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落花 3

 ハクラを鍛えるところに、翌日からベグリも加わった。

 現在ベグリの家で世話になっているハクラが連れてきたのだった。

 だが俺としては、ベグリのっ戦闘能力についてはあまり不安視していない。

 というのも、ベグリは一度舌戦を経験しているからだ。

 一度命がけの攻防を経験した。これだけで何十時間の修行にも勝る事実をベグリは手にしている。

 それは、殺さなければ殺される。殺さなければ何も手に入れられないという真理そのものだ。


「じゃあとりあえず。ふたりとも俺と打ち合いだ。ハクラ、そなたは俺とベグリが打ち合っている間はその辺りを走ってるんだ」


 顔を真っ青にしながらも文句のひとつも言わずに走り出すハクラを見届け、俺とベグリは向かい合って構えた。

 ベグリの攻撃には若干の恐れを抱くほど、加減がなかった。

 あの日、承認を殺すことを躊躇していたベグリの姿はない。

 一撃一撃、こちらの体を少しでも削るように打ち込んでくる。

 ベグリの振り払った攻撃が、右肩を掠った。

 俺はとっさにベグリの棒を叩き落してしまい、ベグリはうめき声をあげて手首を抑えた。


「す、すまん。つい⋯⋯」


 赤くなった手首を抑えるベグリに駆け寄り、その様子をうかがう。


「いや、気にしないでくれ。今のは俺が油断したせいだ⋯⋯これが本当の闘いなら今ので終わりだ」


「まあ、確かにそうかもしれないが、あまり気負いすぎるな」


 ベグリは手首を撫で、地面に転がる棒を拾い上げ、また構えた。


「怪我してるならヒュイにはつれていかないからな」


「心配しないでくれ。ただ赤くなっただけだ」


「ならいいが」


 先ほどよりもベグリの眼光が鋭く光る。この男の闘志は、目的を果たすその日が来るまで燃え尽きることはないだろう。むしろ、日を追うごとに強くなるのは違いない。


 俺がすべきは、この闘志の炎を扇ぐことだ。

 俺もベグリも知っている。憎しみは大きな力になると。



 ――――





 この数日間、二人はよくやった。

 剣の腕は格段に良くなった。防御の術を仕込む暇はなかったが、十分に戦えるようになった。

 そもそも集団戦になるのだ。防御はあまり重要ではない。

 大切なのは向かってくる敵を切り伏せる技だ。

 目の前の敵を斬る。ほかのことを考えずにこれができるなら、二人は生き残ることができるはずだ。


「ほお。その二人がお前の仲間か。望」


 いつの間に俺を望と呼ぶことを決めたのかは知らないが、十日ぶりに会う同盟者的存在であるシジュは、腕を組みながら首を捻った。

 シジュの集落に三人で来たものの、気にかかることがあった。


「ああ。申し訳ないがこれだけだ。それより、先日より随分と男が少ないが、どういうことなのか聞きたい」


 集落全体を見渡しても、男がほとんどいない。子供や老人がわずかに存在しているが、働き盛りの者がごっそりと消えている。


「まあそれについてはヒュイに向かいながら話してやろう」


 そう言うとシジュは後方に手招きをし、荷車を引く青年を呼んだ。

 荷車は特別大きいものでもない、大人四人ほどが乗れそうな大きさだが、不自然に座席部分が膨らみ、黒い布で覆われていた。


 黒といえば、シジュも肩から足元まですべて黒い衣服を着ている。

 あまり上等な生地ではなさそうな服は、手首と足首を縛るようになっていて、空気が入り込む場所は襟くらいだが、ゆったりとゆとりがあった。

 腰に締めた帯も黒く、全身白の俺とはまさしく対照的と言えた。

 腰に差された剣の柄には金糸と赤い糸の装飾が施され、俺やベグリたちが持つものと違って、鞘にも宝石の類が埋め込まれている。

 十中八九よからぬことをして手に入れた物だろう。この男は賊なのだ。今のところ、俺の前ではただのいい奴でしかないのだが。


 シジュはさらに、一頭の馬を連れてこさせた。毛艶のいい黒馬で、シジュと並ぶとその衣装が同化するように見えた。

 

