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東方伊吹伝  作者: 大根
終章:終わりは始まりの桜
182/188

伊吹大和

 紅魔館、大図書館。本来は本を読むために用意されている長机に、人の頭ほどある水晶玉が二つ置かれてあった。一つは紅魔館のメイド長である咲夜視点から送られてくる映像が映っており、もう一つには大和と魔理沙、紫の姿が映し出されている。


『魔理沙、時間を稼げ! その間に勝機を見出す!』

『任せろ! 逃げるだけなら得意中の得意だぜ!』


 それを食い入るように見つめる影が5つ。何れも人間ではないが、大和と浅からぬ関わりを持つ者たちが5人。それぞれが違った面持ちで水晶玉に映っている映像を眺めていた。


「どうやら持ち直したようね」

「大和さんに魔理沙さん、本当に良かったです……」


 簡易使い魔を放ち、水晶玉に映像を映しているパチュリー・ノーレッジと、その使い魔である小悪魔。

 両手を胸の前で組み、安堵のため息を吐く小悪魔。心底心配していたのか、引き攣っていた表情は、まるで憑き物が取れたかのように頬が緩んでいっている。

 それとは対照的に、パチュリーは片膝を付き、面倒臭そうに大和が映った水晶玉を眺めている。

 大和よりも子供の時から見てきた咲夜の方が気になっているようで、大和が映った水晶玉はチラっと見る程度になっている。

 その咲夜も、今では駆けつけて来た死神と共同戦線を張っている。

 もう何も危惧することはないと言わんばかりに、パチュリーは以前から読みかけていた本を読み始めた。


「ヤマト、前より強くなった?」

「迷いが消えた様に見えます。その分、今まで見せてきた思い切りの良さが、今まで以上に発揮され始めたんでしょう。相当動きがキレてますよ」

「でも美鈴なら余裕だよね?」

「う~ん、あの状態の大和さんに勝てるかと言われると……自信を持って頷くことは到底出来ませんよ」

「ふーん……美鈴がそう言うならそうなんだろうね。……いいなぁ、フランももう一回闘ってみたいなぁ。前はお父様に邪魔されたもん」

「機会があればお願いしてみましょう。実を言うと、私も一度は全力で闘ってみたかったんです」

「美鈴はブジン? だもんね」

「はい、妹様」

「じゃ、後で頼んでみよっか」

「ですね」


 にしし、と笑みを浮かべるのはフランドールと美鈴。

 どちらも大和が堕ちた時は心配したが、再び闘志を燃やして闘いに挑む姿を見てそんな心配など吹き飛んでしまった。むしろ、今まで以上に動きが良くなった大和に対して対抗心と好奇心が沸いてきている。

 闘ってみたい。

 二人が考えていることは、ただそれだけだった。

 闘えばきっと楽しい。闘えば、次の段階が見えるかもしれない。フランドールと美鈴は楽しそうに水晶玉を眺めていた。


「……」

「お姉様?」

「わっ、私ももちろん心配なんてしてないわよ? 何せ将来の夫だもの、心配なんてしてないわ。だって信じてるもの、うん。私は大和が無事に帰って来るって信じてる。だから心配なんてしてないわ」

「夫なら心配すると思うんだけど」

「うっ、煩いわよフラン。淑女たるもの、落ち着いてないと駄目なの。ああ、落ち着くと言えば紅茶ね。ティータイムこそが淑女の癒しの時間。咲夜、紅茶淹れてきてー。……あれ? 咲夜ー?」

