91.兄妹は恐怖の大食いと邂逅する
今回グロめです。
お気をつけて。
「おにい、そこ曲がったら7層だよ」
「もう、7層か。やっぱりモンスターはいないな」
森林を出てからずっと走り続けている俺たちだが、かなりのスピードでダンジョンを上ることができていた。
ステータスのおかげで疲れることもなく、モンスターも現れないので減速する必要も精神的疲労を感じることもない。
もうモンスターはすべて地上に出てしまっているのではないか。ダンジョンに入らず、入り口で防衛に努めたほうが良かったか。そんな思いが頭をよぎる。
モンスターがいないことで逆に不安になりながら階段を上り、足を止める。
『把握』で姿を探る。いない。把握の範囲外にあるのだろうか。
「ハル、気配はあるか?」
俺がハルに尋ねてみれば、すでにハルは真剣そうな表情で固まっている。そのまま5秒ほど待ち、首を横に振る。
「いない。全く。それらしい気配もないし。モンスターも人もない」
だとしたらこれはなんなのだろうか。この周囲から漂う。
血の匂いは。
モンスターは倒している途中に血の匂いがしても、モンスターが死ぬと同時に匂いは消える。
スキルで探っても周囲に生きているモンスターの反応は無い。
だとしたらこの血の匂いは、人がここで大量の血を流したということ。
「おにい、どうする?」
「モンスターはいないらしい。血痕も見えるところには無い。警戒しながら進むぞ」
ここで死んだかもしれない、人間が。何が原因だろうか? モンスターの群れか? 純粋な戦闘の力不足か?
本当にそうだろうか。このスタンピードの中ダンジョンに入っている弱い探索者はいないだろう。
他の可能性と言えば、ユニークモンスター。十分に可能性はある。
そうだとしたら、そのモンスターはもう討伐されたのだろうか。強力なユニークモンスターが森林で足止めされていたのを見ると、ここにいるユニークモンスターはもっと弱いものの可能性が高い。
そう、可能性は。
「おにい、避けて‼」
その声はどこか遠くから聞こえたような気がした。
何かを考える余裕はなかった。ほとんど条件反射だったのだと思う。
俺の横にきらきらと光る、無形の鎧で作られた壁が出来上がる。
視界の端に映った赤い何かは、たった今作った壁を、一瞬の抵抗もなく突き破り、俺を吹き飛ばした。
意識が持っていかれそうになる。
真っ直ぐ横に飛んだ体はあまりの速さに地面にぶつかりもせずに10数メートルを舞い、地面に落ちる。
地面に落ちても勢いは止まらず、転がる。
転がる自分の体を止めようと伸ばした左手は、なぜか空を切った。
右手を出す前に、壁に勢いよく激突し、止まる。
視界が歪む。周囲がよく見えない。頭も回っていない。でも、ぼんやりと見える景色は赤かった。
「おにぃーーー‼」
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。少しだけ意識がはっきりしたような気がした。
視界は相変わらず暗い。血が出ているのか。右手で目元を拭う。
視界が少しだけはっきりした。視界は赤かった。地面も、壁も、天井も。
これは、血か?
右手には液体の感触。見てみれば手は赤い液体で真っ赤に染まっていた。
なんでここはこんなにも血まみれなのだろうか。俺を吹き飛ばしたのはなんだったのか。地面に手をつき、立ち上がろうとした体は、左向きに転がった。
「あ、れ。おか、しい、な」
その言葉が途切れながらこぼれる。
しっかりと手をついて立ち上がったじゃないか。両手とも。
両手を顔の前にかざし、動きを止める。目の前には右手しかなかった。
左手の付け根から痛みが走る。
痛い、痛い、痛い。いや、これは、熱いのか。
「ガァーーーーー」
あまりの激痛に獣のような声を上げて叫ぶ。
再び視界が歪む。それとは逆に痛みで頭がはっきりする。気絶したくても、できない。
「ねえ、大丈夫? ちょっと待って。ポーション、あ。早く早く」
ハルが歪んだ視界の中に入ってくる。
ハルは鞄から何かを取り出し、落とす。
再び拾い上げ、震える手でなんとか蓋を開け、また落とす。
こぼれていくポーションに、俺は転がりながら、左手の付け根を当てる。
ジュッという何かが焼けるような音と共に、痛みが薄れていく。傷がふさがっていき、そして塞がる。
ポーションが足りなかったのだろう。塞がった傷は血が出ないもののボロボロで、そこに左手は無かった。
「ハル、何が、あった?」
ゆっくりと口に出し、ハルを見れば、ハルは怯えたような様子で後ろを見ていた。
「なんだ、あれ」
そこにいたのは2メートルほどの高さをした人型のなにか。ここまで近くにいて『把握』に反応がない。
色は黒から白まで全身がまばらで、体のいたるところから大小たくさんの手が生えている。
腰から1枚だけ羽が生え、二股のしっぽが付いていた。しっぽの先は片方がハサミのようで、もう片方が、人の顔の形。
唇は無く、歯はむき出しで、真っ黒。頬からはくちばしが生え、本来髪があるはずの場所は何故か眼で埋め尽くされていた。
「クウ、タベル」
そいつの手には、人間の左手が握られていた。
つい先ほどまで俺についていた左手がゆっくりと、まるで俺に対して見せつけるかのように口の前に持っていかれる。
「それを、食べるなーー‼」
ハルが吼えた。口の前まで移動したそいつの腕は、破裂するかのように吹き飛び、俺の腕は地面を転がる。
振りぬいたハルの手には、モーニングスターが握られている。
ハルの目は怒りに満ち、先ほどの怯えはどこにもない。
「イタイ、ナイ」
ソイツは茫然と自分の無くなった腕を見つめる。腕の切れ目からボコボコと泡が噴き出る。泡は、きめ細かくなり、量を増す。ほんの数秒でそれは細長く伸び、元通りの手に戻っていた。
俺は右手だけで刀を抜くとそれを支えに立ち上がる。体重のバランスが変わったためか、多少ふらつく。このまま戦いは無理そうだ。
左手の傷は塞がっているのに痛み、そいつを目の前に、俺の体はうまく動いていない自覚がある。おそらく腕を失った恐怖だろう。
それでも何故か、目の前のそいつに恐怖してるはずなのに、俺の頭はこれまでで最も冷静だった。後ろは壁。俺が吹き飛ばされたここは、行き止まりになっている場所だった。
幸いモンスターは動かない。こちらに攻撃をするわけでもなく、ただ茫然と俺たちのことを見つめている。
俺は刀を腰に戻し、ハルの肩に手を置き、話しかけた。
「ハル、あいつの名前と、戦力は分かるか?」
ハルは、後ろにいた俺に驚いた表情を浮かべると、少し涙を浮かべながら、そいつを見る。
「フェイクキメラグラトニー。戦力は、わかんない。数字がずっと変わってて、変わるのが早過ぎて読めない」
「じゃあ、仕方ないな」
俺は右手に宝具である大鎌を取り出す。
「ハル、退路は無い。なんとしてでも生きて帰るぞ」
「うん」
俺たちの決意と共に戦闘の火蓋は切られたのだった。




