少女、追い払われる
近づくにつれて、シキノトウは遠くから見たよりも随分と大きく、その存在感をより強めていた。
まさに、聳え立つ、という言葉がしっくりくる塔である。
「……凄いなあ。どうやって立てたんだろうか……素材は土を固めた煉瓦のようだが、しかし、こんなにも高く積み上げられるものなのかな」
ぶつぶつ、とそんなことを口にしながら、ルハはシキノトウと周囲を観察しながら歩く。
時々その耳には、雪の中を進むフォクの雪をかき分ける音が聞こえる。普通の人間ならば聞こえないはずだが、鍛えられたルハの耳には、微かにではあるが聞き取れていた。
そのまま、進み続けること幾許。
「……あっ、人だ」
歩いていたルハの視界に映ったのは、木々の間から見えるいくつかの人影。より近くなるにつれて、その数が五、十、それ以上と大勢居ることが窺える。
少し立ち止まり、目を凝らす。眼に映るその姿は、手には大振りの槍、鎧ではなく暖かそうな防寒着を着込んでいるが、武芸を嗜む者たちだろうと見えた。
フォクの予想通り、シキノトウには何かあるのだろう。ルハには、ただの警備にしては、人数が多すぎるように感じられた。
すう、と一度冷たい空気を吸い込んで、心を落ち着かせる。そして、相棒の耳にはしっかと聞こえるくらいの小声で呟く。
「フォク、行くよ」
除雪された道を、歩き出す。
さらに近づくと、警備していた男の一人がルハに気がついた。すると、周囲にいた他の警備の者も次々にこちらを見る。冷え込んだ空気に、少し緊張が走ったようだった。
その向こうに見えるのは、塔の入り口らしき木戸。ルハにはどうにも、そこを守っているように見える。
にこりと笑って、ルハは男に話しかける。
「凄いですね、シキノトウ。こんなに高く聳える塔は初めて見ました」
「……見ない顔だな」
返答したのは、一際体格の良い男だった。厳しい顔つきで、どうやら他の警備の者たちの統率している者らしい。黙ったままではあるが、他の者達も見慣れぬ余所者に鋭い視線を送りつけている。
「色々な国を回って旅をしているのです。桜を見に来たのですが……大変なことになっているようですね」
「……桜が見たいのならタリア皇国に行くといい。友好の証に贈られた桜が植わっていると聞く」
「そうなのですか? しかし、この寒さの中、また山を越えるのは懲り懲りですよ……」
四方を山に囲まれたシキ国は、山道が整備されていると言えども、雪の中歩きつづけるのは容易ではない。ルハとしても、よくもまあ歩いてきたものだと思わせられる険しい道であった。
「皆さんはここで何を?」
「見てわかるだろう。塔の警備だ」
「今、塔には冬の女王様が?」
「そうだ」
その男の言葉に、ルハは真っ直ぐと瞳を見つめておずおずとしながらも口を開いた。
「お会いすることはできませんかね……?」
ぴくり、と男の眉が動いた。
先程までから、更に眼光を鋭くさせてルハを見下ろした。その迸るような気迫に、まるで大型の野獣に睨みつけられた小動物のような、ルハは身がすくむ思いをする。しかし、フォクの事にしても、自分自身の好奇心としても、ここで引き下がるわけにはいかない。
「我が国の状況を知っているのだろう。それどころではない」
「一目だけでもいいんです」
「許可しかねる」
「お願いします!」
「駄目だ」
「どうか!」
「しつこいぞ!」
いきなり発せられた怒号に、ルハはびくりと身を震わせる。周囲でこちらを見ていた警備の男たちでさえも、震え上がるような怒号であった。
「季節が変わらない今、我々は食物や民衆の不安など、様々な問題が逼迫しているのだ! 観光するなら別の場所にしろ! とっとと去れ!」
「……っ!!」
怒りが込められた、至近距離で放たれる大声に耳を塞ぎ、どうしようもなく塔を背にその場を脱兎のごとくルハは駆け出した。
遠く、森の入り口の方まで駆け戻ってきたルハは、ぜえぜえと白い息を吐き出していた。
『大丈夫か、ルハ!』
「あ、……フォク、か」
息も絶え絶えに、雪の中から飛び出して来た黄色い獣にそうルハは返す。
フォクはぶるぶると体に付着した雪を振り払うと、心配そうにルハを見上げる。
「置いてっちゃって、ごめん……」
『いや、会話は聞こえていた。気を引くどころか無茶を言うとは……』
「あ、ははは……ごめん」
呆れ顔でふぅ、と息をつくフォクに、苦笑いを返すことしかできない。
『まぁ良い。しかし、面倒なことがわかったぞ』
「面倒、って……?」
しゃがみ込んで視線を合わせるルハに、フォクは苦々しそうに口を開く。
『シキノトウの中に居るのが誰だかは分からないが……近づくにつれて酷い呪いの匂いがしたのだ』
「!! ……シキノトウには、今は冬の女王様が居るはずだよ」
『さぁ、どうだか。本当のことを言ってるとは限らんぞ』
「確かに、そうだけど……。今でも、感じる?」
『一度感覚したからか、微かにだが感じる。確かに、塔の中から匂うのだ』
「あの男の子に加えて、塔の中の女王様と思われる人も呪われているってこと……?」
そう言うと、フォクは顔を上下に動かした。顎に手をやり、少し考え込んだルハは疑問に思う。
「春の女王様の失踪は知れ渡っているのに、塔の中の女王様が呪われていることを伯母さんは知らなかった? 知らされていない、っていう方が妥当かな」
『まず、呪われている、という認識ではないのだろう。どのような状態かは分からないが、民に知らせることのできないような状態になっているのだろうな』
「そうか、魔術や呪術に疎いが故に、不可思議な現象としてしか捉えられない、と」
山の中、他国との繋がりも少ないのもあるのだろう。そう考えると、塔の周囲にいた大勢の警備は、手の打ちようもなく、呪われた女王を隠蔽する為に塔を守っていると考えられた。
『中に居るのが冬の女王なのかどうかは確信が持てないが……これ以上はシキノトウの調査は不可能だろう。一度、街へと戻るとするか』
「そう、だね」
頷いたルハの荒かった呼吸は、もう整っていた。まだまだ謎の残るシキノトウを背に、致し方なくルハとフォクは街がある方角へと足を進めたのだった。