孤独な英雄3
土色の円形のドーム。中心は平らに馴らされ、それを囲むように観客席が置かれるコロッセウム。
コロッセウムの門前。銀色の鎧を背負った男性と、十代前半の女の子、その隣に七歳程度男の子がいた。
「話が違います!」
「うるせぇなっ! 誰が取り消してやるって言ったよっ! かもしれねぇって言っただけだ」
男の手には茶色い風呂敷が握られ、動かすたびに金が擦れる音が聞こえた。
「で、でもそれじゃあ、私達はどうなるんですか!」
「そんなん知らねーよ。自分で何とかしてみろよ!」
「な、何で……」
「人を簡単に信じちゃいけないってこった。いい勉強になったな! お嬢ちゃん」
「お姉ちゃん……僕達どうなるの……?」
隣に立っていた弟が心配そうな顔を傾け、訪ねてくる。
「大丈夫よ、大丈夫。私が何とかするから」
「分かったらさっさとどっか行け! それともコロシアムに参加するのか?」
「…………どうすれば、どうすれば良かったのよ…………」
何もせず貰った金を持って逃げれば良かったのか。土下座でもすれば良かったのか。体を売れば良かったのか────どっちにせよ未来は暗く、絶望的に残酷だった。
「せいぜい死なないこったな!」
「人間なんて……人間なんて……大っ嫌いよ……」
私は人間不信だ。人間なんて簡単に嘘をつくし、簡単に裏切る。
人間なんて人を笑いの種にしてしか生きて行けず、強いものが勝ち、弱いものが負ける。
人間なんて────大っ嫌いだ。
人間不信の少女はゆっくりとコロッセウムの中に入っていく。中は暗く、彼女とその弟は闇に消えていく。
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魔女と会った翌日。
朝の肌寒い空気が夏の蒸し暑さを吹き飛ばし気持ちいい朝を迎える。
台所から漂う美味しそうな香りが、鼻の辺りに絡まって僕のお腹をくすぐり、それと同調するかの様に昨日の花が左右に揺れる。
「将太さんおはようございます」
「おはようございます」
ココさんは柔らかな笑みで挨拶を交わしながら食卓に朝食を運ぶ。
「今日は何やら外が騒がしいですね」
そう言われてみれば、外からは祝砲の音や鐘が朝早くから鳴り響き、人のの歓声が街の外れのここまで届いていた。
「そうですね。街からは遠い筈なのにどうしたのでしょう?」
僕とココさんがそんな話をしている時だった。
「お兄ちゃん! パレード一緒にいこ!」
そう言って飛び込んできたのは、少し袖が余って、身長にしては大きい印象を受ける茶色い服を着飾ったササンドラちゃんだった。
「将太さん、ココさんご無沙汰してます」
後ろからはカールさんが顔をちらつかせ軽い挨拶を口にする。
「カールさん、おはようございます。ササンドラちゃんもおはよう」
「おはよう!」
そう言って彼女は朝日に照らされた顔を笑顔で染めた。
「それで、パレードって何かな?」
「騎士さん達が遠征から戻ってきたの!」
「そうなんだ。じゃあ、少し見てみようかな。ココさんはどうしますか?」
「私もお付き合いさせていただきますよ」
「早く行こ!」
「ササンドラちゃん少し待ってね。ちょっと準備するから」
そう言って、カールさん達を室内へ招き入れ、僕達は早々と荷物をまとめた。
「将太さん、準備は出来ましたか?」
「はい」
「じゃあ行きましょうか」
「はい。ササンドラちゃん、行こっか」
「うん!」
本当はこの時に既に分かってたのかもしれない。不幸に自ら飛び込んでいたのかもしれない────でも、これは気づいた時には既に終わっていて、完了形の様な話なのだ。
平らに馴らされた砂の上を木々に挟まれながら進む、木漏れ日が所々見受けられ、まだ早朝という事を伝える。こんな早朝から行われるのにこの賑わいというのだから、騎士がどれだけ英雄視されているかが分かる。
「ねぇお兄ちゃん」
目尻を垂らしながら上目遣いでササンドラちゃんがこちらを覗き込んできた。
「ん? 何?」
「えへへー、何でもない!」
一瞬何をしてるのか分からなかったが、彼女の満開の笑顔を見るとそんな感情もどこかへ吹き飛んで行った。彼女の笑顔は誰かに似ている────忘れてはいけない誰か。
「なんだよそれ」
そう言って、僕も笑みを零す。
