EP 29
日常への帰還(パンの耳再び)
伝説のライブから一夜明けた、シェアハウス『タロウ・ハイツ』201号室。
朝の光が差し込むリビングには、残酷なまでの「香りの格差」が漂っていた。
「ん~っ! 朝からステーキ重、最高ね!」
月兎族のキャルルが、箸で分厚い肉を持ち上げる。
リベラから「護衛特別ボーナス」として支給された、王都の高級料亭『肉のタロウ』の特上弁当だ。肉汁の香りが部屋中に充満している。
「私も、デザートは最高級マスクメロンですぅ」
ルナがスプーンで果肉をすくう。甘美な香りが鼻をくすぐる。
そして、ちゃぶ台の末席。
「…………」
リーザ・マーメイドは、正座をして、目の前の皿を見つめていた。
そこに鎮座しているのは、昨日よりもさらに黒く焦げた「パンの耳」。
そして、横には大切そうに並べられた「銅貨3枚」。
「……いただきます」
ガリッ。ボリッ。
乾いた音が響く。
もはやパンではない。炭に近い物質だ。
「……うん。焦げ目が苦くて、まるで大人のコーヒーの味だよぉ……」
リーザは涙目で強がった。
昨夜のステージ、数万人の歓声、金貨の雨。
それらは全て夢だったのではないかと思えるほど、彼女の生活水準は垂直落下していた。
「リーザ殿……」
見かねた流賀隆史が、自分の廃棄おにぎり(梅)を差し出そうとした。
だが、リーザは首を横に振った。
「いいの、隆史さん。私、これがあるから」
彼女は銅貨3枚を愛おしそうに撫でた。
「たった3円だけど……これ、私が初めて自分の歌で稼いだお金だもん。……飴玉一個しか買えないけど、私にとっては金貨以上の宝物だよ」
「リーザ殿……!」
隆史は目頭が熱くなった。
成長した。この守銭奴アイドルは、清貧の心を知り、小さな幸せを噛み締めることを覚えたのだ。
「だからこの3円は使わずに取っておくの! ……お腹すいたなぁ。誰かお肉くれないかなぁ(チラッ)」
「(……やっぱり強欲は消えてなかったでござる)」
キャルルが呆れながら、ステーキの一切れをリーザの口に放り込んだ。
「んぐっ! ……おいひいぃぃぃ!」
リーザの絶叫が朝のアパートにこだました。
***
「行ってきまーす!」
朝食を終え、一行は職場である『タローソン王宮特別支店』へと向かった。
並木道を歩くリーザの足取りは、昨日までより少し軽やかだ。
「ねえ、昨日のライブ、楽しかったな」
「ああ、凄まじい熱気だったでござるよ」
「みんなが私の名前を呼んでくれて……『頑張れ』って言ってくれて。……私、パンの耳生活でも、アイドル続けていいのかな」
リーザがはにかむ。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
「当然でござる。君はもう、王都の誰もが認める歌姫だ」
隆史が太鼓判を押した、その時。
ザワザワザワザワ……!!
タローソンの前が、異様な人だかりで埋め尽くされていた。
数百人はいそうだ。しかも、その客層が濃い。
作業着の労働者、鎧を着た冒険者、そして目つきの鋭い商人たち。
「な、何事でござるか!? 暴動!?」
隆史が身構える。
しかし、群衆はリーザの姿を見つけると、一斉に振り返った。
「おお! いたぞ!!」
「「「リーザ様だァァァァァ!!」」」
地鳴りのような歓声。
彼らは手に手に、昨日のライブグッズ(リベラが急造したタオルや団扇)を持っている。
「リーザ様! 昨日の歌、感動しました!」
「俺も金が欲しい! あんたについて行くぜ!」
「我らが『強欲の女神』万歳!!」
「えっ? ご、強欲の女神?」
リーザが瞬きする。
さらに、群衆の視線は隆史にも向けられた。
「おい、あいつだ! あの後ろにいるのが店長だ!」
「雑誌に載ってた『暗黒プロデューサー』だぞ!」
「あの女神を搾取し、パンの耳を与えて飢えさせ、ハングリー精神を引き出しているという……鬼畜の所業!」
「「「サスガ店長! 一生ついていきます!!」」」
「はあぁぁぁ!? 誤解でござる! 拙者はただのバイト雇われ店長でござるよ!」
隆史の悲鳴は届かない。
ファンクラブ――いや、信者たちは、タローソンになだれ込んだ。
「リーザ様への貢ぎ物を買うぞ!」
「この店の売上が、リーザ様の血肉になるんだ!」
「買い占めろォォォ!!」
ウィィィィン……!!
自動ドアが開けっ放しになり、怒涛の勢いで商品が消えていく。
レジに立つリーザは、最初は戸惑っていたが、すぐに「¥」マークの目になった。
「いらっしゃいませー! はい、からあげクン100個ですね! 毎度ありーっ!」
「レジ袋は有料ですが、私の笑顔はプライスレスですよぉ♡」
水を得た魚のように金を稼ぐリーザ。
それを護衛しながらつまみ食いするキャルル。
店内に花を咲かせて演出するルナ。
そして、レジの奥で死んだ魚のような目をしている隆史。
「……あ、悪くない。売上は伸びる。……だが」
彼は群衆に揉みくちゃにされながら、天井を仰いだ。
「拙者の『平穏なコンビニライフ』は、完全に終わったでござる……」
パンの耳をかじる歌姫と、彼女を崇める労働者たち。
そして、それを率いる(ことになってしまった)小心者の侍店長。
タローソン王宮特別支店は、今日もカオスと欲望の渦の中心で、元気に営業中である。
【現在の善行ポイント:180,000pt】
【称号獲得:強欲の女神の飼い主】




