06.兄妹はボス殺しを経験する
「おにいー、準備できた。ダンジョン行こ」
朝、起きて朝食を食べたハルはそそくさとクローゼットを開けて着替えると武器の手入れを始める。ゲーム機が無く通信速度が遅くスペックも低いパソコンしかなく娯楽が乏しい木崎家ではダンジョン探索に嵌まりきっていたのだ。
ハルが武器の手入れを終えると俺は部屋の隅に置いてあるリュックを背負い武器を装備する。当然のように俺も準備を終えている。今までになかった楽しいことがバイトがあった日を除き12日もあれば習慣として定着するのも当然であろう。
2層目を探索し終えた日から9日が経った。ダンジョンへの初探索から見るとちょうど2週間となる。
ダンジョンは当然のことながら階層を進むにつれて難易度が上がるようで今は4階層の攻略を終えた。さすがに5日で2階層攻略というのは運が良かっただけのようだ。
そもそも俺にもバイトがあるため、毎日は潜ることができない。モンスターに関しては特に変わらず変わったことといえばゴブリンが棒を持つようになったことと3層で1度だけふわふわの光るウサギを見つけたことか。ウサギは倒してみるとレベルが2つ上がったような気がしたから、あれは経験値のためのレアモンスターという部類に入るのだろう。そもそもレベルという概念が適応しているのかは不明なのだが。
さらに言うとここまで来てドロップアイテムは一度も見ていない。定番といえば、殺したモンスターから自力で剥ぎ取るか、消えたモンスターからそれだけが残るの二種だがこのどちらでもなさそうだ。ドロップする確率が低かったとしても、百を超える数のモンスターを殺しているにもかかわらず一度もドロップしていないのだから。
となるとダンジョン内で得られるものはダンジョンから出たことで失ってしまうその力だけということか。だとすれば人間にとってダンジョンとは害悪のみの存在となるだろう。ここから利用価値を見出すのは難しそうだ。まあ、東京のダンジョンではドロップがあったらしいのでこのダンジョンが例外なのかもしれないが。
そんなことはともかくダンジョン探索のスリルと期待感が娯楽になってきている俺たちは今、5階層の探索に乗り出すために5階層に向かっている。
便利なことに俺たちは戦闘を重ねてできた勘なのか俺たちに見ることのできない力が働いているのかは知らないがモンスターのいる場所が大まかにわかるようになった。合気道を少しやっていたが、唐突に来る敵との乱戦なんて経験しないうえに、それが命のやり取りになるのだからこんなことができるようになっていてもおかしくはない。
だとすれば戦場を経験した軍人はこんなことができるのだろうか。そういえば外国では紛争地帯にダンジョンができて膠着状態になったとか停戦協定ができたとか前にニュースで見たがそんなことを考えているとハルから声がかかる。
「ん、おにい、曲がり角にいる」
「ゴブリンが3だな。ハルに任した」
仮に索敵と呼ぶこの勘はハルにもできるのだが、ハルの場合は俺より索敵範囲が大きいがそこに何かがいることしかわからない代わりに俺のは索敵範囲は狭いが、詳細が分かりやすくどんな形の敵がどれだけいるかが分かる。だからこそモンスターの姿を見る前からこのような会話が成り立つのだ。
「『ボム』」
角から出てきたゴブリンはそのまま魔法が直撃し何が起きたかを知る前に死んでいく。
先頭にいたゴブリンの頭が吹き飛んだことに驚いたゴブリンがこちらに突っ込んでくるので、片方の頭に鍬を突き刺しもう片方の首を鉈で斬る。
4階層の敵は少々強くなってはいるがそれでも余裕だ。そもそも今の階層で余裕じゃなければ次の階層へ行こうとなどしない。セーブポイントも復活もないのだから安全を心がけるのにこしたことはない。
最初に3階層に降りたときは大変だった。2階層に降りたときはモンスターが変化して強くなっていたが、3階層に降りたときは同じモンスターにもかかわらず強くなっていたのだ。
それもムキムキになっているなどではなく、見た目は変わらないまま存在が強化されたような。まさに俺たちがモンスターを殺したときに強化される感覚と似たようなものだった。この時俺たちはレベルという概念があることを強く確信した。
それからも問題はなく5階層へ下る階段までたどり着いた。
