10.【引き金の重さ】
俺の指がトリガーにかかる。 ほんの数ミリ引くだけで、9ミリ弾が発射される。目の前の男の命を奪うことができる。
父さんの命令は絶対だ。 逆らえば、俺は居場所を失う。「才能なし」の烙印を押され、二度と父さんの傍にいられなくなる。
でも。 この男は、母さんの痕跡を持っている。この音声を流した。 もしこいつを殺せば、俺の胸に生まれた「疑念」の答えは永遠に失われる。
「……っく」
指が動かない。金縛りにあったように、体が拒否反応を示していた。
『どうした、クロノス! 撃て!』
インカム越しに、父さんの苛立った声が響く。
…
(俺には無理なのか? やはり、俺は失敗作なのか?)
失敗作…。
その言葉が、いつものように俺を縛りつける鎖になるはずだった。 だが今は、その言葉すらも疑わしく響く。 俺は本当に失敗作なのか? それも「教え込まれた」ことなんじゃないのか?
俺は歯を食いしばり、照準を木島の眉間に合わせた。
その時。 木島が、ゆっくりとポケットに手を入れた。
「動くな!」
俺は叫んだ。武器を取り出す気か? だが、彼が取り出したのは、小さなUSBメモリだった。
「……これは、私が命がけで盗み出したデータだ」
木島はそれを、デスクの上を滑らせて俺の方へ寄せた。
「組織の実験リスト、被検体の現在地……そして、お前の母親に関する『矛盾』の証拠が入っている」 「……証拠?」 「ああ。私が言えるのはここまでだ。あとはお前自身が確かめろ」
木島は穏やかな顔で俺を見た。 それは、敵を見る目ではなかった。教え子を見る教師のような、あるいは、遺志を託す者を見る目だった。
「天野駆。父親の言葉を鵜呑みにするな。自分の目で見ろ。自分の頭で考えろ」
その瞬間だった。
パシュッ。
乾いた音が響いた。 俺が撃った音ではない。
次の瞬間、木島の頭がガクンと揺れた。 右のこめかみに、小さな風穴が開いていた。
「え……?」
俺が声を上げるより先に、木島の体は崩れ落ちた。 ドサリ、と重い音がして、デスクの上の書類が血飛沫に染まる。
彼は目を見開いたまま、動かなくなった。 死んでいる。即死だ。
『……遅い』
インカムから、父さんの溜息交じりの声が聞こえた。
『お前が躊躇っている間に、処理班の狙撃手に始末させた』
狙撃手。
俺は弾かれたように窓の外を見た。 遠くのクレーンの上に、微かな光の反射が見える。
最初から配置されていたんだ。 父さんは、俺を信用していなかった。俺一人に任せるふりをして、最初から処理班を待機させていたのだ。俺はただの、ターゲットの注意を引くための「囮」だったのか。
いや、それだけじゃない。 木島が余計なことを喋る前に口を封じた――そう感じるのは、俺の考えすぎだろうか。




