好感度1000越えの攻略対象から逃げ出したい。
乙女ゲーム『ルミナス・ラヴァーズ』の世界に転生して10年。
私、リリア・アルブライトは、自分の視界に奇妙な「数字」が見えることに気づいていた。
それは、対象が自分に対して抱いている「好感度」だ。
前世でやり込んだゲームの知識によれば、この世界の好感度上限は「100」。
100になれば、感動のハッピーエンディングが待っている。
「リリア。今日も君は、朝露に濡れた薔薇のように美しいね」
第一王子・ジークフリートが、私の手を取って跪く。
彼の頭上に浮かんでいる数字は、【90】。
(……おかしい。シナリオが始まっていないのに、もう好感度が上限間際だわ)
前世の知識では、彼はクールで理知的な王子だったはずだ。なのに、今の彼は私を見るなり、蕩けたような甘い声を出す。
私は愛想笑いを浮かべながら、心の中で自分を納得させた。
(ジーク様の好みは知り尽くしてるし、シナリオを前倒しして攻略を進めた結果かな。まぁ、数字が多い分には、嫌われるよりマシだわ)
◇
月日が流れ、私は15歳になった。
ここからが、「ルミナス・ラヴァーズ」本編である学園生活の始まりだ。
攻略対象は数多いるが、その中でも、私が特に気に入っているのは、第一王子ジークフリート、魔導士ギルド総帥の息子ルナール、近衛騎士団長の次男カシエルだ。
原作知識を利用すれば、好感度を稼ぐことなんて簡単だ。
第一王子ジークフリートは、常に王子として振る舞うことが求められてきた。そのため、ただのジークフリートとして見てもらうことに飢えている。
魔導士ギルド総帥の息子ルナールは、魔法の才能がありすぎるが故に、周囲から孤立し、腫れ物扱いされている。対等に魔法の話ができる相手を求めている。
近衛騎士団長の次男カシエルは、一言で言ってしまえば、極度の堅物だ。鍛え上げられた肉体と鋭い眼光。そして無口。恐ろしくて女の子は誰も近寄らない。そこを突けば落とせる。
(よし!上手くやれば、原作にはなかった逆ハーレムエンドを迎えることができるかも)
私は、改めて気合いを入れ直し、3人の攻略を開始した。
◇
しかし、入学してわずか半年で、事態は思わぬ方向に動き出す。
「おはよう、リリア。今日も君の歩く道に汚れがないよう、あらかじめ石畳をすべて磨き直させておいたよ」
爽やかな笑顔でジークフリートが声をかけてきた。
彼の背後には、雑巾とバケツを持った騎士団の精鋭たちが、まるで戦場のような悲壮感を漂わせて整列している。
(……うん、今日もジーク様は絶好調ね)
彼の頭上には、今日も眩い黄金色の数字が浮かんでいる。
【580】
10歳の頃にすでに100を超えていた好感度が更に上にぶっ飛んでいた。
(まあ、私の魅力がゲーム本編のヒロインより強すぎたのかしら? 500を超えると、掃除の徹底ぶりが国家予算レベルになるのね。面白いバグだわ)
私はそれを「推しキャラからの手厚いファンサービス」程度に解釈し、優雅に微笑んで返した。
「ありがとうございます、ジーク様。でも、騎士の方々を掃除に使うのは少し申し訳ないわ」
その瞬間。
ジーク様の頭上の数字が、ピキッという不穏な音を立てて跳ね上がった。
【580】→【620】
「……申し訳ない? ああ、そうか。彼らの手際が悪くて、リリアに気を遣わせてしまったんだね。……リリアを不快にさせた罪は重いな。後で全員、指の一本も……」
「ジーク様?」
「冗談だよ、可愛いリリア。さあ、教室へ行こう」
ジーク様の瞳から、一瞬だけ光が消えたような気がした。
まるですべてを吸い込むブラックホールのような、濁った青。
けれど彼はすぐにいつもの王子らしい完璧な笑顔を作り、私の手を取ってエスコートする。
◇
「リリア様、お疲れではありませんか? 貴女の視界に『雑音』が入らぬよう、消音魔法の応用で、このクラスの男子生徒はすべての音を消しました。さぁ、いつもの魔法談義を始めましょう。リリア様の発想はいつも新鮮で、私に新たな知見を与えてくれます」
そう言って眼鏡を押し上げたのは、魔導士ギルド総帥の息子、ルナール。
彼の頭上には【520】の数字。
…うん。言ってることがちよっとおかしくなってる気がするけど、順調。順調。
◇
私がふと、「最近、食堂のメニューが人参ばかりね」と呟いたときのことだ。
「…リリア様は、人参がお嫌いか?」
背後に音もなく現れたのは、近衛騎士団長の次男、カシエル。彼の数字は【600】。
「嫌いっていうほどじゃないんだけど、少し土臭いのが苦手で……」
「…そうか」
そう言って、カシエルは音もなく消えた。
それから、数週間後。城下町から人参が消えた。
屈強な近衛騎士団の漢たちが、急遽、人参の大食い大会を開催。
ほとんどの人参を消費してしまい、市場に流れなくなったのだ。
(……あれ? 何か、原作にないイベントが大量発生している?)
