兆し 3
相変わらず王都というところは人が多い。まあこれはどこの国でも同じことだろう。
人通りのない王都など、もはや風前の灯火も同然だ。
「最近来ましたけど、前は寝泊まりしただけですから、少しは色々見たりしたいですね」
喜色を漂わせながら、ルナは街の中を眺めている。
様々な店が道沿いに立ち並び、あちこちからいい匂いも漂ってくる。
「なら、俺が王に会ってる間隙に見て回ったらいい、後宿を探してくれ」
俺は懐から銀が入った茶色い袋を出してルナに渡した。
「望さん⋯⋯ひとりで向かうんですか」
「そりゃそうだろう。お前は呼ばれてないしな」
「でもひとりで大丈夫ですか、粗相とかしませんかね」
「⋯⋯俺を怒らせたいなら望み通りにしてやるぞ」
「いや、望さんって王様からの書状を股にしまうようなお人ですし」
それを言われてしまうと、肩身が狭くて反論ができない。
通りはどんどんと人が増えていくが、前方を少しつま先立ちで見ると、少し行くと人込みはおとなしくなっている。
王宮に近づくからだろうか。まあ確かに店もなくなるだろうし、王宮の近くにあるのは位の高い役人の住まいのはずだ。
「じゃあ俺は行くから、これ預かっててくれ。言っとくけど売っても金になるような代物ではないぞ」
ずっと握りしめていた竿を手渡す。王の要件が終わり、明日天気が良ければ釣りをしよう。
「売ったりするわけないじゃないですかもう」
ルナは少し頬を膨らませ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
ルナは足を止め、あっという間に民衆の波の中に飲み込まれていった。
俺は彼女の頭に付いた耳が僅かに見えているのを確認し、王宮に向かって足を速めた。
しかし何度見ても立派な建物だ。帝辛が見たら嫉妬で憤死しそうなくらいだ。
いや、あの男ならどうにか奴隷と技術者を集めてこれ以上のものを作らせるだろうか。
後者が想像に容易い。そうしてきっと俺たちやほかの部族を攫わせようとするのだろう。
城の門に近づくと、門番の鋭い眼光が突き刺さる。
まあ、どう見ても怪しい人間なので仕方がないが、ひとりはものすごい俺をにらんでいる。
俺だから耐えられるが、常人ならそれだけで逃げ出しそうな希薄だ。よほど仕事熱心か人間不信だと見受けられる。
「これを」
まだ敵意が少なそうな門番に王からの手紙を渡す。
門番は手紙を開くと、軽く目を通して紙を俺に返してきた。
「こちらへどうぞ」
衛兵に連れられ、整備された場内の道へと踏み出す。
そういえば前回来たときは宮殿の手前で馬車から降りたのだった。
この宮殿の内部にも、いくつかの住まいのようなものがあるが、これは王族や従者たちの居住地であろうか。
とにかく、門番の後を追い豪奢な宮殿へと向かうと、入り口の前で門番は何者かと話し始めた。
その男は先日の使者のような質素でありながらもどこか威厳を感じる黒い着物に身を包み、両手を拾い袖の中に隠すようにして話している。
その何者かは門番と話し終えると、いそいそと身をかがめながら俺の前に立ち、かるく拱手した。
「これはこれは太公望殿。お待ちしておりました」
恭しい男の態度は、逆に俺にとっては居心地が悪い。
あまりこういう扱いには慣れてないのだ。一応晩年は斉の国主のような立場にいたのに打。
「ではこちらへどうぞ」
中を手で指し示し、今小戸はその男が俺の前に立ち、小さな歩幅をで小走りを始めた。
そういえば、前回はこの宮殿には入らず、隣の屋敷で寝泊まりをしてそのまま手紙を受け取って帰ったのだ。
九電は入るとすぐ朱色の床が広がり、辺り一面の壁には豪奢な装飾が施されていた。
人や謎の生物が壁に描かれ、その見事さは絵にも言えない。
この部屋の壮大さがそうさせているのだろうか。
簡単に想定しても300人は軽く入れそうな広さがある。
部屋全体にろうそくの明かりが灯され、ずいぶんと明るい雰囲気を醸し出しているが、部屋の奥には御簾を賭けられた空間があり、その前には漆黒の長机が置かれ、その机の中央付近にはひと際光り輝く小さな黄金の物質が見える。
御簾の裏にも座るための椅子がありそうだが、目当ての男は御簾の手前にいた。
机の前で尻を突き、安座している。