武器をしっかりと点検してから階段を下りる。
「部屋?」
階段の下を見たハルが思わずそう呟く。階段の下は部屋のようになっていて、大きさで言うならば学校の教室1つ分ぐらいだろうか。高さは5メートルはありそうだ。
そしてその奥には天井まで届く大きな金属でできているのであろう扉。
「ボス部屋だよな」
「そうだね」
そこにある扉はRPGの定番といえるであろうボスのいる部屋の入り口にそっくりだった。
「おにい、入る?」
ハルが首をかしげて聞いてくる。5階層までの道は長かったが、そこまで疲れてはいないのでこれから戦闘をするとしても問題は無いだろう。武器を新調することもない。つまり今は万全の状態か。
だとしたら今する選択は。
「よし入るか。少しでも危険だと思ったら撤退する。大丈夫そうだったらそのまま討伐の方向で。基本的には俺が前衛でハルが後衛。それ以外は臨機応変に安全第一で。じゃあ行くぞ」
「おーけー」
俺は手に鍬を持ち、鉈を抜きやすい部分に移動させる。ハルも両手でしっかりとバールを構えた。
扉を開けようと手で触れる。相当な力を入れても開くだろうかというほどの質量があるだろう扉は勝手に奥へと開いていく。
慎重に中に入ると中には今までより明らかに大きなゴブリン。大きさは2メートルほどで手にはなまくらだろうがそれなりの大きさを持った剣。刃が無くても直撃しようものなら一撃で骨が砕けるだろう。
「グギャーーー‼」
それが身もすくむような不快音で叫ぶと同時に頭に1つの言葉が浮かび上がる。
『ホブゴブリン』
ホブゴブリン。弱そうに見えるその名前を持ったこの敵はしかし強者の体で俺たちに剣先を向ける。ゴブリンが1歩進むのを開戦の合図にスキルを放つ。
「『スピード』」
自分とハルにスピードアップのスキルを使い、一気にホブゴブリンに迫っていく。
「『ボム』」
ハルの手から光の玉が飛びホブゴブリンの前で爆ぜる。
俺はそのまま爆発の砂煙に身を隠し、ホブゴブリンの背後に回り込む。
「『ボム』」
ハルがもう一度魔法を放ち、同時に後ろから鍬を叩きこむ。
「っ‼」
追い払うように振られたホブゴブリンの裏拳をなんとか躱し、距離をあけられたため柄の部分で顔を突く。
「ギャーーー‼」
そしてこっちを向いたゴブリンの目に鉈を振り抜いた。普段あまり使わないサブウェポンの鉈は切れ味を落とすこともなく、しっかりとホブゴブリンの両目から光を奪い取った。
こうなってしまえばこっちのものである。無茶苦茶に振り回される剣から距離を空けるとこっそり後ろから近付いてきたハルが全力でバールを振り下ろす。脳震盪でも起こしたのか一度ふらりと揺れた後そのまま地面に膝をついた。
それにとどめを刺すように首に向けて鍬をぶつけ、ハルはバールで殴りまくる。子供が見たら号泣どころか大人が見ても顔を真っ青にして逃げていくような光景だ。
たださすがボスといったところか。強度が高く何度も攻撃をしなければいけない。ホブゴブリンが死に、霧に変わる頃には服には返り血がべっとりついていた。これまでも返り血がつくことはあったがここまでついたことは無い。ハルとお互いの服を見てお互い顔をしかめる。
その血はしっかりと赤だ。昔、何故かジビエを捌く機会があり、ハルもそれを手伝っていたせいか駆除のように行なっていたゴブリンでは気持ち悪くなることはなかった。逆に言うならばリンチのようにして殴り殺したのはずいぶんと来るものがある。
さっきまでは勢いに乗って殴っていたのだからおそらくアドレナリンが放出されてハイテンションだったのだろう。妹もそれは同じようで、さっきまで嬉々として攻撃していた顔は鳴りを潜め若干青白くなっている。俺も同じような顔をしているだろう。どちらにせよ、今日は攻略は無理そうだ。
また、ここに来たらもう一度ホブゴブリンを殺さなければいけないとしても、今日は探索を始めてそれほど時間が経っていないとしても、今日は帰った方がよさそうだ。
「かえろ、おにい」
「そうだな。今日は帰るか」
気分が沈んだ俺たちはとぼとぼと、しかし警戒は絶やさずに部屋を出て帰っていくのだった。しかし、精神はそうとう参っていたのだろう。
最後まで俺たちはホブゴブリンが死んだ場所に落ちた二枚の小さな金属板に気づくことは無かった。