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国家と決意と太公望 7

「望さーん。もう疲れましたよー」


 シジュという男のところに向かったのはいいものの、先ほどからルナの不満がこだましている。


「足疲れましたぁ。少し休みましょうよぉ」


 そんな体力のなさそうな少女の嘆願を無視し、俺とハクラは橋を渡った。

 昨日は王都にまでたどり着き、無理を承知で王宮の人間に名前を明かして宿泊するところを紹介してほしいと頼んだら、王宮の離れを案内してもらえた。

 そこにはベッドという寝台はなかったが、布団が似たような白い生地でできていて、とても心地が良かった。


 ルナなどは食事がすむとすぐに眠りにつき、ハクラは好待遇に感極まって涙していた。

 聞いたところによると、ハクラの家は畑を持っているが、小さな畑でそれだけでは家庭が苦しいので、母が木綿の布団を作っているらしい。


「じゃあ早く帰って家族の手助けをしたほうがいいんじゃないか」


 眠る前、ハクラに尋ねると、首を横に振って目を狭めた。


「友人を救い、太公望様とベグリさんの恩に報いるまでは帰れませんよ」


「それは⋯⋯こちらとしてはありがたいな」


 帰ったほうがいいとは、これ以上俺の口からは言えなかった。

 信頼できる者はひとりでも多くそばにいてほしいというただの我儘だ。

 それに、ルナとふたりでシジュという男に会うのは勘弁したい。

 というか、なぜルナがついてきているのか。今回は脱いでもらう必要はないのだから、ついてくる意味はないのだが。


「私も行きます! 絶対行きます」


 と駄々をこねられ、あきらめたハクラが連れていきましょうというので、仕方なくつれてきた。




「ちょっと休みましょうよお。ハクラさんも疲れましたよねー!」


 後ろからずっと不満も吐き出されると、正直辟易してくる。

 このまま置いて行っても猫ならひとりで生きていけるだろうが、メイのところに俺も帰れなくなってしまうので、そうもいかない。


「王都に残れって言ったのにな」


 ハクラに愚痴をぶつけると、この青年は苦笑いしながら上手く言葉を躱した。


「しかし太公望様。たしかにいちど休んだほうがいいですよ。そろそろほら」


 ハクラは顔で前方を示した。前方に新緑の山々が現れる。

 ひとつひとつの高さはそこまでだが、とにかく隙間なく山が連なっているので多少上って超えるしかない。


「たしかにそうか」


「あそこは獣も多いでしょうから、万全の状態で行くべきですよ」


「⋯⋯わかった」


 あたりを見渡すと、道外れに腰掛けられそうな岩があった。


「あそこに行こう」


 とりあえずルナは無視して、ふたりで岩のところへまで生き、腰を下ろした。

 が、岩はひとり分の大きさしかないので、ハクラは立ったままだ。

 地面に腰を下ろしてもいいとは思うが、土で汚れるのが嫌なのだろうか。」


 しばらくすると、息を切らせたルナが恨めしそうな顔でやってきた。


「休むなら教えてくださいよ。無駄に声出して疲れましたよもう」


「いや、さっき決めたことだから」


「まあいいですけど」


 汚れることなんていっさいに帰せず、ルナは土の地面に腰を下ろした。


「すまんなハクラ。年寄りは地面に座ると立つのがつらいのだ」


「いや、私はなんとなく立っているだけなのでお構いなく。しかし太公望様、あなた今はお若いですよ」


「⋯⋯たしかに」


 いわれてみればそうだと、地面へと移動し、腰に差していた剣を置く。

 考えてみれば、年寄りのままなら剣なんて持てるわけないし、ここまで歩くことだって不可能に近いのに、なぜ俺はいまだに自分をしわだらけで腰が曲がった年寄りだと勘違いしていたのだろう。


