第15話:追われる二人
第15話:追われる二人
その報せは、嵐のように、唐突に、やってきた。
早朝、まだ、薄暗い中、屋敷の門が、乱暴に、叩き破られる。
なだれ込んできたのは、幕府・陰陽寮本庁の、武装した、役人たちだった。その、先頭に立っていたのは、賀茂泉。彼女の、美しい顔は、氷のように、冷たく、そして、その瞳には、歪んだ、勝利の光が、宿っていた。
「――藤原景、桜小路瑠璃。両名に、謀反の、疑いあり。幕府への、反逆、並びに、禁じられた、黄泉路を、荒らした、大罪により、身柄を、拘束する!」
泉の、凛とした声が、朝の、静かな、空気を、切り裂いた。
屋敷に、残っていた、数少ない、使用人たちは、悲鳴を上げ、逃げ惑う。
その、地獄絵図のような、光景を、景と瑠璃は、書庫の、窓から、ただ、静かに、見下ろしていた。
「……来たか」
景が、ぽつり、と呟いた。
その声には、驚きも、恐怖も、なかった。
ただ、ついに、この時が、来たか、という、奇妙な、安堵感さえ、漂っていた。
「……我らを、売ったのは、源爺たちですわね」
瑠璃の声も、不思議なほど、穏やかだった。
「……だろうな」
二人は、互いに、顔を見合わせた。
裏切られた、というのに、その、どちらの、顔にも、怒りや、悲しみの色は、なかった。
なぜなら、二人とも、心の、どこかで、分かっていたからだ。
自分たちが、彼らの、最後の、忠義さえも、踏みにじってしまったことを。
そして、この、破滅が、自分たちが、自ら、望んだ、道であることを。
「姫様! 景様! こちらへ!」
年老いた乳母が、血相を変えて、書庫に、駆け込んできた。
「裏口から、お逃げください! 私が、時間を稼ぎます!」
彼女は、涙ながらに、訴えた。
だが、瑠璃は、静かに、首を、横に振った。
「……いいえ。もう、逃げるのは、やめにします」
彼女は、景の、手を、取った。
「……行きましょう、景」
「……どこへ」
「決まっていますわ」
瑠璃は、にっこりと、微笑んだ。
それは、彼女が、この世界に来てから、初めて見せた、心の底からの、無垢な、笑顔だった。
「――わたくしたちの、お城へ」
二人は、もはや、隠れることもしなかった。
堂々と、役人たちの、目の前を、通り過ぎ、北の森へと、向かう。
あまりにも、堂々とした、その態度に、役人たちの方が、むしろ、面食らい、一瞬、動きが、止まった。
「待て! 逃がすな!」
泉の、金切り声が、響く。
追手が、一斉に、二人を、追いかける。
だが、二人の、足は、速かった。
この、屋敷の、地形は、知り尽くしている。
そして、何より、彼らの、心は、どこまでも、軽かった。
全ての、しがらみから、解放された、鳥のように。
森の中、あの、苔むした、岩の前で。
景は、最後の一瞥を、追手たちに、くれた。
その、人垣の、向こうに、泉の、悔しげに、歪んだ、顔が見える。
景は、彼女に向かって、静かに、中指を、立ててみせた。
前世で、最も、嫌いだった、上司に、いつか、してやりたいと、ずっと思っていた、ささやかな、復讐。
そして、彼は、瑠璃と、共に、黄泉路の、暗闇の中へと、その身を、躍らせた。
直後、景が、あらかじめ、仕掛けておいた、簡単な、罠が、作動し、入り口は、巨大な、岩で、完全に、塞がれてしまった。
「……くそっ! 追いかけろ! 他の、入り口を、探せ!」
泉の、怒声が、岩の、向こう側から、くぐもって、聞こえてくる。
だが、その声は、もはや、二人には、関係のない、遠い、世界の、音だった。
黄泉路の、闇の中。
二人は、互いに、寄りかかり、荒い、息を、ついていた。
もう、帰る家は、ない。
社会的、地位も、名誉も、全てを、失った。
幕府から、正式に、追われる、お尋ね者。
客観的に見れば、それは、人生の、どん底。完全な、絶望。
だが、二人の、心は、不思議なほど、晴れやかだった。
「……ふふっ」
瑠璃が、肩を、震わせて、笑い出した。
「……あはははは!」
やがて、その笑いは、景にも、伝染した。
「くくっ……はははは!」
二人は、腹を抱え、涙を流しながら、笑い続けた。
何が、おかしいのか、分からない。
ただ、この、どうしようもない、状況が、ひどく、滑稽で、そして、自由だと、感じたのだ。
もう、何も、演じなくて、いい。
もう、誰の、期待にも、応えなくて、いい。
ここには、ただ、自分たち、二人だけ。
この、薄暗く、泥臭い、黄泉路だけが、二人が、本当に、息をすることのできる、最後の、そして、唯一の、楽園だった。
二人は、笑い疲れると、手を取り合って、さらに、深い、闇の中へと、歩き出した。
その、先に、何が、待っているのか、知る由も、なかったが、もはや、どうでも、よかった。




