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国家と決意と太公望 6

「もっといい所で寝たい⋯⋯」


 小屋に帰ると、待っていたのは莚の布団だった。

 メイが用意してもらったものに文句を言うつもりは無いが、あの快感を知ってしまうと、ついついため息が漏れてしまう。


「なんですか望さん⋯⋯王様のところとの差で不満たらたらですか」


「いやまあ⋯⋯不満というか⋯⋯あそこは凄かった。こうなんというか、体が沈むんだ。柔らかいものに包まれながら」


「まあそりゃ王様のところならいいベッドでしょうけど」


「ベッド⋯⋯ベッドというのかあれは」


「でも、そういう所で毎日眠りたいなら出世しないとですねぇ。たとえば、この世界で成り上がるとか」


 目と口を三日月のような形にしながら、ルナはにやにやと笑った。


「⋯⋯それは面倒だな。藁でいいか」


「まったく⋯⋯望さんには向上心って物がないんですか」


「中身老いぼれに向上心なんて求めるな。こっちは少し前まで食事と釣りしかしてなかったんだぞ」


「悠々自適な老後ですねぇ⋯⋯」


 帰ってきたのはいいが、まだ日は明るい。

 国王の書状をハクラにも見せるべきか。


「ルナ、俺は今からハクラのところに行ってくるから、羊と畑は任せたぞ」


「え、もう行っちゃうんですか?」


「こういうのは早い方がいいだろ」


「わかりました。ここは私におまかせください」


 ルナは額に指を伸ばした右手を当てて溌剌と答えた。

 釣竿は小屋に置いてきた。

 釣竿がまた幸運をもたらしてくれたとはいえ、よく良く考えれば人の家に釣竿を持って行くのは意味が分からない。

 街を都と比較すると、その差が色々と見えてくる。

 まずここは石造りの建物が多く、木造の建物はメイの住む地域のような、家畜を飼っている家ばかりだ。

 別に家畜を飼うのに木造がいいなとどいうことはないだろうから、建築された時期による差だろうか。

 しかしながら、やはり気になるのは、街を覆うような壁や堀がないことだ。

 これでは、的に攻めてくださいと言っているようなものだ。それとも、ここは戦が怒らないくらい平和なのだろうか。平和を享受するために、少数の民が奴隷にされるのを見逃しているとでも言うのだろうか。





「国王からこの文書を貰った」


「太公望様⋯⋯今どこからお出しになりましたか⋯⋯」


 やはりハクラはべグリの家にいた。

 また股間近くにまで落ちていた手紙を渡すと、ハクラはルナと同じように顔をひきつらせて受け取った。

 ほんとに申し訳ないとは思っているが、ついそこに隠してしまうのだ。


「ほお、これはシジュに向けた赦免状ですね」


「シジュを知ってるのか?」


「ええ、西のビランヅを根城にしてる野盗ですよね。あれは野盗というよりも独立した国家に近いと思いますが」


 ハクラは席に座り、自分で用意した紅茶を飲んだ。


「場所はわかるか?」


「ええまあ⋯⋯ここから王都を超えてさらに東に進んだところですが」


「結構遠いが⋯⋯仕方ないか」


 これなら場所を聞いて王都から直接行けばよかったと後悔する。

 ハクラはなにか憂慮があるのか、書状を睨みながら首を捻った。


「しかしながら⋯⋯果たしてこの条件をシジュが呑んでくれるかですよね」


「その点は大丈夫だと俺は思う⋯⋯向こうからしてもこの条件は悪くないはずだ。もし他の条件を突きつけてきたら、可能なものなら了承してやればいい」


「それは、こちらの裁量でですか?」


「まあそうなるな。あの王ならそれなりのことは許してくれそうだし」


 楽観的だとは思うが、今は悪人にでもすがるほかないのだ。

 それに、あの王だってそのシジュという男と一味が本当に手のつけられない極悪人なら、こんな提案はしないはずだ。

 少なくとも、王はシジュには理性があると見ている。それは間違いない。


「俺は明日にでもそこに行きたいが、着いてきてくれるか?」

 

