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落花 2


 目を覚ますと、まばゆい光が目に注がれていて、目を開けると視界が一時的に真っ白になった。


「ん⋯⋯寝てしまったのか」


 昨日はあの後、会話もなく寄り添っていると、いつの間にか眠りについていた。

 ルナは土の地面に寝転がり、今も夢の中にいるようだ。

 なんとなくその頬をなでると、言葉にできない心地よさがあった。


 顔を上げて周りを見れば、遠目でこちらを観察している少年少女の姿があった。

 俺が彼らを見ていることに気づくと、逃げるように去っていった。

 まあ、完全に怪しい人間なので仕方がないだろう。


「朝だぞ⋯⋯起きよ」


 ルナを起こすため肩を⋯⋯ではなく頬をつついた。


「んぅ⋯⋯」


 かすかな吐息とともに声を漏らしながら、ゆったりとルナは重い瞼を上げた。

 その姿は、幼子のような危うい雰囲気の中に、美麗な容姿が相まって、神秘的に見えた。


「あ、望さん⋯⋯おはようございます」


 ルナは目をこすりながら状態を起こした。

 いつも起きるときは目を長くこすっているが、癖なのだろうか。


「風邪ひいてないが」


「はい。私こう見えても体は丈夫なので」


「それは意外だ」


 ルナは寝起きの気だるそうな目のまま、口元を綻ばせた。


「もしかして、美人薄命だと思ってました?」


「⋯⋯なんだそれは」


「美人は病弱で短命の人が多いってことです」


 なるほど、そういう言葉が存在するのか。しかし。



「別に否定するつもりはないが、自分で美人と自称するのは恥ずかしくないのか」


「いえべつに⋯⋯」


 首を傾げ冷静でいるルナを、またすごいと思った。


「まあいい。帰るぞ」


「ですね」


 土汚れを払いながら立ち上がると、ルナも同じしぐさをして立ち上がった。

 木下から離れると、朝日が体に降り注ぎ、少し暖かくなった。

 来た路地を抜け、大通りに出ると、すでに人が往来していた。

 農作業をするため、男たちが町の外に向かって歩いている。

 改めて農業の道具が鉄製なことに、関心を覚えた。

 あの世界でも鍬が鉄でできていたなら、もっと土を掘り起こして生産量を挙げられたのだろう。

 生産量が上がれば、当然人口も増えたはずだ。だが人口が多いとあの牧野での開戦もが長引いていそうなので、あの時は木製農具でよかった。


「朝帰りしちゃいましたね」


 牧場に近づくと、ルナが気まずそうに肩をすぼめた。


「なんか言い方があれだが⋯⋯まあメイは許してくれるだろう」


「⋯⋯そういうことじゃないんですけどね」


 ルナが何を意味して言ったのか分からなかったが、とにかく小屋に着いた。

 理由は無いが小屋に入ると、先日と何も変わっていなかった。

 何故かこの場所が随分久しく思え、羊たちに忘れられていないか不安だったが、そもそも彼らは個人をどこまで認知しているのだろうか。  


 シジュとの約束まではあと8日。できればもっと猶予が欲しいが、向こうの条件を無下にはできない。


 できればヒュイという地域をこの目で確かめてから策を練りたかった。というか本来そうすべきなのだろうが、その時間があるかどうか。


「なあルナ、ヒュイという街までここからどのくらいかかる」


「はい?」


 突然聞いたせいか、若干ルナは戸惑いつつ、頬を指で叩きながら考えていた。


「歩いて向かえば最低でも10日はかかると思いますが」


「あー。じゃあ無理だな」


 残念ながら淡い期待も崩れ落ちた。

 これが3日くらいで到着出来るご近所なら、急げば偵察もできたかもしれないのに。 

 

「ヒュイについて調べたかったのですか」


「ああ⋯⋯」


「あの、戦いに向けてどんなことを調べるか聞いてもいいですか?」


 今日はすることもないので働こうと思い、また小屋から外に向かうと、ルナが話に食いついてきたので、とりあえず話すことにした。


「まずは周辺含めた全体の地形⋯⋯兵を伏せられる場所はあるか、近隣に集落はないか。集落があるならあ大まかな規模や成人男性の人数とかだな。最低限それを知ってないと兵を動かしてはならん」


「ですが⋯⋯今回だとそれができないわけですか」


「ああ。これだと暗闇の中に軍を進めるようなものだ。何が起きるか検討もつかないからな」

 