男の着物は部屋の床よりも鮮やかな朱色で、その帯は机にも劣らぬ漆黒に塗りつぶされている。
着物には金糸で花のようなものが描かれている。
前に見た時はもっと質素な服装をしていたのに、今日はずいぶん豪華なようだ。
もしあの帝辛が男の着ている着物を目にしたら、男の心臓をひねり出してでも奪い取るだろう。
ところで、なぜ俺は帝辛のことばかり考えるのだろうか。
ほんの少し前に妲己のことを考えた余波だろうか。
だが帝辛のことを考えても、妲己のことを考えた時のような胸の詰まりがない。
いまさら考えても仕方がないが、やはり俺は帝辛個人についてはそれほど憎しみを持っていなかったのだろう。
「ずいぶん早い到着であったな」
お目当ての男は、玉座から俺を睥睨している。
実際、男のいる場所は少しここより高く前には階段があるし、何より男はこの国で一番偉い人物なのだから問題ない。
「貴人を待たせるのは趣味ではありませんので」
なぜ俺はまともに挨拶ができないのだろうと、拱手して頭を下げながら自問した。
「なるほど、さすがは我が懐刀よ」
少々何を言っているのか理解に苦しむが、ひとまず顔を上げると、俺を呼びつけた男、シューラングラム・ボクレン王が俺に向かって微笑みかけていた。
王の傍にはひとりの老齢の従者が控えていたが、王はその男に向けて手を払い、離れさせた。
小さく背を丸めながら静かに階段を降り、俺のそばを横切る従者を目で追い、またボクレン王へと視線を戻す。
「本当であればもうひとり待ち人がいるのだが、せっかくだからそなたとふたりで話がしたい。こちらへきてくれるか」
「ボクレン王、お恥ずかしながらわたくしはこの国の礼節を存じておりませぬゆえ、ご無礼があればお許し願いたく」
「気にするな、そなたとわしの仲であろう」
別に仲良くはないのだが、言葉に甘えて階段を上り、机を挟んで王の前に立つ。
机の上には大量の紙が重ねられ、筆と硯が無造作に置かれている。
離れたところからでも異彩を放っていた黄金のものはどうやら印鑑のようだ。
四角い金の塊の上に、亀らしき生物が彫られている。
亀は万年生きるというから、この国の栄華を願ってのものだろうか。
「失礼いたします」
敷物も何もない黒い床に座ると、慌ててどこからか女官が座布団を持ってきてくれた。
その上に腰を下ろし、安座すると、王は両手を机の上に置きながら、息を吐くとともに降格を上げた。
「どうだ。我が国の財は取り戻せたか」
一瞬何のことかと考えたが、すぐにそれが奴隷となっていた民だとわかった。
「無事に、できる限りのことは致しました。そのために失ったものもありますが」
弟妹のために命を落としたベグリの姿が脳裏によぎる。
「いつの世もことをなすためには犠牲はつきものだ。そこを気に病むところを見ると賢者であられる太公望殿もまだ青いな」
「は、はあ」
この男はだれに向かって青いなどと言ってるのだろうか。
今でこそこんな見た目だが、俺はこの国王より年上だ。それもかなり。
みたところ国王は60代くらいだ。つまりあの世界で俺が死んだ時より30年以上若い。
俺からしてみればこの男のほうがまだまだ青いのだ。俺なんて完熟して地面に落ちてもう一度根を生やしているようなものなのだ。つまり二週目なのだぞ。
それに、べつにベグリのことを気に病んだわけではない。
ベグリはベグリの意思で戦い、守るべきものを守って死んだ。俺が気に病むのはベグリを愚弄することと同じだ。
ただやはり、あの男を失ったことは悲しいのだ。友として。
「とまあ、自分は何もせずそなたらに血を流させた儂が言う台詞ではないな」
苦笑いしながら目線を下に向ける王の顔に影が浮かぶ。
「なにを仰せになりますか。むしろ王は我々よりも大切な血を流すことになったやもしれませんぞ」
「⋯⋯それは、息子のことであるか」
王の顔色から、喜色が失せ、神妙な面持ちになりながら瞼を上げて俺を相貌で凝視した。
「ええ、道中お聞きいたしました。ご子息がエイの人質になっていると」
王は大きく息を吐きながら、俺から目をそらすように俺の後ろへと目を配る。
誰かが入ってきた気配もない。本当にただ反らしたかっただけだろう。
