孤独な英雄4
薄暗く長い通路を進むと階段が見えてくる。その階段を登った先には、暑いほどの日光が土色のコロッセウムを照らし、汗が滲むのも気にしない観客達は罵詈雑言、歓声をその中心に送っていた。
『では、只今からコロシアムを開催します』
司会者らしき男がコロッセウムの中心で高らかに開会宣言をする。僕達は黙ってそれを傍観していた。
「あそこに座りましょ!」
ココさんが奥の少し空いた隙間を指さして言う。
「あ、はい」
そう言って早々、石で出来た硬い椅子に腰掛け、観客同様コロッセウムの中心に視界を向けた。
『今宵はモンスターも参加者も大物揃いでございます。皆様を退屈させることはないと思いますので存分に楽しんでいってください』
そう言って、まずはコロッセウムの観客席の丁度北の位置にある国王の元へお辞儀を入れ、その後観客に同じようにお辞儀を入れる。まるでサーカスでも始まるような感覚だった。
『さぁ、初めに皆様を楽しませてくれますは、代々から王族の護衛役を務めるアルフレッド家の長男。リーク様でございます』
その言葉と同時刻、拍手に包まれながら大きな銀の鎧に身を包んだ黒髪の美男子はコロッセウムの中央に向かって歩き出す。
『対するは人に紛れて人を食らう。醜き食屍鬼。グールでございます』
次に鎖に繋がれて出てきたのは酷く痩せ細った長身の男だった。目は虚ろで髪はチリジリ、肌は灰色をして男と評するには些か語弊があるかもしれない────そう、まるで悪魔。
「我はリーク·アルフレッド。今よりこの魔物を異界へ返そう」
リークがそう観客に向かい叫ぶやいなや、リークに黄色い声援が飛び交う。
『では、はじめます』
その合図と共に高らかにラッパの音がどこからとも無く響き、グールは鎖という縛りから解放される。
グールは涎を地べたに撒き散らしながら前傾姿勢のまま目の前のリークに迫る。それに対しリークは焦ることなく腰を落とし、剣を顔の横に倒したまま矛先をグールに向ける。
「吹き抜けたる風よ。荒れ狂え。ウォルフ」
小さくリークが言ったその瞬間。
リークの体が揺れ、僕達の元まで暴風が駆け抜ける。先までリークがいたはずの位置には小さな穴が空き、リーク本体はコロッセウムの端まで来ていた。
ボトン。
これまでこんな擬音がここまで残酷に聞こえた事はない。グールの右腕が高らかに上がりそして、無造作に落ちる。
「ギイィィィィイッ!!!」
見てるこっちが痛くなるその光景に観客達は皆が皆、持ち場を忘れ、身を乗り出し、観客達は一つとなり一矢乱れぬ歓声をリークに送っていた。
『うぉぉぉぉおおぉぉぉぉおお!』
けれども、勝負は終わらない。
これは見世物、簡単に終わってはつまらない。少々ハラハラさせるぐらいが丁度いいのだ。
だけど、僕の中では何故が詰まるものがあった。人ではない異形の物、憎むべき対象であるはずのモンスターが圧倒的な武力により倒されているのに、何故か喉が詰まって仕方なかった。
「安らかに逝かせてあげたいのはありますが、場所が場所です。グールには申し訳ないが少々苦しんでもらいます」
リークは寂しげな顔を浮かべて皆に聞こえない声でそう呟き、再び突風を巻き起こす。
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場所は変わり、国王が鎮座する天蓋付きの観客席には席が二つ並べて置いてあった。
一つは国王が、もう一つは気まぐれな魔女が大きく装飾が施された椅子に腰掛けていた。
「どうですかな? 魔女様。今回のコロシアムは一味違いましょう」
大きな皺に力のある目。白ひげは丁寧に口元で整えられ、同じように白く染まった眉も軽く上に引き攣り、いかにも頑固親父を連想させる国王が、社交辞令の様に魔女に尋ねた。
「どうですかって? こんなの楽しい訳がないじゃない。あのリークって子がグールの最大の武器である腕を切った時点で勝負は決まってるんですもの」
