27.【愛という名の実験】
父さんが母さんを選んだ理由はわかった。最強の能力者を作るための「部品」としてだ。 だが、まだ最大の疑問が残る。 母さんは、どうして父さんと結婚したんだ?
父さんは冷徹な支配者だ。母さんは花を愛する優しい人だ。水と油のような二人が、どうして惹かれ合ったのか。
俺の記憶の中の母さんは、父さんを深く愛していた。父さんが帰宅すると嬉しそうに迎え、冷たい態度をとられても甲斐甲斐しく尽くしていた。
あれは、演技だったのか? いや、そんなはずはない。あの眼差しは本物だった。 だとしたら、母さんは父さんの本性に気づかないまま、騙されて愛してしまったのか?
俺は震える指で、次の項目『配偶者選定および初期適合プロセス』を開いた。 そこに書かれていたのは、俺の淡い思い出を汚泥で塗りつぶすような、おぞましい記録だった。
『対象(天野奏)は、当初、管理者(宗一)に対して強い拒絶反応と嫌悪感を示した。また、当時彼女には結婚を約束した別のパートナーが存在した』
え……? 母さんには、好きな人がいた?
『しかし、次世代種の母体として彼女の遺伝子は不可欠である。 よって、管理者による権限を行使。
記憶操作により、”パートナーの存在”および”彼への思慕”を完全消去。 代わりに、”天野宗一への運命的な一目惚れ”と”盲目的な愛情”の記憶をインプラント《植え付け》した』
『備考:感情の書き換えは成功。以降、彼女は理想的な妻として、また「愛に満ちた家庭環境」を構築するための舞台装置として機能した』
「……お、えぇっ」
俺は口元を押さえ、乾いた嘔吐をした。
嘘だ。 だって、あんなに幸せそうだったじゃないか。 あれが全部、偽物? 母さんの心じゃなく、父さんがパソコンで打ち込んだプログラム通りに動かされていただけだったのか?
俺は、愛し合う両親から生まれたんじゃない。 母さんの心を殺し、脳みそを弄くって捏造された「偽りの愛」の上で、実験のためだけに生産されたんだ。
さらに、その下には『覚醒プロトコル』が続く。 なぜ、生まれてすぐに隔離しなかったのか。なぜ、五歳まで幸せな時間を与えたのか。
『最強の能力発現には、脳への極度な負荷が不可欠である』 『幸福度が高いほど、それを剥奪された時の絶望は大きくなる』 『偽りの愛で塗り固められた五年間。その幸福の絶頂で”母親の死(および自身による加害)”という最大の悲劇を演出することで、能力の覚醒を誘発する』
文字が滲んで読めない。涙じゃない。怒りで視界が赤く染まっているんだ。
『結論:天野奏による五年間の献身的な育児は、息子を絶望させるための”下準備《土壌作り》”として、極めて有効に機能した』
「う、うぅ、あぁぁぁぁッ!!」
俺は端末を拳で殴りつけた。強化ガラスに亀裂が走り、父さんの書いた文字が歪む。
あの優しさも。日向の匂いも。父さんを見つめる母さんの眼差しも。 すべて、父さんにとっては「俺を絶望させて、最強の兵器に仕立て上げるための肥料」だったというのか。
母さんは、自分の人生を、恋人を、心を奪われたことすら知らずに、犯人を愛させられ、その子供を産まされた。 こんな……こんな地獄があるか。
だが、絶望はこれで終わりではなかった。 なぜ13年もの間、母さんは生かされ続けている? 精神が崩壊し、言葉も失った彼女を、なぜ父さんは殺さずに幽閉しているんだ?
その答えは、『被検体S-001(奏):運用計画』という項目にあった。
『彼女の保有する”局所保存”は、彼女自身の肉体にも作用している。 細胞の老化・劣化が極限まで停止しており、どれほど過酷な外科手術や投薬実験を行っても、彼女の肉体は決して朽ちることがない』
母さんの、あの優しい力が。 花を枯らせない魔法が、自分自身を「死ねない体」にしてしまっているというのか。
父さんはそれを利用した。 壊れても壊れても再生する、永遠の実験資材として。
そして、その利用目的の欄を見て、俺の血液が凍りついた。
『目的:最高傑作である”天野刹那(時間停止能力者)”の量産』 『方法:母体(奏)に対し、強制的な排卵誘発および人工授精を繰り返し、第二、第三の刹那を製造する』
カチリ、と俺の中で何かが嵌まる音がした。 嫌な予感がする。
さっき見た、「被検体のリスト」。そして、「廃棄・再利用ログ」。 俺は震える手で、二つのデータを照らし合わせた。
『結果報告:量産計画はすべて失敗。』 『母体の精神崩壊による影響か、産み落とされた胎児(検体)はすべて、能力の負荷に耐えきれず、成長過程で異形の怪物へと変貌した』
『処置:1. 一般被検体(拉致された人間)の成れの果て 2. 特別被検体(母体から製造された失敗作)』 『上記2種を市街地へ解放し、オリジナル(刹那)の実戦データ収集用の標的として再利用する』
「お、ぇ……」
胃液が喉を焼く。
俺が……俺が殺してきた怪物たちは。
以前、廃工場で殺した、アクセサリーをつけたあの個体。あれは拉致された被害者だったのだろう。 だが、それだけじゃなかった。
数多の怪物の中に、俺の「兄弟」たちも混ざっていたんだ。
父さんは、他人を拉致して怪物に変えるだけでは飽き足らず、母さんを犯し続け、失敗作を産ませ、それすらも怪物に変えて街に放っていた。
そして、「成功作」である俺に殺させていた。 「兄弟殺し」をさせて、俺のデータを取っていたんだ。
「あ、あああ……っ!」
俺はその場に泣き崩れた。
地獄だ。ここは地獄だ。
俺はもう、彼を父とは呼ばない。 あれは、父でも人間でもない。 ただの、反吐が出るような「悪意」の塊だ。
俺は顔を上げた。 涙は止まった。代わりに、心臓が凍りつくような冷たい殺意が全身を巡る。
「……殺す」
迷いなんてものはない。 俺は、母さんの奪われた人生を取り戻す。
たとえ母さんが俺を忘れていても、俺が覚えている限り、その罪は消えない。




