元貴族と花妖怪
妹紅と旅を初めて数十日。今日も今日とて重りを引き摺り、澄んだ空の下を都目指して一歩一歩歩いている。
「ほら、しゃきしゃき歩け」
「妹紅、妹紅! 少し休憩しない!?」
「なんだ大和、疲れたのか?」
太陽が出たら歩いて、太陽が沈むか僕が沈むまで歩き続けるのに疲れないわけがない! しかも!
「当たり前じゃん! こんな重いの引き摺ってるんだよ!?」
母さんが付けてた飾りみたいな重りが信じられないほど重いんだよ!
「しんどくなってからが効果が出る修行だ、我慢しろ」
「じゃあ昼食は!? お腹すいたよ!」
「それも後だ。とりあえず、まだもう少し歩くぞ」
「……うげぇ」
「都まであと少しだ。お前も男なんだから泣きごと言わずにちゃっちゃと歩け」
妹紅が言うにはもうすぐ都に着くらしい……んが、僕にとってはそのあと少しすら恨めしい。
驚く事に、なんと妹紅は勇儀姐さん以上に厳しかったのだ。僕が倒れる直前まで歩かせ、一歩も動けなくなったらその場で休憩。背負って進むなんてことはしてくれない。僕が動けるようになるまでその場に留まり続ける鬼畜っぷり。自分で頼んだこととはいえ、妹紅を選んだ数日前の僕に一言言ってやりたい。
―――数日前の僕、君はもう少し考えてから頼んだ方が良かったよ、って。
でも修行内容はとても分かりやすいんだよね。だからと言って簡単なわけじゃないんだけど。
都までの道のりを、ただひたすら魔力糸を繰りながら歩くだけ。両足には鎖で繋がれた重りがあって、一歩を踏み出すごとに体力がごっそりと削られていく。指先と足下の両方を気にしないといけないわけ。
しかも、少しでも魔力糸の制御が疎かになったら自分の身体に切り傷ができる始末。……近くを歩く妹紅に被害が及ばないのかって? 大丈夫、妹紅には掠りもしないから。
それでも、少しでも魔力糸の制御を失敗すればお仕置きの炎弾が飛んでくる。それも僕が耐えれない……耐えられるじゃないよ? 耐えられない限界ギリギリのモノを放って来るもんだから、逃げるのも撃ち落とすのも一苦労なんてものじゃない。撃ち落とすのに失敗して何回焼かれかけたのかなんて、もう覚えられない数に達している。
まあ、それだけ必死にやっていれば自然と僕らの仲も深まってくるわけで。……僕が焼かれれば仲が深まるのには一言物申したいけどね。
そんなこんなで妹紅ともだいぶ打ち解けることができて、昔話を聞かせてもらったりもした。
例えば夜に焚火を囲ってた時にした"私はあの藤原家の娘なのだ!" って話。
自慢げに聞かされたけど、僕にしてみれば"藤原家って何?" な感じだった。妹紅は口をぽかんと開けてたけど、だって仕方ないじゃないか。僕が居たのは妖怪の山だよ? 世俗に関係ないとこで暮らしてたんだから知らなくて当然!
でもあの時の妹紅のキョトンとした顔といったら見物だった。あんな隙だらけの妹紅は初めて見た。それでつい笑ってしまったんだけど、どうやらそれが妹紅の機嫌を損ねたみたいで
『お前には貴族のなんたるかを叩き込んでやる』
"元" 育ちのいいお嬢様直伝の作法とかを夜通しで無理やり叩きこまれた。母さんや勇儀姐さんたちみんな以外で、初めて鬼を見た気がした。
貴族とは何か? 貴族とは何たるか。貴族を相手にどのような姿勢を取ればいいのか。それを延々と叩きこまれて実践させられた。
一度聞いたことを間違えたりしたら、これまた炎が飛んで来るからたまったもんじゃない。むしろ修行の時よりも炎が飛んでくる比率が高かったような……。舐められるから強気で行けって言ったのは誰だったんだろうね! 妹紅はその所どう考えているのかな!? そう反論した僕は決して間違ってないと思う。
……嘘です、そんなこととてもじゃないけど言えませんでした。本当にとても恐ろしかったです。言葉にならないほど怖かったです、本当に。あの夜よく生きてた僕。自分を褒めてあげよう。貴族のなんたるかを憶えれたとは思えないけど。
