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母が俺を忘れても ~無能と蔑まれた少年は、静止した時の中で最強へ覚醒する~  作者: おーあい


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34.【断罪の瞳】

 眼下には、無惨に破壊された実験場と、二体の怪物の死骸が広がっている。


 俺は一歩、また一歩と、厚い絨毯の上を踏みしめた。 革靴の音が吸い込まれ、静寂が支配する空間。


 その最奥に、父・天野宗一は立っていた。


「よく来た、刹那」


 父は両手を広げ、まるで家出した息子を迎え入れる慈父のように微笑んだ。


 だが、その目は笑っていない。 サングラスを捨てた素顔。細められた瞳の奥には、粘着質な支配欲と、底知れぬ狂気が渦巻いている。


 俺は視線を逸らさず、しかし焦点は合わせずに彼を見据えた。


『目を見て話せ』。 それが父の口癖であり、呪いの発動条件だ。まともに見つめ合えば、その瞬間に意識を乗っ取られる。


「終わらせに来たよ、父さん。……いや、天野宗一」


 俺は拳銃を捨てた。 こいつには、銃弾など生温い。この手で、痛みと共に罪を刻み込まなければ気が済まない。


「勇ましいことだ。だが、お前は勘違いをしている」


 父は優雅にワイングラスを傾け、残っていた液体を飲み干した。


「お前は私を倒しに来たのではない。完成報告に来たのだよ。私の最高傑作として、創造主にその性能を披露するためにな」


「……俺はモノじゃない」


「モノだよ。それも、特級のな」


 カラン、と空のグラスが床に転がった。


 次の瞬間、父の空気が変わった。 柔和な仮面が剥がれ落ち、爬虫類のような冷徹な捕食者の顔が露わになる。


「座れ」


 短く、鋭い命令。 ズンッ、と脳髄に鉛を流し込まれたような重圧がかかる。


『記憶操作』の応用。言葉による簡易的な精神干渉だ。 膝が折れそうになる。長年の刷り込みによる条件反射が、俺に服従を強要する。


 だが、俺は歯を食いしばり、その場に踏みとどまった。


「……断る」


「ほう?」


 父が眉を跳ね上げた。


「私の『言葉』に逆らうか。以前のお前なら、失禁して土下座していたところだがな」


「俺はもう、あんたが知っている『駆』じゃない。……俺は『刹那』だ」


 俺は一歩踏み出した。


 距離は七メートル。 父の能力の射程距離など関係ない。視線が通れば、そこが処刑台だ。


「いいだろう。ならば、その名に相応しい死を与えてやる」


 父がカッと目を見開いた。 瞳孔が収縮し、異様な光を放つ。


 来る。 最強の精神干渉。視線による強制書き換え。


「見ろ!!」


 父の咆哮と共に、不可視の波動が俺を襲う。 俺の本能が、強制的に父の目を見るように首を動かそうとする。


 だが、遅い。 俺の思考速度は、すでに人間の領域を超えている。


(止まれ)


 キィィィン……。


 世界から色が消えた。 父の口元が歪んだ瞬間のまま、時間は凍りついた。


 俺は、止まった世界の中で息を吐いた。


「……無駄だ」


 俺はゆっくりと歩き出した。 父の目の前まで歩み寄る。


 彼が見開いた瞳は、俺を捉えているように見える。だが、実際には何も見ていない。


「見る」という行為は、対象に反射した光が網膜に届くことで成立する。 だが、時間が止まったこの世界では、光子さえもその場に縫い留められている。


 光が動かない。 つまり、父の網膜には、時間が止まる直前の古い景色が焼き付いているだけだ。


 今、目の前で動いている俺の姿は、物理的に見えていない。


 認識できなければ、干渉できない。 見えていなければ、視線は通じない。


 俺の能力『時間停止』は、父の能力『視覚媒介型・記憶操作』に対する、物理法則レベルでの完全な天敵だ。


「あんたの支配は、動いている時間にしか及ばない」


 俺は父の懐に入り込んだ。 無防備な腹部。


 俺は拳を固めた。母さんの痛み、兄弟たちの無念、俺の失われた18年間。 すべてをこの一撃に乗せる。


 ドスッ。


 重い手応え。 衝撃はまだ発生しない。だが、俺の拳は父の鳩尾に深々とめり込んでいる。


 一発では足りない。 俺は連打を叩き込んだ。 顔面、胸部、腹部。


 人体急所への精密な乱打。 父の体は彫像のように動かないが、その内部には致死量に近いエネルギーが蓄積されていく。


(……終わりだ)


 俺は父の背後に回り込み、耳元で囁く位置に立った。 時間は止まっているから、声は届かない。 だが、解除された瞬間に、最初に届く言葉になるように。


「あんたの時間は、もう進まない。俺が置いていくからだ」


 俺は指を鳴らした。


(解除)


 ドゴォォォォンッ!!


