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落花 4

 ヒュイに向かいだしてから八日が経った。

 途中、シジュが持っていた金で街の宿に泊まったり野宿したりしながら、俺たちは確実にヒュイへと近づいていた。はずだ。


 山を越え谷を越え、沼地を渡り、森林を進んでいると、目の前に大きな川が現れた。向こう岸まではかなり距離がある。

 水の流れが速く、泳いだり足で渡るのは無理そうだ。

 黄河に似ている気がするが、黄河よりもその川は壮大で厳かだった。

 そういえば、あの世界では南に行くと黄河よりも大きな大河があり、そこにも部族が栄えていたという。

 まあ今はそんなことどうでもいい。問題はどう渡るかだ。

 見たところ近辺には橋も船もない。

 そして川の向こうにはうっすらと聳え立つ城壁が見える。

 あれがヒュイかどうかは不明だが、エイという国の街であることは間違いない。


「さてどうしたものか」


 顎を撫でながら、シジュは馬上から川を眺めている。


「舟はないのか」


 普通、こういった川の近くには渡し舟の船頭がいるはずなのだが、見える範囲にはいない。

 だが南のほうをよく見ると、たしかに船場のような木の床があった。

 ではなぜ舟がないのか。


「船着き場があるので誰かいてもいいんですけどね。今はやってないのでしょうか」


 ハクラが目元に手を当てて日差しを遮りながら言った。


「そんな時期あるのか? 承認なんて年中往来するものじゃないのか」


「あ⋯⋯まずい⋯⋯」


 何かを察したのか、ハクラは口元を押さえて瞳を震わせた。

 何か恐ろしいものを見た時のような様子でいったいどうしたというのか。


「どうした? 何かあるなら言ってみろ」


 俺が尋ねるよりも早くシジュが馬上からハクラを見下ろす。

 シジュにそのつもりはないのかもしれないが、睨みつけているようでなんともハクラがかわいそうになっている。


「この時期なのです⋯⋯エイで人身御供が行われるのは」


 背筋が凍る気がした。俺だけでなく、ベグリも凍り付いたかのように動かない。いや、口元だけはかすかに震えている。

 人身御供、この言葉に動揺してしまうのは、いつまでたっても変わらない。


「エイは人身御供の祭の前では商人の行き来も禁じています。舟がないのはそのためでしょう」


「外からの来訪者を遮断して儀式を行うのか? それはたいそうなことだな」


 馬上で腕を組みながら、シジュは首を捻った。


「だが俺の配下達はヒュイに入ったはずだ。もし何かあって作戦が続行できなくなったらそのまま来た道を戻って来いと伝えてある」


 そういえば、道中あちこちに、不自然な木の棒が地面に突き刺さっていた。

 その棒は長さや太さは無差別だが、どれも上のほうにぐるりと三本の線が彫られていた。

 あれはシジュの兵がここを通ったと知らせるために置いたものだったのか。そういえば、すぐ後ろにも一本刺さっている。


「シジュ、配下を向かわせたのは俺たちが来た何日前だ?」


「ん? 5日に分けて動かしたからな。お前たちが尋ねてきた翌日から移動させたから、最後に出たのはお前たちがまた来た四日前だな」


 たかが四日の差で隔てられてしまうとは、運が悪いとしか言いようがない。

 だが黙ってここで立ち止まっているわけにもいかない。

 人身御供が行われるとすれば、その贄となるのは他国から浚った人間や、口減らしに出される女子供といったところか。

 絶対に阻止しなくてはならない。人身御供など、どんな事情があろうと行っていいものではない。


「なんとか舟を調達できないか。舟さえあれば何とでもできるんだ」


「近くに船頭の家があるはずだ。そこに乗り込むぞ」


 シジュは馬から降りた。

 この辺りは木が多く、視界がかなり悪い。

 だがしかし、舟の船頭がいたなら、その者の住処は近くにあるはずだ。


「まさか殺して船を奪うなんてしないだろうな⋯⋯」


 睨みながら言うと、シジュは俺の視線など気にもとめずに南へ向けて歩き出した。


「俺ってまだそんなに残虐に思われるんだなぁ⋯⋯なあフウル」


 山でも谷でも沼地でも荷車を引き続けた青年⋯⋯フウルにシジュは問いかけたが、その青年は困った様子で口を歪ませて苦笑いしていた。

 まあ、彼も思っていることだろう。そりゃあなた賊の長ではないですかと。


 シジュが森の中に我先にと入っていく。

 俺達もその後に続いたが、どうも先程からべグリの意識が川の向こう側に奪われている。

 人身御供の祭礼が行われると知って、焦る気持ちは分かる。俺だって同じ思いだ。

 早く奴隷達を助けなければ、俺が最も見たくない最悪の事態が起きてしまう。


「べグリ」


 歩く速度を緩め、べグリの隣に並ぶ。

 それほど暑くないのに、べグリの首筋には汗が滴り、着物にも染みている。


