自己犠牲5
将太と別れて三十分、私は睦達と合流していた。
「神奈! お前何してんだよ! もしかして将太か?」
睦は憤然とした面持ちで、口調にも怒気が混ざっていた。
「ち、違うわ……、逃げ遅れたの……」
「ちっ、ほんとかよ」
睦はその後、少しかげりのある表情をした。彼も悪い人では無いのだ。人より少し、いや、かなり独占欲が強いだけだ。
「神奈は後ろに下がってろ。いつでも逃げれるように準備はしとけよ」
「分かった……」
そうこうしている内にも夜は来る。
少しづつ、少しづつ、日は山に帰る。それと伴い空の表情は暗く、悲しいものになっていく。
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終わりの時は来ようとしていた。私にとってはこれは、速いか、遅いかの違いなのだ。そこまで気負う必要は無いのだ。
だけど、それでも手は、足は、言うことを聞かない。まるで貧乏揺すりをしているみたいだ。
死ぬ勇気など出来る筈も無かった。人間としてその一線は超えては行けない一線なのかもしれない。それなら私はまだ────私はまだ、人でいていいのでしょうか────。
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少年は走っていた。何度も何度も転び少年の顔はアザで覆われ、服は破け、皮膚からは、真っ赤な血が次から次へと渋滞を起こしていた。
まだ……まだだ、ここで諦めたら……諦めてしまったら……前と同じじゃないか。
場所は違えど日は沈む。
残酷な世界で、彼は願う。悲しい世界で彼女は祈る。
もう一度。
もう一度。
彼に
彼女に
会わせて下さい
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10
太陽の頬が隠れ出す。
9
8
太陽の鼻に山がかかる
7
6
太陽の3分の2はもう家の中
5
4
遂に完全に見えなくなる。だが、まだ日が漏れる。時は近い。
3
2
星がはっきりと見え出す。さぁ、始まるよ。
1
終わりか、はたまた、始まりか。すべてを決める戦いが始まる。
一斉に赤い炎がこちら走り出す。
彼女もそれと共に走り出す。村のチンケな城壁の側面に沿うように走る。
追いつかれるのも時間の問題だ。だが、だけど、出来るだけ遠くに、出来るだけ────。
そんな中、赤い炎は新たな獲物を見つけたのか、大きく二つに割れた。
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「行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!」
雄叫び、叫びと共に、両者は走り出す。片方は各々武器を持ち、片方は圧倒的なまでの量を要し、総力戦である。
男達は容赦なくヘルハウンドの頭を叩き割る。一撃だった。自分の強さ、圧倒的なまでの武力、皆は改めて痛感した。
「あはははははははははは! お前らなんか、お前らなんかこわくねぇーぞ!」
一人の凶器は狂気と化し、奥へ奥へと突き進む。
「待て! 行きすぎなっ! 囲まれる!」
時は既に遅かった。彼はヘルハウンドの檻に囲まれていた。
奴らからしたらそれは、お肉の大安売り、特大セールだった。
「うわっ! うわっ!誰か! 誰か……ぁぁっ」
腕は引きちぎれ、足は折れ曲がる。
ヘルハウンドは知能が低い。故に彼らの行動原理は常に本能だ。本能は知恵より怖い事がある。迷いが無いのだ。戦いに置いては特にそれは突飛した才能となって牙を向く。
ヘルハウンド達に買い占められた体は骨が浮き上がり、血が辺りを染めた。
皆は武力と強さを自覚すると共に、この世界の恐怖、悲痛さを自覚する。
「うぁ…………」
ある者は足から崩れ落ち。
「気を抜くなっ! 怖くなったら逃げろっ!」
ある者は、それでも勇敢に立ち向かった。
そんな中、生き物を問わず、性別を問わず、歳を問わず、皆が一斉に刮目する。
その先には、まるで天使の梯子、詰まるところ、薄明光線を尚、濃く。白色に輝く柱のような光がある一点に降り注いでいた。
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辿り着いた時には既に始まっていた。
だが、まだ終わった訳ではない。始まっただけだ。まだ間に合う。
僕は山ように高くなっている場所に足を引き摺りながら、一歩づつ、一歩づつ、近付いた。
そこからは全てが見渡せた。生も、死も全て、平等に、その中には彼女もいた。彼女は約三百メートルの幅を開けて城壁に沿うように走っていた。
僕は彼女を守る為に来たのだ。もう出し惜しみは辞めだ。全てを賭けよう。
大きく息を吸って、あの詞をなぞる様に口にした。
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戦いは始まった。死人は出るだろうか。確実に一人は出てしまうだろう。悪魔の少女である。彼女にも、それ以上に将太には悪い事をした。だが、将太にはもう傷付いて欲しくなかった。
