鬼の親と人の子
2012/12/2改訂
僕の住んでいる場所は"妖怪の山" なんて呼ばれてる。誰がそう呼び始めたのかは知らないし、気になったことも無い。でも、妖怪の山なんて呼ばれるだけ、この山とその周辺には沢山の妖怪が住んでる。
鬼、天狗、河童……その他にも色々いるみたい。僕は母さんが許可してくれた場所にしか行けないから、他の妖怪たちのことはあまり知らないけど。
「帰ったよ」
「只今帰りました」
僕は人間だけど、物心ついた時には山にいたから何とも思わない。思うとしたら、何で僕は人間なんだろう? くらいかな。
だから少しでも役に立てるように、今日も勇儀姐さんに稽古をつけて貰った。
今日の稽古が終わって、泥まみれにした身体を途中の沢で綺麗にして帰宅したばかりだ。
何でかと言うと、母さんには僕が姉さんに鍛えてもらっていることは秘密にしているから。こうやって綺麗なままで帰って来ないと何かと面倒なことになるんだ。主に心配性な母さんが暴走するとか、まぁそんなとこ。
「お、ようやく帰ったのかい二人とも。みんなお待ちかねだよ」
そんな僕たちを笑って出迎えてくれたのは、件の心配性な僕の母さん。名前は伊吹萃香。
あ、ちなみに僕は大和。母さんの子供なのに、伊吹の名前はまだ名乗らせて貰えてない。
母さんは頭の両側から伸びた二本の角に小柄な体が特徴で、背の高い姐さんに比べたら子供みたいに見える。10歳の僕ともそんなに背丈変わらないし。言ったら怒られるから言わないけど。
そんな人が僕が母と慕う小さな鬼の伊吹萃香だ。小さな体で凄い力持ち。義理の息子でありながら、それでも僕のことを心から思ってくれる優しい鬼。僕の自慢の母親だ。
「私の顔に何かついてるかい?」
っと、いろいろと考えていたら母さんの顔を見続けていたみたい。僕とそれほど背丈も変わらないから、目の前の訝しむ顔が僕を真っ直ぐと見つめている。
「ううん、考えごとしてただけ」
「……またあの話かい? 言っておくけど、私は反対だよ。断固反対だ。あんたは「はーいはい、この子はそんなこと考えちゃいないよ。だろ?大和」「う、うん」……ならいいけどさ」
ありがと、姐さん。危うく母さんの説教が始まる所だった。
今は母さんが思っているようなことは考えてないんだけど、やっぱり凄く敏感に反応してくる。やっぱり母さんはやっぱり反対なのかなぁ……。
以前……と言っても、ほんの少し前の事だけど、僕は母さんと真っ向から対立したことがあったんだ。 別に腕っ節でどうこうしたわけじゃない。なってたらもうこの世に居ないだろうし。結果的にそう言う構図になったと言うだけ。
揉めた理由は僕にあるんだけど、ご飯前の今は別に関係ないことなので放っておくことにする。
でも僕は今でも諦めてないんだよね。
「私は先に行ってるよ。萃香も大和も早くいかないと、飯も酒もなくなっちまうよ」
そう言った姉さんがさっさと歩いて行ってしまった。歩く先には何時も通り、山の鬼達……僕の家族とも呼べる人達が何時も通りの宴会を開いていた。
そんな賑やかな雰囲気とは違って、ちょっと離れたここでは気不味い雰囲気を醸し出している僕たち親子。……姉さんめ、逃げたな。
「……まぁいい、じゃあわたし達も行こうか。今日は母さんが採ってきた魚もあるんだ。あいつらだけに食わすのは少々もったいない上物だからね」
「はい!」
母さんの焼く魚は絶品だ。早く自分の分を確保しないと……!
◇
「帰ったよ」
「只今帰りました」
愛息子の声がわたしの耳に入って来る。
もう日が沈み始めてるって時に漸くかい。このやんちゃ息子め、勇儀と一緒じゃなけりゃ怒ってるところだよ。
元気そうに笑ってさぁ……可愛いなぁもう! これがわたしの息子だって世界中に広げてやりたいね!
可愛い息子だけど、大和はわたしが腹を痛めた息子じゃない。とある一件からわたしが引き取って、ここまで育ててきた義理の息子だ。
とある一件と言うのは……わたしに息子が出来て丸くなる前、やんちゃだった頃の話だ。
今のわたしは出来る母親の代表格、昔は返り見ない主義なんだよ。
大事なのは、何よりも息子が可愛いこと。それ以上に大事なことって、何かあるかい?