「しかしあの山の向こうにいるなんて、そのシジュさんも物好きですねえ」


 ルナは後ろに両手をついて背中をそらせながら言った。


「そりゃ賊だからな。人目の付くところは避けるに決まっている」


「それはそうですけど。それにしてもですよ。だってこの辺り人の気配ないし、山の向こうも海が近いですけど、ここの地形を考えたら人なんてほとんどいないと思いますよ」


 ルナの言う通り、王都から東には、人の集落がさっきひとつあったくらいで、あとは土がむき出しになったこの地面と、その南には湿地らしき場所が広がり、水苔が大量に自生している。

 そして何より、我々が向かっている北東の集落は山で囲われ、その囲われた場所を縦断するように、低い山が聳え立っている。


 たしかに、この山々の向こうが海なら、人はほとんどいないだろう。

 王都と山の向こうの距離自体はそれほど遠くないが、交易するにも不便だろうし。


「でも王都から山の手前まで道は整備されていますからね。使う商人もいないから足跡どころか轍もありませんけど」


 ハクラの言う通り、俺たちはその整備された道を今通っていたのだ。

 今は手入れもされておらず、人も通らないようで、石が転がっていたり雑草も生えているが、道があるということはその道の先に人がいたはずなのだ。


「もしかしたら、シジュという男がいるその場所は、もともとは本当の集落だったのかもな」


 そこが何かの理由で人がいなくなり、賊の根城になったのなら、道がある理由もわかる。


「元の住民を追い出したのでしょうか」


「さあ、まあ今は正直なんでもいい。シジュという男が話が通じるか、気になるのはそれだけだ」


「それもそうですね」


 ハクラが荷物の中から、皮の水稲を取り出し、俺たちにくれた。

 水はぬるかった。今朝王都の井戸で汲んだものを沸かしたから仕方ないのだが。


「さて、じゃあそろそろ行くか」



 立ち上がりながら、ハクラがずっと背負っている荷物に目を向け、そのまま視線を何も持っていないルナへと移した。


「ルナ、悪いがハクラの荷物を持ってやってくれ」


「えー」


 露骨に嫌な顔をしながら、ルナは抗議の目を向けた。


「山で獣に襲われたら、俺とハクラが対処するしかないだろう」


 幸い、ハクラも剣を用意している。みたところ、あの日ベグリが使用していた物のようだ。

 

