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シャッターチャンス協会!

作者: 石田多紀

 

      シャッターチャンス協会!


                  石田 多紀  


 悲愴な覚悟を固めて、あたしは喫茶さくらの前に立った。

 スモークガラスにエッチングで『さくら』と記されたその下、小さな金のプレートに記された、『シャッターチャンス協会』という文字。この文字をもう一度にらみつけてから、取っ手に手をかけた。

 からら……と涼しげな音を立てて、ドアが開く。

「いらっしゃいませ……、おや、志恒ちゃん」

「ど、どうも、お久しぶりです」

 中にいたのは、腰に届く長髪を、背中で束ねた超美青年。さくらで主に調理を担当している大神主匡さんだ。

「本当に。風邪でも引きましたか、ここ三日ばかり」

「いえあの、ちょっと、事情が……、前期試験もそろそろですし」

 おどおどとしながら、辺りをきょろきょろと見回す。今日の訪問理由を鑑みるに、あまり剣呑な連中には会いたくない。

「今日はまだ、匡さんだけですか?」

「そうですね。マリも姫御前も来るという連絡は入っているんですが、まだのようですね」

 これを聞いて、あたしは思わずほおっと息をついた。

 マリ先輩こと相模真理さんと姫御前・川村比呂子さんには、できることなら会わずに全てを終わらせてしまいたい。特にマリ先輩がいると、まともな話しは殆どできゃあしない。

「あの、匡さん、それで杉村さんは」

「杉村さんは今日は来ません。協会の方の仕事で人に会うとか言ってましたね」

「……あ、そうですか……」

 ここのオーナーは、杉村優作さんというまだ三十そこそこにしか見えない人だ。大学生の時に発明したというコンピューターの基本構造上のなんだかかんだかの特許を取り、最初に就職したところで開発した業務用基本OSのパテントをちゃっかり自分名義にして、それぞれからかなりのお金を得たという。さくらには数えるほどしか顔を出さず、実質的にここを仕切っているのは匡さんだとはいえ、やめる話しはやはり杉村さんにするべきだろう。

 やれやれ。そろそろ月末だし、今日は来てるんじゃないかと踏んだんだけど。

「エプロン、洗ってありますから。奥のロッカーですよ」

「どうもすみません」

 調理場の横にあるオフィスプレートのかかったドアは、その奥に約六畳の空間を持つ本当の意味でのオフィスである。ただし、『さくら』のオフィスではない。

 几帳面な匡さんがきちんとアイロンまでかけてくれた紺色のエプロンを締めながら、あたしはため息をついた。

 そう。さくらのバイトが問題なのではないのだ。

 さくらのバイトは、時間は融通が利くし、時給はそこそこだし、さほど忙しくもない。一緒に働く匡さんは、何せ超のつく美青年で、見ているだけでも楽しい。穏やかな物腰で丁寧に話す、いわゆるいい人だし、杉村さんだってちゃんとこっちを尊重してくれる。

 だが。

 だが、『シャッターチャンス協会』がらみとなると、話しは別である。

 この、カメラ業界とは何の関係もない、一体何をやっているのかさっぱり分からない(つまりその目的が)協会がからむと、この二人プラスマリ先輩やら姫御前やら、ほかにも暴走族女とかその手下の知力くんとか、傍若無人の集団と化すのだ。先ほどのオフィスも、このシャッターチャンス協会のものだし、そういうことを言い出せば、『さくら』自体が、シャッターチャンス協会のカムフラージュ機関でしかないのではないかと思える節さえある。

 カムフラージュ。

 つまりシャッターチャンス協会とは、カムフラージュが必要となるような、怪しげなものなのだ。

 なんだかよく分からないけれど、一日中人の後をつけ回すとか、おめでとう商法まがいの方法で人を呼び出すとか、揚げ句の果てには、怪しげな宗教法人のふりをして人をだますということまでしているのである。しかも、この最後の時には、知らぬ事とはいえ、あたしも手を貸してしまった。かかってきたそれ関係の電話に、インチキと知っている法人名を名乗ったのである。

