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猫と奴隷と太公望 3

「何言ってんだあんた⋯⋯」


 店主⋯⋯べグリは瞬きをしながら、俺の足元付近に目を向けている。 

 突然押しかけられて人を殺しに行くなんて言われたら、戸惑って当然だが、彼の戸惑いは、俺の突飛な提案に対する迷い由来のように見える。


 ようするに彼は、俺を追い払うかどうか迷っているのではなく、奴らを本当に殺しに行くのかどうかで迷っているのだ。


 べグリはゆっくりと戸から身を出し、俺の前に立った。


「なんのためだ?」


 その口から発せられた言葉には、俺に対する牽制の意図が伺える。

 目はまっすぐと俺を見据え、訝しげに目を細めている。

 

「昼間の者達を解放するためだ。なぜ俺を連れていく⋯⋯という問いなら、憎しみは時として凄まじい力を発揮することがあるからだ⋯⋯それと」


「それと?」


 言いかけたところで、俺は言葉に詰まった。

 この先は人に言っていい事なんだろうかと、俺の中の良心に似た何かがその先の言葉を押さえつける。


 だが、このままではこの男はこれから一生その恨みを抱いて生き続けるに違いない。

 どこかで自分の弟妹達が生きているのでは、酷い扱いを受けているのではと、何をしていても頭をよぎり、この男が恨む奴隷商人達の姿がチラつくだろう。


 結局のところ、俺が滅ぼしたのは商王朝であって、家族を殺した奴らや、仲間を奴隷として連れていった奴らではない。


 その事が今になって胸の内に引っかかる。


 なぜかは分からないが、俺は目の前のこの男に同じ思いをして欲しくないのだ。


「怨嗟を抱えて生きていくくらいなら、戦って死んだ方がマシだと⋯⋯俺はずっと思っている。そして、そなたもそう思ってるんじゃないかと。昼間の1団の中にそなたの弟妹は居なかっただろうが、殺す前に奴らから居場所を聞き出せる可能性もある」


 べグリの顔色が変わる。

 俯いていた顔を上げ、その顔は途端に血色がよくなり、頬にはりが出た。

 精悍な顔つきになった男は、左手の拳を握りしめながら、唇を噛んだ。


「あんたの言う通りだ⋯⋯俺もずっと、あいつらを殺してやりたいと思ってた。だがひとりじゃどうにもできないと、いつも言い訳して諦めて⋯⋯だがあんたを見てると、そうやって生きていくくらいなら、やるだけやって死んだ方がマシに思えてきた」


