孤独な英雄7
僕は愚か者だ。
僕がしている自己犠牲は、してきたであろう自己犠牲はただの建前だったんだ。
自分が死ぬのなんかどうでも良くて、ただ、他の人が死ぬのが辛くて、苦しくて、寂しくて、他の人が傷付くのが、辛くて、苦しくて、寂しくて、助けるなんて言葉を建前に気付かないフリをしていたんだ。
失敗したって自分は頑張ったって言い訳が欲しかったんだ。僕はここまで傷ついて助けられなかったんだからしょうがないじゃないかって、きっといつかのトラウマを、契約を、約束を、儀式を僕を正当化する為の道具にしていたんだ。今の僕がいてもそれはしょうがないって。結局は全て言い訳作りだったんだ。
だから、こうなってしまったんだ。
失敗だらけの人生と言ったけれど、皆から見ればそれは失敗かもしれない。ただ、傷付くだけの人生かもしれない。だけど、僕はそう思われることで失敗していない事を肯定してもらっていたんだ。安心していたんだ。
可哀想って言って欲しかった。頑張ったって言って欲しかった。もういいよって。もう大丈夫って。
僕は失敗しない方法を取っていたんだ。ずっと逃げていたんだ。
だから────だから────
だから、こうなってしまったんだ。
「じにたくないよぉ」
代償の小さな子供の顔から溢れ出す涙を見て悟る。失敗しない方法を取ったから、全てから逃げていたから、こうなったんだ。全ては報いなんだ。
僕はいつになったら気付くのだろう。いつになったら悟ることが出来るのだろう。
「お願いです…………お願いします…………」
顔から出るものを全て吐き出して、頭から血が出るほど擦り付けて懇願する母親の姿に恐怖を感じてしまうんだ。
「え、あ…………」
喉から言葉が出ない。頑張ってしまえば人が死に、怠惰になれば人が死ぬ。
どうすればいいって言うんだ。僕にどうしろって言うんだ。僕は頑張ったでしょ? もう大丈夫って言ってよ。もういいよって言ってよ。なんで誰も言ってくれないんだよ……。
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木目がまだ色濃く残る小さな家。朝の肌寒さが今は少し心地よいくらいで、そんな自然に訪れた朝が昨日の出来事を嘘だったように錯覚させる。でも、隣に将太さんの姿はない。それが全てだった。将太さんの自己犠牲がまた始まったんだ。知っていた。だから決めていたことなのに────。
靴も履かないで、髪も整えず、重い足をゆっくりと王都の方へと向ける。草が右へ左へとダンスを続け、風が今日も夏の匂いを運んでいる。
王都への行くための砂利道を半分くらい程進んだところで、筋肉隆々の色黒の男性が立っていた。
「よぉ、ココちゃん。将太さんはどうした?」
淡々と語りはするものの一切表情に笑顔は見せない。
「行っちゃいました」
そんな真面目な顔が痛くて、笑顔で誤魔化そうと笑ってみては見るものの上手く笑えない。
──あれ?どうやって笑うんだっけ?
「そうか。あいつはいつ気づくんだろうな。自己犠牲で本当に傷付くのは自分じゃない────」
きっと、それは本当なんだろう。だって私は彼の傷付く姿をみて、感じて、こんなにも胸が引き裂かれそうになってるのだから。でも、きっとこれから始まる物語を見るともっともっと、傷付くんだ。
「行きな。見届けるんだろ」
「はい」
傷付く覚悟は出来ている。救ってもらった時から、恋してしまった時から、貴方の為に生きる事を決めたのだ。将太さんが私にしてくれた物を返す為にも、恩返しの為にも、私の使命は決まっている。
──私も自己犠牲を始めますね。将太さん。
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「神奈知ってるか! 昨日、コロシアムに乱入者が現れたらしいぞ! コロシアムに乱入するなんて相当な自信家か大馬鹿者だよな! 今日見に行こうぜ!」
コロシアムに乱入者とは一ヶ月程度しかこの世界を知らない私達でも常人が取るような行動ではないと分かる。
そんな人間がどんな人間か見てみたかった。興味があった。そんな軽い理由で私は睦の言葉に乗ることにした。
「いいよ」
すると、睦は微笑んで早速身支度をしだす。それに合わせて私も身支度を始めた。
私は気付くはずもない。
私は知るはずもない。
乱入者が将太と言うことも。
これから始まるコロシアムが自分を痛めることになる事も。
「じゃあ、行こっか」
私は笑って睦に告げてみせた。
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甲高い音が羽ばたいて、グリムガルは大きな足を踏みしめて近ずいて、観客の歓声が地面を揺らして、母親は泣いて懇願して、小さな男の子は泣き叫んで、姉弟は手を組み祈って、皆が皆僕を苦しめようとしてくるんだ。
グリムガルが目の前に来ているのに足が動かない。
重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。重たい。
まるで足が沼にハマってる様で、たった一歩で汗が滲み出る。
逃げなきゃ。
戦わなきゃ。
守らなきゃ。
誰から?
誰と?
誰を?
僕は誰を選ぶんだ。
そんな事をしている内にグリムガルが大きな拳を横に振り、僕の横腹はそれを見事に受け止めて、石壁に砂埃と共に大きな溝を開けた。
大きく凹んだ石壁を背もたれにぐったり倒れ込む僕にグリムガルは手を休めること無く近ずいてくる。
──ねぇ
大きな拳が鳩尾を絶え間なく飛んでくる。血反吐が辺りに巻き散るが、それすらどうでもいいくらいの脱力感。
──ねぇ
このまま死ねば、このまま死ぬ事が許されるなら、僕は安心してこのまま自分の命を投げ出せるのだろう。
──ねぇ、僕はまだ死んじゃ駄目なの?