「王族というものは国家の、ひいては民のために存在するものだ。犠牲になることはやむをえない」
「それはずいぶんと、殊勝なお考えですな」
言葉が詰まり、下を向いてみれば、漆黒の机に自分の影が反射する。
不思議なことに、影の俺はずいぶんと年を重ねていた。
目元や頬に皺が目立ち、髪も固く、白いひげが顎から伸びている。
まるで、昔の自分が今の俺を監視しているようだ。
――何を考えているのだこの男は。
机に映る俺は、俺の内心を見透かすようにそう言った気がした。
言いたいことを言ったからか、映し出された昔の俺は消え、今の自分が現れる。
顔を上げてみれば、王は相貌にわずかな悲観をにじませながらも、気丈に微笑んでいた。
「我々の生まれた国では、そのような思想はありませんでした。民は国のために存在するものであり、民が国家を守り国家に奉仕するものだと」
王は感心したようにうなずく。俺は言葉を続けた。
「しかし、あなたのそれはあくまでも建前のようだ。本心は違うところにあるはずです。いや、もうひとつ本心を抱えているはず。それこそ、野望を」
王の肩眉がピクリと跳ね、口角が下がって真顔へと変わる。
やはり図星だったか。王が口をつぐんでいる間にたたみかける。
「民のためというのであれば、エイからの報復の恐れがあるあんな蛮行、賊の罪を赦免してまでさせるはずがない。ボクレン王、無礼を承知でお尋ねする。貴殿の目的はどこにある」
なぜ俺がこんなことを言うのか、それはひとえにこの男の無謀ともいえる大胆さが要因だ。
民を助けたいが、自分ではエイという大国に逆らえないといいながら、簡単に俺とシジュに奴隷解放を託す。自分の息子が人質になっているのにだ。
俺たちはこの国の旗を掲げて戦ったわけでも、この国の兵装で戦ったわけでもないが。俺たちが逃げた方面から考えれば、エイの者たちがあの騒動を起こしたのがボクレンの群だと考えるのは間違いない。
これはボクレン王にとっては想定外かもしれないが、シジュが船頭に渡した令牌のこともある。
あれは他国のものだと話していたが、シジュは渡すときこの国の名前を名乗った。
船頭がそのまま起きた事実を考えれば、エイはこう考えるに違いない。
犯行はボクレンと第三国によって行われたと。
その令牌の第三国について俺はなにひとつ知りえていないが、両国とも報復を受けるのは必須。それに王は事後のことは自分に任せろとまで言った。
おそらくだが、まだ王の息子は死んでいない。借りに死んでいたとしても報告はこの様子だと着ていない。
つまり王は息子が死んだものとして話している。それもさほど取り乱すことなく冷静に。いや、冷酷にか。
ようするにだ、これから起こるであろう最悪の事態こそが、王が望んでいることなのだ。
「ふう」
王は一息つくと、壁際の女官に水を持ってくるように命じた。
女官は銀色の水の入った容器と銀色の盃を盆にのせてやってくる。
「さあ、太公望殿も一息」
容器も長く細い口から水が盃へと注がれる。
王は特に動揺することも、怒った様子もなく、平然と盃を取ると喉を鳴らして水を飲みほした。
俺も一口だけ飲んだ。背中にかけられたら飛び上がるであろうというくらい、冷たい水だった。
王は音を鳴らしながら盃を机に置くと改めて肘をつきながら、低く身をかがめながら俺を見つめた。
「いやはや不思議なものだ。いまの一瞬、太公望殿が矍鑠とした老人に見えましたぞ」
「⋯⋯それは奇妙な」
どういうわけかわからないが、それほど今のは都市より臭かったということなのだろうか。
「だが、すべて太公望殿の言い放ったとおりだ。さすがは賢人だな」
「いや、このくらい誰でもわかることだ」
「わしの本質まではそう見抜けるものであっては困る」
国王は苦笑いしながら、顎を撫でた。
こうして話していても、好々爺という印象ばかりだが、果たしてその内側に何を宿しているというのか。
「なら単刀直入に言おう。儂はエイの支配を破り、この大陸の覇者となりたい」
その野望はあまりにも果てしなく荒唐無稽といえる代物で、俺のような常人には理解がすぐにはできなかった。
だが少しずつ何を言っているのかわかってくると、頭の中にはなぜか俺とともに帝辛と戦った西伯候の息子殿の姿が浮かんだ。