「それなら仕方ないですね。でもそれならちゃんと守ってくださいよ」


 ルナは渋々ハクラから荷物を預かると、肩にかけて顔をしかめた。


「お前が獣と意思疎通できるなら問題ないんだがな」


 そういえば、ルナは羊と意思疎通できているみたいだったが、それなら猪なんかとも話し合えるんじゃないだろうか。


「私ができるのは厳密には向こう思考を読むことです。猪や熊みたいな獣相手だと向こうの考えが理解できても襲われるだけです」


「それはそれですごいことしているが、なら仕方ない。荷物は頼んだ」


 ところで、こんな話をしているのに、どうしてハクラは平然と聞いているだけなのか。

 獣の考えていることがわかるような存在がいたら、驚いたりするものではないのだろうか。

 だがハクラは、何の反応も見せずに俺たちと歩き始めた。


 道は山の手前で途切れ、俺たちは道のない山の向こう側へと向かった。

 山は外から見るよりも、植物の量が多く、日の光があまり差し込まない。

 そのせいか少し涼しく、歩く分には快適になっていた。

 ただそれは、山の中でなにも現れない場合だ。


 先頭を歩く俺の目の前を、一本の矢が掠めた。


「きゃっ」


「太公望様!」


 俺ではなく後ろにいたルナとハクラが声を上げる。

 矢は右から左へと通過し、となりの木に突き刺さっている。

 見たところ、矢じりは白っぽく、石ではなく鉄でできていそうだった。


「落ち着け、殺すつもりなら今ので仕留めている」


 矢を木の幹から引き抜き、放ったであろう場所を確認すると、ふたり組の男が矢を下ろしてこちらを凝視していた。

 ひとりは俺と変わらないくらいの青年で、もうひとりはひげを蓄えた壮年の男だ。

 雰囲気が少し似ている気がする。親子だろうか。


 ただ狩りの最中に人を見つけただけなら、矢なんて放たないはずだ。

 つまり、あのふたりは俺たちに何か用があるに違いない。


「何か用か。我々はシジュという男の所へ行きたいのだが」


 矢を握ったまま、男たちへと歩き出すと、壮年のほうの男が前に出た。

 すぐに攻撃を仕掛けてくる気配はないし、ほかに仲間が潜んでいる様子もない。 


「あの方に何用か。今話してもらおう」


 少し訂正する必要がある。攻撃を仕掛けてくる気配はあった。

 壮年の男が話すと、後ろの青年が弓をわずかに持ち上げた。

 返答によってはすぐにでも俺の眉間を貫くつもりだろう。

 さっきからルナとハクラは肩を触れさせながら小さくなって震えている。生まれたての子羊みたいに足が痙攣しているのが少し面白い。


「シジュという男に頼みがあってきた次第だ。内容については直接その男に話したい」


 この男たちがシジュという男の仲間なのは明白だ。

 今俺がするべきは敵対視されないように振舞うことだ。

 だから、国王からの書状を持ってきたなんて言って国の役人だと匂わせるようなことはすべきではないのだ。

 しかしまあ、あんな震えている猫耳の化生を連れていれば、役人ではないことは一目瞭然だろう。念のためだ。


 男は黙って俺を観察している。信じきれないのか、処遇について思考を巡らせているのだろうか。

 だが男は息を吐くと、強張らせていた肩を下した。それに連動して、後ろの青年も弓を下した。


「わかった。あの方の元まであんないしよう。ついてこい」


「感謝する」


 男に拱手して例を伝える。


「ほら、いくぞふたりとも」


 いまだに震えているふたりに声をかけ、先に男を追いかけると、一呼吸おいてから後ろから二人が迫ってきた。


 青年にさっきの矢を返し、壮年の男について山を越えると、そこには少し懐かしい風景が現れた。

 山に囲まれた平地の中心は、土の壁でぐるりと囲まれている。

 どの土壁の一部の場所に木で作った門が設置されている。

 今は門は開かれていて、その壁の中には小さな集落ができている。

 懐かしいとは言ったものの、やはり建物は俺がよく知るものよりも立派で、みな木材で建築されている。


 門の前に見張りはいなかった。その代わり、あの山の中で侵入者を見張りながら糧でも取っているのだろう。

 見たところ、小さな農地はちらほらとあるが、川はなく、井戸がいくつか掘られているだけだ。


 門をくぐると、もはやそこは普通の街と変わりなかった。

 女が若干多い気がする。見慣れない俺たちへと一斉に視線が向けられるが、敵意は感じない。

 新しい住民だと思われているのだろうか。族の根城というから、もっと排外的で警戒心の強い場所だと思っていたが、なんだか拍子抜けする気分だ。


 街のあちこちでは、肉や魚が紐に吊るされて館操されている。

 魚はきっと、この山の向こうにあるという海からとってきているのだろう。

 海があるなら、食べ物を保存するための塩も確保できているはずだ。


「なんだか、思っていたところと違いますね」


 ルナが駆け寄りながら、小さく耳打ちをした。


「もっと恐ろしいところを想像してましたよ」


「こういうところだとわかっていたから、国王はここを紹介したのかもな」


