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好感度1000越えの攻略対象から逃げ出したい。

作者: 唯乃
掲載日:2026/02/13

 乙女ゲーム『ルミナス・ラヴァーズ』の世界に転生して10年。


 私、リリア・アルブライトは、自分の視界に奇妙な「数字」が見えることに気づいていた。


 それは、対象が自分に対して抱いている「好感度」だ。


 前世でやり込んだゲームの知識によれば、この世界の好感度上限は「100」。

 100になれば、感動のハッピーエンディングが待っている。


「リリア。今日も君は、朝露に濡れた薔薇のように美しいね」


 第一王子・ジークフリートが、私の手を取って跪く。


 彼の頭上に浮かんでいる数字は、【90】。


(……おかしい。シナリオが始まっていないのに、もう好感度が上限間際だわ)


 前世の知識では、彼はクールで理知的な王子だったはずだ。なのに、今の彼は私を見るなり、蕩けたような甘い声を出す。


 私は愛想笑いを浮かべながら、心の中で自分を納得させた。


(ジーク様の好みは知り尽くしてるし、シナリオを前倒しして攻略を進めた結果かな。まぁ、数字が多い分には、嫌われるよりマシだわ)





 月日が流れ、私は15歳になった。

ここからが、「ルミナス・ラヴァーズ」本編である学園生活の始まりだ。


 攻略対象は数多いるが、その中でも、私が特に気に入っているのは、第一王子ジークフリート、魔導士ギルド総帥の息子ルナール、近衛騎士団長の次男カシエルだ。


 原作知識を利用すれば、好感度を稼ぐことなんて簡単だ。

 

 第一王子ジークフリートは、常に王子として振る舞うことが求められてきた。そのため、ただのジークフリートとして見てもらうことに飢えている。

 魔導士ギルド総帥の息子ルナールは、魔法の才能がありすぎるが故に、周囲から孤立し、腫れ物扱いされている。対等に魔法の話ができる相手を求めている。

 近衛騎士団長の次男カシエルは、一言で言ってしまえば、極度の堅物だ。鍛え上げられた肉体と鋭い眼光。そして無口。恐ろしくて女の子は誰も近寄らない。そこを突けば落とせる。

 

(よし!上手くやれば、原作にはなかった逆ハーレムエンドを迎えることができるかも)


 私は、改めて気合いを入れ直し、3人の攻略を開始した。





 しかし、入学してわずか半年で、事態は思わぬ方向に動き出す。


「おはよう、リリア。今日も君の歩く道に汚れがないよう、あらかじめ石畳をすべて磨き直させておいたよ」


 爽やかな笑顔でジークフリートが声をかけてきた。

 彼の背後には、雑巾とバケツを持った騎士団の精鋭たちが、まるで戦場のような悲壮感を漂わせて整列している。


(……うん、今日もジーク様は絶好調ね)


 彼の頭上には、今日も眩い黄金色の数字が浮かんでいる。


 【580】


 10歳の頃にすでに100を超えていた好感度が更に上にぶっ飛んでいた。


(まあ、私の魅力がゲーム本編のヒロインより強すぎたのかしら? 500を超えると、掃除の徹底ぶりが国家予算レベルになるのね。面白いバグだわ)


 私はそれを「推しキャラからの手厚いファンサービス」程度に解釈し、優雅に微笑んで返した。


「ありがとうございます、ジーク様。でも、騎士の方々を掃除に使うのは少し申し訳ないわ」


その瞬間。


ジーク様の頭上の数字が、ピキッという不穏な音を立てて跳ね上がった。


【580】→【620】


「……申し訳ない? ああ、そうか。彼らの手際が悪くて、リリアに気を遣わせてしまったんだね。……リリアを不快にさせた罪は重いな。後で全員、指の一本も……」


「ジーク様?」


「冗談だよ、可愛いリリア。さあ、教室へ行こう」


 ジーク様の瞳から、一瞬だけ光が消えたような気がした。

 まるですべてを吸い込むブラックホールのような、濁った青。


 けれど彼はすぐにいつもの王子らしい完璧な笑顔を作り、私の手を取ってエスコートする。





「リリア様、お疲れではありませんか? 貴女の視界に『雑音』が入らぬよう、消音魔法の応用で、このクラスの男子生徒はすべての音を消しました。さぁ、いつもの魔法談義を始めましょう。リリア様の発想はいつも新鮮で、私に新たな知見を与えてくれます」


