猫と奴隷と太公望 4
しばらく更新してなくてすみません⋯ほかサイトに載せてこちらをおろそかにしていました⋯。
だいぶ溜まって入るので随時アップしていきます⋯。
どうぞお付き合いいただけたら幸いです
「まあ、思慮に欠ける発言ということだな」
「なら最初からそう言ってくれ」
この発言がすでに年寄り臭いとは自分でも思う。昔部族の中にいた長老を思い出す。
あの長老が亡くなられた時、80歳くらいだった。俺はそれより二十年近くも長く長老をしていたのだから、若返った今でも年寄り臭いのは仕方ないか。
「あんた案外物事に疎いのかもな」
ベグリは微笑しながら、首をひねった。
「まあ、いくつになっても人の感情の機微はわかりづらいものだ」
「さっきのはそれ以前の話だと思うが⋯⋯」
無駄話をしていると、ルナは随分と奴隷商人たちに向かって進んでいた。
そろそろ向こうから視認されてもよさそうだが、まだその気配はない。
「まあ今はその、俺のデリカシーとやらの無さはそっとしておいてくれ、そろそろ行くぞ。いいか、音を殺す必要はないから、できるだけ身を低くするんだ」
「ああ、わかった」
ベグリは気を引き締めたように精悍な表情でうなずいた。
俺たちは草むらに入り、できる限り背中を曲げ、そそくさと歩いた。
腰を曲げてもそれほど腰痛が起きないとは本当に素晴らしいことだと思う。年をとっても腰痛から逃れるすべはないのだろうか。
大きく迂回するように進むと、怪しまれることもないまま、元いた場所からちょうど一団と線で結んだ先にやってきた。
商人たちは酒を飲み、羹を食べている様子だったが、捕らえられた奴隷たちはろくな食料も与えられていないのか、皆で固まりながら丸くなって座っていた。
「いいか、ルナが気を引いたらまず手近なところから一人刺すんだ。斬るんじゃない、突いて抜くんだ」
すぐそばのベグリに耳打ちすると、彼は頷きながら柄を握った。
剣を持つ手は震えている。おそらくは、足もすくんで動きが鈍くなるだろう。
奇襲のつもりで襲い掛かるのは難しいかもしれない。
だからここは、奴隷の集団が我々を見逃してくれることを祈りながら、静かに接敵する方がよさそうだ。
しかしこの場合、明暗はルナがどれだけ商人を引き付けられるかにかかっている。
それこそ裸で踊ればなんとかなりそうだが、まさかそんなことはしないだろう。
ルナは足音をほとんど立てていない。今は草むらに伏せているのか、いまだに発見されていない。
俺はベグリにその場で静止するよう手で合図し、ルナが行動するのを待った。
息をひそめて数分、昼間目が合った奴隷の青年がなぜかずっとこっちを凝視しているが、声を出したりはしなかった。
もしかしたら、俺たちに期待しているのかもしれない。
俺は青年に向かって頷き、ルナの行動を待った。
いい加減に動けと思っていると、半月の照らす闇夜の下、ルナの白くしなやかな脚が草むらから空に向かって伸びた。
まさか本当に脱いだのかと思ったが、太ももの付け根あたりから布地がちらりと見えた。
「かしら、あれ」
商人のひとりが、首領らしき人間の肩をたたいてルナのほうを指さした。
そして四人全員の顔が、ルナのいる草むらに向いた。
ルナは伸ばした脚を倒れさせるようにおろしながら、代わりに上体を起こして蠱惑的に胸元を手で隠し微笑んだ。
「お兄さんたち、こっちで私と楽しいことしませんかぁ」
口を開けたかと思うと、何のひねりもない誘いの言葉が放たれた。
声には妙な色気があるが、怪しさしかない。
「ほんとうはそっちに行きたいんですけどお、明るいところは恥ずかしいので、この中で⋯⋯ね」