 こんな事を続けていたなら、いつかきっと、手が後ろに回ってしまう。そうじゃなくても、あたしはお天道様の下を歩けなくなってしまうだろう。そう考えるようになり、結局はさくら自体を辞めてしまおうと考えたのである。

 あたしの考えは、間違っていないはずだ。

 しかしそのやっとの決心も、今日は果たせないのだ。

 そう思うと、なんだか全身の力が抜けたような気になった。

 あーあ、あんなに力入れてきたのにな。

 テーブルを拭きながら、もう何度目になるか分からなくなった溜め息を、また吐いた。


「あれ。今日は二人っきりですか?」

 そういいながら、滝知力くんが入ってきた。知力くんは、シャッターチャンス協会最年少の高校生で、とても真面目そうに見えるのに暴走族の一員なのだ。

「やだなあ、白夜は暴走族じゃないですよ、志恒さん」

 知力くんはよくそう言うが、そこの頭である池後佐和乃は、どう見ても不良だ。

「あんたね、同い年の大学生つかまえて、不良はないでしょう、不良は」

「だってあんた、どこをどうとっても、不良じゃないの」

 知力くんの後ろから、革ジャンのジッパーを開けながら入ってきた佐和乃に、あたしは冷たい声音で言った。

「夜中にバイク乗ってるだけじゃないか。マリは?」

 最後の問いは、匡さんに向けられたものだ。

「来るらしいですけどね。連絡はありましたから」

「例の件、準備の方はいいの?」

「ええ。充分に」

 あたしには分からないことを、二人は話し出した。

 多分、シャッターチャンス協会の仕事のことだ。やれやれとカウンターに戻ったあたしに、その前に座った知力くんが、肩をすくめながら、アイスコーヒーを注文してきた。

「姫御前が来ていないんなら、僕、帰ろうかな」

「比呂子さんに用事だったの?」

 意外だったので、ちょっと吃驚してあたしは聞いた。知力くんは、匡さんやマリ先輩、それに当然ながら佐和乃とはよく喋っているけれど、御大である杉村さんや姫御前と話している姿は、滅多に見たことがない。

「あ、やだなあ、そりゃ誤解だよ志恒さん。だって僕が姐御と知り合ったのだって、もともとは姫御前が仲介なんだよ」

「え、そうだったの?」

「そう。協会の仕事の関係で」

 差し出したアイスコーヒーにガムシロップをたっぷりと注ぎながら、知力くんは言った。

「今日はさ、姫御前に相談したいことがあったんだよね」

「へえ、」

 普段なら協会関係のことに、これ以上の口出しはしない。これ以上の口出しをして、一時的な好奇心を満足させたならば、それを上回るかなりの代償を払わなければならないことを、あたしは充分学習していたのだ。

 だが、あたしは続きを言った。それが自分の落とし穴を掘る合図になるとは、露ほどにも考えずに。

「へえ、何を相談するつもりだったの?」

 珍しく好奇心を表出したあたしに、知力くんはちらりと匡さんたちの方を見てから、声をひそめた。

「実は僕、シャッターチャンス協会を、辞めようかと思ってるんだ」


「だいたいあの人たちは、人をなんだと思っているのか、さっぱり分からない」

「そうよ、そうよね」

「僕のことなんか、せいぜいパシリ程度にしか考えてないんだ。何を聞いたって、まともに答えちゃくれないし、マリなんか、僕をおもちゃにしている!」

 場所は変わって近くのハンバーガーショップ。

 あたしと知力くんは、一番安いハンバーガーとポテトとコーラのセットだけで、もう一時間も愚痴といっていい会話を繰り返していた。

 あたしはさくらにバイトのウエイレスとして入ったのだが、知力くんは、単に比呂子さんの隣に住んでいたという縁だけで、シャッターチャンス協会に関わらされたのだというのだ。