 そう言って眼鏡を押し上げたのは、魔導士ギルド総帥の息子、ルナール。

 彼の頭上には【520】の数字。


 …うん。言ってることがちよっとおかしくなってる気がするけど、順調。順調。





 私がふと、「最近、食堂のメニューが人参ばかりね」と呟いたときのことだ。


「…リリア様は、人参がお嫌いか?」


 背後に音もなく現れたのは、近衛騎士団長の次男、カシエル。彼の数字は【600】。


「嫌いっていうほどじゃないんだけど、少し土臭いのが苦手で……」


「…そうか」


 そう言って、カシエルは音もなく消えた。


 それから、数週間後。城下町から人参が消えた。


 屈強な近衛騎士団の漢たちが、急遽、人参の大食い大会を開催。

 ほとんどの人参を消費してしまい、市場に流れなくなったのだ。


(……あれ? 何か、原作にないイベントが大量発生している?)


 ようやく、ほんの少しの違和感が胸をよぎった。




 それから、さらに数ヶ月後。


 全員の数字が【900】を伺う勢いだった。


 彼らの視線は、もはや私を見ていない。


 私という偶像を、自分たちの妄想で塗りつぶし、一ミリの狂いもなく管理しようとする―捕食者の目。


「ねえ、リリア。君は僕だけを見ていればいいんだよ。他の不純物はいらない。君の呼吸も、鼓動も、流れる血の一滴まで、僕たちが守ってあげるからね」


 ジークフリードが私の髪を掬い、うっとりと匂いを嗅ぐ。


 その瞳は、もはや美しい青色ではなく、どろりとした深淵の色。


 ふと見れば、頭上の数字が、激しく火花を散らしながら、ついに大台に乗った。


【1000】


 目の前のジーク様が、カチカチと音を立てて首を傾げる。


 ハイライトの一切ない瞳が、私の顔を覗き込んだ。


「リリア……逃げようなんて、思ってないよね? もしそんなことしたら、君の両足を……」


 その先の言葉を聞く前に、私は本能的に彼の手を振り払った。


 とにかく、一刻も早く、城内を出よう。


 城内を走って移動していると、ルナールの姿が見えた。


 彼の頭上にも【1000】の文字。


 そして、明らかに様子がおかしい。


「……ああ、リリア様。今、瞬きをしましたね。これで四万三千二百一回目。私の魔導書には、貴女が今日流した汗の数も、呼吸の回数も、すべて記録してあります。ですが、記録だけでは足りない。……不確定要素が多すぎる。貴女の脳に直接、私の意識を流し込んでもいいですか? そうすれば、貴女が何を考え、何を望むか、私が貴女自身よりも先に知ることができる。……大丈夫、痛みはありません。貴女の精神を優しく、私だけの色の魔力で塗り潰して、永久に凍結保存して差し上げるだけですから」


 何やら気持ち悪いことをぶつぶつと言っている。


(違う…こんなの、私が推していた理知的な眼鏡キャラのルナールじゃない!)


 そして、背後から現れたのはカシエル。


 騎士見習いとして、公正と正義をこよなく愛する彼に、咄嗟に助けを求めようとしたが。


「リリア。安心しろ。貴女の視界に入る『不浄なもの』はすべて斬り捨てておいた。先ほど貴女の影を踏んだメイドも、貴女に話しかけようとした子犬も…今頃は静かになっている」


「この世は、貴女にはあまりに汚すぎる」


「だから、私の腕の中だけで過ごせ。外の世界を見るためのその瞳が必要なら、私が貴女の代わりに見よう。歩くためのその足が必要なら、私が貴女を一生抱えて歩こう」


「貴女はただ、私の心臓が止まるまで、私という檻の中で呼吸をしていればいい」


 ハイライトの消えた瞳で、物騒な台詞を詩的に語るカシエル。そこには、私が好きだった寡黙な堅物の面影はない。もちろん頭上の数字は【1000】。


 前後を二人に挟まれ、逃げきれない…捕まる。

 そう覚悟したその瞬間。


 空が割れ、禍々しい魔力が降り注いだ。


 王城内は大混乱に陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。


 私にとってはチャンスだった。


 逃げ惑う群衆に紛れ、私は王城2階のバルコニーから飛び降りる。


 飛び降りた先には、浅黒い肌に銀髪、漆黒の鎧を纏い、冷酷な赤瞳で人間を見下ろす魔王アシュタロトがいた。


 (何でこのタイミングでラスボスが!?)