「……レミィ、咲夜は水晶玉の向こうよ?」

「ぅ…そ、そうだったわね。パチェの言う通りだったわ。じゃあ美鈴、お願い」

「はい、畏まりました。御砂糖は幾つ入れるのか解りませんので、ご自分でお願いしてもよろしいですか?」

「それくらいは自分でやるわ」

「あ、ちょっと待って美鈴。お姉様にはわたしが届けるから」


 そう言ったフランドールが美鈴から紅茶と砂糖を奪い、レミリアに渡した。

 美鈴から奪ってまで紅茶を手渡してきた妹を訝しげに思いながらも、レミリアは白い物体を5つ紅茶の中へと入れてかき混ぜた。

 そして、満足気に見ているフランドールをやはり不思議に思いながら、レミリアは紅茶に口をつけた。


「しょっぱ!? 何これ!? 塩!?」

「ぶふぅっ……アッハハハハハハハハハハ!」


 レミリアが入れた白い物体は砂糖ではなく、塩の塊だった。フランドールが美鈴から奪った時にすり替えておいたのだ。

 塩入りの紅茶を飲んでしまったレミリアの口からは、まるで噴水のように紅茶が吐き出された。

 それを見たフランドールも同じように噴きだした。噴き出した姉の姿が堪らなく可笑しく、笑い声を上げながら。

 もう耐えられない。そんな気持ちを身体全体で表わすように、フランドールは笑いながら床を転げ回る。


「だ、駄目ですよ妹様。床で転がるだなんて、スカートの中が見えてはしたないです……ぷぷっ」

「レミィ……普通は気づくでしょ。砂糖と塩の判別も付かないほど心配してるだなんて……ぷ」

「いやぁ、お嬢様がそこまで大和さんを心配なさる理由は解らなくもないですが(笑)」

「貴女たち謀ったわね!?」


 決してレミリアの顔を見ず、ただフランドールを注意しているだけとアピールしている小悪魔。本で顔を隠しながらも、肩が震えているパチュリー。隠すことも無く堂々とニヤついている美鈴。全員が顔を真っ赤にしたレミリアを見て笑っていた。

 レミリアは紅茶の入ったカップを投げつけてやろうかとも思ったが、ただでさえ笑われている始末。これ以上恥じを上塗りしないためにも、冷静を装って机の上にカップを置いた。淑女たる者、常に冷静で優雅でなくてはならないと自分を律するも、カタカタと手に持ったカップの震えは止まらない。


「……さて、フラン? 今なら御叱りも三割増しで許してあげてもよくってよ?」

「ぷぷっ、淑女なお姉様、身体が震えてるよ? でもお姉様の御叱りは鬱陶しいから答えてあげてもいいかも」

「馬鹿にされてる? もしかして私、馬鹿にされてる!? 馬鹿にしてるのね!? いいわ、五割増しで行くから。私、これでも我慢強い方なの」

「うふふ、ごめんなさいお姉様。お姉様が堅く考えて過ぎてたから、それを解してあげたくて」


 まだ笑いが止まらないのか、目に溜まった涙を拭いながらフランドールはそう言った。


「心配なんてして当然でしょう。身体はボロボロだし、魔力は魔法陣の御蔭で私達と同じ程度にまで膨れ上がっているけど、十八番の幻術が使えないんじゃ宝の持ち腐れも良い所。それに、一回堕ちてるのよ? 私としては、貴女たちが心配しないことの方が不思議でならないわ」


 はいはい、私一人だけ心配してるわよー。

 隠すこともなく、レミリアはそう言った。

 しかし、レミリアは不思議でならなかった。

 何故ここに居る者たちは大和のことを心配しないのだろうか。信じているから、などと言ってはみたが、それでも心配するのは当たり前だ。自分と大和はそれ程の仲だと自負しているし、ここに居る全員が心配しないほど大和と浅い関係だと言わせるつもりはない。


「お姉様はヤマトが心配?」

「当たり前よ。貴女は心配じゃないの?」

「心配だよ? でも大丈夫」

「どうして?」

「う~ん……どうしても!」


 マイシスター、お前はアホの子か。

 咽喉元まで上がった言葉を、レミリアはなんとか呑みこんだ。


「フランドール。レミィは貴女みたいに単純じゃないから、その理屈は通用しないわ」

「パチュリー酷い!」

「フラン、酷いのは貴女の頭よ。お姉ちゃんは頭が痛いわ……。パチェ、頼むわ」


 額を手で覆ったレミリアが、パチュリーに理屈の通る説明を求める。

 何時でも自分の納得のいく説明をしてくれる紅魔館の参謀。ぷぅ、と頬を膨らませて睨むフランを視界から外して、レミリアはパチュリーに回答を促した。


「大和は魔法使いよ。どこまで行ってもそれは変わらないし、私は彼が武術家だと言わせるつもりは毛頭無い。何故なら、彼は大魔導師の名を受け継いだ魔法使いだから。解る? 大和は大魔導師なの。認めたくないけどね……」

