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兆し 2

 いわゆる正装というやつか。黒い袖の大きな衣服と下裳を履き、腰のところを帯で締めている。

 頭には黒い三角型の帽子をかぶった男は、遠目から目が合うと馬上から降りて柵の前に立った。


「あれ、なんで官人がこんなところに」


 横から軽薄な声が聞こえる。リシが外に出てこちらへと近づいていた。

 感動の再会を終えたのか、頬に涙の跡がある。


「官人⋯⋯国の役人か」


「はい。大公望殿になにか用ではないですかね」


「と、殿⋯⋯」


 どんどん呼ばれ方が仰々しくなっていく。正直背中がむず痒い。

 まあ俺が彼らの立場だとしても、たぶんかなりの敬意をこめて呼ぶことになるだろう。

 いやしかし、かなりの恩義があるはずのシジュのことを様とか殿とかつけて呼ぶつもりは毛頭ない。考えただけで寒気だけじゃなくて吐き気がする。あの男のことは嫌いではないのにだ。


「まあいい。客人なら雇われの俺が相手しよう」


 前で待っている官人に向かって歩き出すと、後ろからルナとリシの会話が聞こえた。


「望殿のあの口ぶりなんです?」


「ああ、解雇されないように必死なんですよ」


「あの文王の師父が⋯⋯世知辛いですなあ」


 俺は師父というほど西伯候と年は離れてないし師でもないのだが、まあ後世ではそのように伝わったのだろう。

 官人は俺が近づくと、軽く一礼して口を開いた。

 