 と言っても、あのシジュが何も考えていないとは思えないので、俺が心配することは無いのかもしれない。

 兵を率いるのは彼だ。俺ではない。

 もしかしたら、シジュは俺の話を聞いた直後には、頭の中で策を練り終えていたのかもしれない。


「あのシジュさんという人は、いったい何を考えているのでしょうか。奴隷の人達を自分によこせなどと言って」


 そう言った瞬間、ルナの顔に陰りができた。

 そういえば、シジュの屋敷を出る前あたりから、ルナは期限を損ねていた気がする。


「シジュと話したあと機嫌が悪かったのはそのせいか?」


 ルナは頷きも返事もしなかったが、その陰る目が答えを物語っていた。


「気持ちは分かる。だがルナ、そなたが俺に奴隷解放を求めるならそこは受け入れてもらう他ないぞ。あの男の力を借りるしか俺には術がないのだから。それを呑み込めないなら、俺ではない他の誰かを頼るんだな」


「分かってますよ⋯⋯そんなこと」


 なんだか、俺もルナも情緒が不安定らしい。

 知らない間にも救出に向けて緊張していたりするのだろうか。

 俺はそんな不安定なルナを安心させようと、そっと彼女の肩に手を置いた。

 

「だが安心して欲しい。俺が見たところ⋯⋯あの男は理屈っぽい合理主義者だ」


 俺がそう言うと、ルナは顔を上げ、こちらを見ながら何度も瞬きをした。


「といいますと?」


「あいつは自分の自治領を拡大するという目的のために俺達に手を貸し、人手を欲しているにすぎないんだよ。つまり、悪戯に彼らを傷つけたりはしないってことだ」


 悪戯に人を傷つける人間として浮かび上がるのは、やはり帝辛か。

 西伯侯の息子を処刑し、その肉を西伯侯に食べさせたり、比干を惨殺し、その胸を捌かせた帝辛とシジュでは、似ても似つかないだろう。

 そもそも帝辛なら、あの集落のように、人が顔を上げて歩く場所なんて作れやしない。

 帝辛のお膝元だった朝歌の人間は、ごく一部を覗いてほとんどの顔色は悪く、俯いていたのだから。

 賊と暗君、このふたつは本質的には似ているところがあると思うが、俺が思うに、シジュには賊としての素質も暗君としての気質もないだろう。



「随分信頼してるんですね」


「ああ⋯⋯何故だかあの男には妙な親近感を覚える。良い奴ではなさそうなんだがな」


「良い人ではなさそうなのに信頼できるんですか?」


「あー⋯⋯まあそれはあれだ。裏表のない本能丸出し人間のほうが表面上は良い顔をしているが内心何を考えているか読めないやつよりも信頼できるんだ」


「じゃあ私も信頼できるってことですか?」


「いや⋯⋯? そなたは何考えているかいまいち分からん」


「もうっ!」


 ルナは声を荒らげると、顔を顰めながらよく背中に乗っていた羊の方へと歩き出した。

 あの羊はまだルナを背中に乗せるのだろうか。危ない羊だ。


 そういえば、小さい畑を作ってカンショという芋を埋めていた。

 ふらりとそこへ行くと、知らない間に畑を囲む柵が組まれていた。

 まだ芋は芽を出しておらず、ただ黒茶色の土と雑草だけがそこにはあった。

 やることも無いので、柵の中に入って雑草を軽く抜き、汚れた手を井戸で洗った。

 いまさらだが、こんな仕事内容でよく食住を与えられているものだ。

 帝辛の器を塩1粒だとすると、メイの心は目の前の水桶くらいだろうか。ルナの肩幅くらいの幅がある。


 俺も戦いに備えて、剣の腕でも磨いておくべきだろうか。

 先日は複数人を相手にしても対処できたが、それは相手が武装しているとはいえ、戦闘になれていなかったからだろう。

 だが次の相手は国の兵士だ。間違いなく練度は先日の商人達とは比べ物にならないし、俺の知らない戦法を取ってくる可能性も大いにある。


 やはり少しでも勘を取り戻しておくべきかと唸っていると、丁度いい相手が牧場の外からやってきた。


 