 魔王アシュタロト。

 本来であれば、個別ルートの最後に戦うラスボス。圧倒的な美貌と暴力性を持つ原作でも屈指の人気キャラ。だが、攻略対象ではないため、彼の個別ルートは存在しない。


 魔王を倒す手段はただ一つ。好感度を100まで上げた攻略対象との愛の力による奇跡の浄化魔法の発動。

 しかし、今の私は攻略対象たちに本能的な恐怖を覚えてしまっている。これでは、浄化魔法は発動しない。


「…フン。奇妙な魔力の捩れを感じたので、念のために見にきたが…単なる杞憂か。そこの女、目障りだ。疾く失せよ」


 魔王が冷徹な眼で私を見据える。

 本来であれば、その鋭い眼光に震え上がるはずである。

 だが、私の視線は、彼の頭上に吸い寄せられていた。


【0】


 そこには、混じりけのない、清々しいまでの「無関心」があった。


 ジークフリートたちが向けてくる、ねっとりとした粘着質な視線とは対極の、冷たい氷のような数字。


「魔王様! お願いです、私を連れ去ってください! 奴隷でも家畜でも構いません! 貴方の『0』が、私には何よりの救いなんです!」


 魔王は怪訝そうに眉を寄せた。


「……狂ったか、人間。いいだろう、その絶望した顔、退屈しのぎにはなりそうだ」


 私は魔王の手を取り、光り輝く好感度1000超えの男たちが迫る王都を後にした。





 魔王城の最下層。冷たい石造りの廊下で、私はボロボロの雑巾を手に、鼻歌を歌いながら床を磨いていた。


「ふふーん、今日も冷たい。石床が冷たすぎて指の感覚がないわ。最高……!」


 掃除を終えた私の前に、重厚な足音が響く。


 銀色の長髪をなびかせ、赤い瞳で私を射抜くのは、この城の主・魔王アシュタロトだ。


 彼の頭上には、今日も神々しいまでの【0】が鎮座している。


「……おい、人間。まだ生きていたのか」


 魔王の低く冷酷な声。かつての王子たちなら、「リリアの喉が枯れないように、僕が代わりに喋ってあげようか?」などと狂った提案をしてきただろう。


 だが、アシュタロト様は違う。


「はい、アシュタロト様! おかげさまで、今日も元気です!」


「……気味が悪いな。貴様、先ほどわざと私の通り道にいたな。私を怒らせ、死を賜りたいという嘆願か?」


「いいえ! 貴方の『ゴミを見るような目』を浴びて、生存確認をしたかっただけです。ああ、その冷徹な眼差し……心に一切の執着がない。なんて清潔なんでしょう!」


 私は感極まって、床に跪いた。


 魔王の引き締まった頬が、わずかに引きつる。


「……フン。次はもっと過酷な労働を命じてやる。北の塔の、魔物さえ近づかぬ凍てついた書庫を一人で整理しろ。期限は三日だ。出来ねば……」


「出来ねば、地下牢に閉じ込めて放置ですか!?」


「……そうだ。誰とも会わせず、光も届かぬ暗闇で朽ち果てさせる」


「ご褒美ありがとうございます!!」


 私は魔王の手を取り、ブンブンと振り回した。


「一人きり! 放置! 完璧です! 私が求めていたスローライフはそこにあったんですね!」


「……放せ! 穢らわしい人間め!」


 魔王は心底嫌そうに私の手を振り払う。


 その瞬間、彼の頭上の【0】が、一瞬だけゆらりと揺れて【1】。微々たる変化を見せたが、すぐに【0】に戻った。


 私はそれを見逃さなかった。


(……危ない。今の『放せ!』に、ほんの少しだけ『戸惑い』という名の関心が混ざったわ。気をつけなきゃ。彼に好かれてしまったら、ここもまた、あの地獄(王子たちの国)と同じになってしまう)


 私はすぐに表情を引き締め、事務的に一礼した。


「失礼いたしました、魔王様。私はただの、掃除の行き届いていない床と同じ、風景の一部です。どうぞお気になさらず、存分に私を蔑んでくださいね」


「……勝手にしろ。不愉快な女だ」


 魔王はマントを翻し、去っていく。


 その後ろ姿を見送りながら、私はうっとりとため息をついた。


「ああ……嫌われてる。しっかり、確実に、一人の人間としてではなく『害虫』として認識されてる。幸せ……」





 魔王の背後で、彼の側近がボソリと呟く。


「魔王様、なんだかんだで毎日、あの娘の様子を見に来ておられますな」


「黙れ。監視だ。……ただの、監視だ」


 この時、魔王の頭上の数字は―リリアの視界からは見えない角度で、【0】から【10】へと微増していた。




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