「いいことじゃない、大魔導師。仮にもお母様の教え子だったのだから、大和にはピッタリだと思うわ」


 魔法使いとしてすご腕のパチュリーでさえ認める大魔導師。自分のことでは無いにも拘らず、レミリアは認められたことが誇らしかった。

 上機嫌に口元を上げるレミリアに、眉を上げて機嫌が悪そうなパチュリーが話を続ける。


「その名がどれほどの意味を持つか、親が大魔導師だった貴女が解らないはずがないでしょう? "大魔導師" は魔法使い最強の称号。並大抵の馬鹿が持って良い名じゃない。大和はそれを受け継いだ。私もそれを後押しした。何故なら、彼は自身の師をある一点に於いて超えることが出来たから。貴女の母親が作成を諦めた魔法を大和が完成させたの。解る? 当時、魔法使いの誰一人として知らぬ者がいなかった大魔導師でさえ諦めた魔法を、彼は完成させてしまった」


「フフン、流石は未来の夫ね。この私、スカーレットデビルの伴侶に相応しい男だわ」


 レミリアの機嫌は鰻登りだ。パタパタと羽を揺らし、塩の入った紅茶すら優雅に口に運ぶ始末。

 対照的に、パチュリーの語気には苛立ちが多く含まれていく。しかし、上機嫌のレミリアはそんなことには気づかない。さぁ、もっと夫の事を褒めてあげてと言わんばかりに話を促した。


「知ってる? あの馬鹿、幻術を繰るのはイメージだって言うのよ。イメージだけだって」


 パチュリーは、そんなレミリアに顔を歪めてそう言い放った。


「――――え?」


 そんなパチュリーの言葉に、レミリアは一瞬何のことか解らなかった。

 そして漸くその言葉が頭に入って来た時、レミリアの頭は混乱し始めた。


「うっ、嘘でしょう!? だって魔法の構築は――――」


 魔法は幾つかの複雑なプロセスによって引き起こされる。

 起こす事象を想定し、想像を創造へ昇華させ、それに伴う魔力を費やし、魔法と為す。

 これが魔法を起こす最低限の工程。レミリアやパチュリー、魔法を使う者なら誰でも必ずしなければならない工程を、大和は想像だけで起こしている。幾ら"幻術" 故に魔法陣の発動が見られないとはいえ、全く見えないのはあり得ないことだ。一流の魔法使いだとしても、魔法を起こすのだから何かしらの


 ――――待て。じゃあ、今まで大和は……


 レミリアはある一つの答えに辿り着いたが、それはあり得ないことだと頭を振った。

 しかし、自分の考えた通りなら辻褄が合う。

 初見で見抜けないのも、発動の瞬間が見受けられないのも、自身すら未だ見破れないことの全てが。

 

 ――――つまり、大和は魔法発動までの工程を飛ばしている。


 だから『残片』 や『空間魔法陣』 のような大規模な魔法以外では魔法陣の発動が見られない。

 

「あり得ないでしょう? あっては為らないことなのよ。いくら適正が幻術に偏っている方といっても、感覚で操れるほど幻術魔法は簡単なものじゃない。私でさえ一からプロセスを踏んで発動するそれを、あの馬鹿はすっ飛ばして発動させる。