俺が同じことをされたら、確実に剣を抜いて様子を見に行くのだが、この商人たちはそろって阿呆なのか、ぞろぞろと立ち上がった。
皆顔が気色悪く綻び、みだらなことを考えているのは明白だった。
それにしても、ルナは俺たちの行動が遅れ、草むらで組み伏せられでもしたらどうするつもりなのか。
懐に武器でも仕込んでいるならいいが、あの娘に戦闘の心得があるとは思えない。
ということは、俺たちはすぐに動けるようにしなければならない。
「おい、お前たちは後だ。まずは俺がいく」
頭領と思われる男は、ほかの仲間を制止させると、腰回りに両手を置いて、ルナのもとに向かった。
ルナは笑顔を保ったまま男を待ち受けようとしているが、こんな下劣な人間、指一本触れさせるつもりはない。
固まったように動かないベグリの袖を引っ張る。
これを合図とし、俺たちはよつん這いで商人たちに迫った。
奴隷たちの前を通りかかっても、彼らは声ひとつ出さず、うつろに俺たちを目で追いかけるだけだった。
やはりこの中にベグリの弟妹はいないらしく、彼はとくに奴隷たちを確認することもなく、俺の後に続いた。
「おい。どこだ娘。姿を現せ」
ルナは茂みの中で上手く身を隠しているのか、まだ見つかっておらず、頭領らしき男が呼んでいる。
そちらに気を取られ、残った三人は俺たちに気づく気配もない。
三人の配置は、右手に二人がこちらから見て縦に並び、左手に一人だ。
ベグリを手招きして隣まで呼び寄せ、改めて耳打ちした。
「俺が右の二人をやる。そなたは左の一人だ。あの頭領は無視していい。一人をとにかく絶命させよ」
頬から汗を滴らせながら、ベグリは目を充血させてうなずく。
人を殺すのは怖いかもしれないが、そうしなければ大切なものは取り返せないし、俺ではこんなやり方しか思いつかないのだ。
襲撃の合図は必要ない。
俺は身を低くしながら立ち上がると、剣を抜いて手前の一人めがけて走った。
ようやく一団は俺たちの存在に気付いたが、時すでに遅しだ。
酒に酔っている相手など、切り捨てるのに造作もない。
手前の男は慌てて武器を構えようとしたが、手元になく、あたふたと首をきょろきょろとしているうちに、俺の一撃が突き刺さり、悲鳴を上げた。
腹に刺した剣を引き抜き、首を搔き切る。
男の鮮血が飛び散り、俺の顔を濡らす。
すかさず奥の男へと視線を向けると、男は腰に差していた剣を抜いた。
「な、なんだお前ら」
男は何も考えていないのか、ただ無造作に剣を振り上げた。
となれば、避けるまでもなく、突進して胸に剣を突き刺せばいい。
「うぐ⋯⋯」
剣を男の胸で回転させると、うめき声をあげた男は力なく剣を手放し、そのまま動かなくなった。
頭領の男は、ルナを探すのをとっくにあきらめ、剣を構えてこちらを警戒しているが、少し距離がある。
隣へ顔を向けると、青ざめた顔をしたベグリが馬乗りになって男を刺していた。
だが刺した位置が悪いのか、まだ息がある。
そのまま剣を引き抜いてもういちど刺したら息の根は止まるだろうが、完全に動揺しきっているベグリにそれを求めるのは酷だろう。
「あんた⋯⋯」
俺が死にかけの男に迫ると、ベグリが掠れた声を震わせた。
苦痛で顔を歪める男の首を斬り、剣を腰に差した。
生まれ変わってすぐなのに、もう人を3人も殺してしまったが、これは罪として裁かれるべき事なのだろうか。
まあ、もし裁かれるとしたら、甘んじて受け入れよう。
ただしそれは、この奴隷商人たちがただ個人で奴隷を売買しているだけで、国が関わっていなければの話だが。
「さて、まだ終わってないぞ」
ベグリの腕を掴み、起き上がらせる。
「ああ、そうだな」