「焦らなくていい⋯⋯もしそなたの弟や妹が人身御供の生贄になるとすれば⋯⋯逆に言えばその時までは命の保証はあるということだ。かならずその時までには助け出せる」


 声をかけても、べグリは小刻みに動く瞳でこちらを見るだけで、項垂れた様子は変わらない。


「分かっている⋯⋯分かってはいるんだ⋯⋯だけど⋯⋯」


 腕を震わせながら、べグリは小さく呟いた。


「どうしても⋯⋯最悪の事態を想像してしまうんだ」


「べグリ⋯⋯」


 その気持ちは、無視しようとしても無視ができない。俺の胸に今も深く刻み込まれた心の傷が疼く。

 だがまだべグリは冷静だ。本当の窮地に精神が立たされていたならば、ひとりで川を渡ってヒュイに乗り込もうとしてもおかしくはない。


「おい、あれがそうじゃないか」


 べグリを案じていると、シジュが声を張り上げた。

 そういえば、いつの間にかシジュが乗っていた馬がいない。

 と思いきや、なんとハクラが手網を引いて連れ歩いていた。


 前方に小さな小屋が見える。

 本当に小さな小屋で、俺とルナが住む小屋の半分ほどの大きさだろうか。

 黒っぽい木の板で壁と天井が貼り付けられたその家のすぐ側には、人が2,3人ほど乗れそうな舟が無造作に置かれている。


「あそこが船頭の家か⋯⋯しかし小さい舟だな」


 あれでシジュの配下70人が渡ったのかと思ったが、おそらくは舟を出す者は他にもいて、他のものたちはあの川を遡上するか下るかしてどこかの船着場へと向かったのだろう。

 多分、近くに住んでいる船頭はあの家の者だけで、舟を勝手に利用されないように運び込んだのだろう。

 しかし、小さな舟とはいえ、ひとりで運ぶのは不可能なはずだ。

 つまりあの小屋には2,3人の男がいると考えてよい。


「どうするつもりだシジュ。エイの住民なら掟に従って我々を運びはしないぞ」


 シジュに駆け寄り、これからどうするかを尋ねる。

 最近雨でも降ったのか、一部地面がぬかるんでいて、足をぐにっとひねりそうになった。


「なら脅せばいい。あの中にいるとしたらせいぜい2,3人だろう。こちらには武器を持った男が5人いるんだぞ」


 即答だった。俺としては、何とか説得するとか、金を渡すとかそういう答えを期待していなくもなかったのだが、この賊の頭領の頭に、友好的なんて言葉は存在しないようだった。


「殺すのは目覚めが悪いぞ⋯⋯」


「なら殺さずに舟だけ奪えばいい。もっとも、俺たちの侵入経路が分かれば舟の持ち主がどうなるかは分からないけどな」


「⋯⋯」


 確かにその通りだ。祭礼前によそ者を都市に入れるのが許されないなら、当然侵入者と侵入を許したものは厳罰に処されるであろう。

 つまるところ、俺達があの舟を使って侵入したと判明したら、舟の持ち主はただでは済まない可能性が高い。

 ようするに、俺達が殺すかエイという国が殺すかの違いであり、綺麗事はよせとシジュは言いたいのだろう。それは恐らく正論だ。


 小屋の中の様子は外からは伺えない。反対側に窓があるのだろうか。

 俺達は全員、誰が言うまでもなく足を潜めて小屋に近づいた。


「え⋯⋯これマジでやる系なんですかね」


 緊張感からか、ハクラの言葉遣いが崩れている。

 ハクラも剣を持っているが、正直役には立たないだろう。

 俺とシジュとべグリと青年でどうにかする他ない。

 小屋のすぐ側でしゃがみながら、シジュが青年にむけて顎をしゃくった。


「フウル⋯⋯お前が最初に乗り込め」


 青年は一言「承知」と頷くと、剣を抜いて身をかがめたまま入口へと迫った。

 入口の壁に身を寄せ、こちらに向かって目で合図する。

 俺達も一斉に剣を抜いて突入を待った。

 青年は頷くと、勢いよく入口の扉を蹴破り、中へ侵入した。

 中から人の叫び声が聞こえた。おそらくは2人。どちらも男だ。

 青年に続いて俺達も侵入すると、中には床に座ったまま後退りする2人の男がいた。

 男は俺達のそれほど変わらない年齢だろうか。

 ふたりとも顔立ちが似ていて、ひとりは口元に切り傷のようなものがある。


 目的のためとはいえ、完全に悪人になってしまっている。だが祭礼が近いと知った以上、手段は選んでは居られないのだ。


「手荒な真似をして済まない。悪いが舟を貸してほしい」


 シジュにこの場を任せると、よからぬ方向へと向かう恐れがあったので、率先して口を開いた。

 それにしても、剣を向けながら手荒な真似をしてすまないとは、なんて相反していることだろうか。


 男は兄弟で船頭をしているのだろうか。

 小屋は小さく、どうやら部屋はこの一室だけのようだ。

 藁の布団や最低限の生活品があるだけの、ごくごく質素な暮らしが伺える。


 そんな慎ましく暮らしているだけの人に向かって、俺達はなんと罪深いことをしているのだ。

 願わくば、彼らが無用な抵抗をしないことをいのり、また舟を貸してくれることを願う。

 

