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猫と羊と不滅の記憶 2

 興味を失ったのか、頷いただけで黙々と前を進むルナについて街を歩いていると、町の中心から離れた草原へ向かっていた。


 生い茂る草がどこまでも広がる広大な空間には、いくつかの柵に囲まれた区画があり、その中には羊や見たことのないが、白黒模様で牛にしか見えない家畜が放たれ、草を食んだり、緑の地面に体を伏せたりして各々の時間を過ごしていた。

 その光景が随分と懐かしく、うらやましく思えた。

 できることなら俺も、あのように食べて寝るだけの生活がしたい。


「で、こんなところにきて住むところがあるのか」


 声をかけると、ルナは足を止めた。

 居住区から明らかに離れて、木造や石造りの家は減っている。

 あるのは牛飼いや羊飼いの住処らしき建物くらいだ。


「ありますよ。ひとつあてがあるんです」


 振り返りながらルナは、にやりと薄笑いを浮かべた。


「望さん、お望みのスローライフもそこなら可能ですよ」


「スロー⋯⋯ああそれのことか。もしかして、俺を羊飼いにでもするつもりか」


「⋯⋯よくわかりましたね。知り合いが近くにいるので、その子に住む場所と仕事をもらおうかと思っていました」


 この人外にそんな知人がいるのか、という疑問はさておき、羊の世話ならなれたものだ。最後にしたのは何十年も前の話だが。


「正直、ルナが本当に助けになるとは思っていませんでした」


「なんですかそれっ。どうして信用ないんですか」


「そりゃそうだろう、そなたのことをよく知らんし⋯⋯」


 語気を強めていたルナだが、すぐに「たしかに」と落ち着きを取り戻した。

 

「私はもう、望さんのことを信頼していますけどね。神様ですし」


「神になった覚えなどないのだがな⋯⋯天乙(てんいつ)()のように崇められているのだろうか」


「誰ですかその人たち⋯⋯?」


「大昔の王様だ。模範的な王として民から信頼され、後世でもその徳を示した」


「へえ」


 あまり興味がなさそうに息を吐く。まあ、知るはずのないふたりだから、興味なんてなくて当然だ。


 しかし、禹ならともかく、なぜ俺は天乙を尊敬しているのだろう。

 天乙こそ商王朝の開祖で、仇の生みの親として認識すべき相手なのに。

 時代が古すぎるからなのか、それとも子孫の罪と先祖の罪は別だとわかっているからなのか。

 いやそもそも、俺が恨んだものの正体は本当のところ、何だったのか。

 

「どうしたんですか、ぼんやりして。」


 思考がよくない方向へ傾きかけていると、目の前に迫った青く輝く相貌が俺を引き戻してくれた。

 それにしてもずいぶんと顔が近い。ルナの落ち着いた息遣いがはっきりと聞こえてくる。

 

「少し考え事をしていた」

 