傷付く度に思いは強くなる。
自分勝手な理由だ。自分は本当に反吐が出るくらいに汚い人間だ。誰かに殺されるべき人間だ。
『約束を簡単に破る汚い人間』
あの姉弟が死ねばそんな事を言われることはない。二人の為に残りの五人も殺す必要など無いんだ。人数的に見れば正しいのは僕が降参することなんだ。
なのに、そんな人間と思われたくない。汚い人間と思われたくない。そんな自分勝手な理由がどんどん膨らんで行くんだ。きっと助ける理由がこんなにも汚い人間は僕以外にいない。
約束は柵のように張り付いて、僕をちくちく刺してくる。
──嫌だ! 嫌だ! 僕は汚くない! 僕は優しい人間だ! 強い人間だ!
グリムガルの大きな拳が僕の体から逸れ、何度も打つが一向に当たる気配は無い。グリムガルの目には青く光る紋様が美しく彩り、視界をあらぬ方向を見つめていた。
──こんなの終わってしまえ。僕は汚い人間じゃない。しょうがないんだ。僕は約束したんだから。
また人のせいにして、僕は人の死から人の傷から逃げている。
動かない手足に、傷だらけの手足にゆっくりと力を込めて、立ち上がる。
次は僕の番だ。拳に力を込め、僕の怠惰な生活の始まりを告げるようにグリムガルに、怒りを、悲しみを、絶望を、エゴを、愚かさを、醜さを、全部、全部、グリムガルの顔面目掛け押し付ける。
グリムガルの硬い装甲は大きくひび割れ、呻き声を上げながら後退した。
けれど終わらない。拳から血しぶきを上げながら後退するグリムガルを押し倒し、馬乗りの形になり何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も────
「嫌だ! やめて! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ」
母親の泣き叫ぶ声がコロッセオに響き、バキバキに壊れゆく装甲と凹む胴体が終わりを告げてくる。僕のせいじゃないでしょ? なんで叫んでるんだよ。黙ってよ。どうすれば良かったんだよ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああ」
聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない!
発狂しながら拳を下ろす。ボロボロになったグリムガルを見て、脱力した。終わったんだと。人生が安泰な人生が、僕は今から人殺しとして生きていくんだと────。
『決着がつきましたね。どうだったでしょうか? 次の試合は明日の早朝でございます。次も楽しい試合を約束しましょう。それではまたのご来場を心よりお待ちしております』
続々去っていく中、僕だけが見えていた。小さな小さな子供の顔から出るもの全てを吐き出して、顔をぐしゃぐしゃに崩して泣き叫ぶ姿も、母親の恨みや憎しみと、別れを察して絶望と悲しみを一気に押し付けられた泣き顔を僕だけが見えていた。
「お母さん! 嫌だ! いやだよぉ! だすげて! だずげで……」
──あ、あ、あ、あ
「嫌よ……死なないで……死なないで……いやぁァァァァ!」
「おがぁさん……」
助けようと走り出した。母親は何も出来ず二人の騎士に抑えられる。もがけども、もがけども、騎士はビクともせず、必死に泣き叫ぶ。
──あ、あ、あ、あ、あ、あ
「絶望するがいい反逆者よ。これがお前の選んだ未来だ。自分の愚かさを、非力さを憎め────終われ黒田将太」
小さな子供の元に一人の騎士が大剣を持って近寄り出した。
「や…………め………………て…………」
声が出ない。コロッセオの中心で叫ぶことすらできず、膝をついて眺める僕は王の言う通り、本当に非力で、愚かなんだろう。
「おがぁさん! いやだよぉ…………いやだ、いやだ、いやだ、いやだ」
掲げられた大剣は陽光を反射して、勢いよく、振り下ろされた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」
中を回る血しぶきと、鼻を刺すような鉄の匂いと、プツリと途切れた子供の泣き声で悟るんだ。僕が背負うべき罪を。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
「あ、あ、あ、あ、あ」
声が出ないんだ。僕は終わったんだ。全てが終わったんだ。
──あ、あ、あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉぉぁあぁああああああああああああああ!
「絶対に殺す! あんただけは! あんただけは絶対に許さない! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!」
形相を一変させ僕を睨んで叫ぶ母親の声は僕には痛すぎた。だから、耳を塞いだんだ。間違えたのは僕じゃないとまた、逃げるんだ。
暑い暑い青天下で、僕の心に雨が降る。きっと、その雨は降やむこと無く、ずっとずっと、苦しまされる。きっとそれを知っていて、それを知らされて尚、僕は逃げる事が許されないんだ。
「お前のせいで────お前────殺す! 殺す!」
母親は騎士に体を抑えられながら、憎しみを歌い続ける。
「おい、立て」
聞こえる憎しみに混じって後方から騎士の声が聞こえた。だけど、だけど。
力が出ない。どうやって立つんだっけ? どうやって泣くんだっけ? どうやって笑うんだっけ? どうやって?
「おい、聞いてるのか!」
ああ────────駄目だ。
「おい────」
何もしたくない。
もう嫌だ。
もう終わりにしたい。
終わりたい。
終わりたい。
もう────終わろう。
僕の虚ろな目で、引きつった口で、片方しかない腕で、ただただ呆然と何時間も座って地面を眺めていた。