「そうは言いましても、リークは国の大事な騎士でございますし、見世物と言えど危険な真似はさせる訳にはいかぬのです」
「ふーん。じゃあスラム街の人間は大事ではないと言うのね」
「あやつらは国民の義務すら守れない人間どもです。お分かり下さい」
「そうね。分かってる事を聞いてしまったわ。貴方は一人間である前に一国王。貴方のしてることに間違いはない」
「分かってくれて何よりです」
「────でも、やっぱりつまらないわ」
頑固な国王は薄っぺらい敬語と御託を並べ魔女の機嫌取りを試みるがそう上手くはいかない。
魔女はつまらなそうに頬杖を付き行先をみすえていた。彼女は過去は見えても未来は見えない。だから、決められない未来が大好きで大好物。
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リークは加速し再び剣を下ろすが今度はグールの硬化された片腕がそれを防ぐ。いや、防がせた。
そしてそのまま近距離戦へと突入する。グールの左手が何度もリークの体めがけて飛ぶが、リークはそれを体を逸らすだけで躱す。
遊ばれている。僕が見てもそれは一目瞭然だった。
それから数分、避けては時々敵の懐に剣を入れる攻防戦が続いた後、静かに、けれども圧倒的にその幕を下ろした。
グールが腰を低くし硬化した腕でリークの懐に潜ろうとした瞬間、リークの姿が消えた。次の瞬間、グールの上半身が綺麗にコロッセウムの中央に倒れる。上半身だけが────下半身はまだ立ちすくみ状況が理解出来ていない様だった。当のリークは既に剣をしまい、出口に向かっていた。
『リーク! 良くやった!』
『リーク様ーーー!』
こうしてリークの戦いは幕を閉じる。倒れる上半身と呆然と立ちすくむ下半身の死体を置き去りに閉じる。
『決着がつきましたね。如何だったでしょうか。リーク様の勇姿をその黒い眼にしっかりと焼き付けたことと思います。それではどんどん参りましょう』
無残な死体を当たり前の様に司会は続ける。
『次は今回初の試みとなります。二対二の試合となります。それでは、出て頂きましょう。騎士に最短でなった謎の男女達の筆頭。カンナ コバヤシ様とアツシ サイトウ様でございます』
そうして出てきたのは僕と同い年くらいの男女だった。女の方は細身の剣に軽装をまとい、一方の男も重たそうな鎧と横幅も長さも身長には合っていない大きな太刀を持っていた。
『対するは、緑の体に強靭な肉体。手入れされた棍棒はまさに鬼に金棒。オーガでございます』
同じく鎖に繋がれた二体のオーガは静かに中央に招かれる。
『では、第二回戦の始まりでございます』
傷つけ合うだけの小さな殺し合い。不幸しか産まないその試合に熱狂する観客達に僕達は少し心苦しいものを抱いていた。
「ココさん、これが見世物として成立していいんでしょうか」
「どうなんでしょうね。これを楽しいと思える人も、これを生きがいとしている人もまた中にはいるのでしょうから……」
「そうですね……」
分かりきったことだった。いつの世界だって、時代だって価値観は人それぞれなんだ。どれを面白いと思うか、悪いと思うか、苦しいと思うか、楽しいと思うか、悲しいと思うか、すべて全て誰かに左右されることなく自分次第なんだ。僕だって人の不幸を喜ぶ時だってある。だから、だからこそ、僕らは悩むんだ。
「始まりますね」
そうしてもう一度、高らかにラッパの音が舞った。
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目の前には巨体のオーガが二体、右手には棍棒、綺麗な緑の頭皮が陽光に照らされ僅かながらに輝きを放つ。
「ねぇ、これで良かったんだよね」
私は隣にいる斎藤睦に疑問を投げかける。
「どうしたんだよ。今更怖気付いたとか言わないよな」
「そういう訳じゃないんだけど……」
