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朔風 ~通り抜けた想い~ 2 (ブルー&雅)

放課後の教室には明るく開放的な時間が流れていた。

部活の事、帰りに立ち寄る店の事、今日の事…様々な会話が飛び交っている。


「智、帰るぞ」


元気の良い声。

机に座り、ぼんやりと外を眺めていた諸橋智世はゆっくりと声の主を見上げる。

影で「鉄火面」や「氷の女王」と呼ばれている智世とは正反対の、豊かすぎるくらいの表情を持っ少年、野際雅弘。

雅弘は手を腰に、ようやく終わった今日の授業に満面の笑みを浮かべていた。


「今日、寄るのか」

「もっちろん! 特売日にはしっかり買いだめをしないとな!」


智世の短い問いを読み違える事なく、雅弘は笑顔で答える。

近所のスーパーで行われる特売日。

ほぼ毎日、特売日と書かれた幟が立っているが、一体いつが本当の特売日なのかは何度も買い物をしているうちに覚えた。

仲良くなったご近所さんたちも教えてくれた。


「主婦だな」

「そうか? 当たり前の事だと思うけどな。それに俺が主婦なら、お前はなんだ? 料理の先生か」


からかうように聞いてくる雅弘を智世は思いきり無視する。

軽く伊達メガネを押し上げて、ひとり歩き出した智世を雅弘は慌てて追いかける。


「あ、おい。置いてくなよ、智。智世、智世く…ん…っ!」


まとわりつくように智世の後ろを歩いていた雅弘の動きが突然止まった。

そして…


ゴボッ


口元を押さえた雅弘の手の隙間から、とろりとした赤い何かが流れ落ちた。


一瞬の空白


ざわめきが波のように広がっていく。


「雅弘…!」


ポーカーフェイスが驚きの表情に変わったのも束の間、すぐに元の表情に戻ると智世はカバンから何本かのタオルを取り出す。


「悪いけど、これ濡らしてきてくれる。それから、先生を呼ぶ必要も騒ぐ必要もないから」


一番近くにいた級友にタオルを2本渡すと1本を雅弘に渡す。


「血を吐くならマンションに帰ってからにしてもらいたいな」


冷たい声。

回りにいた生徒は、ギョッとして智世を見る。

雅弘はタオルで口元を拭うと、大きく息を吐き出して苦笑いを浮かべた。


「悪い。ちょっと油断した」

「油断ね」

「そう、油断…っ、ゴホッ」


ため息を吐く智世に、雅弘は苦笑いを浮かべようとして、再び血を吐き出す。

しかしそれは口元に押し立てたタオルのせいか、量が少なかったせいか回りにいた生徒は気付かなかったようだ。


「あ、あの、タオル…」

「ありがとう」


再び冷たい血を吐いた雅弘に一瞬顔を歪めた智世だったが、濡らしたタオルを片手に急ぎ戻ってきた級友からそれを受け取ると雅弘の持つタオルと交換する。

そして血だらけのタオルをビニール袋に入れると、もう1本の濡れタオルで血で汚れた床を拭いていく。

その慣れた様子と、当たり前のようにタオルやビニール袋をとり出した所を見ると、智世はこうなる事を予想していたようだ。


「おい、大丈夫か! 血を吐いたと聞いたが!」

「雅弘くん、大丈夫!?」


野太い声と共に教師と、前生徒会長の麻生一樹が顔を出す。


「大丈夫で~す」


ヒラヒラと手を振って笑う雅弘に安堵のため息を吐く。


「そうか…。とりあえず、病院に…」

「その必要はありません」


病院へ連れて行こうとした教師を、きっぱりとした智世の声が遮る。


「このくらいで病院へなど駆け込んでも追い返されるだけですし、雅弘には専属の主治医がいます」

「そうなのか? それなら、その病院に…」

「必要ありません。迎えを呼びます」

「迎えって…智ちゃん、わかってるのか。雅弘くんは…」


教師や麻生を無視し、制服の内ポケットから携帯電話を取り出す。


「持ってきてたのか。ポケベルは?」

「ある」


短い返信。


「ある」の後に続く言葉は「こっちの方が早く連絡をつけられる」であり、今や主流となっているスマホは今のところ『仕事』でしか使用していない。

言葉にしなくても、雅弘には伝わっていた。


『はい、剣持です』