「太公望殿であるか」


 粛々とした態度で身を低くしながら俺をとらえている。

 その態度と風貌からして、それなりの身分であることには間違いない。

 少し周りに目を向けると、わずかに離れたところに剣を腰に差した見かけぬ人相の男たちがふたり、馬の手綱を握りながらちらちらとこちらを確認している。

 俺やメイに配慮してひとりで来たのかもしれないが、逆に付き人が怪しくて不安になりそうだ。


「そうだが、貴殿はいったい」


「王からの言伝を持ってまいった」


 官人は懐に手を入れ、折りたたまれた紙を取り出し差し出してきた。

 今開いても俺では読めないので、こちらも懐にしまっておく。

 それにしても、命令ではなく言伝とは、王が何か俺に気遣っているのだろうか。


「たしかに伝えた。では失礼仕る」


「あ、ああ⋯⋯感謝する」


 拱手し、令を告げると、官人は軽やかな動きで馬に乗り、手綱を引いて立ち去って行った。

 官人と仲間の背中を見ながら、俺も馬に乗りたいなどと思った。

 俺は直接馬に乗ったことはない。馬車や戦車として馬に車を引かせてはいたが、直接彼らにまたがるなんてことは考えられなかった。

 まあそもそも、あの世界で馬にまたがったとしても、足の踏み場がないので体が揺られて乗り心地は最悪だっただろうし、何度も転落していたと思う。

 さて、なにか仰々しいことになるかと思ったが、官人というかあれは使者か。どちらにせよ手紙だけ渡してさっさと帰ってしまった。

 振り返りながら懐の紙を取り出して開いてみたが、やはり何を書いているのかさっぱりわからない。

 いつかどこかで文字を習いたいが、誰に師事するべきか。


「ハクラでいいか」


 やはり頼れるのは彼しかいないだろう。おそらく快く引き受けてくれる。ていうか断られたらちょっと怖い。


 畑近くにいたルナのほうへと戻っていると、向こうが軽快な足取りで駆け寄ってきた。

 となりにはリシがいる。

 そういえば、ルナはリシの存在を知ってはいたが、直接会ったのはこれが初めてではないかと考えたりしたが、どうでもよかった。


「何の要件だったんですか」


 俺の前で立ち止まり、ルナが口を開く。


「こんなものを渡された。読んでくれ」


「え、あ、はい」


 手紙を手渡すと、ルナはなぜか熱いものを触るように何度か触れたり離したりし、落ちそうになった手紙を腰を屈めて掴みなおした。


「なんでそんなに慌てるんだ」


「だってこれ王様からの手紙じゃないですか」


「え、そうなのか」


 そういわれたら、手紙に朱色の小さな模様が付いている。国王の印だろうか。


「望殿この国について何も知らないのですか」


 ルナが手紙を開くのを後ろから見下ろしながら、リシはこちらを一瞥した。


「ああ、何しろ俺この世界に来てからの日数で言うならまだ乳飲み子だからな」


「え?」


「ん?」


 リシが目を見開き、口を小さく開けたまま停止する。


「え、あ、ちょっとまってください」


 あわただしくこちらに来ると、リシは俺の糧をそっと抱いて俺事後ろへと移動し、耳打ちをしてきた。


「望殿、この世界に赤子として生まれ変わったのではないのですか」


「ああ、気が付いたら個の姿でこの世界にいた」


 眉をひそめながら、リシは触れそうな距離のまま俯いて何か考えている様子だった。


「そんなことあるんですか。はあ、輪廻転生ですらないじゃないですかそれ」


「り、り、りんね⋯⋯? なんだそれは」


「あそっか、望殿の時代まだ仏教もないのか」


「うむ。何のことかさっぱりだ」


 軽薄なリシの口ぶりが妙にいら立ちを立ち込めさせる。

 なんだか上から目線であきれられた気がするのだ。被害妄想だとは思うが。


「ならもしかして、ハクラも赤子からこの世界にいるのか」


「そうですよ。俺とハクラは小さいころからの友人ですので。それは確かです」


「ふむ⋯⋯なんとも奇怪な」


 ならなぜ俺は赤子から生まれ変わらなかったのだろう。

 この青年の姿で生まれ変わったのは、何か意味があったりするのであろうか。


 ひとり手紙を読んでいたルナは、読み終えたのか紙を丁寧に折りたたみ、顔を上げてこちらを見た。


 リシを放ってルナの前へと足を進める。


「なんて書いてあったんだ」


 手紙が俺のもとに返され、改めて中身を確認したが、当然読めるはずがない。


「一度話したいから王宮に来てくれと、日付は問わないとも書いてました」


「ふむ⋯⋯何用だろうか」


 というか、俺は今日ここに戻ってきたのに、なぜもう死者が尋ねてきたのか。

 もしかすると、何日も前から俺の帰りを待っていたというのか。だが何のために。

 少なくとも、今回のことで礼を言うとか、そんな軽々しい要件ではなさそうだ。

 ひとりで行くのは心もとないので、ハクラでも連れていきたいが、今彼は家族のもとに帰っている。それを待つのはどれだけ待てばいいかわからない。

 俺のことを知っているリシをとも思ったが、せっかく家族と再会したのだから今はここにいるべきだ。

 となると、ひとりで行くか、残ったひとりを連れていくほかない。

 今から行くとなると、到着するころには城門が閉じているだろうから、行くなら明日だ。


「なら明日行くか。どうする? ルナも来るか」


