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兆し

「そうですか。ベグリさんが」


 ベグリの最期を伝えると、ルナは地面に座ったまま俯きながら目元をこすった。

 俺はいつの間にか目を出していたジャガイモの葉についた虫を取り除きながら、ベグリの亡骸を墓まで運んだことを思い出した。


 ──



 舟を下りるとき、俺はベグリの固くなった体を背負った。

 彼の義弟は自分が運ぶと言っていたが、どうしても俺が運びたかった。

 俺の近くにはベグリの弟妹とハクラ、そしてメイの兄であるリシという青年がいた。

 舟が停泊した港から、この街にあるべグリ一家の墓までは丸1日を要した。

 葬式は行われなかった。

 べグリの両親は既に他界していたらしく、身内と呼べるのも親戚と弟妹くらいしかいなかったので、棺桶にべグリの亡骸を入れて全員で埋葬した。

 この世界の墓は綺麗に磨かれた薄い黒石が、地面に埋められ、そこに埋められた者たちの名前となにか言葉が書かれているらしかった。

 最後まで穏やかな顔をしていた。ほんとうに、いつかあくびでもしながら目を覚ますんじゃないかと、なんども背負ったべグリを確認しては、そんな夢物語を想像した。

 共に酒を飲むという淡い期待は潰えた。

 穏やかに過ごす弟妹を見るというべグリの夢と共に。

 だがべグリの墓前に祈った時、弟妹の目に涙はなかった。

 彼女達はただ手を合わせ、最後の別れを笑顔で締めた。

 俺があんなことを話したからだろうか。

 俺があの弟妹の立場なら、墓前で慟哭していたことは間違いない。


 べグリを埋めたあと、俺達はそれぞれの帰路へと別れた。

 弟妹はべグリの家に行き、色々と整理するとし、ハクラはいちど家族に顔を見せると言っていた。

 今考えてみると、俺がハクラを解放してからそれなりの日数が経っているのに、親に無事を報告していないのは最低の親不孝だ。

 ハクラが俺とリシに「またすぐ戻ってきます」と言った時は、しばらく来るなとお尻を蹴っ飛ばしてやろうかと思った。


 メイの兄であるリシという男と一緒になった俺は、とりあえずふたりでメイの家へと向かった。

 リシはメイと目元の雰囲気が似ていたが、本人が言うには、生前も同じような姿だったという。

 ハクラが以前言った通り、リシも俺達と同じ世界からやってきた人間だった。

 舟が別で、降りてからはべグリの亡骸を運んでいたから、リシは大人しくしていたが、2人きりになると好奇心旺盛な様子で目を見開きながら、俺への質問攻めを開始した。


「太公望ってあの殷周革命の姜子牙様ですよね!?」


「あー⋯⋯多分そうだ」


「あの六韜や三略を書いた!?」


「それ前も聞かれたがそんなもの知らん⋯⋯」


「え⋯⋯騎兵との戦い方が詳しく書かれてましたよ?」


「だから知らんて言ってるだろ⋯⋯」


「ぇ⋯⋯じゃあ渭水で釣りをしているところしゅうの文王と出会ったっていうのは⋯⋯?」


「文王⋯⋯ああ、西伯侯のことか。それはまことだ」


「情緒的じゃないですかぁ。まるで三顧の礼の劉備と諸葛亮みたいだ」


「誰だそれ⋯⋯」


「あ、そっか⋯⋯太公望様より何百年⋯⋯いや、千年くらい後の人ですしね」


「はぁ⋯⋯てことはそなたもそれ以降の人間か。ハクラは俺より1700年ほど後だと言ってたが、そなたは?」


 逆にこちらから尋ねると、リシはこめかみに人差し指を当てながら首を傾げて唸った。


「うーん。それが⋯⋯厳密に思い出せないのですよ。唐という国家の時代なのは間違いないのですが、ハクラに聞いたところ唐の統一時期というのはふたつあって、ハクラは唐を滅ぼした周の時代に生まれ、生まれてすぐ唐が再興したようなので」