彼ならきっと命さえも簡単に差し出してしまう。もう見てるだけなんて出来なかった。
その時、神奈は絶句した。絶句の中の絶句。息が止まってしまうのではないかと言うほどの絶句。
「な……何でいるのよ…………将太!!!」
走り出していた。彼がなにかする前に、自己犠牲してしまう前に。
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彼は口にする。自己犠牲の象徴を、自己犠牲の権化を、自己犠牲の体現を。
「我が『右目』を捧げる。神よ『神の義眼』を与え給え」
その瞬間、空から天使の梯子が降りてくる。白色を尚、白く。まるで宝石の様な輝きが僕を覆った。
「ぁぁぁぁぁぁぁっ! ぐっぁぁぁっ! うっ……ぁぁ」
右目は消える。瞼を支えていた筋肉が居場所を失い、だらりと垂れ下がる。
それに伴い、左目は青く、透き通るほどに青くなる。それはどこか機械地味ていた────義眼なのだから仕方が無いのかもしれないが。
彼の姿はどこかキリストに近い物に見えた。誰の為でも無い、自分の為に犠牲になるのだから何とも言えないのだが、キリストも本当は自分の為に犠牲になったので無いのだろうか。今や、知る由もないのだが。
誰もが刮目する。王都の王も、側近も、気まぐれな魔女も、能天気な情報屋も、睦も、神奈も、ヘルハウンドも、自己犠牲の少女も区別なく、差別なく、皆一様にその光に、その中心にいる少年に見とれ、刮目する。
この戦いはもう、終わらせてしまおう。早すぎる終幕を、何も勿体ぶる話ではない。早ければ早いほどいいのだから。
────もう、終わりにしよう
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夜になってから一時間も経過していないが早くも朝日が見えた。それは、この世の物では無いと思う程に美しかった。
つい、見とれてしまった。追われていることも忘れて呆然と呆気に取られた。
正気に戻り、再び走り出そうとするがそれは無駄な動作だった。
その光は、黒い化け物さえも魅了して見せたのだ。彼等も一様に呆然と呆気に取られていた。
それから乗っ取られた様に、憑かれた様に、光目掛けて走り出した。
「そっちは駄目!!!」
知っていた。いや、悟っていた。あれは彼だと、来てしまったのだと。それはどこか嬉しくもあり、同時に苦しくもあった。人間というのは複雑な生き物だ。
彼女も走り出した。
全て走り出す。それぞれ目的は違えど、目標は違えど、終息に向かい走り出した。
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彼の周りには、それはそれは幻想的な光が天から降り注いでいた。
遅かった。彼の元に着いた時、彼の目は既に無かった。また失った。また彼は傷付いた。
「なんでよ……何でなの……どうして貴方はそこまでするよ!」
「似てるんだ……彼女がさちに、凄く、凄く、きっとここで知らないふりしたら、僕はもう戻れなくなっちゃうよ」
知っていた。彼がそう思っている事も全て、だけど、こんなのあんまりだった。この世界は、この力は彼に残酷過ぎる。彼にどこまでも、どこまでも残酷だった。
こんな力があれば彼は使ってしまうに決まってた。彼の為の力、そんな気さえした。
あんな少女が居たら助けてしまうに決まっていた。彼の為の少女、そんな気さえした。
「もう、二度と自分を自分を投げやりにしないで……」
私は泣いていた。苦しくて、辛くて、喉が痛くなった。
「次、そんなことしたら、したら私、どんな事をしても戻すから! この身の半分が消えても……だから、もう……」
「神奈……ごめん……僕は助けなきゃ壊れちゃうよ……僕は投げやりになんてしてないんだ。ただ、本心からから自分の為に、自分の為だけに彼女を救いたいんだ……」
また、私はあの時と同じ様に、同じ様に泣き崩れるだけしか出来なかった。自分の哀れさに、無力さに吐き気がした。
「そんなの……そんなのやだよ……やだよ……」
気持ちが声になって溢れ出す。
喉が張り裂けそうで、首を絞められた様に何かが喉に詰まって離れない。
嫌だよ……もう……嫌なのに────。
彼は何かを決意したように言う。
独り言のように口ずさむ。
それはどこか呪いの様で、呪縛の様で、恐怖さえ感じた。
言わないで、言わないで、言わないで、と願うが彼に届くはずもない。
「さぁ、自己犠牲を始めよう……」
彼の自己犠牲は始まった。
もう一度言おう。
皆は走り出す。
生き物も、性別も、歳も関係なく皆一様に走り出した。
終息にむけ、終点に向け、最良か最善か、最悪か最低か全てを決める為、天使の梯子目掛けて走り出した。
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