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第14話:最後の忠義

第14話:最後の忠義

 その夜、桜小路家の、片隅にある、家臣たちの、小さな、詰所で。

 三人の、年老いた、侍が、顔を、突き合わせていた。

 筆頭家老の、源爺。

 瑠璃の、乳母の、夫であり、幼い頃から、彼女の、守役を、務めてきた男だ。

 そして、その、配下の、二人の、家臣。

 彼らは、もはや、桜小路家に、残された、最後の、忠臣たちだった。

 部屋の中には、重い、沈黙が、満ちていた。

 誰もが、うつむき、その、皺の、刻まれた、顔には、深い、絶望の色が、浮かんでいる。


「……もう、これまで、かもしれんな」

 やがて、源爺が、絞り出すように、言った。

 その声は、ひどく、か細く、そして、弱々しかった。

「姫様は、完全に、おかしくなられた。あの、藤原の、男に、そそのかされて……いや、違う。姫様は、自ら、あの、闇に、堕ちていっておられる」

 今日の、幕府の、役人たちへの、態度。

 それは、もはや、正気の、沙汰ではなかった。

 家の、存続、どころか、ご自身の、命さえも、顧みていない、あの、虚ろな、瞳。

「あの、藤原の男……。一体、何者なのだ。まるで、生きた、亡霊のようではないか。姫様は、あの男の、空っぽの、目に、魅入られてしまわれたのだ」

 配下の一人が、震える声で、言った。

「このままでは、桜小路家は、お取り潰しになる。我らも、路頭に、迷うことになる。もう、我々も、潮時では、ないでしょうか。この家を、見限る、潮時……」

 その言葉に、源爺は、激しく、かぶりを振った。

「馬鹿を申せ!」

 その、痩せた、体からは、想像もつかないほどの、鋭い、一喝だった。

「わしらは、先代の、ご当主様に、お誓いしたのだ。姫様を、生涯、お守りすると。この、命に、代えても、と。その、誓いを、違えることなど、断じて、できん!」

 だが、と、彼は、続けた。

 その声は、再び、力を、失っていた。

「……だが、我々の、言葉は、もはや、姫様には、届かぬ。我々は、無力だ。姫様が、自ら、崖から、飛び降りようと、しておられるのを、ただ、黙って、見ていることしか、できん」

 源爺の、目から、一筋の、涙が、こぼれ落ちた。

 それは、長年、仕えてきた、主への、深い、愛情と、そして、何もできない、自分への、情けない、怒りの、涙だった。

 部屋は、再び、絶望的な、沈黙に、包まれた。


 どれだけの、時間が、経っただろうか。

 不意に、もう一人の、配下が、顔を上げた。

 その、目には、何か、恐ろしい、決意の、光が、宿っていた。

「……源爺様。一つだけ、方法が、ございます」

「……何だ」

「姫様を、救う、最後の、方法が」

 彼は、一度、言葉を、飲み込み、そして、言った。

 その声は、ひどく、乾いていた。

「――姫様を、売るのです」

「な……に……?」

 源爺は、我が耳を、疑った。

「姫様と、あの男の、全ての、行動を、証拠と、共に、幕府に、密告するのです。禁じられた、黄泉路への、侵入。そして、幕府への、反逆の、意志。その、全てを」

「……正気か、貴様! それは、姫様を、罪人として、突き出すことと、同じぞ!」

「左様。ですが、それしか、道は、ございません」

 男は、続けた。その目は、もはや、狂気さえ、帯びている。

「姫様は、病なのです。あの、藤原景という、男に、心を、蝕まれている。ならば、その、病巣から、無理やりにでも、姫様を、引き離さねば、なりません。たとえ、それが、姫様ご自身の、お心を、深く、傷つける、ことになったとしても」

 密告すれば、姫君は、罪人として、捕らえられるだろう。

 そして、あの、藤原景からも、引き離される。

 おそらくは、どこか、遠くの、寺にでも、幽閉されることになる。

 だが、それでも、死ぬよりは、ましだ。

 桜小路家が、お取り潰しになるよりは、ましだ。

 これが、姫様を、そして、桜小路の、名を、守るための、唯一の、方法。

 あまりにも、残酷で、そして、歪んだ、論理だった。

 だが、追い詰められた、彼らには、もはや、その、選択肢しか、残されていなかった。


「……それは、忠義では、ない。裏切りだ」

 源爺は、か細い、声で、言った。

「ええ。承知の上」

 男は、静かに、頷いた。

「我らは、姫様を、裏切るのです。姫様を、お救いするために。そして、我らは、忠義を、果たせなかった、不忠の、臣として、腹を、切りましょう。それが、我らにできる、最後の、お詫びでございます」

 その、言葉に、部屋にいた、全員が、息をのんだ。

 主を、救うために、主を、裏切り、そして、自らの、命を、絶つ。

 それは、武士として、最も、悲しく、そして、最も、純粋な、忠義の、形だったのかもしれない。

 源爺は、ゆっくりと、目を、閉じた。

 その、瞼の、裏に、幼い頃の、瑠璃の、屈託のない、笑顔が、蘇る。

 ――姫様、お許しください。

 彼は、心の中で、詫びた。

 そして、目を開けた時、その、瞳には、もう、迷いは、なかった。

「……分かった。やろう」

 その、一言で、全てが、決まった。

 三人の、老いた、侍たちは、その夜、震える手で、筆を、取った。

 自分たちの、愛する、主を、断罪するための、詳細な、訴状を、書き上げるために。

 それは、彼らにとって、最後の、そして、最も、悲しい、忠義の、始まりだった。

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