孤独な英雄1
強さとは何だろうか。
弱さとは何だろうか。
この問題は案外複雑だ。
例えば、英雄。
英雄と評される者は大抵、少人数で行動し、犠牲をものともしない。
自分を心から愛し待ってくれる人の事も考えず、その人が傷付くのが嫌だから自分を犠牲にする。
周りから見ればそれは強い人間で、待つ者かやしてみれば、それは弱い人間────僕はそんな風に思う。
自分を犠牲にして、戦うことが必ずしも強いとは思わない。僕は僕の事を、僕の自己犠牲を弱さだと自覚している。
ただ────自己犠牲を弱いと思える事、自分が傷つくより、愛する人が傷付くのが怖い人。そういう人こそ、本当の英雄になれる、英雄の資格を持つ者なのかもしれない。
そう────思っている。
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天気は晴天で、空は清々しい程の青、草花が夏の香りと共に倒れ、入道雲が群れを右から左にゆっくりと流す風が、僕の頬を撫でる。僕はそんな中、大の字で空を見上げていた。
僕は案外幸せな日を過ごしていた。皆の言うところの幸せなんて望んではいない。程々の幸せ。苦しくても、悲しくても、残酷でも、悲惨でも、僕は幸せだ。
右を見れば、木で出来た質素な家。
上を見れば、小さな池。
左を見れば、銀髪の美少女。
────案外幸せをなんだ。
僕が記憶を失って一ヶ月が経って、それなりにこの国の事は分かってきた。
物思いに耽っていると銀髪の少女、ココさんが独り言のように喋りかけてきた。
「今日、久しぶりに街に出てみます?」
その時の顔はお茶目で、どこか悪戯っ子のような雰囲気があった。今からする事は悪戯と言うには、あまりにかけ離れていて、何方かと言えば悪戯される側なのだけれど、彼女はそれでも笑っていた。
「良いですね」
それを悟っている僕も柔らかな笑みを返し答え、重たい腰を上げる。
風がさっきよりも体を揺らし、夏の香りを運ぶ。僕らは家の中に戻り、荷物をまとめ再び外に出た。
木々に両端を挟まれた道を数十分。木々はいつの間にか無くなり、地面は土から石に、家は木からレンガに、これぞ王都と言わんばかりの賑わいとなっていた。
人々の中には人族とは違い、猫耳や狐、犬、所謂、獣族や、尖った耳のエルフ、詰まるところの精霊族なども人族に紛れてごったする中を、人混みを分けて、数々の店が有象無象に立ち並ぶ道を真っ直ぐ進み、お惣菜店についた。
「これと、これをください」
ココさんは真っ赤に染まった林檎と、薄緑のゴツゴツしたフルーツを指さした。
「はい、分かりまし────はぁ、また、お前らかよ。帰った、帰った。お前らに売るものなんてないから」
黒髪に二つ結び、清楚の顔立ちとは裏腹に、そんな事を彼女は口ずさむ。分かっていた。分かっていて来た。
目の前にいる彼女は僕と同じ国から来たらしい。
僕は前の国では嫌われ者で、差別の対象だったらしい。そして、ココさんも嫌われ者で、差別の対象で、そんな僕らが王都で嫌われるのも仕方ないことなのだ。
「やっぱりですか……」
「当たり前でしょ」
「分かりました」
そうして来た道を帰る。僕らは人混みが無くなった街の片隅で大きく口を開けて笑いあった。
苦しみを分かち合える人間がいる事が、一人じゃないと思える事が、これほどまでに幸せな事だと気付いた────だから笑った。
「さぁ、いつもの所、行きましょうか」
彼女が笑っていうものだから僕もつい笑って返す。
「ですね」
僕の、僕らの、唯一無二の居場所へ。
細い道を縫うように進むと、一軒の古風な佇まいの家が見えてくる。ドアの前には『カフェ コーラン』と綴られ、外にまでコーヒーのいい香りが漂う。
ドアノブを捻り中へ入ると、スキンヘッドに、筋肉隆々の肌黒の四十半男性、ジールさんと二十か三十かの大人の雰囲気を纏った黒髪を後ろでくくられ、耳はツンっと上に鋭く尖った精霊族の女性、サランさんがカウンターを挟んで、悠々と佇んでいた。
「お、来たか。おしどり夫婦」
「こら、店長! 失礼ですよ。ごめんなさいね、いつもいつも。いらっしゃいませ」
二人はそう言うと、柔らかな笑みを僕達に向けた。僕は、彼女は、この笑顔が大好きだ────彼等は僕らが差別されているのを知っていて、知っていて尚、招き入れてくれている。
