30.兄妹は再びダンジョンの洗礼を受ける
「グギャーーー‼」
部屋に入ると同時に2メートルほどの体の大きさのゴブリンが不快音で叫ぶ。
『ホブゴブリン』
頭に浮かんだその文字を見て、思わずふっと微笑む。
「懐かしいね」
「あぁ、あの頃は碌に攻撃は効かないし、これにびびってたんだよな。それにこの頭に浮かぶ名前も久しぶりだ」
ボスの名前が表示されるのは最初にボスを見た時のみ。だから俺たちが頭に浮かぶホブゴブリンを見るのも2度目となる。
ホブゴブリンがなまくらの剣を振り回し、こちらに迫ってくるのを見て、ただ、希狼のナイフをそのなまくらに添えた。
「グギャッ‼」
たったそれだけの動作でゴブリンの動きは停止し、そして、こちらが少し力を入れるだけでゴブリンは後ろに弾き飛ばされる。
「おにい、ホブゴブリンの戦力45だって」
「まあ、そんぐらいだろうな」
俺たちの今の戦力は180後半。4倍もの差がついているのだからこうもなるだろう。よく考えてみればこの差の割合は俺たちとリムドブムルの差より小さい。
リムドブムルの戦力は1000と少し。今の俺たちの5倍から6倍だった。それは勝てるわけない。今の俺とホブゴブリン以上の差があるのだから。
そんなことを考えながらもホブゴブリンの剣をナイフで弾いていく。そこには勿論反撃のスキルが使われていて、着々と体力を削っていく。
既にホブゴブリンの体はふらふらで、剣を持つ手は震え俺のナイフとぶつかるたびに剣を落としそうになっていた。
俺からは一切の攻撃をせずひたすら受け続ける。それなのにホブゴブリンは休むこともなく剣を振り続け、とうとう剣は手から零れ落ち、震える体は地面に伏した。
「ダメージにならない反撃ってのも馬鹿にできないな。で、ハル。家とこっちの違いはありそうか」
「ううん。今のところは無いけど。多分この状態で無いんだったら無いと思う。あっ」
ハルの観察の結果、変化はないと判断したところで、後ろに違和感を覚えてナイフを振るう。
「ギャグッ」
そこにあったのは全身を光らせてこちらに殴りかかってくるホブゴブリン。その体には傷はないが、動けるほどの体力は残っていなかったはず。だとしたらこの力はスキルの影響か。スキルで力は増すかもしれないが、失った体力まで補えるのだろうか。
そんなことを考えながらもしっかりとナイフの面で打ち弾き飛ばす。今までよりはるかに勢いのあったその攻撃は、それでもまだ俺に届くには遠く、何もできないままに遠くの地面へと転がった。
「変化がないなら終わりか」
「そうだね」
ナイフをしまい、刀を抜いて倒れ伏したホブゴブリンに近づいていく。とても今更だが黒狼と人化牛には高い知能があるようだった。もしこいつもそうならば、殺されるために生まれてきて、実験のためにいたぶられて。俺たちが言うのもなんだが。
「不憫だよな」
思わずそんな言葉が口をつく。こんな状況で油断していたからか。そもそも敵ではないからだろうか。頭の中は既に戦闘のことから離れている。だからと言って大きな隙などないのだが。弱者から見れば最後のチャンス。
「ギャアァァアーー‼」
疲れ切って動かない体を使った全力の咆哮。そして光る身体。
「おにい、下がって」
それでも残念ながら。俺たちにとっては、それが幸いだったのだろう。ゴブリンと俺との距離は幾分か遠すぎた。
その光る身体は、今までの速さの上限を軽く破壊し俺に向かってくる。慌てて刀を前に突き出すが、おかしなほど硬くなったその体に弾かれ、もう片方の手が目の前を通る。
横に弾かれ俺の手から抜けた刀をそのままに、ハルの指示に従って後ろに下がり、ナイフを構える。追撃を加えてくるだろう、それに向かって。
しかしそうはならなかった。いや、できなかった。
それは俺を追うように力強く片足を前に出し、そのまま停止した。その目は光を失い、どこも見ていない。
「力尽きた?」
