前篇
元カノと別れたのはラーメン屋だった。
デートに牛丼屋はないって言うから向かったラーメン屋でもNGを喰らった。
「じゃあ、何食べたいんだよ!」というと「何でもいいけど、コレはない!」と大ゲンカ。
お前とはメシ食えねぇと言ったら「さよなら」と返ってきた。
もちろん、その後一人でラーメン食って帰った。
男だって結婚願望はある……いつか誰かと結婚もするだろう。
でも、ずっと一緒にいるって、価値観を共有できるかどうかじゃないのか?
性格云々も大事だけど『食の好み』も大事なんだなと、一つ勉強した恋だった。
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「やべー。もう3時じゃん。津久野、腹減らない?」
仕事で同行していたのは、同じ部署の津久野未菜。
髪は茶髪でふわふわした髪型、化粧も濃すぎることもないけど手は抜いてませんという感じ。
爪も色は濃くないけど、ピカピカに光ってる。優しいピンクのスーツに同じ色の靴。
若い女の子と並べるなんて仕事でしかないのでちょっと嬉しい。
「お腹空き過ぎて、何も感じなくなりました」
確かにピーク過ぎると食いたくなくなるよな。
もう食わない? と尋ねると首を軽く振って
「食べないと体内時計が狂うんですよね。夜、食べれなくなるから……食べます」と答えが返ってきた。
じゃあ、軽めにファーストフードかな? と駅に向かって歩きだす。
「直木先輩! ここにしましょう」
肘を引かれ、指さす先に見えるのは立ち喰いそば屋の看板だった。
女の子ってこんなとこは入るのか? いや、俺は好きだよ立ち喰いそば。よく利用もするけど、こうゆうとこって親父だらけだよな。
ちらりとガラス戸を覗き込むと案の定、店内にはスーツ姿のオッサンしか居なかった。
「こんなとこでいいの?」
「私、好きですよ!」
好きって言葉にドキッとする。いや、俺の事じゃないのはもちろんわかってる。でも、そんな言葉最近聞いてないし。三十過ぎたおっさんには新鮮な言葉だ。
「じゃあ、ここで食ってくか」
そのまま紺色の暖簾をくぐって、入り口の券売機に千円札を押しこむ。悩まずにいつも頼む『かき揚げそば』とトッピングに『卵』を購入し斜め後ろに立つ津久野へ振り返る。
「津久野は? 何、食う?」
かき揚げそばは三五〇円、卵は一〇〇円、合わせても四五〇円。
どのメニューを選んだって五百円かからない低価格だから、まだ津久野が買う分はある。
「え!? 私は自分で買うからいいですよ」
お! そんなこと言うのか? 意外だな~!
白地にピンクのファスナーに何処かのブランドらしいロゴの付いた可愛らしい財布を胸に抱えて、手を振る。
「そんな高いものおごるわけじゃないんだからさ。ホラ! 後ろ並んじゃうから早く!」
ちょうどスーツ姿のオッサンが小銭片手に後ろに並ぶ。
「それじゃ、ごちそうになります」と言って軽く会釈して『きつねうどん』を選んだ。
見た目若いからおごってもらって当然とか、お礼なんて言えないかな? なんて思ってたけど、ちゃんと言えるんだな。
うん。えらい、えらい。
カウンターに立ち、机の下に鞄をしまう。
それと同時にセルフサービスのお冷を持ってきた津久野がどうぞ、と一つ渡してくれる。
「ありがと。津久野はそばじゃなくてうどん頼んだんだな」
カウンターに乗せた半券を見ながら呟く。
俺はなぜかいつもそばなんだ。うどんも嫌いじゃないけど。まぁ、そば屋だしな。
「私、おそばは冷たいほうが好きなんです。ざるそばのとろろと卵入りとか! だから温かいのはおうどん頼んじゃいますね」
あー。聞くと冷たいそばが食いたくなる。しかもとろろ入りか、いーねー。
「はいよ~! かき揚げそばときつねうどん」
そんな店員の声と共にドンっと、熱々の丼がカウンターに並ぶ。
津久野は運ばれてきた料理を前に、ふわふわした髪を後ろでぐるぐるって巻いて、なんかでっかいので留めた。
普段髪を下ろしてる彼女がなんだか急に色っぽく見える。
うなじとか見ちゃダメだよな。そう思いながらも横目でチラチラ見てはドキドキしてる。
うわ、なんだ? 俺、中坊かよ。
割り箸を親指で挟み両手を合わせて、いただきますって言うのが妙に可愛い。
そう。カワイイ。かなり年下だからか? 女の子だからか?
理由はわからないけど、この日から津久野がちょっと気になる女の子になった。
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それから、何度か仕事で同行した。午前中から出ることもあるから、一緒に昼飯って事も自然と増えた。
安いランチとかだけど、食い終わった後「ごちそうさまでした」なんて言ってもらえると嬉しくなって、また誘いたくなる。
『割り勘にしましょう』とか『今日は私が出します』って言ってくれるけど、こんなのオジサンに出させとけばいいんだよ。
食べに行った店の中にはラーメン屋もあった。
これで『ラーメンはちょっと』とか言われたらトラウマになりそうだったけど、
「ラーメン大好きですよ! 嫌いな人いるんですかね? カレーとラーメンって国民食じゃないんですか?」なんて笑った。
好きな人と同じ物を食べて一緒に『旨い』って言えるって幸せなことなんだな。
……うん? 好きな人?
俺、津久野のこと好きなのか?
「ウチ、兄と弟がいるんで、実家にいるときは朝からラーメン屋さんとかガッツリ行けます!」
おお! すげぇ! 兵だな! 男兄弟で育ってもこんなに可愛くなるんだな。
一度『好きなのかも』って思い出すと、止まらない。
同じチームだし、担当してる案件が片付くまでは、もう少し一緒にいられるはず。
まぁ、オフィス内にいても、自然と目が行っちゃうんだけどさ。
なんて思いながらまた見つめていると、顔を上げた彼女と目が合ってニコって笑ってくれる。
あぁー。癒される。彼女の笑顔見ただけで、心が軽くなって、仕事頑張ろうって気になってくる。
津久野って入社二年目だから、二十三~四歳だろ? 俺が三十二だから……だいぶ下だな。
オジサンって思われてるんだろうな~。もうちょい若けりゃチャンスあった?
まぁ、勝手に好きでいる分にはいいよな?