この時間が僕は大好きだ。無駄な時間。平凡で退屈な日常、平然と無防備で、ちょっとした事が大惨事、ちょっとした事が大冒険。そんな日常が僕は大好きで、こんな事で笑える事すら幸福と思える。
そんな事を改めて噛み締めていると、ササンドラちゃんが再び幸福を運んでくる。
「聖火祭も一緒に行こうね!」
「聖火祭?」
言葉だけでは『聖歌』と聞き間違えそうになる。その祭りに僕は聞き覚えく、思わず返事をする前に疑問を呈した。
「聖火祭とは、魔力を込めた火に願い事を乗せて空に浮かすんです。それはそれは、綺麗ですよ。私達が元いた村でも見え、小さい頃は近くで見ようと村を出て、よく怒られたものです。」
カールさんが懐かしげに語り、それに食いつくようにササンドラちゃんが続ける。
「それでね! お願い事すると神様が叶えてくれるの!」
「うん、また皆で行こっか」
「うん! 約束ね!」
彼女はその言葉と共に前を向き、小さな腕と足を振って前に進み出した。
それから数十分。
街に近づけば近づく程、街の形相は喜色に満ち溢れ、大通りにはいつもの五倍はあろうかという人数が所狭しと並んでいた。
「おっ来たか。案外遅かったな」
そんな挨拶をしてきたのはカフェコーランの店主であるジールさんだ。その隣でサランさんが軽く微笑み挨拶交わす。
「はい、将太さんの家に寄っていましたから」
「あー、なるほどな。じゃあササ行くかー」
「え? どこへ行くんですか?」
僕が疑問に思っていた事をココさんが聞いてくれた。
「お? お前らササに聞いてねーのかか?」
「えへへー、言い忘れちゃった」
そう言って、ササンドラちゃんは可愛くも下をぺろっと出し、右手を頭にコツんと当てる。
「まーいいか。ササがなんか欲しいものがあるらしくてな。それを買いに行くんだと」
「なるほど、分かりました」
状況を理解したココさんは特有の柔らかい笑みをササンドラちゃんに送った。
「じゃあ、行くか」
「はーーーい!」
商店街はこの時を逃すまいとどの店も、朝早いのにも関わらず開いていた。
ササンドラちゃんは商品をまじまじと見つめながら次の店へ、次の店へと足を運ぶ。僕もそれに並ぶ様について行き、十分ほど見回った所でササンドラちゃんが遂に弱音らしき弱音を吐いた。
「うーんジールのおじちゃん見つけたー?」
「あー、中々ねーな。パレードだから出てきてると思ったんだけどな」
「何を探してるんですか?」
今度は僕が疑問を呈す。そう言えば、ササンドラちゃんについて行ったがその形、その物の名前すら知らないのだから手伝いようがなかった。
「コッキー!」
『コッキー』その言葉に聞き覚えがあった。どこだろう。あと少しで思い出せそうなんだ。だけど、そのあと少しが届かない、踏み出せない。
「国祈のことかな?」
「そうじゃない! コッキー!」
「ごめんなさい、ココさん。国祈であってますよ」
「違うよ! コッキーだよ!」
「そうだなー、コッキーだなー」
ジールさんが小馬鹿にした様に、ササンドラちゃんの頭をクシャクシャに混ぜる。
「うーもう、皆してー!」
ササンドラちゃんは頬をぷくりと膨らませて怒ったポーズを取るが、その顔はいつもの様に明るく、楽しげだった。
本当に大好きだ。この日常が、どうしようも無く退屈なこの日常が。
どうしようも無く、平凡で代わり映えしないこの日常が。
「あっ! あったー! あったよお兄ちゃん!」
そこには赤や黄色、朱色、青や空色、紫や緑。色々な色が束になって一つの首飾りになっていた。『ミサンガ』と思ってもらえれば想像しやすいのかもしれない。
「これはどういうものなの?」
「これはね、お願い事を叶えてくれるの!」
「はい、糸一つ一つに魔力が込められ、込める魔力が高ければ高いほど願いが叶うと言われています」
「なるほど、ありがとうございます」
でも、さっきからササンドラちゃんは願い事を特に気にしているようだった。彼女は何を願おうとしてるのだろうか。
「あー、でも、高くて買えない」
「ホントだなー、じゃあまた今度だな」
「────どなんて─────ないよ────」
ササンドラちゃんが何かを言った気がするが、小さくて聞こえなかった。それに、その後すぐに元の明るいササンドラちゃんに戻ったから僕は気に止めることすらしなかった。
