忘却 4 * (蜜蜂&クーニャ)
一文字商業高校の体育館には、いつものように黄色い悲鳴が飛び交っていた。
その騒ぎに呆れながら、見慣れない女の子が野次馬のような生徒を押し退けて体育館の中へと入っていく。
着ている制服は、隣町にある聖ジュリア学園のものだ。
「ふう。やっと出た」
女の子は被っていた帽子を直しながら、「やれやれ」とでも言うように息を吐く。
「何よ、この子」
ざわめきの中から聞こえてきた非難にも似た声に、女の子は一瞬後ろを振り向きかけたが、すぐに顔を戻して館内を見回す。
そして、暫くキョロキョロと誰かを探していたが、次の瞬間には弾かれたように手を大きく振り回した。
「お兄ちゃん! 京お兄ちゃ~ん!」
よく通る大きな声に、そこにいた全員が一斉に女の子を振り返る。
「琴音! どうしたんだよ」
京が驚いたように、しかし嬉しそうに走り寄って来た。
女の子、琴音は手を後ろに組み、ニッコリと微笑む。
その顔は、確かに京によく似ていた。
「久しぶりだな。元気にしてたか? 母さんは?」
「元気、元気。母さんなんか、ま~た再話断ったのよ。『私はまだ別れた主人のことを愛しています』とか言ってさ。やんなっちゃうよ、もう。そんなこと言うくらいなら、離婚なんかしなきゃ良かったのに」
そう言いながら腰に手をあて、肩をストンと落す。
「まったくだ。父さんだって、おいらに隠れて母さんの写真眺めちゃ、溜め息吐いてるんだぜ。そんでもって、おいらが母さんに会ったって言や、目をキラキラさせて、まるで青春してんの」
「こっちだって同じよ。ようするにあの2人は青春ごっこがしたかっただけなのよ」
ひとり納得したように頷く琴音を見て、京は苦笑いを零す。
「おい、和泉。この子、お前の妹?」
後ろから、タオルを首にかけた部員が声をかけてきた。
「そうだよ」
「へぇ。しっかしさぁ、前から思ってたんだけど、お前って偉いよな。親がそんなで、よくグレたりしなかったな」
グレるってのは大袈裟か
悪びれもせず、平気でそう言った部員に、京は横目で琴音を見る。
「そうでもないぜ。琴音なんか、まだ中3だってのに聖ジュリアの主なんだぜ、しかも1年の時から。今じゃ中等部だけじゃなく、高等部の奴まで琴音に頭を下げてんの」
「ひっどぉ~い。それじゃ、まるであたしが学校牛耳ってるみたいじゃないの。あたしはね、ただ単にみんなから『琴音さま』って呼ばれてるだけなんだからね」
もう、と琴音は京を睨む。
そんな琴音に、そこに居た生徒のほとんどが唖然としていた。
「同じじゃないか」
困ったような京に、京はムッとして口を尖らせる。
「なによ。みんなが知らないだけで、お兄ちゃんなんか夜遊びしてるくせに。この前、父さんに会った時、言ってたよ。最近は昔以上に夜出歩くようになったって。それに、うちの学校でも夜遊びする人っているんだけど、その人が言ってたよ。真夜中に、背の高い女の人とデートしてるのを何度か見たって」
琴音の言葉に、みんなの視線が一斉に京へと集まる。
京はわざと大きな溜め息を吐きながら肩を落す。
「夜出歩くのは認めるよ、前からのことだからな。でも、一緒にいたのは女の人じゃなくて男の人。お前を何度か会ったことあるだろう。先輩、雪柳さん。あの人だよ」
「雪柳・・・? あぁ、あの人。覚えてる。ちょっとキツイ目をしてるけど、笑うとすっごく可愛いんだよね。確か・・・お姉さんがどっかのミスじゃなかったっけ」
少しうっとりしながら言う琴音に、京は苦笑いを零す。
「・・・あれ? でもなんだって雪柳さん?」
「あ、あぁ、それは・・・。おいらは別に先輩と夜遊びしてるんじゃなくて、なんていうか・・・勉強を見てもらってんの。そりゃ、たまには遊ぶけど・・・。とにかく、父さんには今更そんなこと、恥かしいから言ってないだけで・・・」