電話が繋がり、柔らかな女性の声が聞こえてきた。

スピーカーにでもしているのか、あまり大きな声ではないが、それは回りの生徒にも聞こえている。


「ママ、智世です」


ママ

その言葉のニュアンスは母親という意味ではない。


『どうしたの?』

「雅弘が血を吐きました」

『あら、久しぶりね』


血を吐いたと言われたにもかかわらず、全く驚いた様子がない。

心配さえしていない。


「前回からちょうど7ヶ月になりますね」

『まぁ。数えていたの? 随分と冷静ね』


電話の向こうの声が笑っている。

それに隠れるように何かを操作する音が聞こえた。

智世はわざと大きく息を吐き出すと


「この程度の事でいちいち驚いていたら、こちらの身がもちません」

『そうなの? じゃあ、その昔、この程度の事で取り乱していたのは何処の誰だったかしら?』

「…昔は昔。今は今です」

『あら、それは残念だわ』

「…ママ」


冷々とした声。

剣持はおかしそうに笑っている。


『すぐに迎えの者をやるから泣いたりしないのよ』


ピッ


そう言い終わると同時に剣持は一方的に電話を切った。


「………」


言い返す前に電話を切られた智世は、表情にこそ表れないが思い切り絶句していた。


「智、なんだって」


声が笑っている。

雅弘は隠された智世の表情を読むことのできる数少ない存在だ。


「…聞いてだろ」

「ククッ。まぁな。それにしてもよく捕まったな。店にいたのか?」

「直通だ」

「緊急じゃなくてか」

「…雅弘」


智世から能面のような顔と冷たい声を向けられても、雅弘はおかしそうに笑っている。


直通電話に緊急回線


何の前触れもなく突然血を吐いた雅弘を初めて見た時、智世は通常は使用を禁止されている緊急回線を使って剣持に助けを求めたのだ。

今となっては恥ずかしくて思い出したくないほどに取り乱して…


「言いたい事は、はっきり言え」

「ないよ。…あぁ、ほら。迎えが来た」


ニヤニヤ顔のまま、雅弘は人だかりの一角に視線を向ける。

つられるように智世も顔を向けた時、やたらと明るい声が飛び込んできた。


「やっほ~。雅弘さん、智世ちやん、お迎えに来ましたよ~」


肩を軽く越えた明るい栗色の髪はインスタントラーメンのように波打ち、耳や首、手首にも派手なアクセサリーが光っている。


「早いな」

「そりゃそうよ。あたしのマンション、すぐそこだもの。車飛ばせば1分とかからないわよ」


ヒラヒラと手を振って答えるが、それにしても到着が早すぎる。


「早いのはいいが…。瞳、相変わらず派手だな」

「そう…?」


雅弘の指摘に、瞳は軽く両手を広げ全身を見渡す。

回りの視線など気にしない。

自分が学校という教育の場にはあまりに不釣り合いであるという事に気付いていないようだ。

本当によく校内へ入れたものだ。


「…やっぱり派手かな? きっとお仕事用の服を着てるせいね」


笑う瞳を見て、雅弘も智世も内心呆れかえる。

(普段着と同じ仕事着ねぇ)

服装については何も言うまい、何も…


「…智ちゃん、この人は…?」


突然現れた瞳に、戸惑いを見せながら麻生が声をかけてきた。

その隣では麻生の取り巻きたちが不躾なくらい、じろじろと瞳を見ている。


「ママの店の人です」

「はじめまして。三好瞳です。お店はバーだから、ちゃんと成人してから遊びに来てね」


ね。っと軽いウインクと共に言われ、麻生は曖昧に頷く。

それを見ながら(成人してからと言うあたり剣持のママの躾、教育の賜物だな)と、雅弘は思わず小さな笑みを浮かべてしまう。

そして、その笑みを隠すことなく立ち上がる。


「瞳、帰るよ。…智」


まだ残っていた雅弘の血痕をきれいに拭き取っていた智世は、名前を呼ばれて目だけで頷く。


「どうも皆さん、ご迷惑をおかけしました。先生も、心配かけてすいません」


そう言って雅弘はきちんと頭をさげる。

教師は少し慌てて雅弘を気遣いながらも、ホッと胸を撫で下ろした。


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