12.【雨音の帰路】
倉庫街を出ると、雨は本降りになっていた。
アスファルトを叩く激しい雨音が、今の俺には世界からの拒絶音のように聞こえる。 前方から、ヘッドライトを消した黒塗りのワンボックスカーが数台、滑るように走ってきた。
処理班だ。
彼らは路肩に停めた俺のバイクに目もくれず、無機質にすれ違っていく。 これから彼らは、木島の遺体を回収し、血痕を洗い流し、弾痕をパテで埋める。明日の朝には、そこは何事もなかったただの廃倉庫に戻っているだろう。
俺が抱いた疑問も、木島の死も、すべて「なかったこと」にするために。
俺は吐き気を堪えながらヘルメットを被り、バイクに跨った。
キーを回す。エンジンの咆哮が、濡れた夜気に吸い込まれていく。 アクセルを回す。後輪が水を跳ね上げ、俺は闇の中へと飛び出した。
ヘルメットのシールド越しに見る街の灯りが、滲んで流れていく。
寒さがタクティカルベストの隙間から染み込んでくるが、胸の奥だけが異常に熱かった。 左胸の隠しポケット。
そこに入れた小さなUSBメモリが、まるで高熱を発する鉛の塊のように、肋骨を内側から焼いている。 心臓の鼓動が、その異物と共鳴して早鐘を打っていた。
これは爆弾だ。
俺の平穏な日常を、父さんとの歪だが安定した関係を、そして俺自身のアイデンティティを、跡形もなく吹き飛ばす爆弾だ。
家に、帰りたくなかった。
あの丘の上に建つ、美術館のように冷たく静まり返った邸宅。 いつも通り玄関を開け、父さんの書斎へ報告に向かう自分を想像する。
『処理しました』と嘘をつくのか? あの父さんに?
無理だ。父さんのサングラス越しの眼光に見据えられた瞬間、俺はすべてを見透かされ、震え出してしまうだろう。
(俺は、誰なんだ……)
グリップを握る手に力が入り、革手袋がきしむ。 ただの高校生か。組織の道具か。 俺は父さんにとって、一体何なんだ?
愛すべき家族なのか、それとも使い捨ての部品なのか。 その答えは、胸元のメモリの中にある。
赤信号で停車する。
雨に濡れたブレーキランプの赤色が、視界いっぱいに滲んだ。 ふと、左手首を見る。
安物のデジタル腕時計。その秒針代わりのドットは、今は淡々と、規則正しく時を刻んでいる。
『02:19』
俺は息を呑んだ。 スマホの時計を確認する。スマホの表示は『02:22』。
三分、遅れている。 まただ。
今回は戦闘なんてしていない。木島と会話をしただけだ。 それなのに、なぜ時間がズレる?
俺に才能がないというのは嘘で、俺自身が気づいていない「何か」があるというのか。 この時計のズレは、故障じゃない。俺が無意識のうちに、世界から時間を奪い取っている証拠なのかもしれない。
「……俺が、狂わせているのか?」
ヘルメットの中で呟いた問いかけに、答える者はいない。ただ、雨音だけが鼓膜を叩く。
信号が青に変わる。 行く手は二つ。
左へ曲がれば、父さんの待つ家。 右へ曲がれば、逃げ場のない夜の街。
体は習慣に従って左へ体重をかけようとした。 だが、俺は歯を食いしばり、無理やりハンドルを右へとこじった。
エンジンが唸りを上げる。
もう、戻れない。 止まってしまえば、背後から押し寄せる巨大な不安と疑念に、押し潰されてしまいそうだったから。
硝子のように脆く、透明だった俺の進路は、今、音を立てて砕け散った。
ここから先にあるのは、レールの上じゃない、道なき道だ。 泥と嘘にまみれた、真実への逃避行が始まる。
俺は闇を切り裂くように、アクセルを全開にした。




