経ったのだろう。ハルがやってくるのが視界の端に映り、動きを止める。
ハルの両手にはトンファーが握られている。装備もしっかりとつけられていて、今までダンジョンに潜っていた時と全く同じ装備だ。
「準備できた? 練習で疲れたならもう少し待とっか?」
「ハルも、体を動かしてないってなら待ってやるぞ」
俺とハルは不敵に笑いそのままゆっくりと構える。
俺は右手を後ろに下げ、刃先をハルに向ける。ハルは楽な姿勢のまま片手を少しだけ前に出し、左手のトンファーを逆手で握る。
「で、おにいは何がしたいの」
「ハルに勝つ」
ハルは俺の答えを聞くと、体を小さく縮める。
「無理でした、なんて聞かせないでね。行くよ‼」
その声と共に縮めた体を伸ばし急速に迫ってくる。
「やってやるよ」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、近づいてきたハルを突く。
狙いは腹。俺がハルと戦うとき。俺がハルの間合いに入ってしまった時点で勝負は決まる。
だからこれは距離をとるための一手。ハルが刃先をトンファーでずらしながら横に避けたのを見て、ハルとは逆方向に踏み出す。ハルとの距離は再び開き、俺はもう一度同じように構えなおす。
ハルは、フェイントを交えながら何度も迫ってくる。俺はそれを大きく躱し、距離をとる。躱すときはぎりぎりで躱すのではなく大きく距離をとるようにする。
幸い、底上げされたステータスと、今日までの探索のおかげで、基礎体力は大きく底上げされているのだ。そう簡単に体力が尽きることはない。
ひたすらに逃げ、躱し、隙を探す。何十回と打ち合って、打ち合って。
「そろそろ行けるか」
ハルが気付かないほどの小さな声で呟き、再び今までと同じように刀を構える。ハルもなんとか俺の防御を崩そうとフェイントを織り交ぜ近づいてくる。
先ほどまでと同じように刀を突きだし、同じようにトンファーに弾かれる。
その寸前に刃先をずらし、トンファーを避ける。しかしそれは刃先がハルからも逸れるということ。これでは当たらない。しかし。
俺は刀をトンファーから除けさせたその勢いで刀を回転させ、逆手に持つ。そのままハルの間合いに入り、ハルの手に向けて刀の柄をぶつける。
刀と対峙すれば警戒するのは刃の部分。柄の部分を警戒することはない。それが目の前に来れば猶更だ。
刀の柄はハルの手に当たり、トンファーを弾き飛ばす。トンファーが落ちた先を見ることもなく、刀から手を放し、それを顔の前に戻す。
パシッ
弾けるような音が鳴る。俺の顔目掛けて突き出されたトンファーを俺の手が掴んでいた。
「顔を狙うのはなしだろ」
「寸止めの予定だった」
ハルと俺の武器を使う経験期間はほぼ同じ。武器を振るう技術には大差がない。
そんな俺とハルに差を出そうとするなら、体術。
トンファーを止めたことによる右手の痛みに耐えながら、捻ることでハルの手からトンファーを落とす。
「俺の勝ちだな」
俺は取り上げたトンファーをハルの目の前に突き出した。
深呼吸をして、ハルを見つめる。決心を固め、口を開く。
「俺の方がハルより強い。ダンジョンに入ったら分からないが、足は引っ張らない。俺はまだ、ハルを守ることができる。だから、ダンジョンに潜りたい」
自分への自信。
俺に足りていなかったそれを手にし、ハルに告げるのだった。