そん気持ちを少しでも抑えようと思って、頭を撫でてやろうと思ったんだが……どうやら今日もわたしに黙って修行してたみたいだね。顔は綺麗に洗ってきたようだけど、服に若干泥がこびり付いている。
まったくこの子は……あれだけ言ったのにまだ懲りてないのか。まぁそんな反抗的なところも可愛いんだけどさ。ああもう、頭に草がついてるよ。
……あ、こら勇儀。ニヤニヤしてわたしを見るんじゃない! 大和に気付かれるだろ!
う~、勇儀がいなければ今すぐ大和を抱きしめてやりたいところだよ。でも、最近大和も背が伸びてきたんだよね。おかげでわたしより背が高くなってしまった。生意気な奴め。
わたし達の関係を知らない者が見ると、兄妹とかに見えてしまうだろうね。山に住んでて理性がある妖怪は全員知ってるだろうけどさ。人によっちゃあ妹が兄に甘えているように見えてしまう、とは勇儀の弁だけ。いや、勇儀なんかは角なんか関係なしに笑い飛ばすんだけどさ。
――――はっ、意識が違う方向に飛んでしまっていた!このままではわたしの威厳が!
「私の顔に何かついているかい?」
うん、完璧。これでわたしの威厳も「ううん。考え事してた」 っこの子まだ諦めてないのか!?
駄目だ駄目だ、お前にはまだ早い! 一人旅に出たいなんてそんな解らずやには母さん怒るからね!
ちょっと、こってり絞ってやろう。
◇
今日もよく動いたから魚が美味しい!
母さんの御叱りを躱してやって来たこの場所を一言で表わすと……鬼の集会所? 鬼はとっても強くて、山を取り仕切ってるって射命丸が言ってた。
射命丸って言うのは山に住んでいる天狗、鴉天狗の一人のことだ。僕の親友。他にも河童のにとりって子もいるけど、当然のように此処にはいない。
僕は母さんの息子だから此処にいるけど、二人は畏れ多くて来られないらしい。
「大和坊主、この椎茸食ってみろ。人間の村から拝借してきたモンだが、それなりに美味いぞ」
「おいおい、そんなモン坊主に食わせるな。いいか大和坊主、男って奴は酒飲んで大きくなるもんだ。だから呑め、デカくなるまで」
「馬鹿ねぇアンタ。大和くんは人間の子なのよ? 小さい頃からお酒飲ませるのは駄目だって、大将が言ってたじゃない。確か身体を壊すんだっけ?」
「だから今から飲ませて酒に強くさせるんじゃねえか。なぁ? 大和坊主」
「えっと、椎茸と少しお酒貰えますか?」
僕の家族はみんな陽気で優しいのにね。2人に一緒に夕飯を食べよう! と誘ってみたこともあるんだけど、方や顔を真っ青にして震えだして、もう片方は失神寸前で水の中に沈んでいった。いったい何が悪かったんだろう?
そんなわけで此処には鬼しかいない。見渡す限りの鬼・鬼・鬼。僕は人間だけど、皆はそんなことをまるで気にしてないかのように接してくれている。
だから僕は、こんな家族が大好きだ。
ただし、向こうで何食わぬ顔で酒を呷っている姐さんは除く! あ、目があった……こっち見て笑ったよあの人!?
「大和、食べておるか?」
「はい。大母様は何時も通り飲んでますね」
大量に、と言うよりも樽ごと飲んでいるこの人こそ、鬼の総大将。
勇儀姉さんと同じくらいの背丈で、頭からは捻じれた角が2本生えている。みんなからは大将と呼ばれていて、此処に居る鬼の誰よりも強い。もちろん母さんよりも。つまり妖怪の山で最強の妖怪ってこと。
ちなみに僕が大母様って呼んでいるのは、母さんの母さんだからだ。この辺りの詳しいことは僕も良く解らないけど、母さんの母さんはお婆さんと言うって射命丸に聞いたことがあった。だから一度だけお婆様って呼んでみたことがあるんだけど……指で突かれて吹っ飛んだのは忘れられないね、うん。
「稽古は順調か、ん? 旅に出たいんじゃろ?」
「―――ゲホッゲホッ、なんで知ってるんですか!? 姉さんにも内緒にしてって言ったのに!」
なんで知られてるのー!? わざわざ射命丸に人が寄り付かない所を教えてもらった上に、姉さんにも秘密にしておいてって頼んでいたのに。
「ほれほれ、そんな大声では全員に知られてしまうぞ? まぁ、もう手遅れじゃがの。勇儀のやつが酒の席でうれしそうに話しておったわ」
「……姐さんめ、あとで姐さんのお酒を隠してやる。……それと、あの、大母様。母さんは僕が諦めてないのを?」
「萃香もその宴にいたからの。当然知っておる」
終わった……。去らば僕の限られた自由。
――――あれ? じゃあなんで母さんは表だって反対しないんだろう。前に相談したときには凄く怒ったのに。
「呆けた顔をしておるのぉ。大方、萃香が反対しないのが不思議なんじゃろ? 気にせんでよい。強くなることをあやつは否定せんよ。何せ、鬼は強い奴が大好きじゃからの。おまえが旅に出ることには反対らしいが」
「大母様は、どう思いますか?」
「反対じゃ」
「……えー」
少しの時間もかけずに反対されてしまった。僕驚き。なんで?