「ええ、当然ついて行きますよ」


「よし。なら明日の朝迎えに来てくれ」


「承知しました」


「じゃあ俺は帰る」


 来てそれほど時間は経っていないが、要件は済ませたので帰ることにした。

 帰る前にハクラが入れた紅茶を飲み干す。

 やはりこの味、結構癖になる。あの世界であったら毎日飲んでいたかもしれない。


「その書状は預かっといてくれ」


「わかりました」


 文書をハクラに託し、小屋へと帰る。

 牧場へ戻ってくると、入口の近くでルナとメイが談笑していた。

 ふたりとも朗らかに笑い、仲良さそうに話している姿を見ると、微笑ましく思えた。


「おや望さん、お早いお帰りですね」


 話している途中で、ルナがこちらを向いた。


「まあ要件を話しただけだからな」


「で、なにか決まったんですか」


「とりあえず明日⋯⋯そのシジュとか言うやつの所へ行ってくる」


 メイの方に目を向けると、メイは軽く会釈し、黙って俺を見つめていた。


「メイ⋯⋯必ずそなたの兄は連れて帰る。だから今しばらく待っていてほしい」


 メイは顔をふせ、両手を下ろしたまま重ね合わせた。


「ありがとうございます⋯⋯」


 微かに震える声。俺はメイの前に居てられなくなり、ひと足先に小屋へと戻った。


 もしも、昔の俺の目の前に、今の俺のような人間が現れて、奴隷になった仲間を助けてやると言われても、俺はその言葉を信じなかっただろう。


 では何故メイは信じてくれるのだろうか。信じて俺が世話になりながら好き勝手しているのを許してくれるのだろう。


 考えても答えは出てこないが、やることはわかっている。その期待に応えられるよう、この命をかける。それだけの話だ。





 ──────




 深い山に囲まれた盆地に、小さな集落があった。

 大外を山が囲い、その内側に黄土で壁を作った集落の中には、子どもの姿も僅かばかり見える。

 