そうやって馬鹿なこともしてきたけど、ちゃんとした修行も波に乗ってはいる。魔力糸の方も、右手で操る分にしてはだいぶマシになってきたし。
でもね、妹紅からそんな僕を馬鹿にしたようなことを言われたんだ。
『お前、才能無いなぁ』
酷い言いようだと思わない? 数十日、寝ても覚めても魔力糸の練習を続けて、右手でぎこちないまでにも魔力糸を操れるようになったんだよ? そう言っても妹紅は少しも評価してくれない。むしろこう返されてしまった。
『それなりに魔力? があるのにやっと右指で魔力糸を"動かずに" 操れるだけって、才能ないとしか考えられないんだよな』
……実は妹紅の言う通りなんです、はい。まだ動きながらはできませんよーだ。
脚を止めたら流れるような動きの魔力糸を操れるんだよ? でも動きながらはまだ無理。動きの堅さを少しでも無くそうとしたら、その場から動くことなんてまだ出来ないんだ。それでもまだまだ動きの堅さがとれないんだから、お前の才能とやらの底が窺い知れる。
そう苦言を呈されている日々がここ最近は続いている。
そして今日も弱音と愚痴と、妹紅への悪態を吐きながら重い足を都へと進める。
都まであと少し、この生活も、もう終わりが見えてきた。
「炎弾行くぞー」
「うぇえ!?」
◇
大和と妹紅が都へ向けてゆっくりと進んでいる旅路のまだ少し後に女性が一人、同じように都を目指しながら歩いていた。
このご時世に女性の一人旅。大の大人でさえ妖怪に襲われる危険があるというのに、この女性は護衛の一人も付けずに堂々とあぜ道を歩いている。これでは襲って下さいとでも言っているようなものだが、この女性に限って妖怪に襲われるなんてことは、天と地が引っ繰り返ったとしても在りはしない。
なぜなら、日傘を差しているこの女性も妖怪なのだから。
日傘で隠れている髪の色は緑、美女と呼んで差し支えない美貌は、道端に咲く花に向けられている。
「そう言えば、最近あの子供を見ないわね。風が運ぶ噂も途絶えてしまったし……」
何かあったのだろうか、と女は思う。それと同時に、別に何があっても構わないけれど、と興味を失った。
女にとってその子供とは、久方ぶりに見た面白い子供だった。妖怪の山に所用で侵入した時、親切にも自分に鬼の住処を教えてくれた小さな人間の子供のことだ。
ただそれだけのことに何の興味を持つのかと思うが、人間の妖怪が妖怪の山にいるだけで興味は持つ。それも、鬼に育てられているとあれば興味を持つなと言う方が無理な話だ。
だから気にはなる。人間の一生は妖怪に比べて短いが、それ故に暇つぶし程度にはなるのだから。だが、ここ最近はその噂も女の耳に届かなくなった。死んだか殺されたか……どちらにせよ、一度気になった手前様子を見に行こうと女は決めた。
「ふふ、あの時のように楽しませてくれればいいのだけど。でも、まずは都に行くとしましょう。最近は五月蠅い奴が多すぎるわ」
女の名前は風見幽香。四季のフラワーマスターと呼ばれる、人間から恐れられる二つ名持ちの妖怪。
その妖怪が、大和と妹紅の行くすぐ後にまで迫っていた。
◇
~夜 都近くの野原~
「明日には都に着くだろう。……まぁ、なんだ、少し寂しくなるな」
焚火に照らされた妹紅の表情は、言葉通りに寂しく見えた。
それは僕も同じだ。短い付き合いとはいえ、妹紅とはまるで姉弟のような関係になったと僕は思っている。たぶん、妹紅も同じように想ってくれていると思いたい。それぐらいの仲になったはずだと思ったっていいじゃないか。
「妹紅は都に着くと、どこか別の場所に行くんだよね?」
「ああ。ずっとお前に構ってはいられないからな」
「そっか」
「……」
「……」
く、空気が重い…! 今日が最後の夜になるかもしれないからか、まるでお通夜みたいに沈んだ雰囲気になってしまっている。
ダメだダメだ、僕らはもっとこう、大声出して笑ってないと!
