魔が差したんです…
――魔が差したとしか言いようがありません。
こともあろうに私は、勇者様たちの食事に睡眠薬を混ぜてしまいました。あのときは「これしかない」と思い込んでいたんです。
で、どうなったかというと――即バレしました。
そして今、絶賛、喉元に剣を突きつけられております。
勇者様、どうやら毒の耐性があるらしくて……私ごときの調合薬なんて、まったく歯が立ちませんでした。
「言え、一服盛った目的はなんだ⁉︎」
ううう、推しに睨まれてる……。申し訳なさすぎて、消えてしまいたい。
でも不謹慎だけど、怒ってる勇者様も素敵……。
「あの、先ほどから申し上げてるとおり、睡眠薬で勇者様を眠らせたかったんです。恐れ多いことをしたと反省していますが、誓ってそれ以上のことは考えていません!」
ああ……叶うことなら、一晩中、勇者様の寝顔を堪能したかった……。
本当にそれだけで、他意なんてなかったんですけど。
でも勇者様はまだ疑っておられます。どうしよう。私が戸惑っていると――助け舟が現れました。
「もうそのへんで勘弁してやったらどうだ。この娘、物盗りではなさそうだよ」
女戦士様です。赤い髪をなびかせ、豊満な身体を惜しげもなくさらけ出す鎧姿。
妙齢の筋肉美がまぶしい……。
後ろには魔法少年も連れ立っています。二人とも、部屋の外で待機していたようですが、痺れを切らして入ってきたらしいです。
一番上等な部屋を用意しましたが、四人も揃うとさすがに圧迫感がありますね。
女戦士様は肩をすくめながら、言葉を続けました。
「それにこの娘、ひどく痩せ細っているじゃないか。仮に物盗りだったとしても、生きるためには仕方なかったんだろうよ――」
なんて慈悲深いお方……。私は感動で目を潤ませました。
すると勇者様は、嘆息しながら剣を鞘に収めます。
「……もういい。だが、次はないと思ってくれ」
「ありがとうございますっ、もう絶対にしません!」
助かりました。でも、ほんの少しだけ残念な気持ちもあります。
――推しに殺されるなら、それはそれで本望だったかもしれない。
まだ出会って間もないというのに、私の心は勇者様でいっぱいです。なんなんでしょう、これ。
勇者様が「夜風にあたってくる」とだけ告げて部屋を出ていかれると、女戦士様が私のそばに寄ってきました。
「お嬢ちゃん、アレクに惚れたんだろう?」
ドキッ。
心臓が跳ねたのが、自分でもわかる。
「アレクって……勇者様のことですよね? な、なななんのことでしょうか……」
「とぼけなくていいよ。アレクはあんな顔してるからね。今までだって、あいつに惚れた女の子はたくさんいたんだ。今回だって、眠らせて寝込みを襲おうとしたんだろ?」
「とんでもありませんっ!」
私は慌てて否定しました。
一服盛っておいてなんですが、そんな大それたこと、許されるはずがありません。
推しは愛でるだけ。それが私のポリシー。
「私はただ……寝顔をじっくり眺めたかったんです。できれば、スケッチも……したかったけど、本当にそれだけです。……ごめんなさい……」
言ってるそばから涙がこぼれました。
なんて情けないことをしようとしたのでしょう。変態にもほどがあります。
その反省が伝わったのか、女戦士様は私の肩をぽんぽんと軽く叩いてくれました。ついでに、ひとこと。
「やれやれ、厚かましいのか控えめなのか、わからないね」
……ありがたい。でも、今度は後ろに控えていた魔法少年が、私に牙をむいてきました。
「泣けば済むと思ってるんだろ。最悪だな」
うっ、手厳しい……。
見た目は天使のように可愛らしいのに、言葉でグサグサ刺してきます。
「言っとくけどアレクには、ふさわしい婚約者がいる。魔王を倒したら、帝国の花・アリーテ姫を下賜される予定なんだ。お前の出る幕なんてないから、諦めろ」
「ジュダ、そこまでは言わなくていいよ」
女戦士様がたしなめてくれるものの、彼は構わず、値踏みするような目で私を見てきます。
まるで“お前には価値がない”と言われているようで……いや、実際ないですけど!