頭領との距離はまだあり、後ろを振り向くと、奴隷の皆は歓喜の声も恐怖で震えることもなく、沈黙のまま俺たちを見ている。
俺たちを別の奴隷商だと思っているのかもしれない。
どうせ自分たちは奴隷として売られる。そう絶望しているような目だ。
彼らを解放したら、どうしてやればいいのだろうか。
家族がいるものは家族の元へ帰ればいいが、身寄りの無いものは⋯⋯、いや、それを考えるのはあとだ。
いつの間にか、随分と離れたところにルナらしき人影がある。
上手くあの男から距離をとったことだ。
あいつが気を引いてくれたおかげで上手くいったが、一団が寝静まるまで待ってもよかったのではと今更ながら考えたりした。
いや、その場合奴隷達に見張りをさせていた可能性もある。これでよかったのだ。
「な、何が目的だ」
残された男は観念したのか、武器を構えてはいるが、戦う意思はないように見える。
「金か? それともあいつらか? それなら全部くれてやる。だから」
「だからこのまま見逃せと言うのか? 別に構わないぞ」
「ほ、ほんとうか」
男は安心したのか、腕をぶらりと下ろして安堵するように強ばっていた頬を緩ませた。
「ああ、ただしひとつだけ条件がある。武器を置いてこっちに来い。嫌なら構わないぞ。俺と殺りあうか」
「わ、わかった。そっちにいく」
男は拍子抜けするほど従順で、武器を捨てるとこちらに向かって歩き出した。
焚き火を挟み、男と向かい合う。
ベグリは今にでも男の喉元に噛みつきそうに睨みつけているが、今は抑えてもらう。
というか、先に説明してある。
「そ、それで、条件ってなんだ?」
男は目の焦点が合わないまま、肩を竦めている。
どこまで小心者なのだろう。
昼間はこの目の前にいる男を挑発し、高らかに嘲笑っていたというのに。
ひとりでは何も出来ない臆病者。道を同じくする者がいて初めて行動し、気が大きくなって偉そうに振る舞う。ひとりになれば元の小心者に戻る。
言うなれば、人間の屑だ。
「お前が今まで奴隷を売った相手を教えろ」
「そ、そんなのいちいち覚えてない⋯⋯」
男の返答に、ベグリは肩を震わせる。
俺はベグリを宥めようと、彼の肩に手を置いた。
「ならどこの街に売った。それなら分かるだろ」
「それなら簡単だ。ヒュイだ」
当然俺は初めて聞く名前だし、そのヒュイとやらの場所も分からないが、ベグリはなにか心当たりがあったらしい。
「ヒュイだと⋯⋯」
ベグリは俯きながら、なにかブツブツと呟くように唇を動かしている。
だが、これで当初の目的は達した。
あとはベグリのため、そのヒュイという街で弟妹を探すだけだ。
それだけでは俺は満足できないような気がするが、それ以上を望むには本当に力が足りない。
「そうか、もう行っていいぞ」
「あ、ああ」
「死者の世界へだがな」
「え⋯⋯」
俺は静かに男に歩み寄り、その胸に剣を突き刺した。
男の胸から血が滴る。どうして悪人も善人も、皆血の色は同じなのに、人として大きな差が生まれてしまうのだろうか。
「だ、騙したのか⋯⋯」
もはや男の声に力は無いが、先程までの恐怖は消えている。今男の中にあるのは、俺に対する怒りだろう。
「すまない。逃がすつもりだったが気が変わった。お前も生まれ変われるといいな」
「がはっ、」
剣を引き抜くと、男はうつ伏せに倒れ、動かなくなった。
血が地面を染める。炎に照らされた血は、美しい彩を感じさせる。まあ死んでいるから生き生きとなんてしてないのだが。
「ほらな、俺は神なんて崇高な存在じゃないんだよ」
血溜まりの中に倒れた男を見下ろしながら、俺は顔も知らない誰かに向かって呟いた。