 いいえ、この例えは間違いね。イメージだけでプロセスの全てを構築してしまう、全てのプロセスを一瞬で行うまで身体にしみ込まれた基礎。それによって、コンマ数秒という恐るべき早さで魔法が発動できるようになっている。これが大和と、大和の魔法のからくり。大和はね、別に凄いことが出来るわけじゃない。ただ単に、誰もが必ず通る初歩の初歩を極めた、言わば基礎の塊なのよ。

 貴女の母親は魔力の運用がなってないと言ってたけど、本当のところは目を見張っていた。たかが10歳の子供が、頭出考えるよりも先に身体が魔法を起こす。あの才能の無い大和が……いいえ、才能が無いからこそ、発動までのプロセスを如何に早く出来るかを突きつめた修練を積まされてきたんでしょう。

 どこで仕込まれたのかは知らないけど、あんな芸当を覚えさせることは並の奴じゃ出来ない。大和に魔法の基礎を叩きこんだ奴は正真正銘の化物よ。貴女の母親も含めてね」


 驚きを隠せない。

 レミリアだけではない。今まで笑っていたフランドールや美鈴、小悪魔までもがパチュリーの言葉に目を見張っている。

 苦々しい顔をして話すパチュリーだが、今まで言葉にして大和を認めたことは一度も無い。そのパチュリーがこれほど苛立ちながら、常に冷静沈着な紅魔館の頭脳が話を進めている。これだけで、魔法の知識に乏しい美鈴でも事の大きさを理解出来ていた。


「その大和が、当代の大魔導師の魔法が通用しない? 魔法構成を理解して、境界を弄って無効化した? ――――はっ、片腹痛いとはこのことね。

 八雲紫は何にも解っていない。解ったつもりでいるだけ。

 大和の手元を見てみなさい。魔法陣が構築され、砕ける様が見えるでしょう。何をしているのか、今までの話を聞いた貴女なら解るはず。

 ――――あの馬鹿は、今この瞬間に新しい幻術魔法を組み上げてる。イメージするだけで出来るなんて言う奴が、魔法を一から構築させているのよ! それも! この状況で!」


 声を荒げるパチュリーに、誰もが息を潜めた。

 嫉妬していた。誰もが認める魔法使いであるパチュリーが、一点だけに特化した大和に嫉妬の念を抱いていた。この場にいる全員に衝撃を与えるには十分すぎるものだった。


「……そんなことが、出来るの?」


 答えは既に出ている。にも拘らず、レミリアは聞いておきたかった。

 もしパチュリーの言ったことが本当に可能であるのなら、大和は既に自分たちと同じ位置に立っていることを意味する。たった一人で有象無象を蹴散らし、数多の人の上に立つことのできる最強の一角に。

 服が背中に張り付く。唾を呑んで、レミリアはパチュリーの答えを待った。


「――――できる。そうでなければ、大和を殺して私が大魔導師の名を貰っている。いいこと、レミィ。大魔導師の名は伊達ではないのよ」


 帰って来た言葉は、椅子に踏ん反りながらも絶対の信頼を含んだ応えだった。




   ◇




「師匠、まだなのか!?」

「まだだ! まだ境界を超えられない!」

「そんなこと言ったって、逃げるのももう限界だぜ!?」

「分かってる、分かってるさそれくらい! でもまだ駄目なんだ! 改良なんかじゃなく、新品と呼べる構成じゃないと対応されてしまう。だからまだ、まだあと少しだけ――――しまッ!?」


 思考を分けているからか、回避しきれなかった弾幕が身体を襲った。

 一つ当たれば、あとは雪崩のように押し寄せてくる殺意の弾幕。

 ――――回避が間に合わない!?

