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第4話:深夜の慟哭と、憐れみという名の介入

第4話:深夜の慟哭と、憐れみという名の介入

 その夜を境に、書庫は、二人だけの、秘密の城となった。

 瑠璃は、あれ以来、ヒステリックに、泣き喚くことはなくなった。その代わり、彼女は、まるで、何かに、取り憑かれたかのように、古文書の山に、没頭し始めた。

 だが、その姿は、「家の再興」という、健気な目標のため、というには、あまりにも、痛々しかった。

 彼女は、ただ、逃げているだけなのだ。

 没落した、家の現実から。

 何もできない、無力な自分から。

 そして、この、息の詰まるような、退屈な、日常から。

 古文書の、解読不能な、文字の海に、溺れることで、彼女は、かろうじて、正気を、保っているようだった。


 景は、そんな彼女の姿を、壁に寄りかかりながら、ただ、冷ややかに、眺めていた。

 時折、彼女が、どうしても読めない文字に、ぶつかり、悔しそうに、唇を噛む。その、追い詰められたような、横顔を見るたびに、景の、脳裏には、前世の、あの、後輩の顔が、ちらついた。

 真面目で、責任感が強くて、そして、不器用だった、あの後輩。

 彼は、自分の、キャパシティを、超えるほどの、仕事を、抱え込み、誰にも、助けを求めることができず、やがて、心を、壊した。

 オフィスの、トイレで、一人、声を殺して、泣いていた、彼の、小さな背中。

 あの時、自分は、彼に、何をしてやれただろうか。

 「頑張れ」と、無責任に、励ますことしか、できなかった。

 いや、それすら、しなかった。

 ただ、「面倒だ」と、見て見ぬふりをしただけだ。

 そして、彼は、消えた。

 後悔、というには、あまりにも、希薄な、感情。

 だが、その、古傷が、時折、鈍く、痛むのだ。


「……そこの、文字は、『魄脈はくみゃく』と、読む」

 景は、ほとんど、無意識に、口を開いていた。

 瑠璃が、驚いて、顔を上げる。

「……月魄の、流れる、道筋のことだ。昔の、連中は、そう、呼んでいたらしい」

 彼は、瑠璃の、隣に、どかりと、腰を下ろすと、彼女が、開いていた、古文書を、覗き込んだ。

「……なぜ、あなたが、それを」

「さあな。昔、どこかで、見たことがあるだけだ」

 景は、気のない、返事をした。

 本当は、違う。

 彼は、この数日間、暇つぶしに、書庫にある、ほとんどの、書物に、目を通していたのだ。そして、その、異常な、読書量と、前世の、知識体系を、組み合わせることで、この世界の、古い文字を、驚くべき、速度で、解読し始めていた。

 だが、そんなことは、彼女に、言う必要はない。

 これは、善意ではない。

 これは、自己満足だ。

 過去に、救えなかった、命への、今さら、間に合うはずもない、歪んだ、贖罪。

 あるいは、ただの、憐れみ。

 目の前の、この、どうしようもなく、不器用で、そして、壊れかけている、女に対する、憐れみ。

 景は、古文書の、別の、一節を、指差した。

「……こっちは、『穢れ(けがれ)』。黄泉路に、巣食う、魔物、というよりは、淀んだ、気の、塊のような、ものだ。下手に、刺激すると、厄介なことになる」

 彼は、淡々と、解読を、進めていく。

 瑠璃は、何も言わなかった。

 ただ、彼の、低い声と、彼が、指し示す、文字の、意味を、必死に、その、心に、刻みつけていた。

 彼女は、もう、景を、見下してはいなかった。

 その代わりに、彼女の、瞳には、別の、感情が、宿り始めていた。

 それは、畏敬、であり、そして、依存、だった。

 自分には、到底、理解できない、知識を持つ、この、謎めいた、男。

 彼に、縋れば、もしかしたら、この、泥沼のような、現実から、抜け出せるかもしれない。

 そんな、甘く、そして、危険な、期待が、彼女の、心に、芽生え始めていた。

 二人の、奇妙な、古文書解読会は、それから、毎夜、続くようになった。

 それは、協力、というには、あまりにも、一方的で、絆、というには、あまりにも、不健全な、関係。

 ただ、互いの、空虚な、心を、埋めるためだけの、どうしようもない、共犯関係だった。

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