「それが何故か、おつむの弱いお主にも解るように理由を教えてやろう。
よいか? お主は弱い。それはもう、すぐに死んでしまうほどにの。勇儀と長い間修行しておるようだが所詮は人間の子、妖怪にはとどくことはない。そこいらの雑魚妖怪相手にすら相手にならん。そんな奴を、ましてや子供の一人旅など許可できんのじゃよ」
「それは、そうですけど」
解ってる、僕にだってそれくらい分かってる。僕がみんなの足下にも及ばないくらい弱いことだって。
大母様の言うことは何時だって正しいし、馬鹿な真似はせずにここで暮らせって言ってるのも分かってる。僕みたいな子供の一人旅が自殺行為だってことも分かってる。
――――でもね、これだけは誰が何と言おうと譲れないんだ。
「それでも、僕は旅に出たいんです。目標も、夢もあります。それはここで暮らしていては絶対に手にはいらないんです! だから、どうしても旅に出たいんです!」
大母様を見つめて、小さい身体から精一杯大きな声を出す。
周囲が聞いていようが聞いていまいが、無茶だと笑おうが関係ない。これは僕の夢だ! 僕の目標だ! だから胸を張って大母様に向かって言った。僕は旅に出たいんだって。
「じゃとよ、萃香。どうする?」
……え? あれ? なんか皆こっち向いて――――何? よく言った? ここは『馬鹿だな大和』 って笑い飛ばす所じゃないの? と言うか、後からの圧力がすごくて……逃げていいかな?
「反対だよ。大将の言う通り、大和は弱い。力が無いとこの世じゃ生きていけない。だから、反対」
「志は高いようじゃがのぅ。それに萃香、大和ももうすぐ十を迎える。お主もそろそろ子離れするころじゃと思うんじゃが?」
「大将は面白がってるだけみたいだけど、ちょっとはわたしの気持ちを考えてくれないかい?」
「くくく、バレておったか」
「当たり前だよ、何年大将と一緒にいると思ってんだい。ともかく、わたしは弱い大和を旅出させるのは反対だよ」
味方と思った大母様はただの愉快犯でした。味方がいないよ! 誰か助けて!
「ならば大和が力を見せればいいんじゃな? では大和、萃香と闘って力を見せてやれ」
――――ひょ?
「大和が力を見せれば萃香も賛成するらしいんじゃが、どうする?」
うわぁ……すごくイイ笑顔ですね、大母様。
貴方様の今の顔はそれはもう素晴らしい笑顔です。僕は一生忘れられないと思います、はい。
でも、これは絶好の機会だ。
当然大母様は母さんに手加減しろとか言ってくれるだろうし、この機会を逃す訳にはいかないよね。これが失敗すれば次は無いかもしれないし。
だったら……
「わかりました! 母さんに僕の力、見せてやりますよ!」
胸の前に握り拳を作ってそう言ってやった。やってやる、やってやるぞコンチクショー!
「大和はこう言っておるが?」
対する母さんの顔は下を向いていてよく見えない。
……あれ、母さんぷるぷる震えてる?
「……ふっ…ふふ、ふふふふふふふふふ…、いいよ、いいだろう。だったら鬼の四天王が一人、伊吹萃香の全てを賭けてお前の夢を妨害してやる!」
いきなり笑いだしたかと思えば、思いっきり宣言された。
そりゃないよ。どこに子供を全力で邪魔する母親がいるんだよ。あ、ここにいるか。せめて手加減してください。
ほら大母様、手加減しろとか言ってやって下さい。
「よかろう! 今宵は新月。ならば次の満月の日に決闘を行う! 立会人はこの私じゃ! 異論はないか皆のもの!?」
「「「「「ないぞー!!!」」」」」
ちょっと待って!? 何でみんな手加減してやれとか言わないの? ……言わないのか。これ、早まったかも。
「ふふふ……大和、母さんはお前を殺してでも引き留めるぞ」
あぁ、今分かった。僕、次の満月に死ぬんだね。