 時間が動き出した瞬間、父の体が内側から破裂したようにくの字に折れた。


「が、アァァァッ!?」


 肺の空気が強制排出され、血の混じった悲鳴が上がる。 父の体は弾丸のように吹き飛び、背後のコントロールパネルに激突した。


 バリバリバリッ!


 火花が散り、モニターが砕け散る。 父は床に崩れ落ち、痙攣していた。


 何が起きたのか理解できていないはずだ。 「見ろ」と叫んだ瞬間、次のコマでは自分が壁に叩きつけられていたのだから。


「……はぁ、はぁ」


 俺もまた、膝をついた。 鼻血が止まらない。


 意識的な時間停止の連続使用。しかも今回は、父への接近と攻撃のために数秒間維持した。 脳が焼けるようだ。視界が二重に見える。


 だが、勝った。 あの絶対的だった父が、今は泥にまみれた敗北者として転がっている。


 俺はふらつく足で立ち上がり、父を見下ろした。


「……立てよ、天野宗一。まだ終わってないぞ」


 これで終わりにするわけにはいかない。 母さんを元に戻す方法を吐かせ、罪を償わせるまでは。


 父が、ワナワナと震える手で床を掴んだ。 血に濡れた顔を上げる。 その表情は、苦痛に歪んでいたが……同時に、おぞましい笑みを浮かべていた。


「……ク、クク……」


「何がおかしい」


「素晴らしい……。まさか、光の静止を利用して、私の『目』を封じるとは……」


 父はよろめきながら、瓦礫を背にして体を起こした。 ダメージは深刻なはずだ。だが、その眼光はまだ死んでいない。 いや、むしろ追い詰められたことで、より狂気を増している。


「だが、甘いな、刹那。……お前は私を殺さなかった」


「殺す価値もないからだ。生きて償え」


「償い? 違うな。お前はまだ、私を『父親』として見ている。心のどこかで、親殺しを躊躇ったのだ」


 図星を突かれ、俺は息を呑んだ。 否定できない。 どんなに憎くても、こいつは俺の父親だ。その情が、最後の一撃を鈍らせたのかもしれない。


「その甘さが、お前の敗因だ」


 父が懐から何かを取り出した。 拳銃? いや、違う。 小さなリモコンのような端末。


 嫌な予感がした。 俺は反射的に動こうとした。 だが、脳の過負荷が体を縛り付ける。一瞬、反応が遅れた。


 父がスイッチを押した。


『警告。セクター4、緊急浄化システム、起動』


 無機質なアナウンスが響き渡る。 直後、部屋の中央――母さんのいるガラスの檻の中に、白いガスが充満し始めた。


「な……ッ!?」


「それは高濃度の神経ガスだ」


 父は血を吐きながら、愉悦に歪んだ顔で笑った。


「吸い込めばほんの数分で脳が破壊され、完全な植物状態になる。……さあ、どうする刹那? 私を殺すか? それとも母親を助けに行くか?」


 俺は父を睨みつけ、そして母さんの元へと駆け出した。


 卑怯者。 どこまでも、どこまでも腐りきった外道!


 俺は背を向けた。 それが、最大の隙になることを知りながら。


 父の目が、怪しく光った。


「かかったな」


 背後から、強烈な殺気が――いや、それよりも恐ろしい「干渉」が突き刺さる。 視線ではない。 もっと直接的な、脳への侵入。


「言ったはずだ。『親の目を見て話せ』とな」


 振り返ろうとした俺の視界に、ガラスに映り込んだ父の姿が入った。


 鏡越し。 それでも、視線は通じる。 父の瞳が、俺の網膜を焼き尽くすように捕らえた。


 ドクン。


 心臓が止まったかと思った。 世界が反転する。 俺の意識が、泥のような闇に引きずり込まれていく。


(しまっ……た……)


 時間は止められない。脳がハッキングされている。


 思考が溶ける。 「母さんを助ける」という意志が、「父に従え」という命令に上書きされていく。


 俺は膝から崩れ落ちた。 薄れゆく視界の中で、父がゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。


 悪魔の笑みを浮かべて。


「さあ、仕上げだ。お前の全てを私が塗り替えてやる」


 意識が、消える。 絶望の闇が、俺を飲み込んだ。

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