「そりゃあ確かに、姐御のこと紹介してくれた事には感謝してるけどさ、それとこれとは話しが別だよなあ。こんな、ヤクザまがいの事させるんだったら、あのまま道を踏み外させておいてくれた方が、将来立派に更生するチャンスもあった!」

「ヤクザまがいって……」

 だんだん激高していく知力くんに、さすがのあたしもついていけないものを感じる。どうやら知力くんは、何のためにやらされるのかということは説明されても、何で自分がするのかという辺りに理不尽なものを感じながら、言われた事をしてきたらしい。中には、とても口に出せないような、はっきり犯罪行為であろう事も含まれていたのだという。『青春の落とし穴』に填ってグレかけていたところを救ってくれたのは、『隣のお姉さん』であった比呂子さんで、それについてはまあ感謝しているが、結局はそのままグレるわけにはいかない状況になってしまっただけだと、知力くんは怒っているのだ。

「グレるにグレられない状況って、何?」

 ちょっと不安になって口を挟むが、知力くんはとてもそれに答えられるような感じではなかった。

「だからさ、もうこの際シャッターチャンス協会なんかとは縁を切って、僕はちゃんと普通の、道を歩いている時に後ろを気にしないでもいい生活に戻りたいんだ!!」

「後ろを気にする生活って、一体、何?」

 ああ、もう、本当に、シャッターチャンス協会って何なのよ!

 完全に置いていかれた格好になりながら、あたしはおろおろと、一人盛り上がってしまった知力くんに強いられる乾杯を繰り返す。

「あ、いたいた。お前ら何やってんだよ、まったく」

「マリ先輩」

 その時、噂のマリ先輩こと相模真理さんが、呆れた顔でやってきた。

 189センチ、推定80キロ。とてもいい身体をした、一見さわやかな酪農青年。その実はH大(仮名)でドイツ文学をやっている合気道の師範代という、よくわかんない経歴の大学生である。

「おうしーの、おまえ前期試験でさくら休んでたんだって? まったく、テストごときにびびってて、これからの長い人生なんとする」

「……はあ」

 少し上向いたまま人を見下す、特技といっていい格好で、堂々とそういい放つ。

「それにおまえらな、コーラ入った紙コップで乾杯って、何やってんだよ、情けない。まあいいや、とにかく帰るぞ。ちょっと俺たち出るからな、さくら無人になる」

「え?」

「え、じゃない。だって匡ガッコ行くだろ?」

「あら、もうそんな時間ですか」

 匡さんは定時制高校生で、六時から学校がある。あたしは土曜日休みだけれど、高校生はそうはいかないらしい。もともとあたしがさくらでバイトすることになったのも、匡さんが六時から三時間ほどいなくなるからなのだ。まあ実際には、六時前から働くことになっているのだが。

「……ちょっと出るって、どこに行くつもりなんだ」

 知力くんが反抗する。

「どこに行くかだとう? お前にそんな事を知る権利はない。黙って俺についてこい」

「また協会の仕事? 僕もうやなんだ、訳の分からないことをやらされるのは」

「誰がいつ、訳のわかんないことをやらせたよ」

「いっつもそうじゃないか。説明ったって、あんな手抜きで。あれじゃあ中国語の家電品の取扱説明書の方が、漢字で想像できる分、まだ分かり良い!」

「知力、てめ、そんなに可愛がられたいのか」

 これで知力くんは一気に押し黙った。ちなみに可愛がるってのは言葉通りの意味で、決して悪い暴走族女が言う「野郎ども、ちょっと可愛がってやんな」と同じ意味ではない。

「……マリ先輩」

「なんだしーの」

 やけくそになったわけではないけれど、やけになりかかっていたのは確かだ。だめ元で、あたしは言った。

「シャッターチャンス協会って、なんですか」

 けれどやっぱりマリ先輩は、ゆっくりと人差し指を目元に持っていくと、思いきりあっかんべえをして、言った。

「おしえてやんない」


 留守宅のさくらを預かるとき、メニューは飲み物とレンジでチンするだけの簡単なものとなり、あたしの仕事はほとんどなくなる。「じゃあよろしくお願いします」と言い置いて匡さんはいなくなり、あたしは一人でカウンターの中に座った。知力くんはすぐに帰ってくると言い残し、抵抗空しくマリ先輩に抱えられていってしまった。

