真実
外は初夏を思わせるように蝉が鳴き、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
それなのに、僕は薄暗い部屋の片隅にいた。
まだ12歳の夏だった。
父は仕事をクビになったらしく、もう1ヶ月近く家に居て酒を飲み続けていた。
薄汚れた白いシャツにスウェットを履き、目は虚ろになり到底生きている人間とは思えない姿だった。
物心付いた時には父しかいなかった。
母親のことが気になって僕は父に訪ねたが、母親の話をすると狂ったように僕を殴った。
僕は父が好きではなかった。
家事は全て僕がやらされた。もう学校にも随分と通ってない。
友達など出来るはずもなかった。
周りの大人達も僕が虐待を受けていることは知っていただろうけど、見知らぬふりをした。
きっと関わりを持つのが嫌だったんだと思う。
「おら、酒持ってこいよ」
父は空になったウイスキーの瓶を片手に僕に命令した。
僕は父をずっと睨んでいた。
「なんだよ、その目は。
酒持ってこいって言ってんだよ!」
父は僕を瓶で殴った。
額からひんやりと冷たい血が流れてきた。
もう痛みなど感じなかった。
この歳だったから殺意なんておぞましいものじゃなくて、ただこの男が消えてくれればいいのに、そう思っていた。
「お前、舐めてんのか?
この糞ガキが、誰が育ててやったと思ってるんだ」
育てた?
毎日酒に溺れ、息子である僕を殴り、廃人と化した人間に育てられた覚えはない。
僕は可笑しくなりクスッと笑った。
それが気に入らなかったのか、父は罵声を浴びせながらキッチンへ向かうと、包丁を手に取ってきた。
それで僕を殺すのだろう。こんな地獄のような日々が続くのであればいっそのこと殺してもらったが楽になる。
僕は血走った目をしている父を呆然と見ていた。
「お前なんかじゃなくて、兄貴の方がよっぽど出来が良かったぜ
お前は使えねぇタダのクズだからな」
父はそういうと僕に包丁を向けた。
兄貴?なんの話だ。僕に兄弟がいたのか?
そんなこと聞いたこともない。
「兄貴ってなん…のこと…?」
久しぶりに声を出した気がした。
本当のことを知りたい。その想いが僕の声を出させたのかも知れない。
「うるせぇよ!
お前には関係ないんだよ!」
父は僕の胸ぐらを掴んで、無理やり立たせた。
その時、足元にあったビール瓶につまずき父は転倒した。僕の足元に包丁が転がった。
机の角で頭をぶつけたらしくぐったりとしていた。それでも酒が飲みたいのか、右手で空のウイスキー瓶を拾おうとしていた。
「とおさん…あ…兄貴って…僕に…いたの?」
僕は父に問い詰めた。いつの間にか握った包丁を向けて。
「殺せんのか…?あ?
俺はお前の父親だぞ…」
そんなことはどうでもいい。
僕に兄弟がいるってことを聞きたいんだ。
いるとしたら、今どこで何をしているのか?
もしかしたら母にも会えるかもしれない。
「お…教えろよ…」
それでも父はニタニタしていた。
もう我慢の限界だった。
教えてくれないのなら自分で探してやる。
その前にこの邪魔なゴミを片付けてから。
「教えろって言ってんだよおおおおぉ!!」
僕は父の胸に包丁を刺した。何度も何度も。
まっさらだった父の胸にみるみると穴が開いていった。
父は血を吐きながら、悲鳴を上げ、涙を流していた。
僕は父に殴られ続けても泣いたことなどなかったのに、こいつはこんなことで涙を流すのか。
そう思うと余計に握った拳に力が入った。
気づくと父は動かなくなっていた。
死にかけの魚のように口をパクパクさせて、白目を向いていた。
呆気ない。それが父を殺した時の第一印象だった。
僕は血まみれの包丁を床に放り投げると父の部屋へと向かった。
部屋の本棚を全て確認した。
辞めた会社の書類や、よく読んでいたビジネス書まで隅々見てまわった。
今思うと父は仕事のできる人間だったのかもしれない。
ここにはヒントはないのか。そう思った時だった。
本棚の隅に日記のようなものを見つけた。
開いてみると、女性の文字でこう書かれていた。
「6月7日
旦那は会社で大事なプロジェクトを任されたらしい。
今日帰宅すると、プロジェクトが上手くいかないという理由で殴られた。
まだ私を殴るだけだからいいけど、いつかはあの子達に手を出しそうで怖い。
6月8日
今日はあの子達に新しいおもちゃを買ってあげた。
どうやら気に入ったみたい。
二人仲良く同じもの買ってから、やっぱり兄弟なのね
6月9日
ついに旦那が子供たちに手をあげた。
いつものように私を殴っていたところをみたあの子達が泣いたことに対して腹がたったみたい。
もう無理。あの子達を、健介と康介を守るにはこの選択しかない。」
日記はそのページで終わっていた。
間違いない。これは母が書いたものだ。
僕には母が、そして兄がいたんだ。
そう思うと嬉しくなった。
しかし、なぜ僕は父と暮らしていたのか。
何故兄が母に引き取られ、僕が父に引き取られたのか。
もしかしたら母も兄も苦しい思いをしているのかもしれない。
僕に会いたがって毎日泣いているかもしれない。
母のところに行けば幸せになれるかもしれない。
そう思った僕は母の日記を握りしめて部屋を出た。
「俺を見れば思い出すだろ?」
男はそういうとフードを外した。
そこに立っていたのは、自分だった。
まるで鏡に映った自分を見ているようだった。
「お前は…誰なんだ?」
唖然とした表情の健介に男が答えた。
「俺はお前だよ」
「ふざけんな!
誰なんだよ!達也を殺したのはお前なのかよ!?」
男の意味不明な返答に対して健介は怒りを隠せず叫んだ。
その時だった。健介の声で知春が目を覚ました。
「おにい…ちゃん…?
ふたりいる…」
うっすらと目を開けて、薄れた声で言った。
すぐさま、目を覚ました知春の首筋にカッターナイフを当てる男。
「やめろ!妹には手を出すな!」
「彼女は僕にとっても妹なんだけどね」
男は不気味な笑みを浮かべながら言った。
「僕にとっても妹…?」
次に男から出た言葉に健介は驚愕することとなった。
「僕達は兄弟なんだよ
兄さん。」