少女、宿の主人に質問す
ぱちり、とルハは目を開けた。
ルハは夢を見ない。一度たりとも夢を見たことがないので、目を瞑って気がついたら目が開いており、朝になっていることが大半である。
何度かぱちぱちと瞬きをすると起き上がり、ルハは寝台に腰掛けて長靴を履く。履き終わると、ぐーっと伸びをして、立ち上がる。
暖炉の薪は燃え尽きて、炭と灰になっていた。昨晩は暗くて気がつかなかったが、寝台の右手に窓があり、窓帷の隙間から明るい光が漏れ出ている。
フォクは未だに眠り続けていた。丸い金色のもふもふが、暖炉の前でじっとしている。その側にルハはしゃがみこみ、ふわふわとした毛並みを撫でた。
「フォク、起きろ。朝だよ」
そう言いながら、ぐりぐりとその毛並みを撫でくりまわす。ぴくぴく、と時折その耳を動かすも、起きる気配はない。
流石のフォクでも、疲れたのだろう。何せ彼は、鈍臭い同行者に気を配りながら何日もの間、雪の降る中歩いていたのだ。
ルハは、すぅすぅという安らかな寝息に笑みを浮かべた。もう少し寝かせておいてやろう、と毛並みを撫ぜる手を止め、立ち上がる。そのまま、なるべく音を立てないようにその部屋を出たのだった。
ルハが階下へと階段を下っていると、丁度宿屋の主人たる伯母さんが登ってきていた。
「おはようございます」
「ああ、ルハちゃん、おはよう。丁度、起こしに行こうと思っていたところだったのよ。昨晩はよく眠れたかい?」
「はい! それはもう、ぐっすりと」
伯母さんは、嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべでいたが、ルハの拾った少年をずっと看ていてくれたのだろう、少し目の下に隈ができていた。
「そうかいそうかい! そりゃよかった。じゃあ、一緒に朝ご飯を食べましょうか」
「良いんですか?」
「勿論だよ! それほど大層なものは出せないけれど、ね」
「……では、お言葉に甘えて」
ルハが頷くと、伯母さんは階下の食堂に案内してくれた。
木造りの使い込まれた椅子と机。朝食は、焼いた正方形のパンに、レタスと大きめのソーセージ、そしてルハの見たことのない赤色で丸く切られた謎の物体と、カップに注がれた暖かい牛乳であった。作りたてだろう、湯気が出でいて、美味しそうである。
「この、赤いブヨブヨしたのは何ですか……?」
「ああ、これかい? これは、トマトっていう野菜さ。珍しいでしょう? この辺りの特産なのよ」
「そうなんですか! へえ……」
どんな味がするのだろう、食べることが好きなルハは、目を輝かせた。
既に席についていたルハの向かいに、伯母さんは座る。すると、ニコッと笑って両の手を合わせた。不思議そうにそれを見つめる。
「それじゃあ、いただきます」
「……い、イタダキマス?」
見様見真似でルハも同じ動作をする。伯母さんは少しきょとんとした後、腑に落ちたような顔をした。
「そうか、ルハちゃんは知らないんだね。シキ国では、食事の前に“いただいます”、食事の後に“ごちそうさま”といって両の手を合わせるんだよ」
「そうなんですか……、どういう意味なんでしょう??」
「うん? ……そうだねぇ、改めて言われてみると分からないなぁ」
不思議に思って問うたルハと同じように、伯母さんも不思議な顔になるのみだった。
様々な話をしながら、二人は食事を終えた。
ルハが拾った少年については、未だに目を覚まさないらしい。しかし、暖められたからだろうか、今にも凍え死にしそうであった顔の色合いも良くなってきたそうだ。
他には、ルハの旅路について伯母さんが根掘り葉掘りと様々な質問を繰り出すので、それに答えていっていた。
「ごちそうさまでした」
「……ゴチソウサマデシタ」
手を合わせてそう言ったところで、ルハは思い出した。昨晩、フォクと話していた疑問についてだ。
使用した食器を片付けるのを手伝うがてら、ルハは伯母さんに聞くことにした。
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「あの、実はシキ国に来たのは、美しいと噂に聞く桜を見るためなんです。だけれど、今はまだ冬、ですよね……?」
流し場で、ルハの持ってきた皿やカップを洗っていた伯母さんは、手を止めるはなかったが少しだけ表情を強張らせた。
「そうだよ。今の季節は冬さ。桜が咲くのは、冬の次の季節――春だよ」
二人分の食器はすぐに片付いた。もう一度席に着くように伯母さんに促されて、二人は椅子に座る。やはり何かしら理由ありらしい、ルハは漠然と感じ取る。
「ルハちゃんは、今のシキ国について何か知っているかい?」
「いえ、何も……」
否定の意を込めて、ルハは首を振る。そうか、と伯母さんは言うと、訥々と話し始めた。
「えっとねぇ、いつだったかしら。そう、あれは一月と半分ぐらい前のことよ。“春の宣言”が出されるはずの日に、王様が国民の私たちに言ったのよ――」
「――春の女王が行方不明だから、“宣言”を出せない、とね」