その84 お忍びショッピングと静かなる強奪
魔王ディアボル=ネーメシア=アークトリウス=イレイザ=ヴァルハラ=トラジディア十三世(いい加減、作者もフルネームで呼ぶのを諦めた)は、最近少しだけ悩んでいた。
原因は、愛する婿、けんたろうの何気ない一言である。
「たまにはユーロビートとか聴きたいなー」
「こっちの世界の服もいいけど、人間界のパーカーとか楽でいいんだよなー」
―――婿の願いは、すなわち余の願い。
魔王様は決意した。
お付きの者もつけず、たった一人で人間界へ赴くことを。
「けんたろう。少しばかり野暮用じゃ。すぐに戻る」
そう言い残し、彼女は意気揚々と転移魔法で姿を消した。
行き先は、別次元の人間界・巨大ショッピングモールである。
数時間後。
ファッションフロアの一角で、場違いなほど高貴なオーラを放つ美女が、若い男性店員に話しかけていた。
「店員よ。この『ぱーかー』という服、うちの婿に似合うと思うかの? 彼はな、少し気弱じゃが、そこがまた愛らしい、世界で一番可愛い男なのじゃ!」
店員が
「は、はあ…お相手の方の体格は…」
と尋ねると、彼女はうっとりとした表情で答える。
「身長は余の肩より少し下、体重は余が軽々と抱き上げられるくらいじゃな。
そう、毎晩抱きしめておるから間違いない」
店員はドン引きし、魔王様は
「ついでに『ゆーろびーと』のCDも探さねば」
と上機嫌で鼻歌を歌う。
彼女の頭の中は、けんたろうの喜ぶ顔でいっぱいだった。
―――その頃、魔王城では。
魔王様を見送ったけんたろうは、テラスで紅茶を飲んでいた。 穏やかな時間が流れていた、その時。
彼の足元に、音もなく漆黒の影が滲み出した。
それは警告も予兆もなく、ただ静かに彼を飲み込もうとする純粋な「理」。
「え…?」
気づいた時にはもう遅い。
影から伸びた無数の手が彼の身体を捕らえ、悲鳴を上げる間もなく、その存在ごと影の中へと引きずり込んでいった。
テラスには、まだ湯気の立つ紅茶のカップだけが、ぽつんと残されていた。
~~魔王軍緊急会議~~
魔王軍の作戦司令室。
その中央に立つ魔王軍総司令官ハドうーの顔には、緊張と焦りで引きつっていた。
「―――けんたろう様が、邪神軍に拉致された。
魔王様は、現在人間界。
ご帰還まで、我らで時間を稼ぎ、そして婿殿を奪還する!」
集結した最高幹部たちの間に、鋼のような緊張が走る。
大悪魔導士ネフェリウスが口火を切った。
「敵の本拠地は『混沌の渦』。
魔力汚染が酷く、長期戦は不利なのである」
極竜軍団長ザイオスが牙を剥く。
「ならば話は早い!
私が行けば、いかに邪神と言えどもすぐに終わらせてくれるわ!」
その勇猛な意見を、ネフェリウスが冷静に制する。
「待て、ザイオス。
お主は魔王軍最強の『矛』。
切り札は最後まで温存すべきである」
張り詰めた空気の中、総司令官ハドうーが決断を下す。
「―――布陣を敷く!
けんたろう様奪還部隊の指揮は、私が執る!」
ハドうーの宣言に、幹部たちが息をのむ。
「突入部隊は、炎氷魔人ファイアイス、黒騎士ヴェリタス、冥術士デュランダル!
貴様らは私と共に、邪神軍の本拠地を叩く!」
「ヒャッハー! 燃やし尽くしてやるぜ!」
「御意に」
「……承知」
「魔界の防衛は、ネフェリウス、魔王の間の守護者アスタロト、そしてザイオス! お主たちに任せる!
一匹たりとも、この魔王城に近づけるな!」
「そして、勇者の足止め!
不死軍団長バルドは勇者と交戦中の模様。
獣軍団長クロコダイノレ、お主は人間界で陽動を行え!
何でもよい、時間を稼げ!」
完璧な采配だった。魔王不在という最悪の状況下で、魔王軍はその総力を結集させる。
「ゆくぞ!
魔王様がお戻りになる前に、我らの手で、魔王様の婿を奪い返すのだ!」
ハドうーの檄が、司令室に響き渡った。
~~ピラミッド・最深部~~
ピラミッドの出口前、巨大な柱廊。差し込む光の中に佇む漆黒の鎧の男。
バルド、魔王軍不死軍団長の姿だった。
「そこまでだ、勇者よ」
静かだが威厳ある声が広間に響く。
リリィは新たに手に入れた光輝の剣を構え、前に出る。
「どいてよ。出口、ふさいでるじゃん」
リリィの軽薄な態度に、バルドの眉がわずかに動いた。
「神聖な光輝の剣を持つ者が、そのような物言いとは...」
カティアが小声で説明する。
「あの人は魔王軍の幹部、不死軍団長のバルド。
人間なのに魔王軍に仕えている変わり者だけど、剣の腕は超一流よ」
「ふーん」
リリィは退屈そうに剣を回す。
「で、どけないの?」
「貴様のような者に剣を渡したミイラの王は目を誤ったようだな」
エルが緊張した面持ちで前に出る。
「リリィ、慎重に。あの人、ただ者じゃないわ」
バルドはゆっくりと剣を抜いた。その刀身には古い傷跡が無数に刻まれている。
「その剣の力を試させてもらおう」
リリィは一瞬、真剣な表情になった。
「いいよ。私も本気、見せてあげる」
二人が向かい合って構える。空気が凍りつくような緊張感。
突然、リリィが動いた。
光の残像を引きながら、信じられない速さでバルドに斬りかかる。
「はぁっ!」
しかし、バルドはわずかに身をひねっただけで攻撃をかわし、反撃の一撃を繰り出す。
剣が火花を散らして交差する。
「速い...!」
リリィの顔に驚きの色が浮かぶ。
「力任せの攻撃だけでは通用しない」
バルドは冷静に告げる。
「剣は心だ」
再び剣が交わる。
リリィの攻撃は力強いが荒く、バルドの動きは無駄がない。
「くっ...なんで当たらないの!?」
「お前の剣に迷いがあるからだ」
リリィは怒りを露わにして連続攻撃を仕掛ける。
しかし、バルドは全てを受け流す。
「その剣は邪神を討つために生まれた。私欲のためではない」
「うるさい!私は強いの!
勇者なんだから!」
リリィの剣が光り始めた。
神の加護による力が目覚めつつある。
しかしバルドは動じない。
「強さとは何か。それを教えよう」
バルドの剣技が一変する。
複雑な軌道を描く剣がリリィを翻弄し、あっという間に彼女を追い詰める。
「敗北を認めるか」
リリィは悔しそうに地面を叩く。
「まだまだ…これからよ!」
勇者よ、ゲスになれ!