 一歩後退りながら、ふうと息を吐いた。

 知らない間に胸が苦しくなっていた。だが、あのまま息を吐いていたら、そのままルナにかかっていただろう。それはなんだかとっても憚られる気がする。


「昔のことですか? その⋯⋯望さんが生きた世界の」


「⋯⋯まあな」


 ルナは頭を傾けながら、両手を背中に回した。


「よかったら色々お聞かせいただきたいのですが、望さんがどんな一生を過ごしたのか気になりますし」


 昔の話なんて、子や孫にさえほとんどしたことがない。

 西伯候と出会って以降の話は、孫に迫られて一度だけした記憶があるが、それだけだ。

 それ以前の話も、家族が殺された後、俺を拾ってくれた部族にその顛末を説明したのと、俺に剣を授けたあの世捨て人に語ったくらいだっただろう。

 それ以外は、どれだけ勘繰られても、好意を持って迫られても話さなかった。その理由は単純だ。


「できれば遠慮させてもらいたい。昔の話をすると涙が止まらないんだ」


「そうですか⋯⋯ならやめておきます。」


 意外にもあっさりと引き下がり、少々戸惑ってしまった。

 てっきり、俺が神として崇められるまでの道のりをみっちり聞いてくるものだとばかり思っていた。まあ聞かれてもそれについては俺も知らないのだが。何せ死んだ後のことだ。

 太公望なんて名前で崇められるのは俺の事績ではない。ていうか今更だけどこれ本当の話なのか。


 確認できる材料がないし、ルナにそんな作り話をする利点があるとも思えないので、まあ信じていいだろう。


 今更さっきの話に疑問を抱くなんて、俺はもしかしたらこの魑魅魍魎の猫娘を人間だと認識し始めているのかもしれない。


 歩くのを再開したルナは、いくつかの柵で囲われた牧場を越え、ずいぶんと街から離れた牧場の前で足を止めた。

 その柵の向こうには毛を刈り取る前の、体が膨張したような羊が何頭も過ごしていて、その羊たちを見守るように、ひとりの少女がそばで見守っていた。


 俺と同じようなくたびれた皮靴を履いた少女は、連翹に似た色の服で手首から足首までを包み、頭には白い頭巾を巻いている。

 頭巾の下から、実った小麦のような黄金色の髪が姿を現し、肩に垂れている。

 その横顔は遠目からでもわかるくらいに愛らしく、俺の隣にいるルナに負けず劣らずの少女のようだ。


「おーい」

 

 そのルナが手を振ると、少女はこちらに気づいて微笑んだ。

 少女は頭巾を脱ぎながら速足でこちらへやってくると、柵を挟んでルナと両手を繋いだ。


「ルナちゃん! 久しぶりだね」


「はい、元気にしていましたか」


 仲睦まじそうに言葉を交わす二人を横目に、念のため少女の頭頂部と臀部を確認したが、耳も尻尾もついていない俺と変わらない人間のようで安堵した。

 少女の瞳は髪よりも色が濃く、栗色のようで、異様に色白なルナと違って、露になっている首や手は少々日に焼けていた。


「元気だよ元気」


「それは何よりです」


 二人の会話を耳に挟みながら、羊たちに目を向ける。こちらなんて一切気にせず悠々と過ごす姿には、うらやましさを感じずにはいられない。

 羊たちの向こう側には小さな井戸があり、そのさらに少し後方に彼女が住んでいるであろう木造の背の高い建物と、その隣には少し低い建物があった。


 ただの羊飼いまであんな立派な建物に住むとは、この時代がうらやましい。


「それで、突然どうしたの?」


 視線を感じたので振り向いてみると、少女はルナと手を握り合ったまま俺へと目を向けていた。

 それにしても随分と仲がいい。最近は友人同士で両手の指を一本一本絡めて手をつないだりするのだろうか。

 俺にそんな相手がいるとしたら、甘く見ても西伯候くらいだが、壮年の男同士が両手を繋いで向かい合うなど想像するだけで具合が悪くなりそうだ。


 こみ上げてきた吐き気を、げっぷとして吐き出すと、胸が軽くなった。


「実はこの人、今仕事を探していまして、人手が必要なら、メイちゃんのところで雇ってあげてほしいんです」


「そうなんだあ」


 メイと呼ばれた少女は、俺をつま先から頭の天辺まで観察すると、ルナから手を放して体をこちらに向けた。


「あの、ルナちゃんのお知り合いなんですか」


「え、ああ。知り合いというか、さっき知り合って助けてもらっている。羊なら昔飼っていたので、世話には少々自信があります。見張り役でも何でもぜひ任せていただきたい」


 当然ながらやや警戒されているようだが、敵意のようなものは感じない。

 それどころか、声色はルナに対してのものとそれほど変わらなく、すでに一縷の信頼を得ていそうだ。


「⋯⋯いいですよ」


 あっさりと頷く彼女にさすがに拍子抜けしたが、これで野垂れ死にすることはないと安堵した。


「ありがとう。恩に着る」


 それにしても、この子はまだずいぶんと若いが、独断で決めていいのだろうか。


「しかし、そんなにあっさり決めてしまってよいのか」

 

