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母が俺を忘れても ~無能と蔑まれた少年は、静止した時の中で最強へ覚醒する~  作者: おーあい


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33.【困惑の勝利】

「……はッ!?」


 俺は、深い水底から急浮上して水面から顔を出したときのように、大きく息を吸い込んで覚醒した。


 肺に酸素が満ちる。新鮮な空気が、火照った肺胞を冷やしていく。 視界が急速に色を取り戻す。


 心臓が早鐘を打っている。冷や汗が全身を濡らしている。


 俺は……どうしたんだ?


 さっきまで、怪物の爪が目の前に迫っていて、脳が焼き切れそうで、俺は死を覚悟して、それから――。


 プツンと、フィルムが切れたように記憶がない。 死んだのか? ここは死後の世界か?


 いや、違う。足裏に伝わるコンクリートの冷たさが、ここがまだ現実であることを告げている。


「……なんだ、これ」


 目の前の惨状を見て、俺は言葉を失った。


 部屋の隅で、二体の怪物が折り重なるように倒れ、絶命している。 壁はひび割れ、床は血の海だ。Alphaの首は内側から爆ぜたようにねじ切れ、Betaの頭部は粉砕されている。


 まるで巨大なプレス機にでもかけられたような、圧倒的な質量の暴力。


 俺がやったのか?


 記憶がない。意識が途切れていた時間は、体感ではほんの一瞬だったはずだ。瞬きをするよりも短かったかもしれない。 なのに、あれほど凶悪だった怪物は全滅している。


 自分の手を見る。 震えていない。 手のひらには、べっとりと赤黒い血がついている。俺の血か、それとも怪物の返り血か。


 それよりも奇妙なのは、体感だ。


 さっきまで脳を苛んでいた焼きつくような激痛や、体が鉛のように重かった疲労感が、不思議なほど引いていた。


 体調が回復したわけではない。ダメージは残っているし、足もガクガクしている。 だが、「脳のオーバーヒート」だけが、まるで強制冷却されたかのように解消されている。


 深い眠りから覚めた直後のように、思考が不気味なほどクリアで、感情が抜け落ちているような静けさがあった。


(意識を失っている間に、俺が動いたのか……?)


 ぞくり、と背筋が震える。 自分で自分が怖い。


 俺の中に、俺の知らない怪物が潜んでいるような感覚。意識という檻が外れた瞬間、本能という獣が暴れ出し、全てを食い尽くしたとでもいうのか。


 だが、確かなことが一つある。 俺は生きている。そして、敵は排除された。


 上を見上げる。


 コントロールルームの父は、手すりを握りしめたまま硬直していた。 その表情には、予期せぬ敗北への焦りや恐怖ではなく、歪んだ歓喜の色が浮かんでいた。


 まるで、何十年も待ち望んでいた実験結果がついに出たかのような、狂気的な笑み。サングラスを外したその瞳が、異様な輝きを放っている。


「……素晴らしい」


 マイク越しの声が、感動に打ち震えている。


「見たか? この結果を。一瞬だ。瞬きする暇さえなかった。迷いも、恐怖も、人間的な躊躇いも一切介在する隙がなかった証拠だ!」


 父は両手を広げ、演説するように叫んだ。


「そうか、そうだったのか! 『時間停止』という神の御業を、人の脳で行うこと自体に無理があったのだ! 意識があるからこそ、脳は『止まった世界』と『動く自分』の矛盾を処理しようとして焼き切れ、恐怖や倫理がノイズとなり、出力にブレーキをかける!


 だが、意識を捨てればどうだ? 認識という抵抗が消え、脳は純粋な回路となる!


 自我など不要だったのだ! 思考を捨て、ただ敵を殲滅するだけの純粋な暴力装置……それこそが、無限の時を操る『最高傑作』の正体だったのだ!」


 俺は拳を握りしめた。爪が皮膚を破り、血が滲む。 父の言葉の一つ一つが、生理的な嫌悪感を呼び起こす。虫酸が走る。


 俺が意識を失って暴走したことを、あいつは「完成」だと呼ぶのか。 人間であることを捨てろと言うのか。


 俺は機械じゃない。母さんから生まれた、心のある人間だ。痛みも悲しみも知っているからこそ、守りたいものがあるんだ。


「……黙れ」


 低く、地を這うような声が出た。 俺は瓦礫を踏み越え、コントロールルームへと続く階段に足をかけた。


 もう、迷いはない。 怪物たちは片付いた。 あとは、あのガラスの向こうで笑っている元凶を引きずり下ろすだけだ。


「俺は道具じゃない。人間だ」


 俺は階段を一段ずつ、踏みしめるように登った。足音が鉄の階段に響き、ドーム全体にこだまする。


 一歩登るごとに、過去の弱い自分を置き去りにしていく。 父さんに認められたかった自分。愛されたかった自分。才能がないと嘆いていた自分。 すべて、ここに来るまでの道に捨ててきた。


「あんたの思い通りにはならない。俺は俺の意志で、あんたを断罪する」


 父はサングラスを放り投げ、その素顔を完全に晒した。


 初めて見る父の目は、爬虫類のように細く、冷たい光を宿していた。 そこには親としての情など微塵もない。あるのは、所有物を見る支配者の目だ。


 蛇が、蛙を睨むような目。


「来い、刹那。教育の仕上げだ。 お前のその無駄な『自我』を、私が完全に消去してやる。そうすれば、お前は真の最強になれる。苦しみも悲しみもない、永遠の安らぎを与えてやろう」


 俺と父の視線が交差する。 距離は十メートル。


 もはや言葉は不要だ。ここから先は、能力と能力、魂と魂の殺し合いだ。


 俺は深く息を吐き、最後の戦場へと足を踏み入れた。

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