 次の瞬間には直撃するそれから、身を守るように身を屈めて衝撃を待つ。

 しかし、何時まで経っても身を裂くような痛みも、槌で殴られたような衝撃も襲ってこなかった。聞こえてくるのは、風を切る音と粗い息遣いだけ。


「この馬鹿師匠! 今の当たってたら死んでたぞ!?」

「悪い、助かった」


 青い顔を浮かべている魔理沙が、自身よりも大きな荷物を抱えて空を飛ぶ。

 細い片腕に掴まれていたが、後に乗るように箒へと乗り移った。


「魔理沙、このまま飛べ。回避はお前に任せて、僕は魔法の構成に専念する」


 紫の日笠から放たれるレーザーを躱しつつ、魔理沙にそう言った。

 その言葉に、ただでさえ青かった魔理沙の顔は、より一層青く染まっていく。

 一人乗りの箒で二人一緒に飛ぶ。平時ならまだしも、今のような状況でのそれは自殺行為以外の何物でもない。今でさえ限界ギリギリの所を、更に難易度の高い飛び方をしろと言われ、自分の近い将来を見てしまったのだろう。


「ふざけんな、って言っても、師匠は今やってることを止めないんだろうな…」

「当たり前だろ。これだけが紫さんを倒せる術なんだから」

「……私は二人乗りなんてしたことないぜ。安全も保障できない。それでもいいのか?」


 ニヤリ、と魔理沙が笑った。逆境になればなるほど燃える、それが霧雨魔理沙。

 出来ないことを、出来ないと思うから出来ないのだ。

 出来ると信じ込んでしまえば、本来なら出来ないことでもやってのけるかもしれない。

 魔理沙はそう信じている。師と仰ぐ青年の生き様がそうだったように。

 だから自分を信じ込ませて欲しかった。成長した自分を、半年前とは違う自分なら出来ると。そして何より、信じた師の信頼によって、自分は出来るのだと。


「師と弟子は一心同体一蓮托生。師が弟子を信じなくてどうするんだ。……だから頼んだよ、魔理沙」


 そして、大和もそれに応えた。

 大和にとってもまだまだ未熟な弟子だが、それでも絶対の信頼を送った。

 何処か昔の自分に重なって見えるこの女の子こそ、自分の運命を預けるに相応しい。

 今この時になって、大和は始めて魔理沙を心の底から認めたのだった。


「――――へっ、へへへ! いいぜいいぜ! やってやる! やぁってやるぜぇ!!」


 調子のいい奴。

 笑みを濃くした魔理沙をそう評価して、対峙する紫の姿を追った。



 ――――泣いてる。


 俯いたまま弾幕を張る姿は、まるで子供が泣いているようにしか見えない。

 誰もが幸せになる。そんな夢を持った紫は、己の夢に破れたのではなく、大きすぎる夢を持った故に世界から弾かれたのかもしれない。


 ――――確かに、紫さんからしてみれば僕は甘いんだろう。


 自身が抱く夢は、嘗ての紫と全く同じ。

 誰もが手を繋ぎ、少しでも世界を良くしていこう。だがそれは、自身よりも遙か雲の上の存在の者ですら果たせなかった夢。

 それでも、大和は諦めることが出来ない。 


 ――――誰かを犠牲にしてできる平穏なんて、そんなの平穏じゃない。

 ――――自分自身を削って、自分を殺して得た所で何の意味も無い。

 ――――だって、それじゃあ紫さん自身が幸せになれない。そんなのは嫌だ。理屈なんてどうでもいい、嫌なものは嫌なんだ。だから止める、止めてみせる!