「俺としては、そなたに死んでもらうつもりは無いんだがな。あの商人を殺したあとは、そなたの家族を取り戻すまでは付き合ってもらうぞ」


「ああ、だが俺は決めた⋯⋯あいつらを殺して、家族を取り戻す」


 静かに顎を引いたべグリの目には、確かな火が灯されていた。

 復讐心なのか、正義感なのか、それを知るのは少々恐ろしい気もするが、とにかくこの男の熱意は伝わる。

 そんなべグリに宿った灯火に風が吹くように、彼はふと笑った。


「なんだか、あんたに言われると妙な説得力があって、やる気になってしまうな。不思議な人間だ」


 柔らかな笑みを浮かべたべグリは、いい男そのものと言える。

 昼間や、初めて会った時ともまた違う、朗らかな彼の気質が見える。


「まあ、ルナによると俺神様らしいから。そういう気を放ってるのかもしれん」


「ほぉ⋯⋯神様ね」


 冗談のつもりで言ったのだが、べグリは思いのほか真に受けたのか、目を大きく見開きながら感心して頷いた。


「たしかに、そう言われてみればなんだか厳かで霊験あらたかに見えなくもない」


 いまいち何を言っているのか分からないが、多分褒めてくれていることは分かる。

 それでも意味が気になるので、となりのルナに尋ねる。


「なあ、今のどういう意味だ?」


「まあ言ってしまえば神々しいってことですよ」


「なるほど」


 思った通りだが、それにしてもルナは博識だ。

 俺の知らない言葉を色々と知っている。 


「じゃあ少し待っててくれ。支度をしてくる。それと⋯⋯」


 べグリはいちど家に戻ろうとして戸を開け、動きを止めて振り返った。


「あんたの武器も必要だろ?」


 そう言ってべグリの視線が俺の丸腰になった身体を一瞥した。

 そうだ。この男を引き入れようとしたのには武器が欲しいという理由も多少あったのだ。


「あ、ああ⋯⋯すまぬ」


「ああそうだ⋯⋯あんた名前は?」


「⋯⋯太公望、まあ望とでも呼んでくれ」


「変わった名前してるなぁ⋯⋯さすが神様だ」


 ニヤリと笑いながら言ったその言葉は、果たして皮肉なのかどうか。

 べグリが家の中に戻っている間、俺は腕を組んで考え続けた。


「なあルナ」


「なんですか?」


「神を自称するのって⋯⋯恥ずかしいな」


「⋯⋯でしょうね」


 ルナは顔をひきつらせながら、俺から目を逸らした。

 ルナが言い出したことなのだから、責任はとって欲しい。

 だいたい、何があれば俺が神になるのだ。

 俺が神なら、西伯侯や息子殿などは黄帝に並ぶのではないだろうか。




 そんなことを考えていると、男が剣を二本携えて戻ってくる。

 1本は男の腰に差され、もう1本はこちらに渡された。


「おや、これは⋯⋯」


 両手で重量感ある剣を抱えてわかった。

 これは先日、俺が何となく眺めていた剣だ。

 あの時と違って鞘に納められているが、黒い柄を握って剣を引くと、あの姿を反射する程の白刃が現れた。


「これを⋯⋯もらっても良いのか」


 期待を込めてべグリを見ると、彼は首を傾げながら口を開いた。


「あ、ああ。この前この剣を眺めてたの覚えてたから持ってきたけど、これ安物だしな」


「⋯⋯安物」


「と言っても使い勝手は保証するぞ」


 俺はいまいちど剣を抜いて刀身を見つめた。

 この精緻に研がれた剣が安物とは、やはりこの世界の文明は凄まじい。

 あの世界にこれほどの剣があれば、間違いなく帝辛が手段を選ばず手に入れようとしただろう。


 剣を腰に指し、ルナとべグリを一瞥する。


「じゃあ行こう。あの男達を追うぞ」


 昼間男達が進んでいった方角に向けて走り出す。

 夜の街に、人の姿はほとんどない。

 べグリが持ってきた松の枝に火を灯し、暗い夜道を進んでいく。

 街を出ると本当に周りは闇に包まれ、数メートル先もまともに見えなくなった。


「ところで望さん。その人達がどこにいるのか分かってるのですか」


 走りながら隣にやってきて、ルナが言う。

 奴隷商人が行くところなんて検討がつく。


「この先に大きい街はあるか」


「ええ、ありますけど」


「じゃあそこに向かってるはずだ。奴隷ってのは都市の権力者に買われるか生贄にされるかの二択なんだ」


「生贄? さすがにそれは聞いたことありませんけど」


「⋯⋯ならいい」


 生贄にならないのであれば、都市に売るために街道を進んでいるはずだ。

 それもどこかで休むとは思いにくい。恐らくは強行しているはずだ。


「それで望。なにか作戦はあるのか? まさか正面戦闘って訳じゃないだろうな」


 後ろからべグリが声を荒らげた。

 多分疲れていて喋りにくいのだろう。俺ももう疲れてきてる。


「心配するな。ちゃんと策はある。昼間見た時と変わらないなら相手は4人⋯⋯そなたと俺でどうにでもできる」


「あんまり剣の腕に自信はないんだが」


「実践において剣など斬って突くだけのものだ。それに、この策の肝はルナだ」


 横目を向けると、ルナは瞼と瞳孔を大きく見開きながら、自分を指さした。


「わ、わたしですか?」