「いえ、気にしてませんよ。いつもいつも、ありがとうございます」
僕が答え、ココさんは笑みを零しながら頷く。
「ご注文はいつものでいいかい?」
「はい、お願いします」
僕らはカウンターに座り、サランさんが豆を研ぐのを見ていると、五分も経たないままコーヒーが出てくる。
「そう言えば、将ちゃん仕事とかどうするの?」
「ササンドラちゃんの家庭教師をさせて頂いてます」
コーヒーを啜りながら淡々と答える。
「あら、良かった。本当に大変だったよね最初は」
「ですね、どうなる事かと思いました」
頬に笑いを溜めながら続ける。
「記憶喪失に片腕、その上、嫌われ者ときたら、取ってくれる所なんて殆どありませんから」
「私なら雇うけどね」
彼女はコップを拭きながら、僕の方には見向きもせず言った。
「それは嬉しいです」
僕は頬により一層、皺を刻んだ。
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小高い丘の上、朝日に照らされながら自己犠牲の少女は、自己犠牲の少年を両腕で抱え、一歩づつ、一歩づつ王都に向かう。
将太さんを一刻も早く安静な場所へ────と、もぬけの殻となった故郷の村を捨て、王都に向かう事を決意した。
足は石のように重く、目も霞む、息が荒くなり、汗が滝のように流れて止まない。
それでも、それでも────彼女は、足と止めない。何時間も、何時間も、小さな城壁目掛けて足を引き摺るよう動かした。
『私をまた好きになってくれますか……?』
『えぇ……きっと……きっと……』
彼との最後の会話を思い出して、止まりかけた足を動かす。
「諦めたら────生きる事を諦めたら駄目なんですよね」
彼女は彼の言葉を、約束を、誓いを、儀式を、口に出す。
「あっ…………」
何度も、何度も、足がもつれて将太さんを落としそうになった。その度に、将太さんの綺麗な髪が揺れ、爽やかな匂いが鼻を通る。
体勢を立て直し、再び前を向く。
──今度は私が貴方を救う番です。
城壁は目の前まで、来ていた。来ていたのに、遂に、遂に、限界が来た。限界は遥か前に過ぎていたが、その限界にも限界が来た。
足が縛られたように動かない。
──誰か……。
そう声を出したいが、喉が動かない。目は雫で濁り、叫び出したい気分に晒される。
──将太さんは助けてくれた。救ってくれた。それなのに私は、私は……。
下唇を噛み、手を爪を立てて握る。動け、動けと心で叫ぶが動かない。
血は出るが痛みは感じない。
──どうして……動いてよ……。
涙で奪われていた視界は、重たい瞼によって奪われる。
──まだ、まだ、嫌だ、寝たら、寝たら………………。
霞む視界の中、十歳程度の少女と白ひげを蓄えた男性が、王都の方からかけてくるのがみえた。
「助けて」
今にも消えそうな掠れた声でそう唱える。届くような距離じゃない。それでも、彼女は最後の足掻きを見せる────生きるのを諦めたら駄目だから。
「お兄ちゃんだ! やっぱりお兄ちゃんだよ!」
「体温がどっちも下がってる。早く、王都に連れ戻さなくては。ササンドラ手伝ってくれるかい?」
「うん!」
肩で綺麗に整えられた黒髪に、くりくりした大きな目、ピンク色の唇に赤く染まった頬は愛嬌があるササンドラと呼ばれる少女は、迷うこと無く返事をする。
「知り合いのコーランって店に行くけど、道は覚えてるかい?」
「お父さん、ササはもう子供じゃないの!」
「分かった。じゃあ、この女の子を私が背負うから後ろで支えてくれるかい?」
「分かった!」
そう言うと、白ひげを蓄えた半ば五十の男性は将太を前で抱きかかえ、ココを背負う形を取り、それをササンドラが後ろから支えていた。
「ちょっと急ぐから付いてくるんだよ」
「うん!」
小走りで城壁の門番を通過。人混みが少ない裏道を通る事、十五分、『カフェ コーラン』と書かれたひっそりと佇む店が見えてくる。
「ジーンさん! この子達を裏で休ませて貰えないだろうか! 状況は急を要するんです!」
店に入るや否やすぐさま本題を口にする。
「ジーンのおじちゃん、お兄ちゃんを助けて!」
