第6話:黄泉路の非日常
第6話:黄泉路の非日常
黄泉路の中は、静かだった。
外の世界の、全ての音が、遮断されている。聞こえるのは、自分たちの、息遣いと、足音、そして、どこかから、滴り落ちる、水滴の、規則正しい、音だけ。
ひやりとした、空気が、肌を、撫でる。それは、墓場のような、冷たさでありながら、なぜか、息苦しさは、なかった。
むしろ、景は、この、閉ざされた、空間に、奇妙な、安堵感を、覚えていた。
ここには、誰の、視線も、ない。
期待も、ない。
ただ、自分と、目の前の、暗闇が、あるだけ。
松明の、赤い光が、洞窟の、壁を、ぼんやりと、照らし出す。壁は、ぬらぬらとした、苔に、覆われており、その、ところどころが、燐光を、放って、青白く、光っていた。
幻想的な、光景。
だが、その、美しい、光景とは、裏腹に、足元には、無数の、獣の、骨らしきものが、散らばっていた。
ここは、美しい、だけの、場所ではない。
死と、隣り合わせの、場所だ。
「……きゃっ!」
不意に、隣を歩いていた、瑠璃が、短い、悲鳴を、上げた。
見ると、彼女の、足元から、ぬるり、と、黒い、影のようなものが、這い出してきている。
――穢れ。
古文書に、記されていた、存在。
それは、明確な、形を、持たない。ただ、黒い、泥のような、不定形の、塊。だが、その、中心には、まるで、怨念を、凝縮したかのような、赤い、瞳が、一つ、光っていた。
瑠璃は、腰を抜かし、その場に、へたり込んでしまった。その顔は、恐怖に、蒼白になっている。
景は、舌打ちをした。
やはり、連れてくるのでは、なかったか。
彼は、松明を、瑠璃に、押し付けると、懐から、小さな、革袋を、取り出した。中には、岩塩が、入っている。
前世の、知識、というよりは、怪談話の、うろ覚えの、記憶。
気休め、かもしれない。
だが、何もしないよりは、ましだ。
彼は、岩塩を、一つかみ、すると、それを、穢れの、塊へと、投げつけた。
ジュッ、と、肉の焼けるような、音がして、穢れの、体から、黒い煙が、上がる。赤い瞳が、苦痛に、歪んだ。
――効く、のか。
穢れは、怯んだように、後ずさる。
だが、その、動きは、すぐに、止まった。そして、再び、じりじりと、こちらへ、にじり寄ってくる。
やはり、気休め、か。
景は、もう一度、岩塩を、投げつけようとして、
「――待って」
と、瑠璃の声に、制された。
彼女は、腰を抜かしたまま、震えてはいたが、その瞳は、もはや、ただ、怯えているだけでは、なかった。
その目は、穢れではなく、その、向こう側。洞窟の、壁の、一点を、じっと、見つめていた。
「……あちら、です」
「何がだ」
「……気の、流れが。温かい、気の、流れが、あちらへ、向かっています。この、穢れは、その、流れを、嫌っている、ようです」
気の、流れ。
魄脈、か。
桜小路の、血筋だけが、感じ取れるという、月魄の、微かな、流れ。
景の目には、ただの、岩壁にしか、見えない。
だが、瑠璃は、何かを、確信しているようだった。
「……分かった」
景は、即断した。
彼は、穢れの、注意を、引きつけるように、もう一度、岩塩を、投げつける。そして、その隙に、瑠璃の、腕を掴み、彼女が、指し示した、方向へと、走り出した。
「こっちだ!」
二人は、無我夢中で、走った。
やがて、行き止まりに、突き当たる。
だが、瑠璃は、言った。
「この、壁の、向こうです」
景は、つるはしを、使い、その壁を、力任せに、打ち据えた。
数度、打ち付けたところで、壁が、もろくも、崩れ落ち、その向こうに、新たな、通路が、現れた。
二人は、そこへ、転がり込む。
崩れた、壁の、向こう側で、穢れの、悔しそうな、鳴き声が、響いた。
新しい、通路で、二人は、しばらく、息を、整えていた。
先に、口を開いたのは、景だった。
「……お前の、その力。なかなか、使えるな」
その言葉には、何の、感情も、こもっていなかった。
ただ、事実を、評価する、無機質な、響き。
だが、瑠璃にとって、その言葉は、これまで、誰かに、かけられた、どんな、賛辞よりも、心に、響いた。
家の、威光ではない。
親の、七光りでもない。
ただ、彼女、個人の、力が、初めて、誰かの、役に立った。そして、認められた。
瑠璃は、景の、顔を、見た。
彼は、相変わらず、死んだ魚のような、目をしている。
だが、その、瞳の奥に、ほんの、わずか、彼女を、「姫」や、「置物」としてではなく、一人の、「使える人間」として、認識し始めた、光が、宿っているのを、彼女は、見逃さなかった。
その、小さな、変化が、なぜか、瑠璃の、胸を、締め付けた。
それは、喜び、というには、あまりにも、不器用で、そして、切ない、感情の、芽生えだった。