「ああ。ルナにやつらの気を引いてもらい、その隙にふたり刺す。あとのふたりは正面から殺る。ただしあの首領と思わしき男は出来れば殺さないでくれ」


 またべグリを確認すると、彼は不安げに俯きながら、何度か頷いて何かを覚悟したようだった。


「ああ、わかった。いざとなったら刺し違えてやる⋯⋯」


 その気合いの入りようは素晴らしいが、自己犠牲を求めてはいない。


「だめだ。まずは生き残ることを最優先に考えるんだ。死んだら弟妹は戻らないものと心得よ」


「あ、ああ」


 さて、夜目が効くはずのルナもまだ一団を見つけてはいない。


あんな足まで連帯で繋いだ人間を連れてはそう早くは移動できないはずだが、なにぶん昼間からは随分と時間が経っている。

 この道の先の街にでもいるかもしれない。

 そう思った矢先、道外れた草原の中にひとつの小さな光が見えた。

 その光は赤くゆらゆらと燃え、小さな火球のように地面と密接しているようだ。


「火だ」


 間違いなくそれは火で、火があるなら近くに誰かいるはずだ。

 だが目を凝らしても、僅かな人の影のようなものを感じとることしかできない。


「あ、人が居ますよ望さん。10人くらいいます」


 ルナが火に向かって指をさした。

 やはり、人がいた。10人という人数もそうだが、状況からして奴隷商人の一団である可能性は大いにある。


「よし。作戦開始だ。俺とべグリは身を伏せながら奴らの周りを迂回し、まずは本当に奴らかどうか確認する」


 目配せをすると、べグリが静かに頷く。

 なんとも頼もしい味方だ。その時が迫っているというのに、恐れは見て取れない。

 この胆力は武器屋として眠らせておくには少々もったいない気がしてきた。


「そしてルナ、お前はとりあえず裸で踊りながらあいつらに接近してくれ」


「わかりました⋯⋯って、はぁ!?」


 了承したと思いきや、ルナは甲高く声を荒らげ、松明の下で顔を真っ赤に染め上げていた。

 本当に真っ赤そのもので、髪と同化している。


「な、何言い出すんですか! こんな時にふざけないでください!」


「ふざけてなどいない。これは俺の経験則に基づく真面目な策だ」


「裸で⋯⋯踊ることが?」


 ルナは口を歪ませながら、眉間に皺を寄せて引きつった笑い声を漏らした。

 ものすごく分かりやすく呆れている。だが俺は決してふざけるわけでも、この猫娘をただ脱がせたいわけではない。


「俺は昔、裸で踊る女を2回見たことがある。1度目は家族が殺され命からがら逃げ込んだ芒原の中で、2度目は、その数十年後か。遠目に裸で踊る女が見え、その女に夢中になっていた集団の金品をその女の仲間が後ろから盗むということがあった」


 ちなみに、1度目の女は複数人いて、どうやら神に自らの踊りを捧げている信仰者達だったらしい。

 帝辛が酒池肉林を行うより前のことだが、既に似たような風習はあったのだ。


「ようするに⋯⋯私にあの人たちの注意を引けってことじゃないですか⋯⋯裸になる意味は?」


 しばらく共に暮らしているが、踏んづけた羊の糞を手で削ぎ落とした時以上に侮蔑されている気がする。

 それほどまでにルナの声は冷たく、凄みがあった。


 だが、俺はやましい気持ちなんて無い。微塵もない。別にルナの体を見たいとも思わない。

 べグリは若干恥ずかしげに頬を染めながら、期待感を漂わせているが、俺は本当に興味無い。


「いいかルナ、俺も最初はそのまま猫耳と尻尾の化け物を出すのもいいかと考えたんだ。だがお前はこの世界じゃ珍しいが皆が見て驚くような存在ではなく、この社会に溶け込んでいる。俺のような人間相手ならお前が出てきただけで効果覿面だが、奴らにはおそらく意味は無い」


「で、全裸というわけですか」


「そうだ」


 俺は真っ直ぐルナを見据え、その戸惑いながら自らの肩を抱きながら三白眼で目を合わせてくる猫耳娘の姿を凝視し続けた。


「そこまでなんの私信も無さそうな顔で言われたら腹たちますね⋯⋯結構見た目には自信あるんですよ?」


「いや、お前の容姿や体の全容自体には興味があるが別にだからといって別にどうということは無い。何せ俺は年寄りだからな」


「⋯⋯まあ、望さんがエロジジイみたいになるよりはマシですが⋯⋯」


 また知らない単語が出てくるが、まあ無視するとして、ルナは両手を下ろすと、眼光鋭くこちらを見た。


「いいですよ。私が気を引きます。ただし服を脱ぐのとか無しです! 私の魅力で奴らを魅了してやりますから! 望さんは指をくわえて見ててください」


「⋯⋯まあいいが、なんで指をくわえることになるんだ?」


「⋯⋯はあ、もういいです。さっさと回り込んでください」


 大きなため息を吐くと、ルナはとぼとぼと肩を落としながら、小さな歩みで火の方へ向かって進み出した。


「なあ、なぜあいつはああ気を落としたんだ?」


 理由がが分からないので、べグリに尋ねると、べグリはこれまたルナと同じように目を細めながら人を侮蔑するように見据えた。


「さあ、あんたのデリカシーの無さのせいじゃないか」


「どういう意味だそれは」


 

 








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