「そっ、そういえばさ、妹紅って笛吹ける?」
少しでも何時も通りの明るい雰囲気を取り戻すために、僕なりに話題を振ってみた。
僕も今まで敢えて触れなかった文の笛。何故触れなかったというと、僕が吹くと聞いた人が気絶するほど下手クソだから。だから僕は吹けないけど、元貴族だと言う妹紅なら案外こういうものが上手なのかもしれない。
「笛か。ああ、そういうのは得意だな」
「へー、妹紅ってこういうのとは縁のない人だと思ってたけど」
まさかとは思っていたけど、本当に吹けるとは驚き。笛を吹く妹紅……ダメだ、今の男勝りの姿からは想像できないや。むしろ妹紅がお淑やかに笛を吹く姿なんて似合うと思えないよ。
「うるさい、私が元貴族だとは言っただろ。その時の名残だ。言われなくても、私みたいな女には似合わないことぐらいわかってるさ」
「似合ってないとは言ってないんだけどなぁ…」
ごめんなさい、心では言いました。
「どうだか。……まあいい、笛がどうかしたのか?」
「いや、旅に出る前に友人の一人が笛を送ってくれたんだよ。僕はあまり上手な方じゃないから自分から吹こうとは思えなくて。意外と多芸な妹紅ならもしかして? と思って聞いただけ」
文も難儀な贈り物をしてくれたよ。僕が吹けないと知って贈ったんだから。修行の合間にでも練習して~なんて言ってたけど、これは練習して何とかなるものなんだろうか? 練習するたび友達減ってくよ。
「まあ、確かにお前みたいなお子様には過ぎた贈り物だな。貸してみろ、特別に吹いてやる」
「む……。そこまで言うのならお手並みを拝見させてもらうよ?」
下手だったら思いっきり笑ってやる。
◇
都へと続く街道で、幽香は野営をしている人間を二人見つけた。普段なら捨て置くところだが、その二人から何らかの力を感じる。妖怪に遭遇する確率が高い夜の街道で野営をしているあたり、それなりの自信があるのだろうと判断できる。自分には遠く及ばないだろうとも。
「この感じ……へぇ、これは驚いたわ。通りで噂も途切れるわけ」
幽香は、野営をしている二人の内の一人が、つい先程思い出した子供であると感じとることが出来た。久方ぶりに感じた魔力の波動、それは幽香が最後に会った時よりも若干大きくなっている。
そのことに幽香は気を良くする。花は育ったときが一番綺麗だが、育っているときも綺麗なものなのだ。以前はまだまだ小さな種の状態だったものが、今では僅かに芽が出始めていると言った所か。新芽を刈りとるのも、それもまた一興だろう幽香は思った。
それに加え、大和を守ってきた存在も今はいない。即ち、ここから先は全て自分の思い通りにすることが出来る。
―――少し、遊んであげましょうか。
ゆっくりと、幽香は二人の方向へと足を進める。妖気は身体の内側へと隠す。逃げられては堪らないし、都に近いこの場所ならではの邪魔が入る可能性もある。それはそれで楽しみが増えるだけなのだが……。
そんな深い残虐な笑みが表情を占めていた。
◇
聴き入る……って言うのは、たぶん今みたいなことを言うんだと思う。
妹紅の奏でる音色が夜に溶け込むように響いている。優しくて、でもどこか力強い。それが妹紅そのものを表しているように思えた。
妹紅の長い白髪が月の光を反射して、夜の闇を優しく照らす。月光に身を包まれたその姿は、まるで月に祝福された御姫様のよう。目を閉じたまま笛を奏でる妹紅を見ていると、今までとは違った妹紅の一面を見れた気がした。
心地よい音色に自然と目を閉じてみる。開けている時とはまた違った心地よい音色に耳が満たされていく―――
「―――ふぅ…、どうだ? 私もまだ捨てたもんじゃないだろ」
「うん、すごく心に響く音色だった。本当に感動したよ」
それ以上に、月に寄り添うように笛を奏でる妹紅が綺麗だった。でもそれを口にしたら怒られるだろうから、僕はただただ別の賛辞を送るだけ。
「そ、そうか。ならいいんだ」
でも気恥ずかしかったんだろうかな? 僕が見たことのなかった柔らかい表情で微笑んだ。
……こうやって二人で話せる日もこれで終わりだと思うと、やっぱり寂しい。
「そっ、それにしてもいい笛だなコレは。思い通りに音がでる。逸品だぞ、この笛」
「へー、文ってそんなにいい笛を贈ってくれたんだ……あ、文って言うのは僕の友達の鴉天狗のことね?」
「お前ってつくづく不可解な交友関係だよな。天狗が友達で親が鬼だなんて都の連中が聞いてみろ、陰陽師はお前を捕えるかもな」
「都に行きたくなくなってきたかも……」
「おいおい、今更泣きごと言うなよ」
怖いです、陰陽師怖い。僕は人間だから関係ない、安全だって皆から聞かされてたけど、妹紅のせいで怖くなってきた。でも都に行くのは今更止められないし……出来るだけ関わらないようにするしかないよね。
「せっかくこんな良い笛まで貰って旅に出たんだから、それなりの結果を持って帰ってやんな。じゃないと見送ってくれた人に示しが着かないだろ?」
「……うん、そうだね。魔法使いになって帰って、もう一度みんなにお礼しよう」
笛のおかげで妹紅の新たな一面も見れたし。
あー……妹紅の笛を聴いたら、なんだか僕も吹きたくなってきた。何て言うかこう、喚起されたんだと思う。良い機会だしちょっと練習しようかな?