「⋯⋯どういう意味ですか」


「国王の真意では、ここにいるシジュを敵としてみていないかもしれないということだ」


 ルナは首をかしげて納得がいっていない様子だ。

 もうじきこの壁に囲われた町の端へとつく。

 前にあるのは、ほんの少しほかの建物よりも横幅のある、木造の瀟洒な建物だけだ。


 そこにシジュという男がいることは明らかだ。

 もう案内は必要ないのだが、この親子らしき男たちは前を進み続けている。


「ここで待ってろ」


 屋敷に近づくと、壮年の男が立ち止まって振り向いた。

 俺たちが足を止めると、男はひとりで屋敷へと入っていった。

 屋敷といっても、門や塀があるわけではない。

 この集落の主が住むには、ずいぶんと質素な屋敷になっている。


 しばらくすると、男が出てきた。


「入っていいと許可が出た」


 男はそう言いながら、俺の後ろに控えていたハクラに視線を向けた。


「ただし、入っていいのは貴様とその女だけだ。お前は俺たちといろ」


「え、ちょっ」


 男が言い終えると同時に、青年がハクラの肩をつかんで後ろへと引きずった。

 念のための人質ということか。それならなぜルナを選ばなかったのかよくわからない」


「心配するなハクラ。用を済ませたらすぐに迎えに行く」


「わ、わかりました⋯⋯あ、ちょっと引っ張らないでください。歩きますから」


 ハクラを知り目に、俺とルナは恐る恐る屋敷の前へと向かった。

 中は薄暗く、特に変わったものは無い。

 表には靴がふたつ置かれている。ひとつは女物らしく、茶色い皮に小さな銀色の花の細工が施されている。


「お邪魔します」


 中に声をかけても、しんとしていて人の気配がない。

 入口の真正面は木戸で閉ざされ、奥の部屋が見えない。

 さっきの男にからかわれたのだろうか。

 いちど外へ出ようとすると、どこからか慌ただしく足音が近づいてきた。


「ああ、すみませんすみません。お待たせしました」


 暗闇から聞こえてきた声は、女性の声だ。

 その声の主が駆け寄って来て頭を下げる。

 暗くてわかりにくくはあるが、女性の髪は黒でありながらも、どこか光沢を感じさせる。黒曜石が近いだろうか。頭を下げながら覗かせる瞳は紺碧に染まり、逆三角の輪郭と高く通った鼻筋は、薄暗いこの場所でも存在感を放っている。一目見ただけで美人だと認識できる。


「シジュ様は中でお待ちです。すみませんほんとぉ⋯⋯シジュ様そういうところありまして」


 少し話し方がルナに似ているだろうか。語尾が伸びるところがそっくりな気がする。

 助成に案内されるまま、家の中へ上がる。

 上がってすぐの木戸を女性が開けると、蝋燭に照らされた部屋が現れた。

 部屋は広々としていて、中央には四角く囲った枠があり、その中は灰で満たされている。

 火を使う場所なのだろうか。枠の上に支柱が三本立てられ、枠の中央で交差し、底から鎖のようなものが伸び、鍋が吊るされている。

 部屋の壁には、所々獣の皮が飾られている。

 皮を乾かしているだけなら何ともないのだが、角がついたイノシシの顔が、そのままにされているのはどうも気味が悪い。そもそも皮が腐ったりしないのだろうか。


 そんな部屋の奥では、ひとりの男が堂々と座って待っている。男は安座しながら、肘をついて手に頬を載せながら、じっと鋭利な刃物のような鋭い眼光でこちらを見ている。

 男と目が合った時、一瞬だけだが、今朝食べた食物がせり上ってくるような感覚に襲われた。

 男の威圧感がそうさせたのだろうか。だがそれだけではない気がする。

 男の双眸は俺を見極めようとしているのか、捉えて離してくれない。

 だがそれだけで俺が気圧されるとは思えない。

 

 俺はこの目を知っている気がする。

 だがどこであったのか分からない。もしかしたらあの世界か。だがシジュという名前も、この男の顔も知らない。


 この世界での俺の容姿は、あの世界でのものと全くもって同じだ。

 それを考えると、この男があの世界の住民だったとしても、同じようなことが考えられる。


 だが、逡巡してもやはりこの男を知らない。

 もっと年を取ってから出会ったものかと思ったが、やはり全くと言っていいほど覚えがない。


「さあおふたりとも、どうぞこちらに」


 随分と離れたところから声をかけられた感覚がしたが、案内されるがまま、俺はルナと共にその男の元へと向かった。

 男の口元は笑っているようだ。敵意を向けているわけではないだろう。

 ただこの男⋯⋯シジュは観察しているのだろう。

 賊と呼ばれる自分を訪ねてきた外からの来訪者を。


 臆することは無い。ただ言葉を交わし、目的を告げ、国王の書状を渡せばいい。


 俺は気取られないように長い息を吐きながら、シジュの前に座った。

 ひんやりと冷たい木の床が、熱を帯びた身体を僅かに冷ましてくれる。


「お初にお目にかかる。某は太公望と申すものだ」





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