「はい、ルナちゃんのお知り合いなら何の心配もありませんし。今、ここは全て私が見ていますので」


 ゆったりとした口ぶりでそう話す。ルナは随分と信頼されているらしく、二人は目を合わせて頷きあっている。


「よかったですね、望さん。もういきなり仕事ゲットですよ」


「げ、ゲット?」


「あとは住む場所だけですね」


 よくわからない単語に戸惑っていると、ルナは無視して言葉を続けた。


「住む場所を探しているのなら、うちに住みますか?」


 聞こえてきた救いの手を差し伸べてくるような穏やかな声に振り向くと、メイが目を大きく瞬きさせていた。


「よろしいのか⋯⋯」


 無意識に言葉遣いが丁寧になる。そういえば、年下とはいえ恩人相手になぜ俺は話し方を改めていなかったのだろうか。老人の驕り高ぶりがひどい。


「はい。家といっても、あの小屋ですけど。今は倉庫なので、良いですよ。私としても近くにいてくれるほうが助かるので」


「それは⋯⋯ありがたい。」


 まさかの僥倖を噛みしめていると、ルナに裾を引っ張られた。


「私がいてよかったですね」


 鼻を高く得意げにルナは胸を張った。


「たしかにそうだな。ここまでありがとう。世話になった。あとは自分でなんとかするよ」


「な、なんでもうお別れしようとするんですか!」


「だって、もうたぶん大丈夫だし」


「そんなことありませんよ。私がもっといろいろとお世話します!」


「⋯⋯言っておくけど、そなたが何を考えていても、俺は何もしないからな」


「わかってますよ⋯⋯」


 目を見開き、吊り上げながら迫りくるルナに、俺はその場で立ち止まって対処した。

 本当に何を考えているのかわからなくて、気味が悪い。

 神話に出てくる神や化け物は大体気まぐれで動くから、それと同じようなものなのか。

 俺たちのやり取りを見て、メイは口元を抑えて笑っていた。

 その姿はまさに子供で、母性に似た何かが芽生える気がした。


「あはは、ルナちゃん、その人と仲いいんだね」


 メイは手を下ろすと、ルナに笑いかける。

 俺に顔を向けていたルナは、頬をほんのりと赤らめながらメイに目を向けた。


「仲が良いっていうか、見てないと不安なんですよこの人、私が見ててあげないとなんですよ」


 おっと、まさか母性を抱きかけたところで、化け物から母性を向けられるとは思わなかった。

 しかし、この発言が嘘だということは想像に易い。

 だがこの場でそれを指摘するほど、俺は無粋でも空気が読めない人ではない。


「ふーん、えっと、望さん? でいいんですよね」

 メイの双眸がこちらを向く。と同時に、なぜか後ろの羊たちが一斉にこちらを注視した。

 楕円形の黒目が光ると、やや気味が悪い。

 羊たちの視線をできる限り無視して、雇い主であり住処を与えてくれるメイに集中する。


「はい。」


「変わったお名前ですね。」


「俺もそう思います。というか、本名ではないので。」


「あだ名とかですか⋯⋯よっぽどルナちゃんと仲が良いんだ⋯⋯」


「まああだ名みたいなものでしょうね。ルナがつけた訳じゃなさそうですが」


「じゃあ私も望さんって呼んでもいいですか」


「それはもうどうぞご自由に。本名で呂でも尚でも子牙でも、もちろん望でも。何でも好きなように呼んでもらえれば。」


「ほー⋯⋯お名前がいっぱいなんですねぇ」


 メイは驚いたのか、頬をすぼめ、口を縦長の菱形にして小さく音を立てながら息を吸っていた。

 その顔が驚いた時に見せる孫や曾孫の姿と重なり、なんだか懐かしく思えた。


「じゃあ望さん⋯⋯それにルナちゃんも、入口から入ってきてくれる?」


 メイが首を左にひねり、柵の入口となる場所を示す。

 そこだけ柵ではなく板で塞がれ、閂で塞がれているのか、板と柵の間に若干の隙間があった。


「ルナもいっしょに⋯⋯ですか」


 入口に向けて足を踏み出すメイを、声で引き止める。


「はい。望さんと一緒にいるつもりみたいなので」


「⋯⋯そうですか」


 ここで食い下がってルナを追い出したりしたら、メイからの信頼を失い、せっかくの食と居住地を失うだけだろう。

 どうも腑に落ちないが、俺は鼻歌交じりのメイと併走するルナの後に続き、この広い牧場兼居住地の中に入った。

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