「つまり⋯⋯ハクラが生まれた周の前に唐があって、その周の後にはまた唐が来たということなのか」


「そういうことです。で、実は俺自分が何年頃生きてたのかちゃんと覚えてないのです⋯⋯当時の為政者の名前もちゃんと知りませんし。ド田舎で貧しく暮らしていたことは覚えてるんですが⋯⋯最後もどうやって死んだとか覚えてなくて」


「⋯⋯まあ死に方なんて覚えてないほうがいいかもな」


 俺はただの老衰だから良かったが、あの世界でそんないい死に方をできるのなんてひと握りの強運の持ち主だけだろう。


「ですねぇ⋯⋯前世のことを少し思い出した時はなんかめちゃくちゃ震えましたし。たぶんろくな死に方してませんよ」


「そうか⋯⋯」


 往来を歩く人々の日常は、なにひとつ変わりない。

 しかしながら、これからエイが報復措置に出ないとは限らない。

 もしそうなると、この辺りが火の海と化すこともありえる。

 そうなった時、果たして俺は、俺に今回の行動を促した王はいったいどのような選択をとるのだろうか。

 と言っても、一介の羊飼いに雇われている俺にできることなんてあるはずもないのだが。


 気になるのは、船頭にシジュが渡した令牌がどのような結末をもたらすかだ。

 シジュはボクレンの国名を名乗りながら、全く関係ない第三国の令牌を渡した。

 それをエイという国が知れば、怒りの矛先はボクレンと第三国、どちらに向くのか。

 本当に、あの男の行動は理解できない。だが、力があるのは確かで、借りを作ったのも間違いない。

 

 俺達がメイの家に着いたのは朝早かったこともあって、ふたりとも家にいるようだった。

 

「じゃあ、俺はメイを驚かせてやりますよ。母さんのことも」


「ああ、まあやり過ぎないようにな」


 フッと白い歯をみせ、リシは駆け足へと家の中へと向かい、俺は俺で、久方ぶりの小屋(わがや)へと帰った。

 いつぶりか分からない家族の再会だ。

 他人である俺まで胸が熱くなるようだった。


 ──



 思えば、なぜルナはその熱くなった胸に飛び込んできたのか。衝撃で心臓が止まるかと思ったくらいだ。

 寂しい思いをさせてしまったのか、甘えるように俺に縋り付くルナのことを撫でるだけで、あまり深くは聞けなかった。


 べグリの話を聞いて、静かに悲嘆するルナを横目に、じゃがいもについた虫を剥がして放り投げる。

 小さな黒い虫は弧を描くように地面へと落ちる。

 可哀想だがこれは俺の雇い主のためだ。


 こうやって土いじりだけして生きていく日が来るのはいつになることなのか。

 いやそもそも、働き手となるリシが返ってきたんだから俺は用済みになってしまったんじゃないだろうか。もともとリシは出稼ぎに行ってたらしいが、その出稼ぎ中に奴隷にされて下手をしたら生贄になっていたかもしれないのだ。もうここに根を下ろす可能性が高い。