そういう訳では無いのだ。目の前にいる敵がいくら強かろうと今なら勝てる自信がある。ただ、ただ何となく、一生命体を手にかける職に就いた事を正しかったのか。それを肯定して欲しかっただけなのだ。安心して殺したかっただけなのだ。
「そろそろ来るぞ。神奈が左側で俺が右側のオーガだからな」
「うん。分かってる」
そうして、ラッパの音と共に二体のオーガが私達目掛けて突っ込んでくる。そして、目の前に来るや、右手に持った棍棒を私達目掛けて振り下ろした。
それを体を左に逸らしながら交わし、空いた腹に勢いよく拳をぶつけ、ブニョリと言う喜色の悪い感触と共に太ったオーガの腹を凹ませる。
「グッゲッ!」
睦も同じ様にオーガをダウンさせているようだった。私達は魔法が使えない。だけれど、身体強化の魔法など使わなくとも元々の身体能力が並外れている。故にオーガを倒すなんてお遊戯の域を出ない。
「さーて、お遊戯を始めようか」
睦がまた物騒な事を呟く。
オーガがダウンから立ち直り、再び私達に殺意を向ける。私は今度はオーガの避けれる程度の速さで足元で回し蹴りをする。
オーガは重たい足を上げ、私の足をスレスレで避けてドスンという音と共に着地する。
そこにすかさず腹に剣を入れる。オーガはそれを体を逸らして避け、その不安定な姿勢から棍棒を振ってきた。
頭を下げる事でギリギリで避けたが、内心冷りとした。最後の意地、悪足掻きと言わんばかりに──。
「ごめんなさい。ここら辺で終わらせるます」
言葉の通じないオーガに向かって静かにそう唱えた。別に大した意味は無い。ただの気休め程度だ。
完全に態勢の崩れているオーガの腹に勢いよく剣を差し込む。すると、赤い血が流れるのと一緒にオーガの意識が途絶える。
見世物と言っても妙に生々しく痛々しい。それでも観客達は立ち上がり黄色い声をあげるのだから不思議だ。
隣を見れば睦も同じ様に試合を終わらせているようだった。これで、私達の今日の仕事は終わり、再びくらい通路に戻る。もし、今の私達を将太が見たらなんというだろうか。それが何となく気になった。
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「将太さんどうかしましたか?」
ぼーっとしていた僕に気がかりそうにココさんが優しく訪ねてくれる。
「あ、いや、大丈夫です。ただ何となくさっきの人達が気になっただけで……」
「そうですか。と言うよりそろそろ飛び入り参加の人達が来ますよ」
その言葉と被さるように司会が声を今まで以上に張り上げ宣言する。
『大変お待たせいたしました。只今から一般参加者によるコロシアムを開催致します!』
暑苦しい声援を観客達は飽きずに続ける。明日はきっと声が枯れているのだろう。
『さて、第一回目の一般参加者はスラム街在住ベルガルトさんです。対するは湖に住み、人を喰らし巨人。強靭な肉体に硬い体、グレンデルでございます』
そうして始まる試合は正直見たくはなかった。見ていたくは無かった。為す術もなく、血を辺りに飛び散らし、元の人間だった頃の原型を留めてはいなかった。
吐き気がした。けれども観客達はそれすらも歓声に変えた。それも僕に吐き気を与えた。
『続いては────』
『続いては────』
──止めて、止めて、もう止めて。
死体が次々と広がり出し土色のコロッセウムを赤く染め、鉄の匂いが鼻をかすめる。
自分で選んだ未来だけれど僕は後悔した。この世界の残酷さを、悲惨さを、卑劣さを知って後悔した。
だけれど、そう思った所で止まるわけもなく司会は五人目の参加者の名前を告げる。
『続いてはスラム街の姉弟、リリーちゃんとルキ君です。この二人が遂にグレンデルを倒してくれるのでしょうか』
その姉弟を見て絶句した。姉弟の手足は小刻みに震え、弟が手に持つ小さな剣は気迫をなくし下を向いていた。
「どうして……どうしてここにいるの……」
その姉弟は昨日僕にスリをしたあの姉弟だった。