そう思い笛を握った瞬間、生温かい空気に包まれるのを感じた。ザラザラした、とても息苦しい圧力のようなものと共に。
「―――とてもいい音色だったわ。…思わず壊したくなるくらいに」
◇
「こんばんわ、お二人さん。楽しそうな所悪いのだけど、ちょっとお邪魔するわ」
笑い語らっていた妹紅と大和の前に、不敵な笑みを浮かべる女―――風見幽香が現れた。
―――嘘だろ!? なんでこんなに妖気を放っている奴の接近に気付けなかった!?
その幽香を見て、妹紅は突然現れた妖怪に驚き慄く。
人間を止めて特殊な部類に入ってからこれまで、妖怪基準で言えばまだ若い部類に含まれるものの、妹紅の対妖怪の経験は決して少ない数では無かった。はぐれ妖怪なら片手間に燃やしつくせると自負すらしている。にも拘らず、妹紅は幽香の接近に気付けなかった。
それも仕方のない事。何故なら、幽香自身が二人の眼前に来るまで妖気を隠していたから。
そんなことは知らず、いや、知っていても意味のない事として妹紅は隣で目を大きく見開いたまま固まっている大和に目配せをする。
言いたいことはただ一つ、"脇目も振らずに逃げろ"
ピリピリと肌に突き刺さる妖気が、眼前の敵の強大さを物語っている。妹紅自身、それほどの力を持った妖怪と出会ったことは無いし、闘おうと思ったこともない。
それほど強大な妖怪が何故こんな場所にいるのか。何故自分たちに構うのかは解らない。解らないが、置かれている現状がとても悪いと言う事だけははっきりしている。
妖怪を相手にしてきた自身なら妖気に耐えられるものの、ただの子供でしかない大和にはそれだけで毒になる。故に、妹紅は大和を庇うように一歩前へと足を踏み出した。
「何の用だ、妖怪。お前ほどのふざけた力を持つ奴が、どうして都近くにまで来てるんだ」
せめて大和だけでも。
自分は特殊なため、どうなろうと死にはしない。妹紅は強気にも笑って幽香に問うた。
―――幸いにもここは都の近く。都に入れば腕の立つ陰陽師も多く、例え眼前の妖怪でも簡単に手は出せないはず。
その逆、冷静に後の手を探ることも忘れない。それは、妹紅自身が守りきれないと感じとっているからに他ならない。
「貴女はそこらの雑魚とは違うようね。彼我の戦力差を良く理解しているし、土地の特色を利用した作戦も練れる見たい。私、そんなコは大好きよ」
「……そりゃどうも」
―――チッ、やっぱり読まれてるか
顔を歪める妹紅。内心の舌打ちは最早隠せない。時間が経てば経つほど、都から腕の立つ陰陽師が来る可能性は高まる。その可能性に気付きながらも逃がそうとしない姿勢を見るに、幽香の心は既に決まっている。それを知ってしまったからこそ、妹紅も幽香に抗う腹を決めた。
「それと私がここに居る理由。それは後ろの坊やが答えてくれると思うわ」
「なに……?」
後を振り向く妹紅の目に映ったのは、先程と変わらぬ驚いた表情を浮かべた大和。
「大和、知っているのか?」
―――確かこいつ、妖怪の山に居たって……
妹紅もまさかとは思ったが、それでも大和に問いかけずには居られなかった。
「なんで……なんでここにいるんですか、幽香さん!?」
帰って来たのは、妹紅が予想していた弱々しく震えた声では無かった。何時も通り、至って普通の驚いただけの大声。そんな大和の普段と変わらぬ様子を意外に思いながら、やっぱり知り合いかと思う。そして知り合いならば、ヤられると感じたのは杞憂だったのか。腹を決めたのは思い過ごしかと力を抜こうとした―――
「ふふ、憶えていてくれて光栄ね。久しぶり、そして初めまして。私の名前は風見幽香。巷じゃ妖怪最強の一角って言われているわ」
―――が、それすら間違っていたのだと知った。
何故なら、眼前にいる妖怪は最強の一角。手を出すことすら躊躇われる四季の花の王なのだから。
「さあ、やり合いましょうか」
今度こそ、妹紅の顔ははっきりと歪んだ。