その59 魔王軍アルバイト奮闘記~悪魔的頭脳の使い方~
◆魔王様の愛は致死量フレーバー◆
魔界の一日は、けんたろうにとってサバイバル訓練の始まりを意味する。
「けんたろう…♡ おはようの口づけじゃ♡」
ベッドに腰掛けた魔王ディアボル=ネーメシア=(以下略)が、寝起きのけんたろうに顔を寄せる。その唇は妖しく輝き、背後には魂を啜るための吸引エフェクトがうっすらと見えていた。
「おはようございます! でもキスは結構です! 朝は歯磨きしてからじゃないとエチケット的に!」
けんたろうは、もはや達人の域に達した寝返り回避術で魔王の唇を避け、ベッドから転がり落ちる。
「むぅ…つれないのう」
しかし、続けて魔王様は嬉しそうに告げた。
「そうじゃ、けんたろう。近々、二人で“おんせん”とやらに参ろうぞ。幹部たちが手配してくれておる」
「は、箱根温泉ですか!? やった! どうやって行くんですか? 小田急線? いっそ奮発してロマンスカー乗っちゃいますか!?」
生まれて初めてのまともなイベントに、けんたろうのテンションが爆上がりする。しかし、魔王はきょとんとした顔で首を傾げた。
「ろまんすかー? よく分からぬが、移動はこうじゃ」
魔王が指先に魔力を込める。すると、何もない空間に、ぐにゃり、と黒い亀裂が走った。時空が悲鳴を上げ、裂け目の向こうから、名状しがたい無数の眼球がこちらを覗き込んでいる。
「魔力でこう、空間に穴をグワッと空けてだな、目的地までズボッと繋ぐのじゃ。近道ぞ?」
ぞわあああああああああああ!!!!!
けんたろうの全身から、血の気がマッハの速度で引いていく。脳が理解を拒絶し、魂が肉体からの脱出を試み始めた。 「(これ、移動中に異次元の邪神に捕食されるやつだ…! ロマンスカーの車内販売のお弁当が食べたかっただけなのに…!)」 がくり、と膝から崩れ落ちるけんたろうを、魔王が優しく抱きとめる。
「おぉ、楽しみすぎて気が遠くなったか。可愛いやつめ♡」
その日、けんたろうは一日中、魂の半分が家出したままだった。
◆魔王軍幹部、時給戦士になる◆
その頃、人間界・東京。某有名進学塾の一室で、一人の男が教鞭を執っていた。
「いいか、諸君。この数学の問題が解けぬのは、君たちの“次元”に対する認識が甘いからだ」
白衣を纏い、理知的な眼鏡をかけたその男こそ、魔王軍大魔導士ネフェリウスその人であった。彼は温泉旅行の費用、幹部一人の目標5万円を稼ぐため、塾講師のアルバイトをしていたのだ。
「このグラフの漸近線は、言うなれば低次元の存在が触れることのできない神の領域。我々(魔族)から見れば、庭の石ころのようなものだが…まあ、君たち人間には難しいか」
「「「???」」」
生徒たちが宇宙猫のような顔をしている。
「先生、質問です! この歴史の年号が覚えられません!」
「フン、年号など些末なこと。歴史とは、強者が弱者を蹂躙し、都合よく書き換える叙事詩に過ぎん。例えば1582年、本能寺の変の裏では、我が軍の諜報部員が織田信長の魂魄を…おっと、口が滑ったな」
「「「(なんかヤバいこと聞いた!!)」」」
ネフェリウスの授業は、常に魔界基準。集中力が切れた生徒には小声で「魂、抜くぞ」と囁き、居眠りした生徒の夢の中には悪夢(物理)を送り込む。そのスパルタ教育は、しかし、驚くべき結果をもたらした。
「ネフェリウス先生の授業、怖すぎて逆に集中できる…」
「先生に睨まれると、脳が沸騰して公式が全部頭に入る…」
「この前のテスト、学年一位取れました! 先生は神です!」
生徒たちの成績は爆上がりし、親からの評判も鰻登り。塾長はネフェリウスの手を取り、涙ながらに訴えた。
「先生! あなたこそが教育界のブラックホール! 全ての知識を生徒に吸い込ませる天才です! どうか、うちの正社員に…!」
「断る。我が忠誠は魔王様ただ一人に捧げられている。…それに、時給の方が割がいい」
ネフェリウスはクールに断ると、給料袋の5万円を握りしめ、魔王城への帰路につくのだった。
◆勇者の攻略法は化学兵器◆
一方、アルデンヌの塔。勇者リリィ一行は、リリィの過激な提案を実行に移していた。
「いい? 火事じゃないのよ、あくまで“燻製”。これは人道的なあぶり出し作戦よ」
リリィはそう嘯くと、山ほど集めた『三日三晩笑いが止まらなくなるキノコ』や『嗅ぐと故郷の母親の幻覚が見える草』などの毒草に、ポイっと火をつけた。
ぼわっ!
およそ人道的とはかけ離れた、禍々しい紫色の煙がもうもうと立ち上り、塔の窓という窓から侵入していく。
「「「げほっ!ごほっ!なんだこの煙は!?」」」
「目が、目が痛え!っていうか、なんか腹の底から笑いがこみ上げてくる!アヒャヒャヒャ!」
「おっかさーん! 俺、泥棒やめて真面目に働くよぉぉぉ!(号泣)」
塔の内部は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。耐えきれなくなった大泥棒堀木とその子分たちが、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、我先にと塔から転がり出てきた。
「に、逃げろー! 外の空気を吸うんじゃー!」
その先頭を走っていた堀木が、何かにつまずいて盛大に転ぶ。
「うわっ!」 どっぼーーーん!!!
そこには、リリィが掘らせておいた巨大な落とし穴が、パックリと口を開けていた。後続の子分たちも、将棋倒しに次々と穴の中へ吸い込まれていく。 穴の底には、ご丁寧に沼地の泥と、昨日ミレルカが「体に悪いから」と捨てた栄養ドリンクの空き瓶が敷き詰められている。
「うわああ!臭くてヌルヌルする上に、なんか変な匂いが混じってて目が覚めるぅぅ!」
「助けてくれー!もう二度と悪さしませーん!」
リリィは穴の上から、天使のような笑顔で彼らを見下ろした。
「はい、お宝は没収ね。あと、貴重な毒草を使った手間賃と、この穴を掘った迷惑料として、君たちの有り金も全部いただきまーす。これも社会勉強よ♡」
その姿は、悪魔すら慈悲深く見えるほどの、完璧なる“勇者”の顔だった。
「早く金目の物、全部持ってこい!!!」
ミレルカ「あぁ、勇者様。今回も・・・」
エル「どっちが悪党だよ・・・」
カティア「このブレなさ、逆にすごい・・・いやブレてよ」
ゲスを以て毒を制す! ただし、主成分は金である。