「分かった。カールさんには借りがあるしな。裏をいくらでも使っていいぞ」
「ありがとうございます!」
そう言うと、すかさず奥の部屋へと足を向ける。ついた部屋は、白のベッドが二つと、窓が一つ、机がそれに沿うように添えられた質素な部屋だった。
カールと呼ばれたササンドラの父親は、将太とココをベッドに寝かし、一通りの応急処置を施す。
「お父さん、お兄ちゃん大丈夫なの?」
「うん、将太さんはまず、大丈夫だろう。だけど、問題は……」
「銀髪の少女かい?」
そう言いながら、ジールさんが顔を出す。
「はい、この子は悪魔のココさんって方だと思うんです」
「どうする? 起きて暴れる前に殺った方がいいと思うけどな」
「でも、このお姉ちゃんお兄ちゃんを運んできたんだよ!」
「…………そうだね。将太さんが助けたい人ってのがココさんだったなら、殺した時、将太さんが起きた時になんて言うか」
そう、カールさんは口を緩め、目を細めた。
先に目を覚ましたのはココだった。
──ここは……私は何を……
「はっ! 将太さん!」
彼女は跳ねるように起きると、辺りを見渡し、将太の寝顔を見て、顔を安堵の色に染めた。
彼女はここが何処かを知るよりも前にする事があった。その為に、彼に貰った本を取り出し、中身を閲覧しだす。
彼の言った通り、昔の話から私について、宿に泊まった時にお世話になった方々や、自分の力について、あらゆる面に至って記されていた。その本の彼の力についてと、過去のトラウマのページを綺麗に破り捨てた────彼がまた自己犠牲をしないように。
──将太さんごめんなさい
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僕はジールさん、サランさん、カールさん、ササンドラちゃんに助けられた。カールさんとササンドラちゃんは前から面識はあったようだけれど、僕は思い出せない。
僕を王都まで運んでくれたと言うココさんは、僕に救われたと言うけれど、どういう風に救ったのかを教えてはくれない。本は数ページ破いた跡があるし、彼女は何かを隠している────でも、彼女は、きっと、きっと、僕の為に、やってくれたのだ。知っている。悟っている。
僕らはコーランを出て、僕らの家に戻る事にした。そろそろ、ササンドラちゃんが家に来る時間なのだ。
家に着くと、既にカールさんとササンドラちゃんは待機していた。正確に言うなら、ササンドラちゃんはお花摘みをして、カールさんはそれを優しい目で見つめていた。
「あっ! お兄ちゃんだ!」
そう言うと、ササンドラちゃんは僕の胸にすっぽり収まる。
「ササンドラちゃん、こんにちは」
「えへへー、お兄ちゃん太陽の香りがするー!」
ササンドラちゃんがあまりにも、楽しそうに笑うものだから、僕もついつい笑ってしまう。
「ありがとう」
頬を赤らめて笑い返す。
「ササンドラちゃん、こんにちは」
ココさんは微笑を口角に浮かべて挨拶を口にした。
「お姉ちゃんこんにちは!」
「じゃあ、勉強始めようか」
「では、将太さん、ココさん、ササンドラをお願いします!」
「はい」
カールさんとそんな会話を最後に別れを告げ、中に入る。
「じゃあ、ササンドラちゃん頑張ろうか」
「うん!」
ぱっと顔を明るくする。僕の周りの人は笑顔良く似合う──そう思った。
記憶を失って手に入れた幸せな日常。
記憶を代償に手に入れた幸せな日々。
こういうのも案外ありなのかもしれない。苦し紛れの、苦痛まみれの、疑心暗鬼な日常がこれからも起ころうとも、僕はこの日常が大好きだ。
「お兄ちゃん大丈夫?」
少し物思いに耽ってしまっていた様で、不思議そうに目を垂らして、ササンドラちゃんが僕の顔を覗き込んでいた。
「うん、大丈夫だよ。さぁ、続きをしようか」
「うん!」
再び誓う。約束を、契約を、儀式を────この日常を守ると。
彼にこれから起きる災難を垣間見るなら、それはあまりに高望みで、理想論としか言えず、大馬鹿者よりなお酷な、愚か者と評すべき誓い。
それでも、それを彼に言ったところで聞こうとはしないだろう。それどころか、彼はこう言うだろう。
『夢ぐらい大きく持ちたいです』
彼は孤独な英雄────第二章の幕開けを鳴らす鐘がどこからとも無く聞こえてきた。