私は室内を見渡しました。
木製の壁に、簡素で古びた調度品。清潔にはしているけれど、床は軋むし、豪華なものなんて一つもない。
育ちも器量もたいしたことない自分。
でも、だからって――
私はギュッとスカートを握りしめ、息を吐くように言い返した。
「たしかに、生身の人間にどハマりしたのは初めてで、自分でも戸惑ってます。でも、立場はわきまえてるつもりです。勇者様とどうこうなりたいだなんて、毛頭考えてません。だから……クソガキにいちいち言われたくないです……!」
「なっ……お前だって、まだ子供だろうが!」
……言いすぎました。ごめんなさい!
私は罪人。甘んじてサンドバッグになるべきなのに、口が勝手に……。反省。
「実はロリババアなんです」と弁明しようかと一瞬よぎったけど、前世の話なんて信じてもらえるわけないし、どう言っても言い訳になるだけ。だから――
「ごめんなさいっ! 夜風にあたって反省してきます……!」
私は勢いよく頭を下げて、宿から飛び出しました。
静止の声がかけられたけど、聞く耳持ちません。
外は真っ暗で、緑豊かな大自然が広がっています。民家は点在しているけど、灯りはほとんどついていません――ランプの脂がもったいないからです。
ひんやりとした夜気が体にまとわりつき、夜風が頬を切ります。
うう、上着を羽織ってくるべきでした……。
星明かりを頼りに、私は厩舎へ向かいました。
獣臭と干し草の匂いが鼻をつきます。中には、一頭の白馬。
勇者様たちが連れてきた馬です。とても由緒正しい名馬らしく、「丁重に扱ってくれ」と頼まれておりました。
「こんにちは、白馬さん……」
私がそっと話しかけると、白馬はヒィン……と小さく嘶きました。とても賢い馬です。
昼間、勇者様が大切そうに撫でていたのを思い出しました。様子を見に来ただけだけど、今夜は一緒にいさせてもらおうかしら――
……そう思ったとき、私のお腹が鳴りました。
ギュルルルル。
「お腹、空いた……」
そういえば今日は、ほとんど何も食べてなかったのでした。
勇者様たちに美味しいものを食べてもらいたくて、家にあった食材をすべて使ってしまったから。
私は余り物を食べるつもりでしたが、思いのほか好評で――皆さん、綺麗に完食されました。結果、空腹。
「でも、勇者様に『美味しい』って言ってもらえて、すごく嬉しかったなぁ……」
自然と笑顔が戻ります。
前世の断片的な記憶――異世界の埼玉県という場所での暮らしを思い出しながら、肉じゃがやオムライスを作ったけど、みんな初めて食べたようで、驚きながら「王宮のシェフより美味い」と太鼓判を押してくれました。
毎日、自炊してた甲斐がありました。
(この世界って、一般庶民はもちろん、富裕層や貴族ですら、食事に手間と時間をかけるのを嫌うのよね……。美味しい食べ物は元気の源なのに、もったいない……)
――宿屋をたたむことがあれば、帝都で小料理店でも開こうかしら。
……なんて妄想していたら、お腹のラッパがますますうるさくなりました。
ギュルルルルルルル。
飢えと冷えのダブルパンチに、私は困り果てました。
(どうしよう。ポケットには、勇者様からいただいた銀貨があるけど、これは使いたくないし……そもそも、こんな夜更けに開いてるのなんて、酒場くらいだし――)
無理だ。こんな小娘がのこのこ酒場に行けば、すぐに悪漢に絡まれる……。
私は麓を覆う森に目を向けました。
昼間は薬草や木の実を採りに行く、庭のような場所。でも、夜になると一転して物騒な雰囲気になる。
「日が暮れたら森には入るな」と、亡き母に口を酸っぱくして言われていたけれど……今は非常事態。
「少しだけ……木の実を採ってくるだけだから……明日の朝ごはんにもなるし……」
私は立ち上がり、スカートに付いた藁を払い落としました。
もう、その時には覚悟は決まっていました。
――あとから思えば、たぶんこのとき、私は少し自暴自棄になっていたんだと思います。
空腹と、推しへの想いに突き動かされて――私は、夜の森へと足を踏み入れたのでした……。