その89 甘味は毒にも似て、あるいはレモンは美容に良い
◆虚無の牢獄
黒い砂糖水のような闇が、ぽたり、ぽたりと床に落ちて輪を描く。
その中心で、けんたろうは枷に繋がれ、邪気の甘さに喉を鳴らした。
邪神姫アザトース=アポフィス=ド・ティラミス=ラグナロク=ペルセポネ=あんみつ9世は、扇を半分閉じ、艶やかに笑う。
「ククク……人間の心を奪うなど、造作もないこと。
貴様の記憶、希望、愛、その拠り所すべてを腐らせ、やがて私のための啼き声に変えてやろう。
あの魔王がおまえの名を呼ぶとき、返事をするのは私に魂を捧げた抜け殻だ。
面白いだろう?」
邪神姫の囁きは、けんたろうの精神をじわじわと蝕んでいく。
(もうだめだ……
この人には勝てない……
生きては帰れそうにない……
魔王様……)
けんたろうが絶望に沈みかけた、その時。
邪神姫の髪がふわりと持ち上がり、左右でリボン結びのツインテール。手にはなぜか緑のネギ。
「貴様は、こういうの好きか?」
「既視感ありすぎ!!」
「アスカの方が好きなのか?」
「もうめちゃくちゃ!」
◆邪神軍本拠地:冒涜の神殿
魔晶盤には、凄まじい勢いで進軍する魔王軍幹部たちの姿が映し出されていた。
「なかなかやるな。雑兵では足止めにすらならんか」
ニャルラトホテプが感心したように呟く。
「フン、手応えはありそうだ。俺の拳を叩き込むのが楽しみだぜ」
アーリマンが指を鳴らしながら応じる。
「相手の主戦力は4人。こちらも幹部は4人……
獲物は一人ずつとしようか?」
パズスの提案に、エキドナが優雅にレモンティーのカップを傾けながら、妖艶に微笑んだ。
「あら、楽しそう。
あの屈強な魔族、私の可愛い子供たちの新しい苗床にちょうど良さそうだわ」
禍々しい空気が満ちる中、エキドナはふとカップの中を見つめ、他の三人に言った。
「ねぇ、あなたたち。
その中に入ってるレモン、飲み終わったら私に頂戴」
「「「???」」」
唐突な言葉に、男たちが困惑の表情を浮かべる。
エキドナはさも当然のように続けた。
「美容のためよ。使い終わったレモンは、パックに再利用するの。
肌の透明感が違うのよ」
世界の命運を左右する会議の場で、最強の魔女が口にしたのは、あまりにも世知辛い再利用術だった。
男たちは心の中で、声を揃えてツッコんだ。
(((ゲスセコ〜〜〜!!!)))
◆勇者一行:砂漠の都市イツヌ
財宝を換金し、大金を手にした勇者一行は市場を歩いていた。
「さすがにこれからの戦いは激しくなるわ。
特別に、私が装備を買ってやる!」
リリィの気前の良い言葉に、仲間たちの反応は三者三様だ。
「やったー! 新しい杖が欲しかったんです!」
と喜ぶミレルカ。
「どういう風の吹き回しだ?
明日は槍でも降るのか?」
と信じてないカティア。
「……また何か裏があるぞ、絶対……」
と警戒するエル。
しかし、リリィは本当に街一番の武具屋で、ミスリル製の鎧や魔法が付与された武器など、最高級の装備を全員に買い与えた。
「わぁ……本当に買ってくれた……」
「お金、すっからかんになったな」
空になった財布をひっくり返しながらリリィが言うと、カティアがすかさずヤジを飛ばす。
「で、どうするんだ! 今夜の宿代もないじゃないか!」
「よし!」
リリィは自信満々に言うと、畑仕事をしている農夫のもとへ駆け寄った。
「おじさん、困ってるみたいだね!
この勇者リリィが雑草取りを手伝ってあげる!」
「おお、勇者様! ありがたい!
このもじゃもじゃのヒゲがついたやつを全部取っていただけると……」
「わかったわ! もじゃもじゃのやつを全部ね!」
リリィはそう言うと、雑草を抜き始める。
隙を見て、農夫が育てていたトウモロコシをもぎ取り、次々と自分の袋に詰めていく。
「こ、こら!
そりゃ雑草じゃなくて収穫前のトウモロコシ!!」
リリィ「じゃ、私たちはこれで!」
「「「ゲスセコ〜〜〜!!!」」」