「はあ」

 お客さんも来ないので、あたしはぼおっとしていた。

 シャッターチャンス協会って、一体何なんだろう。

 結局はそれが知りたいだけなんだな、あたしは。

 さくらに入ってから、もう半年になる。

 その間に、多分協会がらみのよく分からない事をいろいろやらされて、あたしはすっかり仲間のような気がしていた。だけど、話しがだんだん怪しくなって来るにつれて、実はなんにも知らないんだって事が、はっきりしてきた。誰も、なんにも教えちゃくれない。匡さんはいろんな事を易しく説明してくれるけれど、肝心なことは何にも話してはくれないし、マリ先輩なんか、端からあたしを相手にしてない。

「協会の正体さえ分かればなあ。別に辞めなくても……、あ、いらっしゃいませ」

 からら、とドアの開く音がしたので、条件反射で愛想良く挨拶したが、入ってきたのはマリ先輩だった。

「なんだ。マリ先輩」

 心底がっかりした口調を、必要以上に表して、あたしはため息をついた。いつもならなんだかんだと難癖をつけてくるマリ先輩だが、そんなどころではなかったらしい。今まで見たこともないくらい真剣な表情で店内を見回すと、あたしに向き直った。

「しーの、知力が戻ってこなかったか」

「え、知力くん? いいえ、みんないなくなってから、お客さんも来ないですよ」

「客う? 客なんかどうだって……。じゃ誰かから連絡は」

「いえ別に。……何かあったんですか?」

 さすがに不審に思った。

 真剣なマリ先輩という、それだけでも非日常な事に加えて、落ちつかなげにイライラと、口元に拳を当てて考え込んでいるのだ。

「そうだ、しーの、匡のケータイの番号を教えろ」

「え、匡さんの携帯ですか?」

 驚いた。

 マリ先輩は携帯電話もアドレス帳も持っていないので、人の電話番号が知りたくなると、よくさくらに電話してくる。さくらの番号だけは暗記しているからだ。つまりあたしが104の代わりをさせられている。

 よくかける先ナンバーワンは、佐和乃の住んでいる短大の女子寮で、これはあたしが代理でかけさせられることが多い。次が杉村さんのマンションで、この他を聞かれたことはない。杉村さんと匡さんは同居(というか、匡さんが住み込みで働いているというか)している。さくらにいなければそこにいるという感じで、この二人が同時に両方にいず、しかもマリ先輩と一緒でないという事態はまずないので、多分シャッターチャンス協会の仕事の関係で持たされているのであろう匡さんの携帯に、マリ先輩が電話をかけたことはない。その上今はまだ、匡さんは学校の真っ最中のはずである。

「いいですけど、匡さん授業中だと思いますよ」

「授業なんかどうだっていい。さっさと帰ってこいと言ってくれ」

 ドスの利いた声で言うので、少し怖い感じがした。

 あたしは黙って、店の電話から匡さんの番号を廻した。

「……ねえ、何かあったんでしょう、マリ先輩」

 呼び出し音が聞こえた時点で、もう一度聞いた。

 少し怒ったような顔でマリ先輩はあたしを見つめ、こう言った。

「知力が、もっていかれた」


「詳しく、聞かせてもらいましょうか」

 さくらのドアに準備中の札を出し、あたしは二人の後ろに腰を下ろした。

 電話をすると、すぐに匡さんは事態を把握し、そして吹っ飛びで帰ってきた。愛用のママチャリに鍵をかけるのももどかしい様子で中に入ってきたのだ。

「だから、例の件でサテンで待ってたら、相手がやってきて、知力がその後追って、と思ったら、車に乗せられた」

「……」

 珍しい姿といえた。

 いつも自信満々で、大上段からわはははは、が基本姿勢のマリ先輩が、穏和で温厚、柔和な笑顔と丁寧な物腰が(そして当然、美貌も)売りの匡さんの前で、ちいぃさくなっていた。