ようやく、ほんの少しの違和感が胸をよぎった。
◇
それから、さらに数ヶ月後。
全員の数字が【900】を伺う勢いだった。
彼らの視線は、もはや私を見ていない。
私という偶像を、自分たちの妄想で塗りつぶし、一ミリの狂いもなく管理しようとする―捕食者の目。
「ねえ、リリア。君は僕だけを見ていればいいんだよ。他の不純物はいらない。君の呼吸も、鼓動も、流れる血の一滴まで、僕たちが守ってあげるからね」
ジークフリードが私の髪を掬い、うっとりと匂いを嗅ぐ。
その瞳は、もはや美しい青色ではなく、どろりとした深淵の色。
ふと見れば、頭上の数字が、激しく火花を散らしながら、ついに大台に乗った。
【1000】
目の前のジーク様が、カチカチと音を立てて首を傾げる。
ハイライトの一切ない瞳が、私の顔を覗き込んだ。
「リリア……逃げようなんて、思ってないよね? もしそんなことしたら、君の両足を……」
その先の言葉を聞く前に、私は本能的に彼の手を振り払った。
とにかく、一刻も早く、城内を出よう。
城内を走って移動していると、ルナールの姿が見えた。
彼の頭上にも【1000】の文字。
そして、明らかに様子がおかしい。
「……ああ、リリア様。今、瞬きをしましたね。これで四万三千二百一回目。私の魔導書には、貴女が今日流した汗の数も、呼吸の回数も、すべて記録してあります。ですが、記録だけでは足りない。……不確定要素が多すぎる。貴女の脳に直接、私の意識を流し込んでもいいですか? そうすれば、貴女が何を考え、何を望むか、私が貴女自身よりも先に知ることができる。……大丈夫、痛みはありません。貴女の精神を優しく、私だけの色の魔力で塗り潰して、永久に凍結保存して差し上げるだけですから」
何やら気持ち悪いことをぶつぶつと言っている。
(違う…こんなの、私が推していた理知的な眼鏡キャラのルナールじゃない!)
そして、背後から現れたのはカシエル。
騎士見習いとして、公正と正義をこよなく愛する彼に、咄嗟に助けを求めようとしたが。
「リリア。安心しろ。貴女の視界に入る『不浄なもの』はすべて斬り捨てておいた。先ほど貴女の影を踏んだメイドも、貴女に話しかけようとした子犬も…今頃は静かになっている」
「この世は、貴女にはあまりに汚すぎる」
「だから、私の腕の中だけで過ごせ。外の世界を見るためのその瞳が必要なら、私が貴女の代わりに見よう。歩くためのその足が必要なら、私が貴女を一生抱えて歩こう」
「貴女はただ、私の心臓が止まるまで、私という檻の中で呼吸をしていればいい」
ハイライトの消えた瞳で、物騒な台詞を詩的に語るカシエル。そこには、私が好きだった寡黙な堅物の面影はない。もちろん頭上の数字は【1000】。
前後を二人に挟まれ、逃げきれない…捕まる。
そう覚悟したその瞬間。
空が割れ、禍々しい魔力が降り注いだ。
王城内は大混乱に陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。
私にとってはチャンスだった。
逃げ惑う群衆に紛れ、私は王城2階のバルコニーから飛び降りる。
飛び降りた先には、浅黒い肌に銀髪、漆黒の鎧を纏い、冷酷な赤瞳で人間を見下ろす魔王アシュタロトがいた。
(何でこのタイミングでラスボスが!?)