「じゃあ行くぞ。望」


「ああ」


 手綱をつかむと、シジュが集落の外へと歩き出す。

 シジュに共はいない。荷車を引く青年がひとりだけいるが、共とは呼びにくい。

 その青年がシジュに続き、俺も続いた。

 ベグリはずっと黙りながら俯き、ハクラは頭を傾けて何か考えている。

 俺もハクラと同じことをした。

 なぜ兵がいないのか。シジュが何を考えているのか。

 俺の頭では、計り知れないことが目の前で起きていた。


 集落を囲む山を越え、俺たちは南西に向かって進んだ。

 ヒュイはエイという国の首都だ。ということは俺たちは今その国に向かって進んでいることになるが、果たしてその国はいったいどんな場所なのだろうか。

 馬にまたがり、悠然と進むシジュを見上げながら、俺も馬が欲しいと思った。

 ただ馬に気になることがあり、シジュが足をかけているわっかのようなぶら下がったものはいったい何なのだろうか。

 輪っかのようだが、下は木が真っすぐになっていて、半円を描いているというほうが正しい。

 この輪っかに足をかければ、馬をうまく操れる気がするのはなぜだろう。


「で、シジュよ。お前が何を企んでいるのか聞かせてほしい」


 シジュは振り返って俺に微笑みかけると、肩をたたきながら口を開いた。


「気になって仕方がないのか。俺が出すといった70の兵がどこに消えたのか」


「ああ。ていうかわかってるならもっと早く説明してくれ」


「ふ。俺はてっきりお前なら意図に気づいていると思っていたんでな」


 俺を試すように、歯を見せて目を煌めかせた。

 だが確かに、冷静に考えればすぐに想像がつくことではあった。


「⋯⋯先にヒュイに忍ばせたのか」


「ご名答⋯⋯既に全員向こうにいるぞ」


 考えてみたら、俺達がこれから向かうのは人のいない山間部でも、陸の孤島でもない。大国の首都なのだ。

 そんな所に70人程度の兵をゾロゾロと連れて行くなんて、自殺行為でしかない。

 敵と見なされれば、すぐに首都にいる兵に蹂躙されることは必須なのだから。


「その者達がヒュイの構造や内情を探っていると思っていいんだな?」


「ああ。アイツらには奴隷を飼ってる奴の住処の場所。首都の武器庫や兵のおおよその数は調べるよう言ってある。後はちょっとした喧伝だな」


 色々と抜かり無さそうだ。俺と言えばこの10日間、少し気鬱していたり、ハクラとべグリにひたすら剣術を教え、その隙を縫って釣りをしていただけなのに。


 出来ることがそれしか無かったとはいえ、この男に対して申し訳ない気持ちが溢れてくる。


「色々とすまない⋯⋯お前達には本来関係ないことなのに」


 身体を柳のように揺らすシジュを見上げていると、その男は手網から両手を離し、腕を組んだ。

 やはり足置きのおかげか、身体の軸が安定している。


「いや、むしろ俺としては幸運がやってきたようなものだからな」


 シジュは前を向いたまま、高らかに言った。


「幸運とは⋯⋯救出した奴隷をお前の領地に連れ帰ることか?」


「それも幸運ではあるがな。解放したヤツらは俺の国で馬車馬のように働かせてやろう」


 俺は今、後ろにいるべグリが顔を顰めたであろう姿が、容易に想像できてしまった。


「解放した者を奴隷扱いは許さんぞ⋯⋯」


「なぁに。心配するな。俺の国民は大事に扱ってやる。言わば俺の財産なんでな」


「その言葉には妙な信頼感があるな⋯⋯って、まて」


 足を止めると、後ろのハクラがぶつかってきて、「あ痛っ」という声がした。

 その声に反応して、シジュは手綱を引いて停車し、シジュの前にいた荷車も止まった。


「シジュ⋯⋯お前の国とはどういう事だ」


 シジュは振り返ると切れ長の目を細め、含み笑いをした。


「言葉の通りだ。俺は俺の国を創る。今あそこにいる奴らやこれから救出する奴隷共はそこの民になるんだな」


 なんとも壮大な計画を練っているらしい。

 静かに暮らすことだけを夢見る俺とは大違いだ。

 やはり人間、向上心は大切だが、歳をとりすぎると向上心は川に投げた落ち葉のようにあっという間に消え失せてしまう。


「⋯⋯国か。まさか、ボクレンを乗っ取るなんて考えてないだろうな」


「いや、そのつもりは無い。あの国は乗っ取るには少々厄介なんでな。乗っ取った後も面倒だ」