「つまりあなた、失敗したと、そういう事ですね?」

「お前そんな、あからさまな言い方しなくてもいいだろうが」

「あからさまではない言い方をすれば、事態が収拾するとでも?」

 ちょっと、こわい。

 普段温厚なだけに、こう冷たい雰囲気を醸し出されると、なんだかいたたまれない気分にもなる。なまじ綺麗な顔をしているだけに、匡さんの怒りは、冗談ではごまかせない迫力を持っていた。

「大体あのおっさんの見張りはお前の役目だろうが、それを学校に行くからできないって言うから、それでは代わりにやってあげましょうかと、いわば親切心で、」

「ああそうですか、だからいい加減な仕事をしても責任はないと、そう言いたいんですね!?」

「ちょっと、ちょっとちょっと、止めてください!」

 ついに見かねて、あたしは口を挟んでしまった。もう、今はそんな事を言っている場合ではないだろうに。

「今はそんな事を言っている場合ではないんじゃないですか? ほら、マリ先輩は、失敗したのは間違えないんだし、匡さんも、そんなに責めたって、状況に変わりはないんだし、もっと建設的なことを話し合いませんか!?」

 思わずわめき立てたあたしを、二人は吃驚したように見つめた。まあ、そうだろうな。今まで協会内のもめ事には、いっさい関知せずというスタンスを取ってきたし。だけど、事は知力くんに関わることである。まさか知力くんが協会から抜けようと考えていたとは知らなかったが、知ってしまった以上は、同志だ。知らんぷりはできない、気がする。

「……志恒ちゃんの言うとおりですね。もっと、建設的なことを話しましょう」

 小さく咳払いをして、匡さんが言った。

「車の特徴は、覚えているんですか」

「白のワゴン、横腹に何かアルファベットが書いてあった。そんなに大きな車じゃなくて……、わーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

「落ち着いてください志恒ちゃん、ここで椅子を振り上げてもなんにもなりません!」

 あまりに情けない物言いに、思わずあたしはマリ先輩に向かって、椅子をぶつけるところだったのだ。

「建設的な話し、建設的な話しですよ!」

「だって、ぜんっぜん、お話にならないじゃないですか! アウトドアブームの昨今、白のワゴンなんて、一体何万台札幌市内にあると思ってるんです!」

「いや、だけど関係者の持ってる車調べれば、絞られるぞ、多分」

「誰がどうやって調べるんですか」

 マリ先輩はうっとつまる。

「そうですね。杉村さんも姫御前も、頼りにはできませんよ」

 匡さんも、冷たい口調で言う。

「佐和乃に話して……」

「佐和乃のネットワークは使えません。ナンバーがわからないんじゃ、手配のしようがないでしょう」

「それじゃ俺たちで何とか相手方に忍び込んで、」

「俺たちって、あたしは知りませんからね、あたしはシャッターチャンス協会とは、何の関係もないんですから」

 どうでも犯罪の匂いが感じられる事をしようとするのでは、逃げるしかない。マリ先輩はちらりとあたしを見て、それから小さくため息をついた。

「やっぱり、杉村さんに報告するしかないだろう。隠したまんまじゃ、機動力もそがれるし、それにいずれは絶対にばれることだし」

「なにも私は、あなたの失敗を隠さんとして、杉村さんに報告していないのではありません。連絡が、とれないんですよ」

 その時、さくらの電話が鳴った。

 当然の事として、あたしが立った。もともとあたしは、『ウェイトレストとか、電話番とか』に雇われたのだ。だが一瞬早く、匡さんが受話器を取った。

「はいもしもし、さくらです……、はい……」

 真剣な顔でこちらに振り返り、受話器を指さして頷く。

 マリ先輩が、すぐにその側に寄った。

「ええ、わかっています。はい、そうです。いえ、しかしそれはできません……、わ、わかりました、誰もそんな事は言ってないじゃないですか、いえ、ですからそういう意味ではないと、」