魔王アシュタロト。
本来であれば、個別ルートの最後に戦うラスボス。圧倒的な美貌と暴力性を持つ原作でも屈指の人気キャラ。だが、攻略対象ではないため、彼の個別ルートは存在しない。
魔王を倒す手段はただ一つ。好感度を100まで上げた攻略対象との愛の力による奇跡の浄化魔法の発動。
しかし、今の私は攻略対象たちに本能的な恐怖を覚えてしまっている。これでは、浄化魔法は発動しない。
「…フン。奇妙な魔力の捩れを感じたので、念のために見にきたが…単なる杞憂か。そこの女、目障りだ。疾く失せよ」
魔王が冷徹な眼で私を見据える。
本来であれば、その鋭い眼光に震え上がるはずである。
だが、私の視線は、彼の頭上に吸い寄せられていた。
【0】
そこには、混じりけのない、清々しいまでの「無関心」があった。
ジークフリートたちが向けてくる、ねっとりとした粘着質な視線とは対極の、冷たい氷のような数字。
「魔王様! お願いです、私を連れ去ってください! 奴隷でも家畜でも構いません! 貴方の『0』が、私には何よりの救いなんです!」
魔王は怪訝そうに眉を寄せた。
「……狂ったか、人間。いいだろう、その絶望した顔、退屈しのぎにはなりそうだ」
私は魔王の手を取り、光り輝く好感度1000超えの男たちが迫る王都を後にした。
◇
魔王城の最下層。冷たい石造りの廊下で、私はボロボロの雑巾を手に、鼻歌を歌いながら床を磨いていた。
「ふふーん、今日も冷たい。石床が冷たすぎて指の感覚がないわ。最高……!」
掃除を終えた私の前に、重厚な足音が響く。
銀色の長髪をなびかせ、赤い瞳で私を射抜くのは、この城の主・魔王アシュタロトだ。
彼の頭上には、今日も神々しいまでの【0】が鎮座している。
「……おい、人間。まだ生きていたのか」
魔王の低く冷酷な声。かつての王子たちなら、「リリアの喉が枯れないように、僕が代わりに喋ってあげようか?」などと狂った提案をしてきただろう。
だが、アシュタロト様は違う。
「はい、アシュタロト様! おかげさまで、今日も元気です!」
「……気味が悪いな。貴様、先ほどわざと私の通り道にいたな。私を怒らせ、死を賜りたいという嘆願か?」
「いいえ! 貴方の『ゴミを見るような目』を浴びて、生存確認をしたかっただけです。ああ、その冷徹な眼差し……心に一切の執着がない。なんて清潔なんでしょう!」
私は感極まって、床に跪いた。
魔王の引き締まった頬が、わずかに引きつる。
「……フン。次はもっと過酷な労働を命じてやる。北の塔の、魔物さえ近づかぬ凍てついた書庫を一人で整理しろ。期限は三日だ。出来ねば……」
「出来ねば、地下牢に閉じ込めて放置ですか!?」
「……そうだ。誰とも会わせず、光も届かぬ暗闇で朽ち果てさせる」
「ご褒美ありがとうございます!!」
私は魔王の手を取り、ブンブンと振り回した。
「一人きり! 放置! 完璧です! 私が求めていたスローライフはそこにあったんですね!」
「……放せ! 穢らわしい人間め!」
魔王は心底嫌そうに私の手を振り払う。
その瞬間、彼の頭上の【0】が、一瞬だけゆらりと揺れて【1】。微々たる変化を見せたが、すぐに【0】に戻った。
私はそれを見逃さなかった。
(……危ない。今の『放せ!』に、ほんの少しだけ『戸惑い』という名の関心が混ざったわ。気をつけなきゃ。彼に好かれてしまったら、ここもまた、あの地獄(王子たちの国)と同じになってしまう)
私はすぐに表情を引き締め、事務的に一礼した。
「失礼いたしました、魔王様。私はただの、掃除の行き届いていない床と同じ、風景の一部です。どうぞお気になさらず、存分に私を蔑んでくださいね」
「……勝手にしろ。不愉快な女だ」
魔王はマントを翻し、去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、私はうっとりとため息をついた。
「ああ……嫌われてる。しっかり、確実に、一人の人間としてではなく『害虫』として認識されてる。幸せ……」
◇
魔王の背後で、彼の側近がボソリと呟く。
「魔王様、なんだかんだで毎日、あの娘の様子を見に来ておられますな」
「黙れ。監視だ。……ただの、監視だ」
この時、魔王の頭上の数字は―リリアの視界からは見えない角度で、【0】から【10】へと微増していた。