「よく分からんが⋯⋯今回のことが無事上手くいったらお前の野望が叶うことを願っておく」


「上手くいかなければ願いすらしてくれないのか、お前も中々利己的なやつだな⋯⋯」


 口角を上げながら、シジュは小さな笑い声を漏らした。

 それからしばらく歩くと夜になった。

 途中、いくつか初めて目にする街を見たが、やはりどこも壁や堀がなかった。

 王都やシジュの根城には外敵を防ぐための設備があるのに、他の場所にはそれが一切ない。

 俺にはそれが、とても気持ちの悪いものに思えた。 

 食料と水は荷車の中にあった。

 黒い布で覆われた荷車の中身は、ほとんどが何の変哲もない藁だった。

 その藁を見て、シジュがヒュイで何をしようとしているのか察したが、直接聞くことは辞めておいた。


 藁の中に隠すように置いてあった食料を5人で分けた。少量の水と、干した肉と米だ。

 肉はシジュのところで取れた獣肉だろうか。かなり塩味が濃く、ちょっと臭みもあった。

 米は石のように固くなっていて、人を殴れば十分殺めることのできるような代物になっていた。

 その米を水でふやかしながら食べ、肉を齧った。


 場所は道外れの草原、先日から思っていたのだが、この国は随分と治安がいい。 

 夜中なのに賊徒の姿が見えない。いやすぐ隣にいる男も賊ではあるのだが。

 あの世界ではそんなことはほとんどありえない。 

 夜になると、どこの集落の近くにも賊が現れる。

 俺達姜族は元来、定住地を持たない遊牧民だったせいもあって、若い頃は賊と何度も戦った覚えがある。

 アイツらは外で火をみかけると、息を潜めて迫ってくるのだ。

 だが今、焚き火を囲む俺達の周りに来る気配は無い。

 辺りは静まり返り、羽虫の飛ぶ音が少しする程度だ。


「考えてみれば、先に兵を全て向かわせたな。護衛すらいないじゃないか」


 俺は硬い肉を噛みちぎり、シジュの方を見た。

 シジュは笑みをこぼすと、一瞬その瞳が焚き火の色に染まって見えた。


「護衛はお前たちで十分だからな」


「俺達は護衛か」


「むしろ他に役立つところがあるのか?」


 シジュの言葉に、俺は言葉が詰まって口を閉ざした。たしかにほとんど無い。


「実際の戦闘になったらそれなりに戦える自信はあるぞ。俺とそこのべグリは」


 俺はシジュに教えるように、べグリを顎で指した。

 べグリは膝を抱えながら干した米を黙々と食べていたが、今ので顔を上げて俺を見た。

 その隣のハクラが不満げに俺を睨んだが、無視することにした。


「見たところ望、お前は腕よりも頭のほうが冴えていそうだがな」


 シジュは干した米をふやかしていた水を啜った。


「そう言われても、こっちは本当に自信ないんだ。もう大昔に役目を果たしたんでな」


「大昔って⋯⋯お前いくつだよ」


 シジュは目を丸くしながらも、口元は笑っていた。

 笑顔が似合う男だ。若干の悪意の籠った笑みも、純粋な笑いもどちらも似合う。


「さあ、忘れた」


「年寄りくさいこと言いやがって」


 実際年寄りだったので仕方がない。

 体の感覚は綺麗に若返っているが、頭の方は老化したままなのだ。


「ここからヒュイまであと10日近くあるんだ。それまでに頭の方を回転させとけ」


 シジュはフッと笑うと水の入っていた器を地面に置いた。

 中は綺麗に無くなっていて、青年に藁を取らせ、その上に寝転がった。


 そうだ。ヒュイまでは日数がかかるのだ。

 つまり、シジュの配下たちが十日前に出発したとしても、まだ到着したばかりで何もできていないはずだ。それに当然、全員を同時に動かしているはずはない。日を分けて向かわせているはずだから、まだ道中にいるものもいるはずだ。


 その遠い距離のことを考えると、ひとつ不安が浮かんできた。

 だがそれについて話そうにも、シジュはすでにいびきをかいて眠りだしていた。

 仕方がないので俺も眠ろうと地面に寝転がって空を見上げると、満天の星空の中に、ひとつどこかへと消えていく星が見えた。

 今俺たちが向かってるヒュイに向かって、星は消えていった。

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