「なにいってんだ、匡、早く話しつけろ!」

「それで……、そんな、そんな一方的な! あっ、もしもし? もしもし!」

 匡さんが受話器に叫び、あたしとマリ先輩は息を詰めて見守った。

「……きれました」

「それで、なんだって!? 知力持ってった奴からなんだろ!」

 あたしも思わずそばに寄る。

「いえ、それが……」

 匡さんはちらりとあたしを見て、口ごもった。

「ええと、その、協会の仕事に関わることですので……」

「つまり、あたし邪魔だって事ですか」

 むっとした。

 確かに協会の仕事に関わるのは、いやだ。だけど、こんな時にそんなこと言わなくてもいいじゃないか。

「そうだな、危ないことになっても困るしな。しーのはこれ以上は関わらない方がいいな」

「わかりました。じゃ、あたし、奥にいますから!!」

 はっきり怒って立ち上がり、あたしは奥のオフィスのドアをわざと音を立てて閉めこんだ。

 あたしはかなり怒っていたと思う。もう、まとまった考えができなくなっていたのだから。よくよく考えたならば、何一つとして、あの二人を恨む理由はないのだ。あたしがずっと、危ない事には関わりたくないと言ってたんだし、シャッターチャンス協会とは関係ないんだとも言い続けていた。だからあの二人があたしは関係ないというのはもっともとも言える。だけど、こんな時に言い出さなくたって、いいじゃないか。いつだって、否応なしに巻き込んでるくせに、あたしがその気になったら邪魔だって、それはないと思う。

「なによなによ、なんでそんなに勝手な事ばっかりいうのよね。あたしのこと、なんだと思ってんのよ、あの二人は。そりゃさ、あたしはシャッターチャンス協会とはいっさい関わりないわよ、でもだからって、」

「しのぶちゃん?」

 その時、ドアをとんとんと叩く音がして、匡さんが細くドアを開けた。

「ノックには応えてから入ってきてください!」

 完全に八つ当たりである。

 たいして気にした様子もなく匡さんはドアを大きく開けた。

「すみません。ちょっと、出ますので、電話番をお願いできますか」

「なんですか今更。どうせあたしは電話番ですし」

「それで、携帯の方に廻してほしいんです。伝言を聞いて」

「え?」

 いつもとは違う依頼に、一瞬怒りも引っ込む。

 いつもは、協会関係の電話は、杉村さんの携帯の番号を伝えて終わりなのだ。

「今回はそういうわけには行きません。できればあのお二方には知られたくありませんしね。お願いできますか?」

「え、ええ、それはもちろん」

 にっこりと、匡さんは微笑み、ドアを大きく開いてあたしを外に誘導した。あたしは立ち上がり、なんだか肩すかしを喰った気分で店の方に戻った。マリ先輩はすでに出かける用意を済ませ、いつものようにコンサドーレのキャップを逆に被って立っていた。

「早くしろ、匡」

「ええ、それじゃよろしくお願いしますね、志恒ちゃん」

 匡さんの言葉に、機嫌を直したとき、マリ先輩が一言、「余計な事するなよ」と言った。あたしはその言葉に二度ギレした。

「わかってます!!」

 もう、さっさと行ってしまえ!

