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開花 3

 戦闘が続くにつれ、火の手が広がり、俺たちの周辺にも煙が漂い始める。吸い込まないように気を付けていると、突然ほら貝の音が響いた。

 敵の援兵かと思ってあたりを探ると、どうやらそれはいつのまにかどこかの民家の屋根に上っていたシジュのところから発生していた。

 何かの合図には違いないが、俺は何も知らされていない。

 どうすればいいのかと思っていると、シジュの仲間たちが一斉に港に向かって走り出した。

 撤退の合図か。すぐに終われるのじゃないかと思ったが、どうやら知らない間に敵の数が減少している。

 地面に転がっているからではなく、死傷者をいれてもやはり数が足りていない。


 取り残されてはかなわないので、シジュの仲間に紛れて逃げ出す。

 本当に、体が若返ってくれていてよかった。

 追撃はほとんどなかった。遠目から矢を射かけてくるくらいで、追いかけて来る者はいない。それよりも貴族の屋敷の消火活動を優先したか。

 城の人は外に避難したのだろうか。まわりはほとんどもぬけの殻となっている。


 走り続けていると、前方、港のほうから怒声と悲鳴が聞こえてきた。


「まさか」


 敵兵は港に向かっていたのか。だがそれは無理がない。シジュは奴隷のために事前に作戦を喧伝していたのだから。

 だがそれでも、武器庫を封じ、中央で兵を集めることで、ほとんどの軍勢をとどめられたことは間違いない。

 今後方からわずかな敵兵が追ってきているが、恐れるほどではない。

 だが問題は、港に何人シジュの仲間がいるのかだ。

 ベグリとハクラはいるだろうが、あの二人がそこまで持ちこたえられるとは思えない。

 もしかしたら、逃げてきた奴隷たちも戦っているかもしれない、

 彼らを死なせてしまえば、この戦いのすべてが水泡に帰してしまう。


 城壁が迫ってきた。城壁を越えてすぐに海があり、港があるはずだ。

 城門に立ちふさがる敵はいない。

 一斉に門をくぐり、港を見て俺はまず目を疑った。

 舟の大きさがとてつもない。

 まず高さが人間数人分あり、船体の長さも人間十人分くらいはありそうだ。

 船の衷心よりやや後方には高い市中のようなものが建てられ、折りたたまれた布が頂点から垂れている。

 舟というからには、川を渡った時のような五人くらい乗れるようなのを想像していたが、この大きさはもはや舟ではなく木の怪物だ。


 舟に感心している場合ではなかった。

 やはりといっていいか、船に乗り込む板の手前で、シジュの仲間が海を背にして敵兵を防いでいる。

 舟は二艘あり、奴隷たちは無事船に乗り込んでいる。


 ぐずぐずしている暇はない。時期に背後から追手が迫ってくる。

 シジュの仲間が城門を閉ざしているが、開けることは造作もない。


「全員突っ込め! 出向するぞ」


 シジュの檄が飛び、仲間たちが意気揚々と敵の背に襲い掛かる。俺もその中に混じりながら、左手の舟にハクラがいることを確認した。

 ハクラのもとに向かうべく、左手の舟へと走りながら、残りわずかとなった敵兵のひとりを切り捨てた。


 港の床と船をつなぐ細い木の板に乗ると、板が揺れた。

 落ちないよう慎重に上り、舟に乗った。

 舟の上はあっというまにシジュの仲間と奴隷たちであふれた。


 かなり人が多く、沈むんじゃないかと不安を感じながら、舟は何事もなく港を離れていく。

 支柱に垂らしていた布を広げながら、舟は風を受けて進む。


 ハクラはどこにいるのか。見渡してもすぐにはわからない。

 安堵の顔を見せる奴隷たちが何人も載っていて、屋敷のところにいた親子も乗船していた。

 母親は舟の端で娘を抱きしめながら、俺に気が付いて軽く会釈をしてきた。

 会釈を返して、改めて周りを見渡すと、ハクラが神妙な面持ちでやってきた。

 ハクラの腕のあたりに少し血が滲みている。


「ハクラ、無事だったか」


「ええ、私は無事です」


 瞳を潤ませながら、沈痛な面持ちに代わっていく。

 一瞬で何が起きたのか理解できてしまったのは、長く生きてあらゆる経験をしたからだろうか。

 今のハクラに、目的の達成を喜ぶ様子はない。いわば敗者の姿だ。


「メイの兄は見つかったのか」


「はい⋯⋯向こうの舟にいます」


「そうか。なら⋯⋯」


 言おうとして、喉が締め付けられるような感覚がした。

 ハクラの頬を一筋の涙が伝う。

 俺だってもう心の中では何が起きたのか察している。

