忘却 3 * (蜜蜂&クーニャ)
ルーシカはホテルの一室で1人、ワイングラスをかたむけていた。
「・・・どうして『あの時』、ロイにとどめを刺さなかったのかしらね。ボーイがいたから? いいえ、違うわ。私が・・・」
誰に言うでもなく呟くと、ルーシカは哀しそうに笑ってテーブルの上に無造作に置いていた手帳を開く。
そこには一枚の写真が挟まれていた。
今とほとんど変わらないルーシカと、あの車椅子の青年の山葉リン。
そして、その2人の間で笑っている、まだ幼さの残っている高弘。
3人とも楽しそうに写っていた。
「もう戻れないのよね。・・・ロイ、今度こそ楽にしてあげるわ。それで『終わり』にしましょう。ね」
ルーシカは愛しそうに写真を撫でる。
「・・・ボーイ、邪魔をしないで。私にはもう、ロイを殺すための道具しか残っていないのだから」
弱々しくワイングラスを指で弾くと、そのまま残りのワインを一気に飲み干す。
どこか、血に染まった苦い思い出の味がした。
同じ頃、高弘はまるで祈るかのように手を組み、その上に顔を伏せていた。
テーブルに置かれた箱の中には、壊れたおもちゃのような黒い部品。
そして、ルーシカを同じ写真が入っていた。
「・・・どうして捨てられなかったんだろうな。ロイはもう二度と『こいつ』を手にすることはないっていうのに・・・ククッ。ルーシカだって、知らん顔していれば良かったんだ。そうすれば、こんなにも・・・頼む。頼むから俺に、俺を昔に戻さないでくれ」
泣きそうな顔を隠すように、両手で頭を抱え込む。
窓から吹き込む風が、高弘の長い髪を静かに揺らしていく。
5年前の真実を知る者は、今となっては渦中の3人の他には、2年近く高弘のカウンセリングを行っていた林幸也しかいない。
他にいたとしても、真実の半分も知らないだろう。
高弘は深く項垂れたまま静かに箱を閉めると、何重にも、何重にも、まるで封印でもするかのように鍵をかけた。
それから数日。
「高弘、何をボケッとしてるの。そんなんでお客さんが来た時にレジ打ち間違えないでよ」
レジの前でボウ~としていた高弘に、2才年上の姉、幸子の威勢の良い声が降ってきた。
高弘はハッとして幸子を振り返る。
幸子は単行本をビニール袋に一冊ずつ入れる作業の手を休め、呆れたように高弘を見ていた。
「姉さん、そんな大声出さないでくれよ。お客さんが見てるじゃないか」
恥かしいな、と高弘は苦笑いを浮かべる。
雪柳書店の店内は、時間帯的に客はほどんどいないが、その分、その客は全員こちらを見ていた。
「ボケッとしているあんたが悪いのよ。だいたいね、高弘。あんた、この店を継ぐっていう自覚あるの? 父さんも母さんも年なんだし、兄貴は何をとち狂ったか中学生相手の教師になんかなって『これが俺の天職だ』なんて喚いてるしさ。まったく、あんなに遊んでたくせに何があったんだか」
そう言いながら幸子は綺麗に肩で切りそろえられた髪を、鬱陶しいとばかりに後ろに跳ね除けた。
その仕草がとても様になっている。
高弘は複雑そうに笑い、軽く肩を竦めると
「コンテスト荒しよりはいいと思うけど」
「何言ってるの。私はコンテスト荒しなんて言われるような事、一度もやってないわよ。ただちょっと、ミスとか準ミスとかに選ばれる事が多いだけじゃない。変なこと言わないでよね」
半ば自慢気に言うと、幸子は高弘の頭を軽く叩く。
「叩くことないだろ。それより、雑誌のモデル、また断ったんだって?」
「そういうの、あんまり好きじゃないからね」
幸子は肩を竦めて、小さく笑った。
トゥルルル・・・
電話の柔らかい受信音がした。
「はい、雪柳書店です」
素早く電話を取ると、幸子は営業用の優しく柔らかな口調で受け答えを始める。
いつものことながら高弘は、その変わり身に感心半分、呆れ半分で小さく息を吐く。
「・・・あの。お願いします」
大学生らしい青年がカウンターに雑誌を置いて、レジを待っていた。
待ちながら、チラチラを幸子を盗み見している。
時々みられる光景だ。
「300円になります」
高弘は青年の視線に気付かぬふりをしながら、慣れた手付きでレジを打ち、雑誌を袋に入れていく。
「ねぇ、高弘。山葉さんて、1人で出歩くことできたっけ?」
電話を切った幸子が、不思議そうに高弘に声をかけてきた。
「無理だよ。山葉さんは1人で出歩くどころか、何もできないから。どうかしたの?」
青年から代金を受け取りながら、高弘は少し悲しそうに答える。
「うん・・・。あの、ね。今の婦長さんからなんだけど・・・いなくなっちゃったんだって、山葉さん。だから、こっちに来てないかって・・・高弘?」
幸子の話に、高弘の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。
ちょうど高弘から雑誌を受け取ろうとしていた青年は、その姿に目を見開き驚いている。
「ね、姉さん。それ、本当・・・」
「え、ええ。急用で隣町の病院に行った院長と、一応、警察にも連絡するって言ってたけど・・・」
心配ないわよ。
と幸子は笑ってみせるが、内心は穏やかではいられない。
なんといっても山葉リンは弟、高弘の命の恩人なのだ。
高弘は心を落ち着かせるかのようにそっとエプロンを外すと、それを幸子に手渡す。
「俺、ちょっと病院へ行ってくるよ」
「そう。気をつけるのよ。いいわね、もし、あんたまでいなくなったりしたらタダじゃおかないわよ。どんなことがあっても探し出して、半殺しの目に合わせてやるからね」
威勢の良い幸子の声に高弘は小さく苦笑すると、小走りで店を出て行った。
「まったく。あの子は不器用なんだから。一体何を隠しているっていうのよ。1人で悩まないで欲しいわ」
幸子は小さく肩を落とした。
この話は昔、別の名前で同人誌として発行もしています。