 ────


「で、なぜ私が剣術を」


「そなたも戦うつもりなら少しでも腕を磨いておくにこしたことはない。ほら、構えるんだ」


 訪ねてきたハクラを強引に捉え、小屋にあった丁度いい大きさの棒を拝借し、牧場の隅に来た。

 ハクラは来てそうそう俺に拉致され、なにがなんだかわからないまま棒を持たされ、戸惑っている。


「あんまり得意ではないのですが」


 言葉の通り、構えも随分といい加減だ。

 まず正中に構えているはずなのに、右に棒が傾いている。

 それ自体が悪いということではないかもしれないが、どこから打ち込んでいるかわかってしまう。


「いいから。好きに打ち込んでくれ。遠慮はいらん」


 俺が切っ先を向けると、ハクラの顔が引き締まり、肩が上ずった。


「ほんとによろしいのですか」


「ああ。心配しなくても当たらないと思う」


「⋯⋯わかりました」


 ハクラは右足を引いて、さらに棒を傾けた。


「はあっ!」


 気合を吐くとともに、ハクラが走り出す。

 直線的な動きで、あまり大きく振りかぶらずに、俺の右肩目掛けて棒を振るう。

 棒が俺から見て右側に傾いていた時点で、右半身に攻撃が来ることはわかっていたので、力のない一撃を受け止める。


「もっと思い切って打ち込んでいいぞ」


 棒をはじくと、ハクラはよろめきながら後ろへ下がった。


「では遠慮なく」


 目つきが少し変わる。躊躇がなくなったのか、今度は俺の胸めがけて棒を突き出してきた。

 棒をいなしながら半身になり、前へ出たハクラの背中を軽く小突いた。


「いたっ」


 ほとんど力は入れていないのに、ハクラは打たれた背中を撫でた。


「ハクラ⋯⋯来いとは言ったが無策で打ち込めとは言ってないぞ。実戦でそんな動きしてたら死ぬのは一瞬だぞ」


「ああ、いや、打ち込めと言われたらつい攻めることだけで頭がいっぱいになってしまって」


「なら俺の隙を見つけてから打ち込んで来い。間違っていても気にするなこればかりは経験だ」


「わかりました」


 改めて構えなおしたハクラは、俺の全身を舐めまわすように観察し始めた。

 実際頭間違いなく俺より優れているのだから、考え方を変えたらすぐにものになるはずなのだ。


 実際すぐに動きはよくなった。

 やみくもに攻撃することをやめ、試行しながら動くことで、若干動きの機敏さは失われたが、攻撃は読みにくくなった。


 しかしながら、根本的な問題をハクラは抱えていた。


「ほら、早く構えろ」


「はあ、ま、まってください」


 すでに疲労困憊なのか肩で息をしている。

 まだ始めてからほとんど時間はたっていない。

 始めたころルナを背中に乗せていたあの羊は、今もルナを載せて散歩している。

 要するに、大した時間は経過していないのだ。


「剣の腕どうのよりも、体力の問題だな。疲れて足が止まったせいで殺されるなんてことになったら死んでも死にきれないぞ。どうだ。今回は留守番するか?」


「え⋯⋯」


 うつむいていた顔が上がり、瞠目した双眸に俺の姿が映し出される。

 ハクラを見下すような顔つきをしているが、自分ではそんなつもりはなく、ただ死んでほしくないだけなのだ。


「正直、俺たちなんていてもいなくても影響力ないしな。実際戦うのはシジュの軍勢だしな」


「確かにそれはそうですが⋯⋯」


 ベグリには自分の手で家族を救うという大望があるゆえに、おとなしくしていろとは言えなかったが、ハクラにはどうしても戦わなければならない道理はないはずだ。


「でも嫌です」


 まさかの返答に、俺はつい睨みつけるように目を細めてしまった。

 だがハクラはしり込みすることもなく、俺を見つめたまま口を開いた。


「私だって、友を救い出したいのです。それに、死ぬつもりはありませんよ。太公望様おっしゃてたじゃないですか。私と一緒につかまっていた女性に、恩返ししたいなら幸せになって会いにきちくれと。だから私は死にませんよ絶対。生き延びてリシを取り戻して見せます」


 ハクラの瞳に映る俺の姿が、その目に宿った光によって霞んでいく。

 結局のところ、誰かを死なせたくないと思っても、その者の意思が固いなら、死なないように祈るか、監禁してしまうほかないのだろう。

 だが果たして、俺は四肢を拘束されていたら、商への復讐を諦めていただろうか。


 



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