 だが、それを直接聞いたり見たりしなければ、結末が変わるんじゃないかと、子供のようなことを考えている自分がいた。

 ハクラは首を横に振りながら、舟の後方へと顔を向けた。

 どうやら後方には囲まれた空間があるらしく、扉が開かれていて、薄暗い中に人がいるのが分かった。

 ハクラが再度振り向き、目が合う。

 俺はハクラの肩を叩き、後方の空間へ向かった。

 薄暗い中では、怪我をした奴隷やシジュの仲間が手当され、寝転がっていた。

 なかには、息を引き取っているものも。


 ひとりひとりの顔を確かめながら歩いていると、その男がいた。

 信じたくはなかった。この男はつい先日夢を語っていたのだ。家族を取り戻したらどうしたいかと。


 男の傍には、若い男女が控えていた。

 女は骸の手を握り、男は女の肩に手を置いて啜り泣いている。

 躯は肩からバッサリと斜め下へと体が切られ、服に染みた血が黒ずんでいる。

 激痛が走ったはずだ。無念だったはずだ。なのに、その亡骸はだれよりも穏やかな顔をしていた。


「ベグリ⋯⋯」


 声をかけると、ベグリの傍にいたふたりが退いた。

 ふたりともベグリと似ているとは思わなかった。助けられたほかの誰かなのか」


 亡骸の、ベグリの隣に腰を下ろし、その頬に触れる。

 もはやそこに生気はなく、頬は冷え、固くなっていた。


「どうした、家族を助けるんじゃなかったのか」


 穏やかなまま返事はない。


「夢を見たんじゃなかったのか、ただ大切なものが穏やかに、平穏に眠っている夢を⋯⋯」


 ベグリの顔に、水滴が浮かぶ。俺の視界が滲む。

 ベグリは、俺があの日連れださなければ死ぬことはなかった。

 俺が希望なんて見せず、あきらめさせるか、ベグリ抜きで戦えばこうはならなかった。

 この男に、夢を見せてやることができたかもしれないのだ。


「すまん⋯⋯すまんベグリ⋯⋯」


 沈黙が苦しく、俺は自分を楽にするためだけに謝罪の言葉を吐いた。

 もはやこの声はベグリには届かない。


「あの⋯⋯」


 後ろから女の声がした。ベグリの手を握っていた女だ。


「もしかして、あなたが望さんですか」


「ああ⋯⋯」


 女は口元を押さえて嗚咽した。


「私は⋯⋯ベグリの妹です」


 似ていないと率直に思った。君色も目の色も鼻筋や口元、すべてが似ていない。


「君が⋯⋯妹なのか」


「ええ、似ていませんよね」


 女は言葉を詰まらせながら、冗談交じりに言った。


「私とお兄ちゃん。血のつながりはないんです。私の母とお兄ちゃんのお父さんが再婚して兄弟になって。この人は、私の夫です。お兄ちゃんは⋯⋯兵士に追われた私たちを庇って」


 女は隣の男の袖を引っ張った。

 紹介された男は真っ赤になった目を伏せ、唇をかみしめている。


「お兄ちゃん⋯⋯最後に言ってたんです。望に礼を言ってくれって」


「ベグリ⋯⋯」


 もう一度ベグリの頬に触れる。

 俺は、お前に礼を言われるようなことはしていない。


「そうか⋯⋯そなたは血のつながらないふたりを家族として助け出したかったんだな」


 果たして、どれだけの人間がベグリのように考えられるだろうか。


「やはりそなたは俺とは違う。俺と違って、確かに大切なものを取り戻した。最後まで戦い抜いた。だから⋯⋯」


 嗚咽が止まらない。

 どうしてこんなにもつらいのか。胸が張り裂けそうなのだ。

 ほんのわずかな付き合いだ。ベグリの生い立ちも、これまでの人生も俺は何も知らない。

 ただ偶然、奴隷商人に啖呵をきるベグリを目にし、共に戦おうと引き入れ、わずかな時間ともにいただけだ。

 やはり、俺と重なるからだろうか。いや違う。ベグリは俺とは違う。

 似ているようで全く違う。

 俺はすべてを失ったとわかっていたのに、自分の復讐心のために戦った。

 だから勝利したとき、何も取り戻せることはなかった。

 だがベグリは、本当の意味で人のために戦った。自分のためではなく、愛する者のために。それは、俺には決してできなかったことだ。


「ベグリは⋯⋯」


 俺は傍で落涙するふたりに語り掛けた。


「ベグリは俺に話していた⋯⋯ふたりがどこかで笑って暮らしていたらそれでいいと。だから⋯⋯」


 ふたりに言おうとしていることを、自分で実践しようとしたが、うまく顔が動かない。

 どうしても、涙で顔が震えてしまう。

 だが俺は、もう届かないかもしれないが、ベグリに夢を見させてやりたかった。


「どうか笑顔で⋯⋯そなたたちの兄を見送ってほしい。それが、ベグリが何より望んでいることのはずだ」


 