 深く、大和は目を瞑って意識を集中させる。

 意識の中に深く潜っていくと、魔理沙のとる無茶苦茶な軌道すら気にならなくなってきた。

 頭を巡るのはただ一つ。紫の境界を超える魔法を構成することのみ。


 ――――起こす事象を想定し

 遠い昔、星空の下で伝えられた二人に想いを馳せる。

 ――――想像が創造へと昇華し

 思い浮かべるのは一つの世界。誰もが幸福にいられる、そんな夢。

 ――――それに伴う魔力を費やし

 何時か失われた夢。それを再び、閉ざされた心を開く。

 ――――魔法と為す

 それが、先代の大魔導師が残した幻術魔法の最大奥義。


箱庭クレイドルガーデン


 幻術が世界を覆い、幻術が世界を創る。




   ◇




 初めてみた世界には、色が無かった。

 誰も私のことを知らず、誰のことも知らない。同じ存在の妖怪すらいない私にとっては、広いはずの世界も閉ざされた監獄のようだった。

 この世に生まれ堕ちてから、私は一度足りとも自分を好きになったことが無い。

 私は卑しい妖怪だ。

 藍を助けたのは、一人でいることが寂しかったから。

 長たちと一緒にいたのも、一人でいる寂しさを紛らわすためだった。

 自分の行動すべてが打算でしかない。自分のことしか考えない、本当に最低で最悪な妖怪。

 それが八雲紫。


 ――――私は、いったい何処で何を間違えたのだろう。


 答えは浮かばない。色のない私の世界に、誰かが示してくれる答えなどあるわけが無い。


「―――ん。…ちゃん。おい、お嬢ちゃん!」


 そんな色の無い世界に、突然光が差し込んで来た。

 誰かが私を呼ぶ声が聞こえるが、あまりの眩しさに目が開けられない。


「……え?」

「大丈夫かいな。酒にでも酔ったか?」

「長……なんで此処に…?」


 漸く光に目が慣れたとき、目の前には信じられない光景が広がっていた。

 死んだはずの長が、何故か目の前にいた。それも酒の入った杯を呷っている。

 何が何だか分からず、私はただ呆然としてしまった。


「何でってお前、今は博麗神社で宴会中やろが」

「神社……宴会!?」

「うお!? なっ、何やいきなり叫んで。お嬢ちゃん、ホンマに大丈夫か?」


 驚いて周囲を見渡してみると、そこは確かに博麗神社だった。そこでは誰もが杯を持って酒を呑み、楽しげに宴会を開いている。

 それを見つめていれば、何処か不思議と楽しい気持ちになってくる。

 こんなに楽しい気持ちになるのは何時以来だろう。藍お姉ちゃんと旅をしていたとき以来? それとも、目の前の長たちと出会って以来かな?


 あの頃の、まだ何も知らない小さな私に戻った気分だった。そう思うと、身体も何処か縮んだみたいで。手や足、身長なんかもあの頃に戻っていた。

 でも、そんなことは全然気にならない。今楽しいこの時を何処までも楽しもう。そう思ったら、今までの暗い自分など全く気にならなくなっていた。


「オサ、今日は何の宴会だった?」

「何時も通り、好き勝手に寄って来て呑んでるだけ。ああ、そう言えばウチの家族の一人が神社の巫女と結婚するって言うんで、そのお祝いも兼ねてたわ――――ってお嬢ちゃん、それすら忘れるのは流石に酒の呑み過ぎやで。アカンかったら家まで送ろか?」

「大丈夫。貴方の家族の結婚祝いなんでしょう? だったら家族の長としてちゃんと祝ってあげないと」


 でも家族かぁ……。いいなぁ、私もオサたちの一員だけど、結婚は女の子の憧れよね。私も何時か、誰かと結婚してお母さんになる時が来るのかしら? だったらオサみたいな人がいいなぁ。


「でも沢山集まってるわね」

「ウチの家族の中でも弄りがいのある人気者やったからなぁ。壮絶な取り合いやったわ……」

「ふーん。オサは藍お姉ちゃんと結婚しないの?」

「傾国のか? あれは取り合いに参加してた一人やないか」

「……そうだっけ?」

「たぶんそうやったと思う。お嬢ちゃんはそんなことも忘れたんかいな」

「う~ん、どうも記憶が飛んでるみたい」


 藍お姉ちゃんってそうだっけ? オサに気があるような感じだったと思うんだけど……。う~ん、どうして忘れちゃったんだろう。藍お姉ちゃんのことを忘れるなんてあり得ないんだけどなぁ。