「えっ⋯⋯」


 ルナは瞠目して大きな瞳を露にしながら、戸惑いの声を漏らした。


「いや、面倒なら別にいいんだぞ。だが一人だと暇だし、お前もせっかくだから都でも見てみたらどうだって思っただけだ。実は俺今金持ってるし」


 実はシジュの仲間がヒュイで盗み出した金を少しもらった。この世界の金は鉱物を加工して作られたもので、ギンを薄く円形にした銭が、今手元に何十枚かある。

 どれくらいの価値があるのかとシジュに聞くと、米二年分はあるそうだ。


「望さん⋯⋯ヒュイでなにかしたんですか」


 まるで軽蔑するかのように目を細めながら、ルナは顔をわずかに反らした。


「俺は何もしてないぞ。何人か敵兵をきったくらいしか。シジュの仲間が盗んだカネを譲り受けただけだ」


「それって賊と一緒じゃ」


「言っておくが、目的のために他人を葬っている時点で俺はそんな高尚なものじゃないからな」


 虚を突かれたかのように、ルナの顔から表情という色が消え、ひとりで何度もうなずいている。


「たしかに⋯⋯そうかもしれませんね。私はそうは思いませんが」


 じゃあ何に納得したんだと言いたくなったが、黙って続きを待つ」


「ではせっかくなので私も行きましょう。望さんと二人でお出かけなんて最高じゃないですか」


「じゃあ明日にでも行くか」


「はいっ」


 笑顔で返事をするルナを、また可憐だと思った。

 だが本人に言うわけにはいかない。絶対にからかってくるはずだから。




 翌日、リシにすべてを任せて俺とルナは王都に向かって出発した。

 歩きながら、せっかくなら昨日の使者が連れて行ってくれたらよかったのにと思ったりもしたが、おそらくは俺の事情を配慮してくれたのだろう。

 やはりボクレン王は王らしからぬ人だ。俺が知ってる王なんて息子殿を覗けばろくでもない人間しかいないだけかもしれないが。

 道にくっきりと付いた轍を目で追うと、眼前に先を進む商人の姿が見える。

 商人は荷車に乗りながらにダニ布をかけてゆったりとした速度で俺たちの前を進んでいる。     

 あの商人も王都へ向かうのだろうか。それとも途中の街か、王都の向こう側に行くのだろうか。

 考えることがない退屈な時間になると、そんなどうでもいいことばかりが頭の中を逡巡する。


 今日は曇っていて、風が強いせいで少し肌寒い。

 そういえば、今は冬に向かっているはずだ。この世界の冬はどれくらい寒いのだろう。

 あの世界ではよく雪に悩まされたものだ。寒さで命を落とす者も少なくはなかった。


「望さん、望さん」


 近くから声がして振りむく。襟の部分が白い浅黄色の着物を着たルナが、俺の腕を引っ張った。いつもの服と違い、肌の露出がない。足元までいくつもの折れ線が入った裳と、手首まで覆うゆったりとした上衣がよく似合っている。

 この服はメイに借りた物らしいが、れにしても、ただの羊飼いがこれほどの服を持っているとは、やはり俺の世界とは文明が違う。俺の妻なんて、いつも襤褸切れのような服を着ていたというのに。


「ん、なんだ」


「なんで釣り竿持ってきてるんですか」


 ルナの視線が、奥の手へと向かう。

 俺の右手には、この世界に来た時からなぜかあった釣り竿が握られている。


「まあ、これは俺に幸を運んでくれる釣り竿だからな。お守りみたいなものだ」


「へえ、望さんってそんなゲン担ぎみたいなことするんですね」


「ゲン担ぎ⋯⋯ああ、占いみたいなものか」


 まあ実際のところ、そんなつもりはなくただ単に王都の近くを流れる川で釣りがしたいだけなのだ。

 だが、ハクラと釣りをしているとき、荒会われたボクレン王の佇まいとその時の場面から、あの日を想起した。もしかしたら、あの時のことを思って釣り竿を持ってきたのかもしれない。ということもかすかにあり得る。


「ほんと、望さんって変わってますよね」


「俺からしたらお前より変わってるやつも見たことないがな」


 なぜ自分を棚に上げられるのだろうか。まさか自分は普通だと思っているのか。


 前方からガタッと音がして、荷車が僅かに跳ねた。

 車輪が小石でも踏んだのだろうか。揺れた荷車から、布をすり抜けるように、赤く丸い何かが落ちて転がった。

 それは丸というには少しいびつで、少し割れたような形をし、その割れた中央部から、細い枝のようなものがしなって伸びている。


 ルナがその赤いものを拾い、俺も転がったそれをひとつ拾った。

 なめらかな手触りをしている。何かの果実だろうか。匂いを嗅ぐとかすかな甘い匂いがした。


「ああ、すまんすまん」


 この積み荷の持ち主が荷車から降りて故ちこちらへとやってくる。


「はいどうぞ」


 拾ったものをルナが快く手渡し、俺も男へと渡した。


「ありがとう。それじゃ」


 男はその物を持って荷車へと戻り、布の中に入れてまた馬を進ませた。


「今の何かわかるか」


 歩くのを再開し、ルナに尋ねる。


「ああ、あれはリンゴですけど⋯⋯知りませんか」


「ああ、知らん」


 だがあのリンゴというものからはいい匂いがした。都には売っているのだろうか。

 せっかくだから買うことにしよう。





 



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