ハルの確認の声と同時にその体は上から霧となって消えていき、俺たちに残ったのはレベルアップを告げる力の上昇だけだった。
「今のなんだったんだ?」
「おにいが不憫だ。って言った時から明らかに様子が変わった」
「あぁ、それに力がおかしかった。多分、人化牛より強かっただろ。速さも防御力もだ」
「うん。ちょうど解析のクールタイムも終わってたから、死ぬ直前の足を前に出したときに解析してみたんだけどね」
「どうだったんだ」
「ゴブリンキングだって。戦力はその時点で197だった。しかもかなりの速さで戦力そのものが減少しながら。本当だったら私たちは死ぬかもしれない強さだったんだと思う」
ハルの言った言葉に思わずぎょっとする。ハルが私たちは死ぬかもと言った。ということは1人では絶対に勝てないということになる。そりゃあ、ああもなる。おそらくゴブリンキングに俺の刀が当たった時、スキルは使われていなかった。素の硬さで刀をはじくということに他ならないのだ。
土竜よりは絶対に戦力は高い。
「多分力が下がる前の戦力400以上」
「そりゃあ、俺なんかが勝てるわけも無いな。はぁ、いったいダンジョンの不可思議現象はなんなんだよ」
頭の理解が追いつかない。そもそもダンジョンを理解すること自体が不可能なのだが。
「主人公みたいだった。殺されずにただ、いたぶられ続けて。最後には殺されかけて、不憫って言われて」
「最後の力を振り絞って声を上げ、命を削って進化して。最後にほんの少しでも報いて。限界を超えて死んでいく。英雄のかっこいい生き様か」
ただ、力があるだけの俺たちとは違い、その無い力で圧倒的強者に立ち向かう。実験と言い弱者をいたぶる強者に報いて、力尽きて、立ったまま死んでいったその姿。英雄そのものだったことに少しショックを受ける。
「でも、これじゃあさ」
「俺たちが悪役みたいだよなぁ」
別に今までもダンジョンのモンスターを倒すことが正義なんて思ったことは1度もなかったし。国や社会、他人のためになんて考えたことすら1度もない。すべて金と娯楽のためにやってきた。それでも。俺たちは社会に出ることができていない子供だった。
なんとなく、理由は無いけれど。自分が悪役だと非難されたような状態で笑い飛ばされるほど社会の荒波にも揉まれていない。
今一度、生物を殺すということがどういうことなのかということを深く心に刻み込まれた。
それでもダンジョン探索は絶対に止めたくなくて、少し考えが追いつかなさそうだ。
「今日はもう帰るか」
「うん。そうする」
ハルもいつも以上に無表情。そのまま、ホブゴブリンを倒して、いや。ゴブリンキングが倒れて出現した魔法陣に歩を進め、はっとして1歩下がり、足元に散らばる小さなドロップアイテムを適当に拾い、鞄に突っ込む。
そして俺たちは魔法陣に乗って。乗ろうと思ったが転移した先に人がいたときのことを考え、再び5層入り口に転移してから、最短ルートを歩いてダンジョンの入り口に戻っていったのだ。
「ん? お前ら大丈夫か。モンスター倒せなかったからって落ち込むなよ。最初はだれだってそんなもんだからな」
「ギャハハ。お前最初スライムにビビってたもんな。うわぁ動いてる。気持ち悪いのがぁ。とか言いながらな」
「お前、先輩としてアドバイスしてやってんのにそれを言うのは無いだろ」
人に見つからないように2層まで上がり、そこからは少し顔を上げてダンジョンから出たのだが、顔が通常通りには戻せていなかったらしく、気さくなおっさんたちに絡まれ励まされる。
「ありがとうございます」
「うん」
俺も困ったようにお礼を言い、更衣室に向かう。ダンジョンダムの入り口をちらりと見ると、今も薄い魔力がうごめいている。
あれの対処も考えなくてはいけないのかと溜息を吐きながらロッカーの物を出して、更衣室に向かった。
投稿時間が1時間遅れたことをお詫び申し上げます。




