EP 8
スタンピードとシフトの危機
S級ダンジョンからの帰還。
それは本来、凱旋パレードが行われてもおかしくない偉業だ。
だが、流賀隆史の心臓は、ドラゴンと対峙した時以上にバクバクと早鐘を打っていた。
街の入り口にある時計台の針は、16時45分を指している。
「(……や、ヤバいでござる)」
隆史の顔面から血の気が引いていた。
彼は今日、17時からコンビニ『タローソン』のシフトが入っているのだ。
この国の王であり、タローソンの実質的オーナーである佐藤太郎(店長)は、普段は温厚だが、「遅刻」と「無断欠勤」には厳しい。
もし遅刻すれば、笑顔で「じゃあ、罰として岩盤浴のボイラー係(灼熱)ね」と言われかねない。
「あ、あの、キャルル殿。拙者、急用を思い出したので、これにてドロンさせて……」
隆史がコソコソと列から離れようとした、その時だ。
ウゥゥゥゥゥゥゥーーーッ!!
不穏なサイレンの音が、街中に響き渡った。
それは空襲警報のような、あるいは世界の終わりを告げるような音だった。
「な、何事でござるか!?」
街の衛兵が血相を変えて走ってくる。
「緊急事態だ! 東の平原から魔物の大群が押し寄せてくるぞ!」
「数は!?」
「数千……いや、万を超える! スタンピード(魔物暴走)だ!!」
スタンピード。
それはファンタジー世界における自然災害。魔物の群れが津波のように押し寄せ、都市を壊滅させる現象だ。
「きゃあ! 怖いよぉ!」
リーザが隆史の背中にしがみつく。
「わあ、魔物の大行進ですね。お祭りみたい」
ルナが呑気なことを言う。
「チッ……帰ってパフェ食べるつもりだったのに」
キャルルが舌打ちをし、安全靴のつま先を地面に叩きつけた。
だが、隆史の脳内は別の恐怖で埋め尽くされていた。
(ス、スタンピードで通行止め!? ということは……バイトに行けない!?)
遅刻確定。
その四文字が脳裏に浮かんだ瞬間、隆史の生存本能が「逃亡」を選択した。
「せ、拙者には関係ない! 拙者はただのバイト店員……ここで逃げなければ店長に殺される!」
隆史は脱兎のごとく駆け出した。
魔物の群れとは逆方向、裏路地を通って店へ向かうルートへ。
ガシッ。
しかし、その襟首は、鋼鉄のような握力によって捕まれていた。
「どこ行くのよ、リーダー」
振り返ると、キャルルが据わった目で隆史を見下ろしていた。
「ひぃっ! キャルル殿!? は、放すでござる! 拙者には、世界の命運よりも重い『シフト』という使命が……!」
「あんたバカ? 見なさいよ、あそこ」
キャルルが指差した先。
東の平原を埋め尽くす黒い影――オーク、ゴブリン、オーガの群れが、土煙を上げて迫っていた。
そして、その進軍ルート上には、コンビニ『タローソン』があった。
「あんたの職場、このままだと更地になるわよ」
ガーン。
隆史の思考が停止した。
職場がなくなる = バイト代が入らない = 借金が返せない = 死。
「そ、そんな……」
「それに、あんた『武器』拾ってたでしょ? さっきダンジョンのゴミ山で」
キャルルは、隆史が右手に握りしめている「赤錆びた鉄パイプ」を顎でしゃくった。
「え? これ?」
隆史は手元の鉄パイプを見た。
ダンジョンの最深部、ドラゴンの巣の隅に落ちていたガラクタだ。
ゴミ拾いスキルが反応し、「これなら屑鉄屋で5ポイントくらいになるか」と思って拾っただけの代物である。
「これは武器ではないでござる! ただの……そう、トイレ掃除用の棒でござるよ!」
隆史は必死に弁解した。
武器だなんて思われたら、「じゃあ戦って」と言われてしまう。
あくまで清掃用具だと言い張ることで、非戦闘員アピールをする作戦だ。
「トイレ掃除用……?」
キャルルが呆れた顔をする。
だがその時、隆史の手の中で、鉄パイプが一瞬だけドクンと脈打った気がした。
(……なんだ? 今、振動したような……?)
気のせいだろう。ただの錆びた棒だ。
しかし、この棒こそが、神代の伝説武装『雷霆』の擬態した姿であることを、隆史はまだ知らない。
そして雷霆もまた、困惑していた。
雷霆の意思:『……トイレ掃除用? 我が? 神殺しのこの我が? ……ククク、面白い。歴代の主は我を「聖剣」だの「魔槍」だのと崇めたが、便所掃除の棒とはな。この男、底が知れぬ(買いかぶり)』
「とにかく! リーダーはあんたよ!」
キャルルは隆史を最前線へと放り投げた。
「ええっ!? 無理無理無理!」
「来るわよ! 構えて!」
ズズズズズズ……
地鳴りと共に、魔物の先頭集団が目の前まで迫っていた。
数千の瞳が、殺意を持って隆史たちを睨みつける。
「ひいいいいいッ!! 店長助けてええええ!!」
隆史は半泣きになりながら、トイレ掃除用の棒(仮)を構えた。
逃げ道なし。
シフト遅刻確定。
そして目の前には死の軍団。
極限状態のストレスが、彼の中の何か(中二病スイッチ)を、間違った方向にねじ切ろうとしていた。