「ああ⋯⋯」


 恐怖で肩から力が抜け、地面に両手をついた。

 冷たい土が、より一層俺の心を冷えさせる。


「どうしたんですか望さん」


 ルナの軽い呼びかけにも応じる気になれない。俺はいったいどうなってしまうのだろう。


「はやく⋯⋯」


「はい?」


「はやく新しい住まいと仕事を探さなければ」


 ルナはきょとんと首を捻りながら、俺が何を言っているのかよくわかっていないといいたげに瞳を向けた。


「どうしてですか?」


「どうしてって、メイの兄が帰ってきたからだよ」


「え、お兄さんも無事だったんですか」


「ああ。今頃家族の再会を楽しんでいるんじゃないか」


 メイの家のほうを確認する。中からわずかな明かりが漏れているが、どんな様子かはわからない。


「よかったですねほんとに」


 そっと慈愛に満ちた相貌でルナは家のほうを見つめた。

 親友の幸せを心から喜んでいる。


「望さんも多分大丈夫ですよ。ていうか。もしかしたら王様が土地とかくれるかもしれませんよ」


「ボクレン王が俺に?」


 そんなことありえるのだろうか。まあ、あの男なら報酬でもくれる気はしなくもないのだが。


「一応、王が認めて、というか王も望さんに皆さんの開放を依頼したわけですから。だからわざわざシジュさんたちに恩赦を与えたわけですし」


「だとしても、土地なんてもらっても管理が面倒なだけだし、くれるなら家だけでいい」


「ほんとそこのところ面倒くさがりですよね」


「俺前世で斉の主になってるし」


「斉? 最初であったときにおっしゃってた国の名前ですね? 望さん侯爵でももらってたんですか」


「⋯⋯その公爵とやらは知らんが、斉の国は俺の領土だったんだよ。あくまで周を頂点としての話だが」


「封建制なんですね」


「ああそれだ。封建制」


「じゃあこの国も同じですよ。エイは官僚制ですが」


 また知らない言葉が出てくる。封建制の話の流れで出たことだから、国家運営の方針なことは間違いない。


「まあとにかく。土地をくれるなら畑と家だけで十分だ」


「それだけあれば二人で暮らす分には申し分ないですもんね」


 声を弾ませながら、ルナはにこやかに笑った。


「なんでお前が俺の家にいる前提なんだ」


「だって今も一緒ですし」


 それはメイがルナの友人であるがゆえに他ならないのだが。

 俺一人で自立するなら一人で問題ない。


「ね、いいじゃないですか」


「⋯⋯勝手にしろ」


 言ってすぐ自分で驚いた。

 今までの俺なら拒否してこの話は終わっていたはずだ。

 なのにこれでは、一緒に住むといっているのと変わりない。

 

「じゃあ遠慮なく」


 ルナはすがすがしい顔で背伸びをしながら立ち上がる。

 赤い髪が風に揺れ、白い首筋が露になる。

 以前も思ったが、この娘があの世界にいたら、間違いなく妲己と対をなす絶世の美女として帝辛の側室となっていただろう。

 ルナにその意思がなく、帝辛を拒んだとしても、拒否する権利などというものは一切存在しないのだ。

 なぜなら、あの世界の万物は帝辛のためのものであり、帝辛が欲しいといえばそれはもう帝辛のものになるのだ。

 だから、帝辛の手を逃れるにはあの男を殺すか自らの命を捨てるしかないのだ。

 家族を商に殺されたにもかかわらず、妲己は帝辛のものになる道を選んだ。


 ——これにてお別れとなりますね


 妲己が放った最後の言葉が今になって蘇る。

 濁りのない透き通った小鳥のさえずりのようなその声を残し、妲己は帝辛のもとへといった。


 今思えばもしかして、あの娘は俺が帝辛を殺して自分を解放する日を待っていたのかもしれない。

 これは俺の思い上がりだとは思うが、だとしたら申し訳ないことをした。


「望さん? どうしたんですか」


 呼びかけによって意識が今へと戻る。そうだ。今の俺は呂尚ではなく太公望なのだ。


「いや、なんでもない」


 ルナの顔がぐっと近づく。もう少しで触れそうなほどに」


「なんだか難しい顔してましたけど」


「少しばかり昔のことを思い出してただけだ」


「女の人のことですね」


 目線を下げながら、ぼそりとつぶやく。


「なんでわかるんだ⋯⋯」


「そういう顔してましたもん! 罪悪感感じてそうな」


「お前、俺の生まれた世界で占い師にでもなってたら大成してたぞ」


「じゃあ当たってるんですね」


 相貌に力を込めながら、正面から睨みつけられる。


「もしかして奥さんのことですか」


「いや、別の女だ。まあそいつはあれだ。俺が殺してしまったようなものだから、今でも申し訳ないと思うんだよ」


 ルナはいちど目を見開くと、力なく瞼を下げ、神妙な面持ちで唇を震わせた。


「そのお話、聞かせていただいてもよろしいですか」


「別に構わんが、面白い話ではないぞ」


 葉についていた虫はあらかた駆除できた。羊たちの様子も変わりはない。

 たまには人に昔話をするのも悪くないなどと、都市より臭いことを考えながら背中を沿ってうなると、前方の柵の向こうに、やけに整った衣服と帽子をかぶり、馬上から俺たちを見つめている男がいた。








 



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