 そういう気分で怒鳴った。


 一時間半が過ぎた。

 別になんの電話もない。

 バイトの時間はとっくに終わっている。

 もう、帰ってしまってもいいんじゃないだろうか。

 だって、どうせあたしなんかなんの頼りにもされていないんだし、別にシャッターチャンス協会の一員でもないんだし。でも、鍵かけなくちゃならないし、そうするとさくら、終わりにしなくちゃならないし。

 ぐずぐずと理由をつけてやっぱり居続けたのは、知力くんが心配だったからだ。知力くんが持ってかれたって、はっきりいって誘拐じゃないんだろうか。

「ゆうかい!?」

 自分で考えついて、その考えに驚いて声が出た。

 そうだ。持ってかれたって言葉に、何となくだまされそうだったけど、それってつまり、誘拐って事じゃないか。こんな大変な事、杉村さんに知らせなくていいんだろうか。姫御前って、知力くんの昔っからの知り合いだって言っていた。そうだ、それに佐和乃! 知力くんの実質的にボスであろう佐和乃に、知らせなくていいのか。

 リリリリ、と電話の音がして、思わず飛び上がった。

 電話、電話である。

「はいもしもし、さくらです!」

『な、なに、どうかしたのかい、そんなに勢いづいて』

 佐和乃である!

「佐和乃!? 佐和乃なのね!?」

『そうだって』

 妙にのんきな声なのが気に障る。

「あんたなに落ちついてんのよ! 知力くんのこと、聞いてないの?!」

『知力? 知力がどうかしたのかい? マリいる?』

「マリ先輩は知力くん探しに行ったわ」

『探しに? どういう意味だ?』

 やっと、佐和乃は真剣味の感じられる声を出した。

 勢いづいて、あたしは今までの経過を話した。

「で、今あたしは電話番してるの」

『……それは、あぶないな』

 ところが佐和乃は、思いがけないことを言い出したのだ。

「え?」

『危ないよ、それは。わかった、今からあたし行くから、電話番を代わろう』

「ええ!?」

 なんであんたまで、あの二人と同じ事を言うのだ!?

『だって本当に危ないぞ。あんた、危ない目には遭いたくないって言ってたじゃないか、しーの』

「そんなの、だって、こんな時にそんなのずるい! あたしだって知力くんの心配してるんだよ!?」

『そりゃわかるけどさ、でもあんたには、結局関係ないんだし』

「!!」

 カッと来た。

 言葉に詰まった。

『だから代わるよ、ちょっと、もしもし、もしもし?』

 そして一方的に電話を切った。

 なによ、なんだというのよ。

 みんなしてそうやって、あたしの事を関係ない関係ないって、部外者扱いする。

「関係ないなら巻き込まないでよ! ここまで巻き込んどいで、関係ないって言わないでよ!」

「あらあら、もう準備中って、どうしたの?」

「姫御前!」

 わめき散らして少しだけすっきりしたとき、姫御前が入ってきた。

 クリーム色のスーツに黒い革のショルダーバックで、すっかりキャリアウーマンに見える。それは、とっても頼りがいのある姿に見えて、あたしは思わず縋りついた。

「姫御前!」

「どうしたの、志恒ちゃん?」

「あああ、姫御前、なんていいタイミングで、本当に、いいタイミングで」

「どうしたの、何かあったの? 匡くんや、マリくんは?」

「姫御前、あのですね、実は知力くんが、」

「よけいなことを喋るな、しーの!」

 まさにその瞬間、あたしが喋ろうとしたその瞬間に、マリ先輩と匡さんが飛び込んできた。

「しーの、喋るなっていっただろう、姫御前や杉村さんには!」

「だってだって、知力くん、だって誘拐されたんですよ!?」

「誘拐なんかじゃない!」

「なに? 誘拐ってなんの事なの?」

「誘拐じゃないですか! 車に乗せられて、連れて行かれたんでしょう!?」

「あれは拉致って言うんですよ」

「拉致? え?」

「どっちだっていいでしょう、そんな事?! とにかく知力くんが連れ去られたことには変わりないじゃないですか!」

「だけどおまえには関係のないこった!」

 また! また関係ないって言った!

 どうして? あたしがシャッターチャンス協会に入るって言わないから!? だけどあなた達はいつだって、あたしを引っ張り込んでいたじゃないか! あんな事をさせて、それでも関係ないって、あたしは関係ないって言うわけ!?

 あたしの居場所はここにはないって言うわけ!!