「天狗に河童、半獣に蓬莱人、果てには鬼まで祝いに駆けつけてくれとる。ほんまにウチの末っ子は恵まれとる」

「人気者ね。……鬼?」

「…? どうかしたんか?」

「ううん、何か違和感がしただけ」


 ちょっと頭が痛い。お酒を呑み過ぎたのかしら。

 ちょっと水でも貰って……あ、便利にも目の前にあるじゃない。これでも飲んで、頭をすっきりさせよう。新郎新婦に祝いの挨拶をしに行かないと駄目だし。


「でもお嬢ちゃん、この光景を創りだしたのはお嬢ちゃんなんやで?」

「……どういうこと?」

「お嬢ちゃんの頑張りがなかったら、誰もこんな風に笑って過ごせんかった。だからウチらの末っ子、大和もお嬢ちゃんの助けになろうと頑張れた」

「大和?」

「ああ、そうや。……ウチらの、ウチの最後の希望。強く育ってくれた、最高のウチや。」


 ――――ああ、そうか……そうだよね。

 違和感の正体が解った。大和、貴方は本当に私のことを……


「お嬢ちゃん、そろそろ休んでもええんとちゃうか? ウチらはお前さんを責めたりせえへん。お前さんはよう頑張ってくれた。頑張り過ぎたくらいや」


 気付けば、周りに人はいなくなっていた。

 いるのは長と、あの頃より成長した私だけ。真っ黒な空間に浮かんで、お互いを見つめ合っている。

 長はそんな私を見つめている。その目には色んな想いが込められている。労りも、慰めも、全てが私に向けられていた。


「止めて大和」

「お嬢ちゃん。お前さんの為を思ってやったことが、逆にお嬢ちゃんを苦しめてしもた。許してとは言わん」

「今すぐ幻術を止めなさい!」

「もうええ、もうええんや。一人で頑張らんでええ」

「そんな目で見ないでよ! そんな目で見られたら私……、私、自分を許してしまいそうになるじゃない! もういいんだって、そう思っちゃうじゃない!」

「それでもええ! お嬢ちゃんが一人で頑張る必要はない! お嬢ちゃんを、紫を助けたいと思ってるやつがどれだけいると思う!? 紫はそれすら全部捨てるつもりか!?」

「もう手遅れなのよ! 始まってしまって、もうすぐ終わる。長い間、ずっと間違っていたことなの! 今更どう償えば良いって言うのよ!?」


 流れる涙が止まらなかった。

 もういいんだ、もう一人で頑張らなくてもいい。

 今の私の根幹を為す長にそんなことを言われてしまえば、私の全てが壊れてしまいそうだった。胸に秘めた思いが全て外に吐き出されそうで、それが凄く怖かった。

 でも、もう手遅れだった。堅く閉じた心に楔を打ちつけられ、そこから溢れだした想いはもう止まりそうもない。

 流れる涙を気にせず長を睨みつけていると、その姿が大和の物へと変わっていった。


「……良かった。もし余裕めいたことを言われたら、本当にもう駄目なんだって……。でも、やっとぶつけてくれた。吐き出してくれた。

 紫さん。誰かが許さなくても、誰かが貴女を攻めても、僕は……僕だけは紫さんのことを許すよ。長たちだってきっと……。だから手をとって! 僕は紫さんの全てを受け入れる! だから!」


 優しく微笑んだ大和が、私に向かって手を伸ばした。

 それを取ることが出来れば、どれだけ楽だったろう。もう少し早かったら、あの時の大和が大きければどれだけ良かったか。あの時あの場所に大和がいれば、手を刺し延ばしたのは私だったのかもしれない。大和なら、長のように笑わずに手伝ってくれていたかもしれない。

 そんな"もし" が私の中を駆け廻る。

 だから、私が大和の手を取ることは無い。もう不可能だと知っているから。


「長い間、本当に長い間やってきた。それを理解するなんてことはできない。身を削ったところで、誰も私を理解してくれなかった。だから私はこの道を選んだ! それでも限界を知ったのよ! だったら仕方ないじゃない!」

「だから今度は僕も一緒に! 一人じゃ無理でも、みんなでなら出来る! 僕らも一緒に頑張れば――――」

「頑張る……? 頑張るですって?」


 その言葉が、一番大嫌いだ―――っ!


