86.兄妹は探索を進めたい
ついに『地下室ダンジョン』が発売しました。
念願叶ったというのでしょうか。
近所の本屋に行ってみたら置いてありました。
自分の本が本屋に並ぶのは嬉しいものです。
読者の皆様。これまで読んでいただきありがとうございました。
これからも錆び匙をよろしくお願いします。
スライムを倒した後、ダンジョンを奥へと進んだ。歩いている感覚だとダンジョンはそこまで大きくないように思える。道も曲がり角はすべて直角になっていて、地図を作るのも容易だろう。
モンスターの出現頻度もスタンピードが起こる前の森林などと比べれば低く、スタンピードの起きた後の森林よりは高い。
これまでのダンジョンと同様にモンスターが減っているかは判断が難しそうだ。
とはいえ出現するモンスターは強く、現状ではゴブリンとスライムしか出ていないものの、そこそこ体力が削られている。
「おにい、スライム近寄ってきたりしてないよね」
「俺の『把握』には無いな。ゴブリンは平気か?」
「『察知』の範囲内にはいないね。はぁ」
ハルにとって『察知』のスキルを掻い潜るモンスターがいるという事実はかなりのプレッシャーになっていた。『察知』のスキルはモンスターの詳細は分からなくとも索敵範囲は俺の『把握』より圧倒的に広い。
モンスターが近寄れば警戒に移る時間は十分にあったのだ。それが今では分からない。もしかしたら既に近寄っているかもしれないという恐怖は計り知れない。たとえそれが通常の探索者の状態だとは言ってもだ。
とはいえ、それは俺も同じ。
この階層のゴブリンは移動速度が異常に速く、ハルの『察知』範囲外から真っ直ぐとこちらに向けて走り寄ってくる。
俺の『把握』の範囲へと入ったときにはもう、ゴブリンが目に見えるところに現れるまで数秒も無い。
常にいつも以上の警戒をしていなければならないのだ。改めて探索者が連日長時間探索をしない理由を身に染みて理解する。
「おにい、ゴブリン2匹」
「了解、俺がやる。【スピード】」
自分に付与を掛け、速度を上げてから刀を鞘にしまい、ハルに指示されたゴブリンの来る方向をにらむ。
ゴブリンが【把握】の範囲内に入った。同時に遠くから走り寄ってくるゴブリンが視界に入る。
重心を下げ、地面を蹴ることでゴブリンの懐に入る。そのまま斬りつけては殺しきれなかった場合に反撃を食らう恐れがあるので、刀を持たずにゴブリンが剣を持つ手に触れる。
そのまま手を掴み、ゴブリンの勢いを利用して回す。前に合気道でやった技だ。ここは石畳の地面であり、初めて使われた技にゴブリンは受け身を取ることもままならない。
手を捻られた勢いで武器を放した瞬間を見計らい、宙を舞うゴブリンを蹴り飛ばし、刀に手を添え。
「『強斬』」
首に向けて刀を振り下ろす。ゴブリンを切り裂いた刀がそのまま地面にあたってしまえば刃が欠ける恐れがあるので切っ先だけがゴブリンの首を薙ぐように。首の半分以上を切り裂かれてしまえばゴブリンもすぐに死んでいく。
「ハル、後ろからスライムが来るぞ」
ゴブリンを殺しても警戒を緩めず、倒したゴブリンを黒い霧になるまで見つめながら、『把握』の範囲内に入ったスライムがいることをハルに知らせる。
「おっけー。うん見えた。【剥離】」
ゴブリンが黒い霧へと変わったのを見届け後ろを見れば、ドロドロであるスライムの表面が剥がれ落ちていくのが見える。
スライムは段々と体積を減らしていき、黒い霧へと変わる。
「『察知』の範囲内にはいないよ」
「『把握』の範囲内にも反応は無しだ。お疲れ」
お互い追加のモンスターがいないことを確認し、息を吐く。
「ゴブリンのドロップアイテムは爪だな。多分リムドブムルの素材の方が性能いいんだよな。アイテムポーチの中に保存しとこ」
「スライムの方は、また結晶だ」
先ほどから倒すモンスターは2分の1ほどの確率で黒色の石を落としていた。
魔力的な何かを感じるが見た目は黒曜石のような感じ。ただハルの『看破』の結果では。
『魔結晶……魔の結晶』
何の説明にもなっていない。説明が魔力の結晶ではなく、魔の結晶になっているのも何か意味があるのだろうか。とりあえず使い道が分からないので保存。
ハルから魔結晶を受け取りながらハルの顔を確認してみれば、分かりにくいが疲れが溜まっているのが分かる。
そういえば先ほどため息も吐いていた。
俺もハルから見たら疲れが溜まっているのが分かるのだろうか。俺もこの探索では疲れた。
「ハル、帰るか」
「え、あんまり探索できてないけど良いの?」
ハルは若干嬉しそうにしながらも首を傾げる。
「怪我したら嫌だからな。早めに帰って休もう」
「うん。分かった」
刀を構え周囲を警戒しながらゆっくりと来た道を戻る。
そういえば。
戦闘での疲れだからだろうか。この頃の兄妹の頭の中からは、スタンピードについて調べるという、この探索の理由はすっかりと抜け落ちていた。