語尾がだんだん小さくなっていく京に、琴音は疑わしい目を向ける。
「ほんとに?」
「ほんとだって。ただちょっといろいろあって、別の人の家まで行ってやってるけど。ちゃんと成績だって上がってるんだからな。・・・それより、何しに来たんだよ。邪魔しに来ただけなら、さっさと帰れよな」
練習の邪魔だ
軽く払うように手を振る。
「何さ」
琴音は京に向かって「いぃ~」と歯を見せると、クルリと踵を返す。
そして、顔だけで振り合えると
「お兄ちゃん、林精神病院の院長と知り合いだって言ってたよね。そこで何かあったみたいだよ。どっかのおばさんたちがパトカーが来たとか、病院中大騒ぎだとか、誘拐だとか話してたから」
「えっ!?」
琴音の言葉に弾かれたように顔を上げたとき、京の視界に何かに反射させた光りが信号のように点滅しながら飛び込んできた。
蜜蜂は壁に寄りかかり、窓から夜の闇を見ていた。
クーニャはそんな蜜蜂に声をかけるべきか否かと、様子を伺っては下を見ていた。
カチャッ
静かにドアが開き、1人の男が入ってきた。昼間とはまるで違う顔つき、雰囲気を纏った林幸也だ。
「お待たせしました。早速ですが『仕事』にかかってもらいます。今回の相手は、プロの殺し屋で・・・」
林はそこで一度言葉を切り、蜜蜂を見る。
蜜蜂の顔が「まさか」という顔で林を見返した。
「・・・レディこと、ルーシカ・フィン・マーレイです」
「ルーシカぁ!?」
クーニャは思わず声をあげ、蜜蜂は厳しい顔をしている。
「珍しく国から依頼がありましてね。殺し屋レディが日本国内に入ったらしいので、仕事にとりかかる前にレディの正体を暴き、公の場において逮捕できるようにして欲しい。とのことです。ただし、相手が相手なので危険だと思ったら、すぐに手を引くこと。報酬は成功しても失敗しても、1人100万です」
林の言葉に、蜜蜂は黙ったまま、両手で自分を抱き締めるように深く目を閉じていた。
クーニャは驚きながらも、林の言葉に疑問を感じる。
「その依頼って、変じゃないですか。まるで殺し屋の正体を知らないようだ」
「ええ。国はレディの正体がルーシカであることを全く知りません。我々とて、蜜蜂がいなければ知り得なかったことです」
「蜜蜂さんが?」
蜜蜂を振り返ったクーニャの視線から逃れるように、蜜蜂はそっと顔を背ける。
「いいですね、蜜蜂。私情を挟むなと言っても、それは無理でしょう。しかし、『ボーイ』に戻ることだけは絶対に許しませんよ。わかっていますね」
林の強い口調に、蜜蜂は口許に笑みを浮かべる。
「わかっています。俺自身、過去の悪夢を再び現実のものにはしたくありませんから。それに・・・」
泣きたいのを堪えるかのように、上を向く。
消えてしまいそうな蜜蜂の声に、クーニャは何故か胸が締め付けられるような思いがした。
「クーニャ。今回の仕事は新人である君にとっては大変なことかもしれません。しかしパートナーをして、しっかり蜜蜂をサポートして下さい」
「は、はいっ」
ゴクリと唾を飲み込む。
自然と肩に力が入っていくクーニャの肩に、蜜蜂はそっと手を置き、静かに微笑む。
とても安心できる微笑みに、クーニャは大きく息を吐き出す。
「それから蜜蜂。彼、山葉リンはおそらくルーシカの元です。警察の方で、彼らしき人物が外国人女性と一緒にいたという証言を得ています」
蜜蜂は一瞬ハッとしたが、すぐに小さく頭を振る。
「ルーシカが俺の前に姿を現した時から、なんとなく予想ができていたんです。もしかしたらと。でも・・・。ロイは殺させやしない。そんなことしたって、なんの救いにもならない。どう足掻いてみたって、5年前の出来事を消すことはできないんだ。絶対に・・・」
蜜蜂の、両手で抱えた肩が微かに震えていた。
何かを必死で耐えているかのように。
この話は昔、別の名前で同人誌として発行もしています。