僕は鈍感だ。僕は愚鈍だ。
「しょうがないから、パレードに参加しましょ! あそこら辺空いてるし」
そう言って、サランさんは村人の隙間を指さした。
「よし、早速見るかー!」
「ジールさん! 子供みたいにはしゃがないで下さい!」
「騎士の行進なんて久々ですからね。サランさん今日ぐらい許してやって下さい」
「将太さん行きましょ!」
「お兄ちゃん行こ!」
ココさんとササンドラちゃんが僕に手を伸ばす。
大好きだ────この日常が大好きだ。
「うん、行こうか」
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私は騎士になった。
実力至上主義のこの国では、私みたいな女でも案外難しい事ではなかった。これも神のくれた力のお陰である。
小林神奈は斎藤睦と、数名の男子生徒と共にヘルハウンドの全滅と言う功績を自分達の物とし、仕事を得えて、現在パレードの行進の真っ最中である。
「暑くね? 騎士とかカッコいいからなってみたけどいい事なんて、女子からモテるぐらいだし。しかもこれからコロッセウムでバトルのお披露目だぜ?」
「お前がモテる事が出来るってだけでも感謝すべきなんだよ。まぁ、コロッセウムでの試合が面倒なのは分かるけどな」
「皆、そろそろ人が多いところだから静かに」
「神奈さんは真面目すぎるんだよー」
「これでご飯を食べさせてもらってるんだから、文句言わない」
「はいよー」
将太はあれからどうしただろう。あの悪魔の子と一緒にあの村で暮らしているのだろうか。それとも死んでしまったのだろうか。
彼女達は知らない。ここに将太がいることも、これから起きる災難も、悲劇も、喜劇も、彼女は知らない。
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パレードも終盤。人の賑わいは最高潮に達し、円形のドームに近づにつれ歓声は耳を貫くほど、大きいものになっていた。
気になるのはただ一点、あの円形のドームは不思議な女性に出会った時と同じ青い霧の様なものがかかっていた。
「そろそろだねー!」
ササンドラちゃんが楽しそうに笑う。
「何がそろそろなの?」
「えっとね! 今から騎士達がコロッセウムで戦うの!」
「なるほど、それって危なくないの?」
「大丈夫だよ! 騎士さん達強いし! でも、飛び入り参加の人達は危ないかも」
「飛び入り参加?」
「うーん、よく分からないんだけど、貧民とかなんとか?」
「ササンドラ、私が説明するよ。詰まりですね、貧民への救済措置です。貧民にはお金がありません。ですから救済措置としてコロシアムの参加を許可したのです。」
「なるほど」
カールさんは僕の聞いていないところまで詳しく言ってくれた。だが、聞いていて思ったのは実に残酷な事だった。つまるところ、武力で圧迫してるだけじゃないか。反乱を防ぐ為に救済措置を言う建前でモンスターと戦わせる。勿論それには生死が伴い、それを戦闘をまともに行ったことの無いスラム街の人間が勝てるはずがないのだ。
「あそこに行きたいです」
「駄目です!」
ココさんが慌てた口調で僕の言葉を言葉を遮る。彼女はあの場所がどのようなものか分かっているのだろう。
「でも、きっと、僕はあの場所に行かないといけません」
「でも、きっと将太さんはあそこで苦しむ……」
「それでも、僕は行かないといけないと思います」
「で、でも────分かりました。行きましょう」
彼女は決めた。
自己犠牲の少女は決めていた。
自己犠牲の少年が記憶を失っても尚自己犠牲をするというのなら、私は彼の味方でいようと、苦しみも、悲しみも、悲劇も、喜劇も、全てを受け止めようと。最も苦しむ立ち位置。彼女は強くなった。自分に強くなった。
──私は貴方を絶対に孤独になんてさせません。
そう誓って。
「お兄ちゃん! 私も行く!」
「ササンドラちゃん、ごめんね。そこでちょっとまってて?」
「そうだな。ササにはちょっと刺激が強すぎるかもしれないからな」
「ササちゃん、私達と一緒にあそこで遊んでこようか!」
「うーん、分かった!」
こうして、自己犠牲の少年少女はコロッセウムに入っていく。観客として、傍観者として、闇の中へ消えていった。