「ふ、舟だと⋯⋯」


 口元に傷が無い方が口を開いた。

 その男の目の前に、べグリの刃が迫る。

 横顔しか見えないが、べグリの顔には正気が無い。

 俺のように、非道なことをしている自分と、それを正当化する自分が内側で戦っているのだろうか。

 

 べグリは少し俺と似ている。元来争い事を嫌い、出来ることなら地位も名誉も要らないから、ただひたすらに波風の立たない平穏を求める人種だと思う。


 言ってしまえば、俺もべグリも深い眠りから強制的に起こされてしまったのだ。

 俺は復讐、べグリは家族の奪還という使命を背負ったことによって。


 べグリは口を開いた男に刃を向けているが、剣を持つ手はわずかに揺れ、降ろしている左手さえも震えているのがよく分かる。

 男がやり手であれば、剣を奪って形勢を逆転させるのも容易いことではあるが、そこは人数差という有利不利が男の行動を抑止していた。


「ああ舟だ。舟を出してほしい。ただそれだけだ」


「だめだ⋯⋯今はよそ者を国に入れるわけにはいかないんだ」


 男は何度も首を横に振った。

 やはりハクラの言う通り、祭礼の為によそ者の侵入を禁じていることは間違いない。

 あの川は舟がなければ渡るのはまず不可能だ。

 なんの荷物も持たない泳ぎの名人であれば渡れるかもしれないが、どこの街にも入れないなら、渡ったあとどうすることも出来ないだろう。


「命の危機とあってもか」


 俺はそんなつもりは無いが、脅すつもりで言ってみた。

 すると男達は青ざめながらも、頑なに頷いた。


「ああ⋯⋯今よそ者を入れたと知ったら俺達はどの道殺される⋯⋯やりたいならやれ」


 肝が据わっている⋯⋯というよりは、俺達を舟に乗せて国に殺されるか、俺達に殺されるかで後者を選んだだけのようだ。

 男達の顔は青ざめているし、全身が痙攣に近い震えを起こしている。


 このまま舟を奪って渡るべきだろうか。

 しかしそれをすれば、彼らが国に処罰されてしまう。それではあまりにも目覚めが悪い。

 だが、贅沢は言ってられない。俺達は選択を迫られているのだ。

 とくに、今にも男を突き刺しそうな雰囲気のあるべグリは。


「ほお⋯⋯お前達⋯⋯俺達を渡らせたら殺されるのか」


 逡巡していると、シジュがほくそ笑みながら剣を下ろした。


「ああ⋯⋯だから舟に乗りたいなら俺達を殺せばいい」


 はじめて傷のある男が口を開いた。声質がかなり似ているので、一瞬判別がつかなかった。

 男が挑発するようなことを言うので、シジュがどう出るか伺った。

 シジュは剣を下ろしたまま、懐を探り始めた。

 てっきり、シジュなら「なら望み通りにしてやる」とでも言って刺してもおかしくないと思ったが、その様子は無い。


 というか、俺は直接シジュの残虐な行為を目の当たりにした訳でもないのに、なぜそう思い込んでしまっているのだ。

 たしかに、シジュの言動や雰囲気は平穏の中で暮らす民草のものでは無い。

 自ら血の海に飛び込むものの佇まいをしている。

 だがその行動を見たことは無い。むしろ今のところ、この男は己の欲望のためだとはいえ、奴隷救出を快く引き受けた善人でもある。


 ならなぜ、俺はこの男は残虐に違いないと、信頼とも言える確信を抱いているのだろうか。


「そうか⋯⋯なら望み通り⋯⋯」

  

 やはり殺すつもりかと、俺はシジュを止めようと1本踏み出した。

 しかし、次の瞬間シジュは、剣ではなく、懐から差し出した何かを男に差し出した。


「と言いたいが、ここでお前らを殺すのは納得出来ないやつがいるからな。代わりにこれをくれてやろう」


 シジュはそれを男に向かって投げた。

 それは、令牌(れいはい)のように見えた。

 細長い鉄のような固く黒い板に、なにか文字が書いてある。

 全く文字は読めないが、それは主君が配下に命令を下す時に与える令牌によく似ている。


「後でエイの官吏に詰問されたらそれを見せるんだな。そうしたら官吏はお前達の事など二の次にしてすぐにお前達の国王に報告するはずだ。ボクレンの王が自分達に反旗を翻したと」


 やはり間違いない。シジュの口振りからして、令牌はボクレン王が所持しているものだ。

 ボクレンの令牌を官吏やエイの国王が見たら、たしかにこのふたりなど放っておいて、すぐにでもボクレンに向けて使者を飛ばすか行動を起こすだろう。


 だが問題は、なぜシジュがボクレンの令牌など持っているかだ。



 さては盗んだに違いない。流石は野盗。手癖が悪い。




 


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