「やったわよッ……頑張って、頑張って、自分の全てを掛けてやったのよ! 必死にッ! これ以上何をどうすればいいの!? 何を頑張れって言うのよ!?」


 泣き声と共に吐き出された妖力が、周囲の空間にヒビを作っていく。

 ガラスが砕けるような音と共に、白玉楼の無色の景色が周囲に見え始めた。


「多くの命を救うために、目の前の一つの命を捨てる。それを教えたのは貴方の一族。だから協力な意志と覚悟を持って行動してきた」

「それでも僕は、殺された人たちの仲間が、何時かその牙を貴女に向けるかもしれない。そんなの嫌なんですよ! だから!」

「私とて、幻想郷の一つの歯車。この世に多くの実を結び、多くの罪を生んできた。地獄に落ちるのは遅すぎたくらい」

「紫さん!」


 私は、自分の方が間違っているのだと分かっている。

 それでも止めることが出来ないのは、今までの全てが無駄になってしまうから。

 多くの物を奪ってしまった。多くの人を恥しめてしまった。だから私は最後までやり遂げなければならない。

 だからお願い、大和。どうか私を――――




   ◇




「どうすんだ師匠。世界を一つ作る幻術魔法、破られたぞ」

「……僕は」


 自分の想いで世界を覆い、望んだ世界を創る魔法。

 箱庭を使うにはとんでもない魔力がいるため、紫さんの心を限定して世界を創った。先生があの人妖大戦時に発動しようとした魔法で、紫さんの望んだ夢をそのまま表現した。


 そこで紫さんの心の根っ子を見た。


 誰もが笑い合い、幸せになった世界。そうなるはずだった理想郷。

 それがどれ程果てしなく険しい道なのか、僕には想像もつかない。そんな紫さんを理解出来ない自分が悔しい。僕がみんなに救われたように、何で紫さんが救われないのか解らない。それが悔しくて、涙が止まらない。

 ――――何でだろう……。

 僕には解らない。

 でも分からないからって、人を想う気持ちを忘れたくない。忘れさせたくない。


「僕は……!」


 そして目の前に、紫さんがいる。

 幸せになるために頑張ってきたのに、その為に幻想郷を創ったのに、今も悲しんでいる。悲しんで、泣いて、全てを失って。それでも許しを懇願する子供のように叫んでいる。

 僕がやらないと駄目だんだ。

 僕が今まで受けてきたものを、今度は僕が人に伝えていかないと駄目なんだ。それが、今まで支えられてきた人の責任。


「僕は紫さんを止める……止めなきゃ駄目なんだ! だからみんな、僕に力を貸してくれ!」


 ――――完全残片レムナント・エーリュシオン


 残片の発動に見られる一帯の魔法陣が、幾重にも身体にも巻き付いていく。

 幾重にも重なった魔法陣が、まるで繭のように身体を覆っていく。


「――――いいだろう、伊吹大和。友、レミリア・スカーレットが貴方を助けよう」


 繭のような魔法陣が弾けた場所に、大和の姿はなかった。

 その場に居たのは一人の吸血鬼。幻術で見せられた紛い物でなく、紅魔館の主そのものだった。


「行くわよ、幻想郷の管理者。支えられる者の強さ、その身を持って知りなさい!」


 目を白黒する観衆を尻目に、魔槍を持ったレミリアが空へと羽ばたく。



と言う訳で、ここでは最後です。まさか今日になって更新すると思っていた人はいないんじゃないかと思います。


伊吹伝はこれにて終了。大和の闘いはこれからだー!


ではなく、私のブログで続いて行きます。もちろん妖々夢以降、"萃無双" や"身内だらけの永夜抄" と続いていきますので、興味のある方は是非に。

あと、今までの伊吹伝を改訂した完全版も順次投稿して行く予定。現在ブログ上の『友人二人』 まで改訂完了です。

更新したらこちらの活動報告などでもお知らせする予定なので、ご心配なく。


それではみなさん、去らばだー!

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