 集落の最北の小屋から、妻を連れて出てきたシジュは、訳もなく歩き出した。

 随分と町としての形を成してきた集落では、男が外に仕事へ出かけ、女達が集落の中で服を仕立てたり山で取れた肉を干したりしている。


 墨色の着物の袖をなびかせながら、シジュは腕を組んで歩いた。

 道すがら、小さな子供が駆けて来てぶつかりそうになった。

 子供はそのまま走り去り、シジュは足を止め、振り向いて子供の背中を目で追った。


「どうしましたぁシジュ様」


 隣にいた妻、レアーナが黒曜石のような色合いの髪をかきあげ、紺碧の双眸でシジュを見つめた。


「いや、あんなガキいたか?」


 レアーナは首を傾げながら、子供が進んだ方を見たが、その姿は既に消えていた。


「はへぇ⋯⋯ちゃんと見てませんでした」


 目を丸くして自分を見つめる妻の頬を指でつまみながら、シジュは微笑んでみせた。


「まあ、誰かがどこかで拾ってきたのだろう」


「皆さん物好きですからねぇ。まあシジュ様が1番の物好きさんなんですけど」


「言っとくが俺に善意なんてものは無いぞ。お前も拾ったのもここのやつを拾ったのも全部自分のためだ」


「とか言って、私は分かってますよぉ。シジュ様の本当のお気持ち」


 レアーナもシジュの頬を摘み返し、ぶるぶると頬を揺らした。

 シジュは手を離すと同時にレアーナの手を払い、苦笑いしながら散歩を再開した。 


「ならレアーナお前に頼みがある」


「なんですかぁ?」


「そろそろ血が見たい。どこかにいい獲物はいないか」


 シジュが不敵な笑みを浮かべると、レアーナはまた首を傾げてにこにこと笑った。

 近所から塩漬けされた肉の香りがほのかに漂う。

 シジュは鼻腔をくすぐらせながら、塩漬け肉があるであろう方向へと顔を向けた。


「私がそんなこと知るわけないじゃないですかぁ。また賊の討伐でもしますか? それとも狩りにでも。もしくは奴隷商人でもまた」


「いや⋯⋯もっと大胆にだ」


「では⋯⋯まさかこの国と戦いたいとでもおっしゃいますか?」


「あのなぁ⋯⋯」


 シジュは妻に向けて目を細めると、なぜこの女はここまで愚鈍で愛おしいののかと、ため息をついてすぐに笑った。 

 そして人差し指で顕になっている額を突いた。 


「そんなことをしたらお前もここの連中もただでは済まないんだぞ。で、何度目かの問いだが、俺がいちばん嫌いなことは?」


「⋯⋯自分の物が奪われることです⋯⋯」


 レアーナは赤面していた。


「正解したのはいいがなぜ赤くなる?」


「だって⋯⋯シジュ様が私を自分の物だなんて言うから」


「手元にあるものは全て俺のものだって言ってるだろう。無論お前もだ」


「もう⋯⋯シジュ様ったら⋯⋯」


 両手を頬に当てながら、体をくねらせるレアーナを無視して、シジュは集落の視察を続けた。

 男が出払っていることもあって、人口密度がかなり低くなってはいるが、人が増えてきたことに満足していた。

 それになんと言っても、この集落を作り始めてから約10年、ついに子どもの姿もチラホラと見えるようになった。


(今度こそ俺は⋯⋯俺の国を作ってやる)


 壁の向こう側に見える深緑の山を眺めながら、シジュは静かに小さな決意を新たに固めた。


(しかしそのために、もっと住民が欲しい⋯⋯それとさっさとあの老いぼれ国王から自治を認められなければ)


 頭上を大鷲が唸り声を上げながら滑空している。

 この世界に生まれて随分経つが、大鷲を目にしたことは数えたほどしかない。

 最初に見た時は、捕まえて食べてやろうと追いかけていると、廃村になっていたこの地を見つけた。

 前回大鷲を見た時は、その数日後にレアーナと出会い、自分の妻とした。


(俺に運が傾いて来ているか⋯⋯それとも⋯⋯今度は災厄でも来るか?)


 無意識に大鷲を追っていた視線は、気がつくと雲ひとつない青空へと移っていた。

 大鷲は飛び去り、レアーナがようやく自分の元へとやってきた。


「いかがなさいました? さっきの大鷲ですか? 珍しいですよねぇ」


 レアーナはシジュの袖を掴んで、何も無い空を見上げた。


「ああ、恐らくだがあの鷲が俺に僥倖をもたらしてくれる」


 シジュが空を見上げたままでいると、レアーナはムッとしてシジュの肩を抱いた。

 体が引っ張られ、足を滑らせかけたシジュはレアーナの腰に手を回して踏ん張った。


「どうした急に。他の奴らに見られるぞ」


 レアーナは黙って背中に手を回すと、そのまま強くシジュを抱きしめた。

 レアーナの鼓動が、シジュの耳へとはっきりと伝わる。

 話を聞かなくても、妻が拗ねていることには気づいている。


「その幸運は⋯⋯私より良い物だとお思いですか」


 シジュの肩に顔の下半分を押し付けながら、レアーナは小さな声で呟き、シジュの背中を握りしめた。


 シジュは少し口をポカンと開けたまま呆けていた。


「全くお前は⋯⋯」


 フッと微笑を漏らし、レアーナの身体を離すと、シジュは軽く額と額を擦り合わせた。


「案ずるな。仮に絶世の美女が現れたとしても、今お前に勝る女はいない。まあ、その幸運がお前より良い物の可能性は無いとは言いきれないがな」


「むぅ⋯⋯では男の方をご所望ですか」


 頬を膨らませて怒る妻から目を逸らし、シジュは遙か以前の記憶に思いを馳せた。


「そうだな⋯⋯俺の元に優秀な参謀が来てくれたら⋯⋯それはお前を物にした時の充溢に勝るかもしれん」


「むむむむむ⋯⋯」


「おいおい⋯⋯野望の為の手駒にまで嫉妬するな」


 シジュは膨らんだレアーナの頬に軽く口付けをし、集落を1周するために歩き出した。

 不意のキスに感情が高鳴ったレアーナは、しばらくその場で顔を紅に染めたまま動けなかった。




 





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