 ――――



「ずいぶん感傷的だったな」


 舟の手摺にもたれかかりながら、シジュが点を見上げてほくそ笑んだ。

 すでに日が暮れ、空にはそのすべてを埋め尽くすほどの星が煌めいている。


「お前は血も涙もなさそうだからな。仲間が死んでも見捨ててそうだ」


「ひどい言いようだな」


 フッとシジュが笑みをこぼす。


「状況によるさ。余裕があれば助ける。俺の身が危ぶまれるなら見捨てる。何しろ俺は、大勢を束ねる立場なんでな」


 それは正論なのだが、それよりも。


「申し訳ないが、お前に仲間を助けるという選択肢があることに戸惑っている」


「どんだけ俺のこと冷酷な奴だと思ってるんだ。望、お前実は俺のこと詳しかったりするか」


「いや、出会ってからのことしか知らん」


「お前⋯⋯結構ひどい奴だよな」


 そうだなとうなずく。

 シジュが悪逆非道という印象は、やはり出会った時の凍り付くような威圧感からきているに間違いないのだが、それだけではない気がしてならない。

 だがやはり、俺はこの男のことを詳しく知らないのだ。

 舟が揺れる。陸に沿うように航海をする舟は、どこまで進むのだろうか。


「そういえば、本当にこの人数を連れていくのか」


 舟を見渡す。皆ばらばらに寝転がったり座ったりしながら、休息をとっている。

 みたところ、奴隷とシジュの仲間以外にも大勢の連中が乗船している。

 奴隷だった者たちは白いぼろを着て、体も汚れていたりするが、中には身だしなみが整えられているのに、シジュの仲間のように武器を携帯していない者たちがいる。


「ああ、そのことだがな」


 シジュは身をひるがえし、手摺に腕を置いて海を眺めた。

 といっても、暗くて何も見えないのだが」

 それにしても、この暗闇の中よく舟を動かせるものだ。船頭が特殊なのだろうか。


「奴隷は必要なくなった。まあ行くところがない奴はついてきたらいいが。代わりのやつらが見つかったんでな」


「それがあのあの城の住民らしいやつらか」


「ああ。実は隠していたんだがな、奴隷どものついでにあの国から出たい人間も港に来るように喧伝してたんだ」


「それが目的だったのか」


「いや、もとは奴隷を引き取るつもりだったが、途中で思いついた」


 よほど人が欲しいのか。しかし、この船に乗り込んだエイの民たちは、この男が賊だとわかっているのだろうか。

 風が吹き、体が冷える。下を見れば、真っ暗で何もできないのに、波がうめいている姿がなくっきりと浮かび上がる。


「そうか。まあとにかくシジュ。此度のことは感謝する」


「お前が感謝するのおかしな話だな。実はおまえにも目当ての奴隷がいたのか」


「いやいない。ただ⋯⋯失ったものもあるが、すこし胸が晴れた」


 ベグリという犠牲は出た。シジュの仲間も犠牲が出いている。

 それでも、奴隷を開放できただけで、俺は満足感を得ていた。

 雲の中に隠れていた月が姿を現す。それが太陽のように眩く感じた。


「いいか望。これはひとつ借りだぞ」


 振り向くと、シジュは降格を上げながらこっちを見た。


「俺に何をさせるつもりだ。言っとくが、俺はただの羊の世話係だからな」


「ずいぶん不相応な仕事に就いてるんだな」


「そんなことはない。天職だ」


「ははっ、だが残念だが、俺はお前をそのまま眠らせておくつもりはない。おそらくはボクレン王も。それに、ほかにもいるんじゃないか。お前を時代の表舞台に立たせようとする者が」


「⋯⋯さあな」


 これからはのんびりと暮らそうと、ルナが言っていたスローライフとやらを思い浮かべてみた。

 畑を耕し、家畜の世話をし、雨が降ったらひたすら眠る。

 時々は美味いものでも求めて街を歩こう。


「⋯⋯なぜだ」


 なぜか、俺が思い描くスローライフの中には、常に隣にルナの姿があった。







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