「だっておまえは、シャッターチャンス協会の人間じゃないだろう!」

「それとも、関係者だという事かしら?」

 姫御前がそう問い返し、ほとんど売り言葉に買い言葉で、あたしははっきりと、こう言った。

「ええ、そうです!」


 世の中には取り返しのつかないことがある。

 冷静になった今、つくづくとそう思う。

「ええ、そうです!」

 あの時あたしがそう叫んだ途端である。

「今の、録ったわね」ニヤリと、姫御前が言い、「ええ、はっきりと」と匡さんが答えた。 なんだか、状況が、変……?

「知力くん、戻ってきていいわよ」

 手にした携帯に向かって姫御前はそう言い、呆気にとられて思考の止まっていたあたしに向かって、ニッコリと微笑みかけた。

「さあ、これで志恒ちゃんも、はっきりと、シャッターチャンス協会の一員よ。これからもよろしくね」

「……あ、あ、あ……?!」

 匡さんが、ジーンズの後ろポケットから、マイクのついたウォークマンを取り出した。

「だまして申し訳なかったですけれど、志恒ちゃん、」

「俺たちを恨むなよ。脚本書いたのは姫御前と杉村さんだし、最初に乗ったのは、知力だからな」

 やっと、頭が働いてきた。

 つまり、どういうこと? 匡さんは今、だまして悪かったって、言った。てことは、あたし、だまされていたって事なのね?

「……どういう事ですか。こんな、知力くんが誘拐されたなんて、こんな大事を仕組んで、一体なにを考えて……」

「だって志恒ちゃん、関係ない関係ないって言い張って、ちっともシャッターチャンス協会に入ってくれようとしないし。それを覆す事件なら、これくらいはしないと、ねえ?」

「なにが、ねえ、ですか!」

 なんなの、つまりあたしを協会に入れるためだけに、それだけのために、これだけの大事を仕組んだっていうの!? あたしの、関係者だと認める言質を取りたいがために、たっったそれだけのために!

「まあ、それは誤解よ、志恒ちゃん。たった、なんて事はなくてよ。あなたはそれだけ重要なメンバーと見なされているということ。そう理解してほしいわ」

「そうそう、物事はいい方に考えないとなあ」

「いい事、なんですかあ?」

 この人たちは、本当に、あたしを填めるためだけに、こんな事を仕組んだのだ。あたしに、協会に入るって言わせたいがために。

 なんというか、もう、スケールが違うというか、常識が違うというか……。

「志恒ちゃん、なかなか入るって言ってくれなかったじゃない? もう、聞いてて気が気じゃなかったわ」

「聞いててって……」

 すると匡さんがテーブルの下に手を入れて、マイクを引っ剥がした。

 盗聴マイクである。

「!」

「まあ、これがシャッターチャンス協会だということで、ご理解いただけますね?」

 ニッコリした匡さん。もう、怒る気力もなくなって、あたしは力無く言うしかなかった。

「……わかりました。もう、なにもいいません」

 だって、なにを言えばいいのだ。

 どうせなにを言ったって、この人たちのいいようにあしらわれるに決まっている。

「なんにも言いませんから一つだけ教えて下さい。シャッターチャンス協会って、結局なんなんですか」

「そうねえ。興信所というか、調査会社というか、とりあえずは、そう言うことにしておきましょうか。だって、これ以上話しちゃって、明日から志恒ちゃん、来なくなったら困るから」

 その後、あたしの歓迎会を、もったいなくもやってくれるという事になり、有り難いんだ過有り難くないんだかの気分で、参加する事になった。

 もちろん、全く辞める気なんかない知力くんが佐和乃に伴われて帰ってきた。杉村さんも出先から戻ってきて、宴はますます盛り上がっていった。

 いいんだ。

 そのうち絶対、辞めてやる。

 はっきりと正体がわからないうちは、でも気になってしようがない。

 だから、そうだ。

 シャッターチャンス協会の真の姿を暴いた後に、絶対に、辞めてやるんだ!






                  了        

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